街道

「もっかい説明してよ。え、今俺とエレンが喋ってるのは大陸共通語って奴なの?」


 次の街ヘンドラバーグに至る街道、ガタゴトと揺れる馬車の御者席で、レンは隣で四頭の馬の手綱を執る隣の若い騎士、エレレナンシュタトに尋ねた。


「そうですね、私にはそう聞こえています。所々聞きなれない単語は混じりますが。ただレン殿ご自身は元いた世界の言葉……チキュー語で話されている感覚かと存じます」

「日本語な。俺が日本語話してるのにエレンにはこっちの世界の言葉で聞こえてんの? 逆にエレンはこっちの共通語話してるわけ? 全然日本語に聞こえるんだけど」

「ですから。それもコモナトラ=ハイロルの魔法の効用の一つなのです」


 ヘンドラバーグは王国の中では首都コアサルバンスタインの次に古い街である。

 たった一人の旅の商人が自らのキャンプから拓いたという由来の交易の街で、国内最大の市場や劇場、遊廓や酒場通りがあり、異国のキャラバンや旅芸人の一座、吟遊詩人や荒くれの冒険者などで賑わう賑やかな街とのことだった。


「言い伝えによれば、七柱の光の眷属の神々全ての力を束ねて成すコモナトラ=ハイロルにて呼ばれた聖なる英雄には、学問と知識の神であるミ・チザが脳の髄と心の余白部分にこの世界の言語の知識を焼成し、喋る言葉が相手に解る言葉に自然に成り代わって発語され、また耳から入って来るこの世界の言葉は自然に自らの世界の言葉に置き換わって理解されると言われています」

「神さまが自動翻訳してくれてるってこと?」

「まあ……そうです」


 馬車が地面の轍を乗り越えてガタン、と揺れた。

 馬車の中から「きゃんっ」と小さな悲鳴が聞こえ、落ち着いた女性の声が悲鳴の主を案じるような言葉を掛けたようだった。

 馬車にはレンたちの野営の為の道具や食料と共に王国の姫巫女ファムナ=ファタリとその近侍の女騎士、トゥーメ・ゴーゼーン卿が乗り込んでいた。

 権藤、カヤタ、それと従卒として同行した新人騎士のグリスト・スコホテントトはそれぞれの馬で馬車の前後を進んでいる。

 

「んじゃあの子はさ?」

「あの子とは?」

「巫女の姫さんさ」

「レン殿……。レン殿の世界では王政や帝政のような身分制度ではなく、共和制に近い五血平等な国政運営であることは伺っております。ですが、ここでは王家は尊く、重んずるが規範にございます。我が国の姫殿下を町娘のように呼ぶのはお辞め頂きたい」

「悪い悪い。頭じゃ分かってるんだけどさ、なにせ身近に身分の上下ってのが大してなかったもんで。咄嗟に出ないんだよな敬語というか……その礼儀みたいなやつ」


 首都と交易都市を結ぶ街道は道幅も広く、道自体も石畳ではないものの手入れされよく踏み固められていて、板ばねの緩衝器まで付いた馬車の乗り心地は思った程には悪くない。とは言え雨上がりに穿たれたであろう轍や足跡は所々に凹凸を形作って、馬車はタイミングでガタゴトと揺れた。


「良いのです。エレレナンシュタト卿」

 御者席のすぐ後ろの窓が開き、鈴を転がすような声がした。

「殿下……」

「その殿下と言うのもおやめください。エレレナンシュタト卿。一度旅に出たからには、皆さまも私も苦楽を共にする仲間です。咄嗟に呼び方や言葉遣いに躊躇するようでは、見舞われなくて良い危険に見舞われる場面もあるやも知れません。アリエレッド卿も、エレレナンシュタト卿も、私の事は好きにお呼びください」

「さっすが春光の巫女。話が分かる」

 レンが割り込んだ。あれ? 大阪弁じゃないんだな、という疑問は一旦飲み込んで、レンは続けた。

「なら姫さんもアリエレッド卿とかエレレナンシュタト卿とかってのをやめねーとな」


 戦時下ではあるが流石に領内の街道に魔物がひしめいているようなこともなく、道行きは順調そのものだった。とはいえ二日前に首都が闇の軍勢の急襲に見舞われたばかりとあっては、レンたち一行の他に行き交う旅人もおらず、のどかな平野の風景や高い空を飛ぶ鳥などがレンたちが目にする全てと言って良かった。


