第23話 溶け合うホログラム
揺れる景色。温かな感触。
目を覚ました少年が、驚きの表情になった。近くに美しい顔が見える。
「シオミさん? 下ろしてよ」
足をつけた場所は、コンクリートの歩道。街路樹のそば。
「よかった」
女性が、人目もはばからず抱き締めた。とはいえ、早足で歩く人々は注目していない。樹の枝から小鳥が見ていた。
「恥ずかしいよ。シオミさん」
左腕を動かそうとして、レイトの顔が歪む。上手く動かせない。
「申し訳ありません。せっかく、動かせるようになったのに」
体を離して、一歩下がった女性。頭を下げた。
「いいんだ。ぼくが、自分で治さないといけないんだから」
「お手伝いします」
シオミの表情に曇りはない。レイトをまっすぐ見つめた。
「その前に、みんなに謝らないとね」
眉を下げる少年。即座に女性が返事をする。
「お供します」
「だから、恥ずかしいよ」
二人の表情が緩む。同じような笑顔を見せた。
大きな鉄橋の下。
崖部分をコンクリートで固められた川原の上で、土に直接座っている二人。並んで座っている。右手を見て、神妙な面持ちの青年。
掴んでいるのは、黒い金属。
「このメダル、どうするの?」
女性が尋ねた。露出度は高くないものの、艶めかしい体の線を隠せていない。
「さあ、どうするかな。どうとでもなるだろ」
カズヤが答えた。野性的な雰囲気。がっちりとした体を、落ち着いた色の服が包む。
「そうね」
同意するモモエ。のんびりと、川の流れを見ていた。川岸は植物で覆われていて、3メートルほど下にある。
「とりあえず、顔見に行くか。元気かどうか」
「待ってよ」
言葉の途中で、男性は歩き始めていた。言いながら、女性が追いかける。
短髪の男性と長髪の女性。
南西からの光を浴びて、並んで歩く二人。クリーム色の塀を右手に、さらに進む。
いかつい門が開いた。
足早に、男女が奥へと向かう。広い庭と、そこにある緑には興味がないらしい。
黒を基調とした家のドアが開くのを待たずに、ハッキングで開ける男性。女性は、困り顔で微笑んだ。
「見舞いに来たぞ」
「元気?」
カズヤとモモエの問いに、少年が答える。
「もう病人じゃないんだから、お見舞いじゃないよ」
苦笑いを浮かべるレイト。
左腕に三角巾はない。
「そうですね。友人として、歓迎します」
シオミの表情は柔らかい。
門の前で、新たに立ち入り許可が申請された。少年に了承される。開いている門を抜けて、さらに人が訪ねてきた。
ハルナとユズルが、同級生に笑顔で手を振る。
レイトは、両手を高々と上に掲げた。
洋風二階建ての建物。薄いグレーの壁。屋根は紺色。
周りはきれいに掃除されている。住宅街の中にあって、庭に緑がないことで存在感を醸し出す、
ドアの近くの看板に書かれているため、普通の家と間違う人はすくない。南西からの日差しをあびている。
「まるで、嵐が過ぎ去ったようですね」
一階。北の部屋。北の席に着く男性が、しみじみと述べた。グレーのスーツ姿。
大きな窓は東にあり、さらに机は部屋の中心にあるため、強い光が入ってこない。木の床と壁を含めて、天井の照明が優しく照らす。
「暇。何かない?」
北東の席で、藍色のスーツの女性が、男性の左肩に向けて聞いた。
『そういう機能は付いてないよ』
かわいらしい声を返すアマミズ。白いリスのようなホログラムに、暇つぶし機能はない。ウタコが要求する。
「何か、考えろ。トネヒサ」
「話は変わりますが、自分を変えてみませんか?」
「なんの話だ」
「乱暴な口調は、ムゲンの思いどおりだったわけです。悔しくないのですか?」
「いつでも、丁寧に話せるわ。荒々しさを、本意と思わないことね」
まばたきを忘れていた男性が、普段よりもにこやかに笑みを浮かべる。
