第3話 現実ハッキング

 トネヒサの事務所へ向かう、ケンジとチホ。

 歩道を並んで歩いている。カフェに入るときより高くなった日差しが、街路樹の隙間から差し込む。またしても、徒歩で移動できる距離。

「身体がなまっていたから丁度いい。とは言えないな。できすぎだ」

「街の中心部じゃなくてよかったよ。複雑でよく分からなくて。地下鉄」

 ケンジよりもすこしだけ背の高いチホ。厚底の靴を履いているわけではない。ケンジの背が、平均よりも若干低いだけである。

 脚のポケットからケースを取り出したケンジ。メガネを取り出し、かけた。ケースを定位置に戻す。

「メガネかけてるの、初めて見たかも」

「あ。必要なかったな」

「ほとんど見えない、ってわけじゃないよね?」

「遠くの文字が、はっきり見えないだけだから」

 チホからの視線を、ケンジは意に介していない。

「迷子にならないし。二人なら」

 いつのまにか街路樹がなくなっている。背の高い建物が目立たない、都会の片隅。やさしい風が吹く。庭に植物のある家が多い中、緑のない場所がある。目的地は民家にまぎれていた。

 二人の足が止まった。西を向く。見上げる建物は、洋風二階建て。薄いグレーの壁に看板がある。

関塚探偵事務所せきづかたんていじむしょ

「何も書いてなかったら、普通の家みたいだね」

 ドアの右側へと近づいた。チャイムを鳴らすためのスイッチがある。ためらうことなく押すチホ。

「ガードを考えていないのか、自信の表れなのか」

 スイッチの近くにカメラを発見したケンジ。メガネをしまい、映る位置まで歩く。表情は暗い。カメラに気付いたチホが、笑顔で手を振る。

 誰かの歩く音が聞こえて、ドアが開いた。

『こんにちは』

 肩のアマミズが先に挨拶した。かわいい声。

「対応が遅れて申し訳ありません。いらっしゃい。そうそう、靴は脱いでください」

 トネヒサの言葉に従い、運動靴を脱ぐ二人。入口のほうに向けて揃えた。靴下の状態で中に入る。木製の床がきれいに掃除されているため、上履きは必要ない。

「ウタコさん、恥ずかしがらずに対応してくれても、いいじゃないですか」

「うるさい。だまれ」

 右手の部屋の中から、声が聞こえてきた。部屋を仕切るためのドアがない。壁もすくない設計。そのため、声がよく通る。

 廊下から見える、窓のある部屋。ならぶ机は、日差しが直接当たらない中心部にある。木の壁や床もふくめて、天井中心部の照明がやわらかく照らしている。左奥の天井にある、空調とは違う四角い箱も同様に。

「一見、普通の探偵事務所です。が、それは、世を忍ぶ仮の姿」

 部屋に入り、数歩すすんだトネヒサ。ふり返り、右腕を動かして芝居がかったポーズを取った。ならぶ五つの机。青みがかった灰色の金属製で、それぞれPCが置いてある。そのうちの左奥に、するどい目つきの小柄な女性が座っている。

 ふつうの探偵事務所を知らないケンジは、比較対象をもたない。席が窓から離れているため、直射日光をうけず、コンピュータ関係の仕事に向いている。それだけが重要な情報だった。

