第14話 現実クラッキング

「危ない!」

 誰かの声がしたときには、遅かった。

 自動車が歩道に乗りあげた。金属的ないやな音がして、街路樹がいろじゅがなぎ倒される。

 制服を着た少年が、とっさに少女をかばう。下敷したじきになっていく様子がゆっくりと見えた。

「ユズル。なんで」

「知るか。体が勝手かってに」

 少年のあしが、街路樹がいろじゅ下敷したじきになっている。制服の少女に大きなケガはない。はななめに倒れている。白いガードレールのおかげで、歩道と全面でせっすることがなかった。

 午後3時を過ぎていて、車や人がほとんど通っていないことも幸いした。ほかに巻き込まれた人はいない。しかし、助けを呼ぶ人もいない。

 事故じこを起こした車の運転手うんてんしゅは、エアバッグの作動さどうでかすりきずっている。ドアが変形へんけいし、中年男性ちゅうねんだんせいは外へ出ることができない。車は前方が大きくへこんでいる。

「でもまあ、ハルナが無事ぶじでよかったぜ。あれ、抜けないぞ」

「誰か、助けて」

 声を震わせているハルナへ、同級生どうきゅうせいともう一人が歩いてきた。倒れているユズルからは見えない角度。

「レイトくん。ユズルが、わたしを、わたしのせいで」

「レイト? ああ、レイトだ。痛くないけど、抜けないだけだ。ひまだぜ」

 左腕を三角巾さんかくきんで固定している少年が微笑む。制服姿。となりには、すずしい顔をした女性が立っている。スーツ姿でショートヘア。

「シオミさん、お願い」

承知しょうちしました」

 ヘアバンドをしている女性が動く。レイトの三角巾さんかくきんを外して、中のメダルを左手でにぎった。

 右手で布を手渡すあいだに、時計よりも大きな装置そうちが出現。左腕に装着ひだりうでされている。現実がハッキング可能かのうとなり、データの流れを感じ取る女性。

 少年少女には、何が起こっているのか理解りかいできない。

「いくらひまだからって、こんなところで手品てじなか?」

「そうだよ。なんとかしないと」

手品てじな面白おもしろいところは、まだ先だよ」

 布を右手で受け取ったレイト。難病なんびょうで思うように動かない左手を、となりへとのばす。

 シオミが右手でれようとして、体の向きを変える。向かい合うような形で、メダルをにぎったままの左手を差し出した。上から、華奢きゃしゃでやわらかな手が包み込む。

「これを使ってください」

 力を共有したレイトの前に、プログラムが組まれていく。カードの形になった。両手がふさがっている少年の代わりに、女性が右手で持つ。

使用しようします。データの偽装ぎそうを頼みます」

 エクセキューションカードを、左腕の装置そうち挿入そうにゅうするシオミ。道のそばの建物に設置された監視カメラには、その様子が映っていない。データのかいざんだ。

 アウト・オブ・オーダー実行じっこうにより、高度こうど拡張現実かくちょうげんじつ展開てんかいされる。

手品てじなじゃねえだろ。これ」

「きれい」

 二人は、空中に浮かぶ水を見ていた。データにより形作られた、変幻自在へんげんじざいの水のかたまり。生物のように動く。

 街路樹がいろじゅを包み込むように変形へんけいした、データの水。軽々と持ち上げた。ユズルのあしが自由になる。すぐに立ち上がり、無事ぶじ確認かくにんする少年。

 水が姿を変える。複数ふくすう刃物はもののようになった。豆腐とうふを切るように、倒れたやいばがとおり抜ける。

「これで、交通の邪魔じゃまにならないかな」

 切断したを移動させるのは、やはり水。機械的きかいてきな動きで次々と浮かべられる。20以上の断片だんぺんが、オブジェのようにならべて置かれた。なら街路樹がいろじゅの近くへ。

