夜魔

 仮面ビオダーは火災の現場、直近の家屋の屋根に到着した。


 四階建ての屋根の外縁から見下ろせば、火は市場らしい区画の中の一軒を火元に隣接した家屋や商家らしい建物に燃え移りつつあった。近隣の住民が手桶やバケツで水を掛けていたが文字通り焼け石に水の様子だ。

 そこに騎士団が手動のポンプのような物を積んだ荷馬車を引いて駆けつけて来た。そして下馬した騎士たちはポンプから放水を始めると共に、住人を組織して複数のバケツリレーの列を形成し始めた。住民にバケツを配る騎士、列を誘導する騎士、全体を指揮する騎士。よく訓練された無駄のない動きに見えた。ビオダーは一度変身を解くと、マントを翻して下へと飛び降りた。

 突然現れた権藤に騎士たちは一瞬緊張を高めた。


「四十八!」


 騎士の一人から合言葉が飛んだ。


「二十六!」


 権藤は即答した。現場にほっとした空気が流れた


「お初に。仮面ビオダー卿。この現場の指揮を執るキンダベートです」

 人の良さそうな若い騎士が権藤に歩み寄る。この街に入る際、門の所で並んでいた騎士の中の一人に彼がいたのを権藤は憶えていた。

「助力に来た。あれをやらせてくれ」

「竜吐水ですか? しかしあれは重労働で。異界からの神の使者に担わせるような仕事ではありません」

「この現場は君の指揮で見事に対処ができている。私にできるのは力仕事くらいだ。力にならせてくれ」


 権藤は構えを作ると、

「ビオダー………変身ッ!!!」

 仮面ビオダーへと再び姿を変えた。

 騎士たちとリレーの列の住民たちが、おお、とどよめく。


「代わってくれ」

「は、しかし……」

「荷車を押さえてくれると助かる」

 竜吐水の手押しのレバーは梃子てこで力を得るために長く大きく作られ、二人二組計四人でそれを操作していたが、ビオダーは彼らを竜吐水が載った荷車のサポートに下がらせて一人でそのレバーを取った。

 レバーを下げる。先程四人か飛ばしていたのと同じくらいの水が出た。その具合からポンプやレバーの感じを掴んだビオダーは、


「フンッ!」


 その設計強度ギリギリの力でレバーを押し下げた。荷車が軋み、放水口からビームのように唸りを上げて水が直線に飛んだ。


「フンッ!」


 今度は同じ力でレバーを押し上げた。

 荷車と屈強な騎士四人が少し浮き上がる。放水口は再び水のビームを火炎に突き刺した。


「フンッ! フンッ! フンッ! フンッ!……」


 機構本体を損なう直前ギリギリの臨界点でビオダーはレバーを上げ下げし、竜吐水は極限まで大量の水を吐き、それと反比例して火勢は弱まって当初思われたよりも早く火災は収まるかに見えた。群衆は自分の持ち場の作業をしながら、同じ地面で同じ火災と戦う神の使いの人智を超えたパワーに胸を踊らせ、目を輝かせた。


 その時だ。


 燃焼の匂いと煙の立ち込める火災現場の暗闇から火災の真ん中に向かって、ひゅひゅっ、と何かが投げ込まれた。

 ビオダーの超触覚アンテナはその空気の振動を捉え彼のCアイはそのズーム機能で燃え盛る炎の中心で投げ込まれた四本の大人の足ほどの筒がじわっと黒く燃え始めたのを捉えた。


「いかん! 伏せろ‼︎」


 彼が叫んだのとその筒が弾けたのが同時だった。

 まばゆい閃光。世界が白に染まった。ドンッという衝撃波。踏ん張ったビオダーの体表に細かな何かの破片のようなものが大量に跳ね返り、ザァッと音を立てた。最後に吹き出した火炎が灼熱の絨毯となって辺りを覆った。全てがほんの一瞬の出来事だった。

 

 ビオダーのセンサー類が周囲の状況を再び認知した時、そこには地獄が広がっていた。


 火元に近かった人間は皆黒いマネキンのようになって死んでいた。あの若い騎士も。息のある者も火傷と裂傷にまみれて倒れ、苦痛の呻きを上げている。

 地面には小指の先程の三角の鉄片が無数にばら撒かれていた。爆発物の殺傷力を増す為に爆薬の周囲に詰め込まれていたのだろう。それらは与えられた仕事を最大限に果たし、さっきまで火災に対していた騎士たち、バケツリレーの列を成していた群衆たちを引き裂き薙ぎ倒して、彼らの殆どを酷く傷つけていた。ビオダーは彼らを助けるすべを持たなかった。


