第16話 関塚探偵事務所とは
まだ薄暗いうちに、二階で目覚めたトネヒサ。あかりをつけ、着替えやひげ剃りを済ませた。ちなみに、アマミズが肩にのるのは、寝室のあかりが消えたあと。
その後おこなうのは、事務所の周りの清掃である。イメージ戦略の一環で、以前より時間を早めた。
外へ出る男性。ちかくに、背の高い建物は多くない。
日が昇りはじめたことで色がはっきりしてきた、紺色の屋根。うすいグレーの壁と、ドアの近くの看板もよく見えるようになる。となりの庭と違って、植物は植えられていない。
グレーのスーツを着た長身の男性は、白い手袋をしている。金属製のトングを、カニのはさみのように動かす。合成繊維の袋へゴミを入れた。
ご近所さんや、道行く人への挨拶もかかさない。
「おはようございます」
「うむ。おはよう」
『おはよう』
トネヒサの左肩で白いものが喋っても、ほとんどの人に聞くことはできない。そもそも見えない。存在を認識できる人は、ごくわずか。
長身に見合った筋肉量の男性が、和服の年配男性を見送る。笑顔で。
ドアを開け、家に入る。アマミズに電子制御の鍵を開閉する機能はないので、あるじが操作。革靴をぬいで、ゴミの片付け。南のダイニングルームへと向かう。
天井でともる柔らかな照明により、木でおおわれた室内がよく見える。手袋を外したトネヒサも照らされている。冷蔵庫から牛乳を出した。
冷凍室から取り出した加工済み食品を、容器ごと調理機器に入れる。袋のまま温められる、と書いてある。スイッチを押した。マイクロ波が水の分子を振動させ、温度が上がっていく。あつあつになった。
つぎに冷蔵庫から出した食品は、最後まで加熱しなかった。木のテーブルの上にならべる。
「いただきます」
『ゆっくりと、よく噛んで食べることを推奨するよ』
午前7時ごろに、トネヒサの朝食は終わる。
片付けを済ませると、手袋をはめた。プログラムについて思案。しばらくして、洗面所で歯を磨いた。
北の部屋に照明をともし、中心部へと進む。ならんでいる五つの机は金属製で、青みがかった灰色。一番北の席に着いた。アマミズに、南西の机に座るよう命令。最近の定位置になっている。
PCのキーボードを操作中、探偵事務所の玄関が開けられた。
「おはよう」
「おはようございます」
『おはよう』
最初にやってくるのは、決まって小柄な女性である。白いリスのようなものに鋭い眼差しが向く。とおり過ぎて、北西の席に着いた。男性に熱い視線を送る。
藍色のスーツ姿。大人びた印象がないのは、ツインテールのせいではない。
「トネヒサ。バトルしようぜ」
「今ですか? ケンジさんとチホさんが驚きますよ。縫野さん」
ウタコは、崩した表現を使うことが多い。改められるなら問題ない。彼女は育ちが悪いわけではなく、むしろ逆。つまり大問題である。
「集まったら、みんなでやるぞ」
「そうしましょう。何の影響ですか?」
注意しないトネヒサ。逆に微笑んでいた。
プログラムで構成された世界に干渉できる、限られた人間。貴重な人材を失わないために優しくしているわけではない。理由を、いまは伝える気がなかった。
微笑する男性と、笑ったり悩んだり忙しい女性の話は続く。
玄関の開く音がして、ウタコの顔が引き締まる。部屋に二人がやってきた。
「おはようございます」
「おはよう」
明るい声と、あまり覇気が感じられない声。
「おはようございます」
「おはよう」
『おはよう』
机の上のアマミズに目をやり、男性が席に着いた。先に挨拶をした女性も続く。荷物が置かれてから、ウタコが立ち上がる。
「よし。メダル貸せ。バトルの時間だ」
「必要かもしれませんね」
トネヒサが、胸のポケットから青いメダルを取り出した。ウタコに渡す。
北東の席に着いている女性の頭に、疑問符が浮かんでいる。
「いったい、何をするんですか?」