「新しいパッチは、何がいいでしょうか。縫野さん」
表情をころころと変える女性。優しく見つめる男性から、笑みがこぼれた。しかし、案はまとまらない。
玄関でチャイムが鳴らされ、トネヒサが電子錠を開けた。
一階には、部屋を仕切るドアがない(トイレとお風呂を除く)ため、すぐに来客の姿が見える。
ギョウタはたじろいでいた。三十代でスーツ姿。たれ目ぎみの目を見開く。
部屋の中から、二人がじっと見つめている。
「そんなに見られても、何も出ないぞ」
ゆっくりと歩く。ウタコの右隣りの席に着いた。
「何か持ってるだろ。面白い話の、一つや二つ」
小柄な女性は、期待の眼差しで見つめ続ける。ツインテールが揺れている。発達した筋肉をすこし大きめのスーツで隠す男性が、目じりを下げる。
「上に報告したあと、理解されるまでの話、聞くか?」
「却下だ」
困り顔のギョウタ。トネヒサを見て、アマミズを見た。ふたたび、ウタコを見る。
「新種のワームに対抗するための、防衛プログラムくらいか。いま必要なのは」
七三分けの男性が反応する。
「では、さっそく取り掛かりましょう」
「よーし。競争だ」
楽しそうな顔の二人が、キーボードを叩き始めた。あきれ顔の男性がぼやく。
「そこは協力してくれよ」
『データの共有が望ましいね』
言葉を無視して作業を続ける二人。
「夢幻、か……」
つぶやきに、どこからも反応は返ってこない。
高速でキーボードを操作する音だけが、カタカタと響く。
チャイムが鳴った。
二人が、すぐに手を止める。電子錠を開けるトネヒサ。伸びをするウタコ。二人が席を立つ。依頼人とともに、ダイニングルームの椅子に座った。
「プログラム放置か。ま、仕方ない」
部屋に残されたギョウタが、机のタワー型PCを起動。ディスプレイを覗き込む。共有されているウタコのデータは、後半部分。
男性から、笑い声が漏れた。
トネヒサのデータは、開始から真ん中まで。二つ合わせれば、すでに完成していた。
応接室がわりのダイニングルーム。席に着いている、三人。
還暦を過ぎている依頼人は、あまり険しい表情ではない。和服姿。
「孫の友達のため、引き受けてはくれないか?」
フウマが、柔らかな表情で頼んだ。
ゴーストパルス。
木造で、和風の民家のような外観。木の引き戸が東にある。南西からの光は直接浴びない。
店であることを示すものは、立てかけられた看板のみ。客が少ないのは言うまでもない。スーツ姿の男性がゆっくりと通り過ぎた。
ケンジが初めて拡張現実を目にした場所である、カフェ。
飾り付けは、デフォルメされたもの。可愛らしい。幽霊やお化けをモチーフにしている。木に囲まれた店内は、照明も柔らかい。
カウンター席には二人の姿。黒い骨組みの椅子に座る青年が、つぶやく。
「どうなんだろう」
「何が?」
右隣に座る女性がたずねた。赤いカーディガンを羽織っている。千鳥柄の部分があるワンピースは、あまり見えない。
「バックアップにデータをリンクしても、あんまり変わってない気がするんだよなあ」
現実という、プログラムで構成されている世界。人間のデータは、書き換えを制限するために、別の場所のデータとリンクしている。これにより、現実感がもたらされる。
青年は、異質なリンクを修正。新規に構築した。カズヤとケンジは、いまや普通の人間と同じ。
「別にいいんじゃない。みんな、そんな感じだと思うよ」
あどけなさの残る顔で微笑むチホ。
下がっていたケンジの眉が、元に戻る。格子柄のシャツに、茶系のパンツ姿。体つきは、あまりたくましくない。
椅子の上で体の向きを変える。四人席にある窓から、外をながめた。
街の様子は、タワーでの事件の前と変わらないように見える。電柱の上のカラスはともかく、相変わらず、民家の塀に座り込むネコの区別がつかない。