 どーん……ど、どーん……どーん……。


 遠くから似たような爆発の響きが五つ、六つと重なって聞こえた。他の火災現場でも同じような再度の爆発が起きたことは容易に想像できた。


「火災に集まる騎士たちが標的か……! 市民を巻き込んで……!」


 

 ビオダーはえた。


 血を吐くような咆哮だった。


 その視界の端を二つの影が横切った。

 細いシルエット。姿勢を低くする妙な走り方。二つの影は通りを一目散に遠ざかる。

 

「……逃がさんッ‼︎」


 風の戦士は地を蹴った。悪を裂く一陣の風になる為に。



 ***



 レンはアリエレッドの姿で剣を持ったまま、燃え盛る馬車から少し離れた場所に着地した。


「さあて……」


 ぐるっと辺りを見回す。ヘルメットの暗視機能は充分に機能しているが、今まさに燃えている馬車だけは白く飛んでしまっており、そこだけは死角だった。だがこの世界の敵がレンのヘルメットの機能や光増幅型暗視装置の弱点を知っているとは思えない。爆発したての燃え盛る馬車の中に潜む敵というのも考えにくいだろうとレンは判断した。


 少しだけ移動して馬車の周囲を伺う。倒れている人物が一人。鎧を着ている。だがこの人物は既に息絶えているように見えた。


『Life reaction : Negative』


 バイザーの情報がそれを裏付ける。

 囮担当の騎士だろう。気の毒なことをしたとレンは彼の冥福を祈った。


 他には誰もいない。通りも見渡す限り人影はない。周囲の屋根や軒の上。窓。誰もいない。窓は全て鎧戸のような頑丈な窓扉が閉じられていた。クラドックの指示だろうか。


(逃げた後、か……それとも何処かで様子を見てるのか)


 爆発からレンがここに至るまで、測ってはないが一分といった所だろう。犯人の立場なら乗っていた人物の構成や生死くらいは確認しそうなものだが、その時間があったとは思えない。


(どういう動きだよ……要人暗殺にしてもテロにしてもこれじゃ中途半端……何が狙いだ?)


 そこに爆発音を聞き付けてか若い騎士が一人駆け付けて来た。少年と呼んでもいいような短髪の赤毛の騎士はまず燃える馬車に驚き、続いて武器を帯びた真っ赤な謎の男に驚いた。


 少年騎士は抜剣すると切っ先をレンに突き付けて叫んだ。

「だっ! 誰だ貴様ッ⁉︎」

「落ち着けよ。敵じゃない。魔王討伐の為に呼ばれた異界の英雄、アリエレッド卿レン・アカバネだ」

「えっ⁉︎ あ、あなたが……これは失礼を」


 少年騎士はかしこまると剣を納めてレンの元に駆け寄った。


「いいさ。二十だ」

「自分は十六です。今年任官されたばかりで。見張りに立っていたのですが突然の爆発。駆け付けて見ればこの有様……」


 ギィンッ!!!


 少年騎士の頭のすぐ横で火花が飛んだ。

 レンの斬撃を少年騎士が自分の剣で受けたのだ。


「何をなさいます⁉︎」

「もう一度言う。だ。この意味が分からないのか?」

「……ナルホド。アイコトバ、カ」

 ぐるん、と少年騎士が白眼を剥く。

「誰だてめえッッッ!」

 ゾッとしたレンは体格差で推して斬り結んだ姿勢のまま強引にその「何か」を突き飛ばし更に追い縋って横薙ぎに斬り捨てた。


 いや、斬れていない。


 切ったのは「それ」が脱ぎ捨てた少年騎士の模様のべろんべろんの皮だった。それはソードモードのアリエブレイカーによってやや斜めに断たれ、脱ぎっぱなしのストッキングかタイツのように皺を寄せながらだらし無く地面に落ちた。


 レンは冷たい汗を掻きながら周囲を見回して不気味な敵の姿を探す。鳥肌が治らない。この敵は何かヤバい。それは本能の根源が訴えかけて来るような感覚だった。彼はその時、自分の肩口後ろと背中で何かがシューッと音を立てているのに気付いた。

 粘土のような塊が二つ、へばり付いて火花と煙を上げている。


「……狙いは俺か‼︎」


 ドドンッ!