「俺はレンでいい。殿も様もいらねー。エレンもだ。姫さんのことはファムナって呼ばせてもらうよ」

「分かりました……レン」

「殿下がそう仰るなら……しかし私はやはりファムナ様はファムナ様と呼ばせて頂きます。宜しいですかな、レン」

「真面目だなーエレンは。俺には丁寧語じゃなくてもいいぜ。歳だって変わらないだろ? とりあえず俺とエレンとはタメ口で良くないか?」

「……分かった」

 エレレナンシュタトは不満そうだった。

「怒んなよーエレンよー! 一緒に一つ目巨人と戦った仲じゃんかよー!」

 言いながらレンは鎧の隙間からツンツンとエレレナンシュタトの脇腹をつつき回した。

「こらっ! よさんか! 手綱が乱れる! 大体、レンは伝説の英雄だと言うのに威厳が無さ過ぎるのだ。神に選ばれて世界を救う為に召喚された聖なる存在だと言うのに、なんだそのゴロツキかチンピラのような態度や喋り方は。そもそもレンたち異界の英雄には我々や民衆だけでなく、それこそ世界の関心が集まっている。枢機院は君たちの言動や戦いを記録しているし、文字通り一挙手一投足が注目の的なのだ。子供たちや年若い騎士たちは憧れ、その有様を生き方の手本にもしよう。その辺りに自覚を持って背筋を伸ばし、言葉遣いをきちんとして、凛々しく振る舞え」

「畏まりましてございます! 閣下!」

 レンは大袈裟に背筋を伸ばし、手をくるくる回してから漫画のような敬礼をして見せ、更にそのままエレレナンシュタトに頭突きをするような礼をして、ロボットのように必要以上に直線的な気を付けの姿勢に戻った。

 ぷーっ、くすくす、と誰かが噴き出した。

 堪えようとしたが堪え切れなかった様子のその笑い声は押し殺されてはいたものの心からおかしがっているようで、聞いた者も自然に頬が緩むような心地よさがあった。

 レンとエレレナンシュタトは笑い声の主を振り返る。

 ファムナは口元と腹部を押さえて俯いており、肩を小刻みに揺らしては笑いと呼吸の混合物を絶え間なく漏らし続けていた。

 その上品な爆笑は止む兆しを見せず、自然レンとエレレナンシュタトは黙る羽目になって、二人の言い合いもそこまでとなった。


「馬車を止めて! あれを見てください!」


 鋭い声を上げたのは芦毛の牝馬の上のカヤタだった。言いながら彼自身も手綱を引いて馬を止める。エレレナンシュタトも慌てて馬車馬の手綱を引いたため、四頭の馬は混乱し、ながえくびきがぶつかって馬車は大きく揺れた。レンとエレレナンシュタトの後ろでまた「きゃんっ」と悲鳴が上がった。申し訳ありませんファムナ様、とエレレナンシュタトが謝る。


「よいやっ、と」

 レンは馬車の屋根に積まれた荷物の更に上にひょいと上がると、眼の上に掌をかざしてカヤタが示す街道の前方を見た。

 三百メートル程先だろうか。街道を少し外れた灌木の茂る野原のその灌木の間に、幾つか黒い影が見え隠れしている。目を凝らせばそれは犬に似た獣人の集団で、何かを追い掛けながら攻撃しているようだった。それはレンがいつか動画で見た野生動物の狩りに似ていた。動画では狩られていたのは群れから離れたガゼルか何かだったが、今目の前の狩りの獲物は草食の四つ足ではなかった。獣人たちは手に手に剣のような物を持ち、追い縋っては獲物に斬り付けている。追われる逃走者は時々振り返っては短い剣かナイフのような物でそれをなんとか凌ぎ、また振り向いては逃げるのだが、そんな綱渡りに限界が来るのも時間の問題と思われた。バランスを崩し、つんのめった逃走者の後ろ髪がばさっと翻る。


「……女?」

「何してるんですかレン! 行きますよ!」


 事態を把握したカヤタは馬に拍車を掛ける。権藤の黒馬はとっくに駆け出していた。


「え! ちょ、俺だけダッシュかよ⁉︎」

「行くぞレン!」

「待った! エレンは留守番!」

「何故だ⁉︎」


 レンは馬車の小窓に顔を付けるようにして言った。

「姫さん」

「は、はい!」

「戦いを見るんだ」

「……!」

「何もしなくていい。ただ見届けるんだ。できるな? ファムナ」

「……はい!」

「つーわけだから。エレンと筋肉姉さんはファムナの見学を援護」

「その呼び方はよせ」

 車内から近衛の女騎士が抗議する。

「あの……私は……?」

「援護の援護! じゃ、ヨロシク!」


 グリストの質問を雑に跳ね返したレンは居ても立ってもいられない様子で身軽に馬車から飛び降りると剣戟の喧騒に向けて駆け出した。

 どんどん遠ざかるレンの後ろ姿。その姿が

 ぱっ、と輝いたかと思うと、次の瞬間には彼は異世界の赤い戦士となって戦いの中に踊り込んで行った。

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