クリーム色のスーツ姿。可愛らしい顔つきで、童顔といっても差し支えない。セミロングの髪が傾いた。
「ハッキングバトル!」
背の低い女性が叫んだ。南東の席で、やる気のなさそうな男性が口を開く。
「確かに、クラッカーの攻撃に対処する方法は、学んでおくべきだ」
スーツの部分は、こげ茶色の上着だけ。下のシャツとパンツは普段着。黒髪は軽く整えられている。寝癖がついていないのが奇跡。
「いくぞ。データフロー」
『アウト・オブ・オーダー』
左手でメダルをにぎったウタコに反応して、アマミズが宣言した。なにやらおかしな構えを続ける女性の左腕に、装置が出現。
データの流れが見える。メダルにより、現実を構成するプログラムが認識可能になった。
装着されたのは、腕時計よりも大きな装置。補助機能があり、高度な書き換えが可能。にぎっていたメダルを持ち替えて、はめ込む。
「ソフトウェアテスト済み。こいつを使う」
『エクセキューションカード、構築』
小さな体の前で、プログラムが組まれていく。形になり、右手でつかむ。
「セット」
『実行』
装置にカードが入れられ、拡張現実が広がる。エンチャントの効果が発動。ウタコ以外の三人へ、力が共有。データの流れが見えるようになった。書き換えも可能。
「どうする? 適当に、順番決めていいよ」
一人だけ席に着いたままのケンジが言った。ウタコの口に力が入っている。
「立って、観戦しろ。勉強にならないぞ」
「ああ。うん」
立ち上がったのを見届けてから、小柄な女性が左手をのばす。
「まずは、トネヒサ。お前だ!」
「はい。よろしくお願いします」
微笑みを絶やさない、長身の男性。部屋の北東に立った。ウタコが南東に歩いていき、倒すべき相手をにらみつける。
「分かりやすい見た目のプログラムを、三回当てたら勝ちだ」
「派手なのは外見だけで、影響はないようです」
トネヒサが、風を表現した弾を発生させた。うえに移動させる。そのまま天井にぶつかる弾。傷はついていない。
「なるほど。ぶつけられると、丸が減るんですね」
明るい表情のチホ。プログラムを把握している。二人の頭上、天井付近に固定されたウィンドウ。表示されている三つの丸の意味も、理解していた。
「壁を作って、きっちり、丁寧に防げよ」
ウタコは、体の前にデータの壁を展開した。PCのディスプレイほどの大きさ。壁を瞬時に出して、消す。
「巨大なものを組むためには、時間が必要。あれで防ぐ自信がある、ってこと」
「
ケンジの説明で、チホが納得した。席からすこし下がって、部屋の東に立つ。勝負を見守る二人。
妙な構えのウタコが、バトルの開始を告げる。
「イレクトリシティ!」
イにアクセントが置かれ、リで、舌を丸めた発音がおこなわれた。
球状の電気が発生。こぶしほどの大きさ。時速10キロメートルで、あまり速くない。トネヒサへ一直線に飛んでいく。ウィンドウを使った操作ではなく、視線と思考によりデータを制御している。
トネヒサも、弾を放っていた。うなる風のこぶし。
壁に当たる弾。
どちらも難なく防いで、相手を見つめている。
「最初は、分かりやすく攻撃したほうが、練習になりそうですね」
「そういうことだ。直線的な動きでいくぞ」
気合いを入れた女性。電気と風が飛び交い、データの壁で的確に防がれていく。微笑する男性。
熱心に観戦するチホ。すでに飽きた様子のケンジ。二人を見ながらも、プログラムを組み始めた。
三つの弾を放ったウタコに、トネヒサも三つの弾を発射。弾のぶつかった場所が光る。お互いの丸が一つ減った。
「きっちり防御しろ、って言っただろ」
「意表を突いたつもりでしたが、あれは防げましたね」
二人に説明する気配がないので、ケンジが言う。
「防御に回らないと間に合わないときに、攻撃した。けど、縫野には余裕があった」