「こちらも、処理しょりします」

「手伝うよ」

 レイトとシオミの目に映るのは、事故で変形へんけいした自動車。別方向で水がうごく。街路樹がいろじゅのちかくで、幾何学模様きかがくもよう形作かたちづくった。ようやく集まってきた人々の目がそちらに向く。

 爆発ばくはつ危険きけんがある事故車じこしゃ細工さいくをする二人。設計図せっけいずからられた情報じょうほうで、配線はいせん修復しゅうふく。ドアの変形へんけいもなおした。

魔法まほうみたい」

 水が消えてから、目をかがやかせたハルナが言った。

 少年の手は女性からはなれている。三角巾さんかくきんを渡すところを、少女は見ていた。

「すげぇな。助かったぜ」

 握手あくしゅを求めるユズル。レイトが右手で応じた。笑顔を返す。

秘密ひみつにしてほしい。すぐに、ここを離れよう」

「おう」

「うん。内緒ないしょね」

 二人がこころよ了承りょうしょうしてから、シオミがレイトに近づく。すでに腕の装置そうちはない。三角巾さんかくきんで、再び左腕を固定した。四人が歩き出す。

「大丈夫?」

「ケガしてたら、歩けないだろ」

 おとなしい少女に、強気つよきな少年が返した。歩道を南へと歩き続ける。

「違うよ。レイトくんのほうだよ」

おれじゃねえのかよ」

 二人が笑って、レイトも微笑む。

「お見舞みまいに行くなら、ぼくも一緒にいいかな?」

 屈託くったくのない笑顔。すぐに肯定こうていされた。

 しかし、シオミも同行することになり、不満ふまんげな顔になった。


 依然いぜんとして、クラッカーの情報じょうほうはつかめない。

 午後5時。

 関塚探偵事務所せきづかたんていじむしょ

「そろそろ、眠くなってきましたね」

「遅いな。私は、昼過ぎが眠気ねむけのピークだったぞ」

 トネヒサとウタコの会話には、緊張感きんちょうかんがない。チホは口に力が入っている。

「何か、あったのかな?」

「30分前行動が、社会人のマナーらしい。これは、よくない」

 PCのキーボードを素早く叩くケンジ。ディスプレイにデータが表示ひょうじされた。

向野むかいのギョウタ。現住所げんじゅうしょ……これ、大丈夫だいじょうぶなの?」

 心配そうな顔の女性。クリーム色のスーツ姿。たずねられた男性は、微笑んでいる。グレーのスーツ姿。

「よくないですが、緊急事態きんきゅうじたいかもしれません。つながりませんね。私が向かいます」

 情報端末じょうほうたんまつが上着にしまわれた。席を立ったトネヒサへと、ちゅうを走って向かうアマミズ。左肩に座った。

 ケンジの席をうしろから見る目に、13インチのディスプレイの明かりは映っていない。

集団行動しゅうだんこうどうをしたほうがいい」

 すでに画面を切っていた青年。立ち上がり、全員の目を見る。

 藍色あいいろのスーツの女性が席を立つ。小柄こがら

「仕方ないな。トネヒサは、一人だと心配だし」

「落ち着いて、急ぎましょうね」

 チホが立ち上がった。

「狙われるのは、私だけでいい、と思いますが。行きますか」

攻撃こうげき予測よそくして、ガードを推奨すいしょうするよ』

 四人と一つのホログラムが、事務所じむしょをあとにした。下校中の子供は見当たらない。

 しずかな住宅街じゅうたくがいを進むケンジたち。街路樹がいろじゅえる広さのない、細い道が続く。かわりの緑はある。庭の枝葉えだはへいにこすれて、カサカサと音を立てた。