同じように体の向きを変えたチホは、隣を見つめていた。
男性の黒い髪は、手で整えられているだけ。服もお洒落ではない。メガネをかけていない。そして、悲しそうな表情ではない。
カウンターに置かれたカップは、すでに空になっている。
厳密にいうと違う。ミルクと混ざり合った、不思議な色の物質が残っている。ケンジは、コーヒーの苦さを正常に感じられるようになっていた。
白い服の店員は、二人の邪魔をしない。
チホも外をながめた。
外を、母親と五歳の娘が歩いている。のんびりとしたルミコと、かわいらしいサユリ。
慈愛の眼差しを向ける女性。
「よかったね。何も変わらない日常で」
優しい表情の男性が、口を開く。
「そうだね。別に、世界に意味なんてないんだ。最初から」
再び、ケンジがカウンターのほうに体を向けた。隣のチホも続く。
「作る側の発想みたい」
「そうかもしれない」
話しながら、白いメダルを取り出した。
クリエイターの世界の問題が何か。どうすれば、すべての問題が解決するのか。現実を生きる者たちに、知るすべはない。
思考の迷宮へ囚われる前に、チホが手を差し伸べる。
「何が正解か分からないんだから、考えすぎないほうがいいよね」
「ああ。ここが、僕たちの世界なんだから」
ケンジは、胸のポケットにメダルをしまった。
ゴーストパルスの引き戸が、ガラガラと音を立てて開かれた。
「約束は半分果たしてもらった、かな?」
見目麗しい少女が言った。高圧的な表情をほころばせ、かるく微笑む。緑色の足ふきマットを、こげ茶色の靴で踏みしめた。ソックスは御影石のような深緑色。
「いらっしゃいませ」
白い服の女性が、営業スマイルを浮かべた。片目を隠した長い髪。サイズの大きなワンピースで袖も長く、店員としてふさわしいとは言いがたい。
エミカはケンジを見つめた。左隣へと歩いていく。
ボブカットの髪は、つややかな輝き。美しくまとまっている。華奢な体をつつむのは、可愛らしい服装。薄緑のボウタイ付きスタンドフリルブラウスに、茶色の三段フリルスカート。
普通に歩いて、普通に手を使っている。椅子に座った。
「ああ、忘れてた」
ケンジが、何かを閃いたような表情になった。
「難病を治すっていう、約束?」
すこし口をとがらせたチホ。表情は明るい。
「そう。あのときは急いでたから、完全に治してない」
「締まらない男だね、君は」
左隣に座ったエミカが、ゆるむ頬を引き締めながら告げた。
「そのとおりだ」
素直に認めて、笑うケンジ。
おこなったのは応急処置。とはいえ、動作に問題が起こらない完璧なもの。言い訳はしない。すでに、エミカは自分で難病を治している。子供の頃に交わした約束を、自分の力だけで果たすことはできなかった。
「ブラックで」
エミカが注文。ケンジが、コーヒーのおかわりを頼む。チホも一緒に頼んだ。
少女のほうを見る男性。
「四人席に座る?」
「そんなこと、自分で決めたらいいじゃないか」
少女が微笑を返した。
わずかに頬を膨らませ、半目気味になったチホ。男性に尋ねる。
「で、エミカの見た目についての感想は、まだ?」
「ん? それって、言わないといけない情報?」
まるで、プログラムの仕様を聞かれたときのように、平然と聞いた。眉を下げる女性を見て、ケンジも眉を下げる。頬を動かした。
「やっぱり、締まらない男だ」
声を上げて笑うエミカ。
世界のバグは取り除かれ、エラーは修復された。
しかし、世界を平面的なプログラムとして捉えることができる者は、ごくわずか。
一時の平和が訪れたことは、世界の人々に認知されなかった。
設定スパイラル 多田七究 @tada79
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