「わざと当たったってこと? あ。練習だからね」
柔らかい表情になったチホが、再び眉に力を入れた。離れて立つ二人を見る。
「カーブ!」
「部屋の狭さが、悔やまれますね」
バトルを続ける二人が、弾を曲げた。あらかじめ軌道が入力されている。分かりやすいため、防ぎやすい。次々に壁で消滅していく。
「ここからが、本番だ!」
直進する電気の弾。なんの前触れもなく、曲がった。
「おっと。危ないところでした」
丸は減っていない。寸前でデータの壁を発生させ、防いでいる。すぐに風の弾を飛ばす。
「空中のプログラムを直接書き換えて、軌道を変えた」
「なるほど。練習しないと」
勉強熱心なチホに聞かれる前に、ケンジが説明した。
荒技を使い始めた二人。対処が難しく、どちらも丸を一つ失う。的確にガードを続けたウタコ。勝利するまでに、さほど時間はかからなかった。
「仮想敵プログラムを組んでみた。相手がいない時に、と思って」
観戦しながら、ケンジはカードを作っていた。防御の練習用。人型ですらない、ただの板が相手。高度なAIもない。
「練習にはいい」
ウタコのお墨付き。メダルによって拡張現実を感覚で捉えているあいだは、カードのプログラムを確認できる。
四人のハッキングバトルは、昼まで続いた。
「データ偽装の特訓だ。トネヒサ」
人差し指を突き付ける、ツインテールの女性。眉に力が入っている。七三分けの男性は、すこし崩した髪型。微笑みを絶やさない。
「そうですね。メダルの使用はリスクが高いので、こちらで行いましょう」
PCのディスプレイを指差したトネヒサ。続いて、ケンジを手招きする。胸のポケットからメダルを取り出して、手渡した。
昼下がりの日光は、部屋を直接照らさない。天井の照明を浴びて、ウタコがにやりと笑う。
「丸投げして集中するのか? 望むところだ」
「というわけで、あとは頼みます」
二人の特訓が始まった。カタカタと響きわたる、キーボードの操作音。
プログラムは可視化されている。ハデな剣を放つトネヒサ。盾ではじき、透明なものへと変えるウタコ。一進一退の攻防が続いていることを、ケンジとチホは知る由もない。
玄関のチャイムが鳴らされた。
「はい。
チホが対応する。電子錠が開けられ、依頼人がやってきた。
案内したのは、応接室がわりに使用するダイニング。呼ばれて、ケンジも続いた。椅子に三人が座る。
「ペットがいなくなったんです。探してください!」
必死な形相の女性。部屋の中でも、白いフードをかぶったまま。余裕のなさがにじむ。写真が取り出された。
料金の提示と支払い方法を伝えたあと、はす向かいのケンジが言う。
「結んでいなかった? 紐で」
「とんでもないです。紐なんて。ミルクちゃんが、かわいそう」
「命が失われることに比べたら、制約を与えるほうが優しいと思うけど」
目に涙を浮かべ、テーブルに体重を預ける依頼人。フードについている耳が、力なく垂れ下がった。
「まだ、分かりません。探しますから。顔を上げてください」
なだめるチホ。
「じっとしていられない。私、探しに行きます!」
「待ってください。一緒に探しましょう」
依頼人と一緒に出ていくチホを、ケンジが見送った。PCのある部屋に戻る。中にいるのは二人。キーボードを叩き続ける、トネヒサとウタコ。眺めつつ、自分の席に着いた。
「検索するのは面倒だな。許可なしで監視カメラが使えない、となると」
『エンチャントの使用を推奨するよ』
向かいの机の上から声がした。AIにより返答をおこなったアマミズ。サポート機能はない。
「ペットの捜索機能を、追加したいところだ」
胸のポケットに右手を入れるケンジ。青いデータフローメダルを左手で握った。
『アウト・オブ・オーダー』
左腕に出現した装置へ、メダルをはめ込む。
『エクセキューションカード、構築』
体の前でプログラムを組み上げた。完成したカードを、装置に入れる。