 まちの中心部には向かわない。徒歩で北へ向かう。

「バス停、こっちじゃないぞ?」

「ほかの人たちを巻き込まないよう、配慮はいりょをしている、というわけ――」

 小柄こがらな女性と長身の男性の話に割り込む、ケンジ。

「ではない。もうすぐ、見えてくるはず」

「何あれ。光ってるよ」

 十字路じゅうじろを東に曲がったチホの目に、光が飛び込んできた。きらめく家。

 近所の住人らしき数名すうめいが、はなれた場所に立って何ごとかと見ていた。なんの変哲へんてつもない住宅街じゅうたくがいが、1かしょだけ変貌へんぼうしている。

 近づく四人は、拡張現実かくちょうげんじつ確認かくにんした。

 民家が水につつまれている。二階にも、屋根にも、どこにも隙間すきまがない。玄関げんかんの前で立ちつくすスーツの男性が、振り返った。

「時間、過ぎてたか? 悪い。連絡れんらくできなかった」

 憔悴しょうすいした様子で、力なく笑うギョウタ。たれ目ぎみの目に力がない。

 チホが情報端末じょうほうたんまつを取り出す。

周辺しゅうへんのネットワークが、遮断しゃだんされているみたい」

「どうやら、リアルタイムではなく、設置型せっちがたわなのようですね」

 ケンジが即座そくざ反応はんのうする。

「いや。可能性かのうせい排除はいじょしないほうがいい」

「そうだ。気を付けろ。トネヒサ」

 ほおふくららませたウタコが、両手を腰でかまえる。するどい視線しせんを向けた。

「では、さっそく。デリートします」

 白い手袋を外そうとしたトネヒサを、ギョウタが制止せいしした。身長では負けているものの、筋肉量きんにくりょうでは勝っている。

おれに、家族を守らせてくれ」

「中にいるの? 早く、助けないと」

 チホに困ったような顔を向けられて、ケンジも困ったような顔になった。

「いいか、って聞いてんだよ」

許可きょかを出すのは、アマミズじゃないよ』

 トネヒサの左肩から、かわいらしい声がひびく。ギョウタに見つめられ、白いものが返答した。

「では、私がサポートに――」

「トラップ解除かいじょプログラム、苦手にがてだろ、お前。危険きけんだ。ダメだ!」

 強い口調で却下きゃっかした、ツインテールの女性。

「なら、ウタコ。どうだ?」

「手、にぎりたくないもん。ヤダ」

「なんだよ。名前で呼ぶこと、怒ってるのか? まいったな」

 頭を抱えるギョウタ。

「あの。わたしがサポートします」

「いいよ。チホ」

 トネヒサをはさんで立つ、ウタコとギョウタ。女性からのするど眼差まなざしが、三十代の男性をつづける。

「まだ、まかせるのは早い」

 ケンジが口を開いた。

 すこし眉を下げていることに、自分で気付きづいていない。サポートすることに決まった。

 中年男性ちゅうねんだんせいが口のはしを上げる。

「じゃ、借りるぜ。リーダー」

 トネヒサからメダルを受け取るギョウタ。渡した長身の男性が、近所きんじょのみなさんに手品てじなの説明を始める。

 青いデータフローメダルが、武骨ぶこつな左手でにぎられた。

『アウト・オブ・オーダー』

 アマミズの声と同時に、左腕に装置そうちが出現。データの流れが鮮明せんめいになった。拡張現実かくちょうげんじつをはっきりととらえることができる。

 体格たいかくのいい男性が、メダルを装置そうちにはめ込む。あまり体格たいかくのよくない男性が近づいた。

「……」

 右手をのばし、無言で左手をにぎる。

『エクセキューションカード、構築こうちく

 体の前で左手をかまえるケンジ。プログラムが構築こうちくされ、カードが実体じったいた。左手でつかんでとなりに向ける。

「使ってください。ぼくはサポートにてっします」

「ありがたく使わせてもらう」

 カードを右手で受け取るギョウタ。左腕にある、腕時計よりも大きな装置そうちを見つめる。エクセキューションカードをセットした。小さく息をはく。

たのむぜ」

実行じっこう

 アウト・オブ・オーダー実行じっこうにより、専門的せんもんてき表示ひょうじ可能かのうになった。カードの効果こうかで色が変わる水。危険きけんな場所と、わなの位置が分かりやすい。