「実は、ホワイトハッカーの事務所なのです」

 答えを言ったトネヒサに、二人の反応は薄い。

「つまり、どういうことなのかな」

 チホは苦笑いしていた。ケンジが説明する。

「ようするに、政府が雇ったハッカーってこと。プログラムやネットワークの高い知識がある」

「量子のもつれやランダム性の存在など、平面的なデータいう説明がさらに必要ですか?」

「そっちは、間に合ってます」

 ひざを曲げて、ケンジのうしろへ隠れるように移動したチホ。せっけんの香りがしても、触れられたケンジは反応しない。

 トネヒサが、小柄な女性の席を通り過ぎた。一番奥の席に座る。一つだけ向かい合っていない机。部屋の入り口に立つ二人とは、向かい合った状態。

「では、ウタ……縫野ぬいのさん、頼みます。待望の後輩なので、優しくお願いします」

 縫野ぬいのウタコは笑わない。

 スーツ姿。藍色。小柄なため、幼く見える。ツインテールがゆれた。前にならぶ席を指差し、座るようにうながす。

「お子さんかと思ったけど、違うみたいですね」

 向かいの席に着いたチホの言葉。すぐ反応したウタコが、左に座る男性をにらみつける。

「おい。説明してないのか! 十九歳だぞ」

「今、先輩だと説明しましたよね? 資質を持つ者は少ないので、仲良くお願いします」

 すこし崩した七三分けの男性が、笑顔を向ける。口をとがらせていた女性の表情がコロコロと変わるさまを、ケンジは見ることができない。

「ん。じゃあ、現状の確認。PCつけて。面倒だ。画面出る前に話す」

 二人のほうを向いて、淡々と仕事がこなされていく。すこし斜めに立つディスプレイは、横幅が13インチ。ケンジの家のものとほぼ同じ大きさ。

「分からなかったら、すぐ聞くように。二度手間、嫌いだから」

 タワー型でグレーのPC本体が、それぞれ机の上にある。チホの左隣に座ったケンジからは、ウタコの姿がよく見えない。

「ここにいる四人以外に、現実のハッキングを続ける不届き者がいる」

「それで、なりふり構わず人を探していたのか。ここも罠の一つというわけだ」

 ケンジがちらりと北西を見上げる。部屋の上部に監視カメラ。作動してはいない。存在を隠していないどころか、木製のカバーが付けられている。

「何が問題なの?」

 チホの疑問に、すぐ答えるケンジ。

「プログラムだから、管理者に都合が悪ければ、データの復元もありうるってこと」

「大問題じゃない!」

「そう。時間が巻き戻っても、私たちには認識できない。次の説明に入る」

 説明をつづける小柄な女性を見て微笑する、長身の男性。肩のアマミズは笑わない。

「便宜上、触れないのを、ハッキングと呼ぶ。データが偽装しやすく、ばれにくい」

「触れられるものは、悪意ある改ざん。クラッキング、ってことか」

「そうだ。質問がないなら、次の説明だ」

 チホが何度か質問して、説明も大詰め。

「在宅勤務は、機密保持のため認められないぞ」

「暗号化での通信は?」

「不可」

 ウタコの答えに、がっくりと肩を落とすケンジ。大きく息をはいて背筋をのばす。

「分かった。クラッキングを放置したら、全てが手遅れだ」

「よろしくお願いします」

 頭を下げるチホ。

『よろしく』

 アマミズはただ、かわいらしい声を響かせるのみ。


「まずは、基本的な説明を行います」

 左手の白い手袋を外すトネヒサ。右手を胸のポケットに入れ、取り出した。

 グレーのスーツにしまわれていた青いメダル。まるくて、材質より軽そうな印象を受ける。白い手袋のはめられた指で、つままれている。

『データフローメダル』

「データの流れか。だけど、専門用語としては色々な意味がある」

 宙に浮くアマミズの言葉に反応したのは、南東の席に座るケンジ。右隣に座るチホが、すぐに口を開く。

「用語はいいので、説明の続きを、お願いします」

「……」

 向かいに座るウタコは、するどい目つきで腕を組んでいる。口を開く様子はない。

 ウタコとチホの席に接していて、一つだけ向かい合っていない机。部屋の北の席に座るトネヒサ。メダルを見つめ、表情がすこし硬くなる。

「実は、複製できない謎の物体なのです」

「入手経路は?」

「夢です」

 トネヒサの回答を受け、ケンジは次の質問を考えなかった。続きをうながす。

「夢の中に現れた、見知らぬ存在。それが、私に告げました」