『実行』
アウト・オブ・オーダー実行により、拡張現実が姿を現す。データの流れを操作することが可能。
「表示切り替え」
『エンチャント・2』
見た目を度外視した、ペラペラな紙が立ちならぶだけの景色になった。高さの情報が重視され、データは裏側に羅列してある。
トネヒサとウタコに力を分け与えていない。見えているのはケンジのみ。
絵の描かれた紙が回転し、動物以外の情報が透明化されていく。ところどころに、ネコの絵が存在するだけの世界になった。
「まずいな。難敵だ。どれも同じに見える」
可愛らしい絵のネコ。近くに表示されている品種は10種類以上。ケンジの絵が、困った顔になった。
三次元の立体映像として表示されているチホ。
困った顔をしていた。
クリーム色のスーツ姿。白いパーカーの依頼人と一緒に、聞き込みをしている。年配の女性が首をふった。
「そうですか。ありがとうございます。次、行きましょう」
「疲れたなんて言ったら、ミルクちゃんに笑われるわ」
目撃情報は得られない。
学校の近くを歩く。中の建物は、鉄筋コンクリート造り。黄土色で三階建て。つかれた表情の二人に、少年が声をかける。
「おーい。やっぱり、探偵の人だぜ。ハルナ」
「チホさん、おはようございます」
制服姿の少年と少女が、門の入り口へと歩いてきた。ナナイセ学園と書かれている。校舎を囲っているのは、茶色の塀。校庭のはしには樹々が多い。休憩中だと言って、門越しに会話する。
「ユズルくん、ハルナさん。おはよう。困ってるの」
「ミルクちゃん、見なかった?」
すかさず写真を取り出す依頼人。のぞき込む十五歳の少女が、声を上げる。
「あ! 校庭に迷い込んでた、ネコじゃない?」
「今も、この中に?」
いまにも門を乗り越えそうな勢いの、依頼人。やさしく制止して、チホが情報端末を取り出した。
「ケンジ。情報よ。ナナイセ学園の近くで、目撃証言」
二次元の絵で表示されているケンジ。
データを拡大して、白いネコの絵を確認した。付近に似た絵はない。
「敷地内にいる。僕も現場に向かう」
空中にある情報端末の絵が消えた。メダルが外され、元の世界の姿が現れる。三次元のホログラムとしての表示に戻った。事務所を後にする一人の探偵。
休憩が終わり、生徒たちが授業を受けている。
立ち入り許可を得て、ケンジとチホと依頼人が校庭に入った。
「おかしい。データどおりにやっているのに」
すこし離れた場所に座り、5分待ったケンジ。ゆっくり、目線をそらしながら、姿勢を低くして近づいて、逃げられた。
「警戒心が強いからね」
座るチホ。ネコが近づいてくる。ケンジが立ち上がろうとして、やめた。
指の匂いを嗅ぐミルク。依頼人で飼い主の女性が、確保した。
教室から見ていたユズルが笑う。
「やったぜ。でも、レイトなら楽に――」
「ユズル。ダメだよ」
ハルナの言葉に、少年は慌てて口を抑えた。もごもごと喋る。
「なんでもない」
外を見ていたレイトが、二人に笑顔を返す。外を見て、お互いの姿を確認した。まだ騒いでいる生徒たちを、男性教師が諭しはじめた。
学校から出た三人と一匹。用務員の男性により、門が閉じられる。
ケンジは、虫の居所がよくない。
「ちゃんと紐をつけないと、ダメだ」
「はい。これから、似合う紐を探します」
泣きそうな飼い主が笑顔になる。ミルクを抱えて頭を下げた。
「別の方向から攻めることも必要か」
ぶつぶつと言いながら歩いていくケンジ。データを扱うときのような、真剣な表情になっていた。チホが追いかける。
教室では興奮が覚めやらない。
「探偵ってすごいね。おじいちゃんに、教えてあげないと」
嬉しそうなハルナを見て、レイトも微笑んだ。
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