 間を空けずに二つの爆発が連なった。レンの立っていた場所は爆炎と粉塵が形作るドームに飲み込まれ、彼の姿はその破壊の地獄の中に消えた。


 ***


 ぐんっ、と加速を付けた仮面ビオダーは一気に刺客との距離を詰める。

 地面はズルズルと削れ滑り、空気は重ねた毛布のように体に纏わり付いてその加速の壁になる。だが怒れるビオダーはそれらを無視し、燃える正義の矢となって前を走る二人の、忍者のような敵に肉薄する。

 逃走の風になびく目の荒い生地のマントの下に身体にぴたりとした黒いスーツがちらつく。その背中をぐいと手繰り寄せるが如くビオダーは改造心肺と人造筋肉に更に加速を掛け、並んで走る二人の刺客の間に自分自身をねじ込んだ。


 それに気付いた左の刺客は反射的に跳躍してコースを変えたが、右の刺客は咄嗟に後腰のナイフに手を掛け攻撃を準備した。

 その刺客のマントの襟を釣り上げるように乱暴に掴む拳があった。刺客は動揺し抗ったが、拳の持ち主は走る速度を保ったまま掴んだ刺客を強引に高々と持ち上げ、そのまま流れ来る景色の中の石垣に向けてゴミを捨てるように投げた。

 「ヒッ」と息を飲む声を残し刺客は石垣を砕いてその瓦礫に埋もれ、動かなくなった。


 跳躍で逃げた刺客はそのまま窓の庇を足場に二つ三つと跳躍を重ね、高い屋根にまで逃げて振り返った。一緒に逃げていた仲間は切り出した岩で作られた石垣に衝突させられて死んだようだった。刺客は再び振り返ると逃走を続けようとした。その目の前に真っ赤に輝く二つの大きな目があった。

「うわッ⁉︎」

 刺客は驚き、咄嗟に屋根を飛び降りて下の広場に逃れようとした。真っ赤な双眸そうぼうとその主はぴたりとその背後についたまま同じように飛び降りる。

「ウッ⁉︎」

 刺客は空中で羽交い締めにされた。次の瞬間天地がぐるりと転回した。

「や、やめろ‼︎」


 ぐしゃあっ!!!


 水気を含んだものがひしゃげて潰れる音が広場に響き渡った。


 二人の刺客を始末したビオダーは、とんぼを切って広場に着地する。


 かちん。


 右の腕で音がした。

 見ると小さな三又の鉤爪の付いた細いワイヤーが彼の右腕を捉えている。

 次の瞬間、ワイヤーがピウイッと鳥の声のように鳴ったかと思うとドンッと馬車馬が曳くような力で引っ張られビオダーは広場の中央に引き摺られた。

 その間にも同じようなワイヤーが幾状も彼に投げ掛けられ、またワイヤーの使い手たちは位置を入れ替えながらビオダーの周囲をぐるぐると回わり、彼は広場の中央で瞬く間に雁字搦がんじがらめの囚われの身となった。

 そして闇夜から滲み出るようにさっき倒した者たちと同じ装束の刺客が広場の外縁の四方向に四人現れた。全部で十人かそれ以上の刺客に彼は囲まれていた。

 刺客は手に手に刺突に特化した短槍を持っていた。それは槍の軸の途中に直角に突き出た短い持ち手を備えていて、そこを握りこむことで刺突に容易に体重が載せられるように出来ていた。

 刺客たちは槍を構える。


「シャー!」


 刺客の一人の号令で槍の四人は一斉にビオダーに殺到する。槍の刃は黒く焼かれていて光を跳ね返すことはなかったが、その切っ先には刺客の放つ研ぎ澄まされた鋭い殺気が冷たくぎらついていた。


「罠か」


 ビオダーはどこか他人事のように呟いた。 

 どうやら上手くおびき出されたらしい。ワイヤーは鋼線と麻糸か何かを編み合わせて作られており少し力を込めてみたが引き千切れそうになかった。状況は危機的と言って良い。だが彼は、内心に喜びに似た感情が湧き上がるのを抑え切れなかった。

 そこには彼の倒すべき悪が両手で数え切れないほどに現れて、今正に悪を成そうとしていたのだから。彼は怒っていた。


 彼は、怒っていたのだ。


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