『世界をデータとして捉えるための力を与えよう。クラッカーに対抗するのだ』

 突然、立ち上がるチホ。セミロングの髪が乱れる。

「アマミズって、クリエイターだったの?」

「いえ。夢で得た設計図を基に、作っただけです。姿は似せていますが」

 微笑するトネヒサを見て、チホがゆっくりと椅子に座った。

「忘れるといけないので、内容を記録してあります」

「疑問点はあるけど、考えても仕方ない。機能説明を頼む」

「素手でメダルを触れることで、世界の改ざんが可能。補助のための装置が現れます」

 トネヒサが、青いデータフローメダルを握る。

『アウト・オブ・オーダー』

 左腕に装置が現れた。腕時計よりも大きいのに、重量感がない。

「順序立てた現実と違って、データ扱いにして処理を高速化する。か」

「略してトリプル・オー」

「アウト・オブ・オーダー!」

 ツインテールの女性が叫んだ。つき上げられた左腕を下ろす。七三分けの男性は、笑いをこらえている。メダルを装置にはめ込んだ。白い手袋が、再び左手に装着される。

「メダルをセットすることで、触れているのと同じ効果になり、専用のカードを――」

「エクセキューションカードを使うことにより、高度な拡張現実が可能となるのだ!」

 二人を見て、チホから笑い声がもれる。ケンジの表情は変わらない。

「次は、拡張現実について。よろしく」

「視覚的に分かりやすく表示した、データの流れのことです。立体映像も含まれます」

「カメラを作動して、映像を出すぞ」

 関塚探偵事務所せきづかたんていじむしょにある監視カメラのうち、16個に光がともった。廊下の数ヵ所、ダイニングルーム、キッチンだけではなく、二階でも作動した。

 PCのディスプレイには、映像が四角く整列して映っている。四人がいる部屋もある。

 ウタコが後輩のために何度も練習したことは、つげられない。くちに力を入れ、きびしい目つきで長身の男性を見た。

「メダルに触れた段階で、現実のデータを変更可能です。掛け声は必要ありません」

 トネヒサが、空中で指を動かす。

 突如、映像に現れた風船。ひとつの画面に1個。計16個。

「書き換えたら、直すまでそのままだ。覚えとけ」

 ケンジは、部屋に現れた赤い風船を見ていた。立ち上がり、手をのばす。すり抜けた。

 席を立つトネヒサ。アウト・オブ・オーダーからメダルを外し、ケンジの横に並ぶ。身長差のため、すこし見下ろす格好。左腕の装置が消えた。青いデータフローメダルを差し出す。

「風船を消してください」

「まだ正式に雇われていない。素性の知れない相手に、渡していいのか?」

 トネヒサは、ただ見つめるだけ。

「クラッキングが狙いかもしれないのに」

「大切な人がいる人間は、そんなことをしません」

 微笑するトネヒサを、不満そうな顔でながめるウタコ。左手で頬杖をついている。

 メダルを左手で掴むケンジ。

「大切な人はいない」

『アウト・オブ・オーダー』

 装置が左腕に現れた。すこし悲しそうな顔のチホが、席から見守る。

 現実がハッキング可能となり、データの流れを感覚でとらえることができる。万能感に支配され、強大な力を試したくなる者もいるかもしれない。

「こんな風になっていたのか。世界は」

 ケンジは、現実感に近い感覚を覚えていた。宙に浮くアマミズを、データのかたまりとして認識できる。単純なプログラムで、特筆すべきところはない。

 実にシンプルにできている。高さすら数値化された、データとしての世界。人間のデータが、異質なものとして大量にうごめいている。

 認識できる範囲に手を加えることが可能。自作ハッキングアプリケーションのように。

 違うところは、直感的に扱えないということ。データの羅列でしかない。空を飛ぶ鳥も、並ぶ街路樹も、吹き抜ける風すらも、アルファベットと数字、及び記号によるプログラム。

「見えないと分かりづらそうだ」

 風船は、風船の形をしていない。データとして存在している。入力された位置情報により、16ヵ所に存在するように見せているにすぎない。

 のばした手の先に発生するウィンドウ。指で触れる。

 データが書き換えられた。

 PCの画面。普通の人が見ている景色。

 16個の風船が、割れることなく消滅した。


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