「エンチャントに組み込む時間がなくて。ソフトウェアテスト済みの、これを使います」

「ああ。そっちができれば、手をつながなくてもよかったな」

「ちょっと待て。チホ。ケンジの手をつなげ」

 ウタコの言葉に、きょとんとした様子の女性。

「ん? はい」

 右手を差し出して、ケンジの左手をにぎった。

 チホの左手を、ウタコがにぎる。説明せつめいえた男性がのんびりと戻ってきて、小柄こがらな女性の視線しせんさる。

「早くしろ」

「なるほど。こうしなければ見えませんね」

 ウタコの左手をトネヒサがにぎって、五人が同じ拡張現実かくちょうげんじつ共有きょうゆうする。

「今度こそ、いくぜ」

 まった体つきの男性が、ハッキングを開始する。すこし大きめのスーツの上からでも、きたえられているのが分かる。

 ウィンドウが空中に開いた。右手でふれて、データを操作そうさするギョウタ。

 色のついた部分のプログラムを、次々と書き換えていく。

「ネットを使わないタイプかと思ったら、やるじゃん」

 感心するウタコ。

油断ゆだん禁物きんもつです」

 右手をにぎるトネヒサの手に、力が入る。となりからの視線しせんが注がれた。手品てじなだと伝えた都合上つごうじょう、トネヒサは左手を不規則ふきそくに動かす。

「いま、気付きづいたんだけど。両手がふさがってたら、サポートできないんじゃない? ケンジ」

「ウィンドウをかいさずに、色のついた部分を書き換えられる。視線しせん思考しこうの入力で」

 チホのほうを見て、質問しつもんに答えた男性。左手の力をすこしゆるめた。

「そうか。ギョウタがすごいんじゃなくて、ケンジが手伝ってたのか」

「いえ。よそ見をしているあいだも、処理速度しょりそくどが変わっていませんよ」

 二人の言葉で、あわてて前を向くケンジ。黄色のハニーポットを無力化むりょくかした。物理的ぶつりてき反撃はんげきプログラムの赤いわなを、先回りして止めていく。

「サポートの勉強、しないと」

 チホの右手に力が入った。

 わな破壊はかいし続けて、プログラムの中枢ちゅうすうあきらかになった。紫色で表示される。

「これか。ぶっつぶす」

わなも、外とつながるネットワークもない」

 言葉とは裏腹うらはらに、青年は警戒けいかいを続けている。目がいそがしく動く。

 ギョウタがウィンドウを操作そうさした。紫色の部分が消え、水が一色になる。はじけてきりと化す水。音もなく消滅しょうめつして、家が本来ほんらいの姿を現した。トネヒサを手品師てじなしだと信じた野次馬やじうまから歓声かんせいが上がる。

 黒いかわらの家は、周りの民家と同じくらいの大きさ。異変いへんがないことを確認かくにんして、ケンジが手をはなした。玄関げんかんの扉が開く。

「あら。大勢おおぜいのお客さんね。お茶、あるかしら」

 出てきたのは、美しい女性。柔らかな笑みを浮かべた。

「おかえりなさい。お父さん。ともだち?」

 五歳の少女が現れた。ギョウタの写真と同じ笑顔を見せる。

「ルミコ。サユリ。怪我けがはないか?」

怪我けがをするようなことは、なかったわよ」

 向野むかいのルミコはのんびりしている。

「水がきえたよ。ぱーって」

 向野むかいのサユリは無邪気むじゃき

「そうか。よかった。無事ぶじで。よし。お前ら、水飲んでけ」

 言葉とは裏腹うらはらに動こうとしない父親へ、むすめがたずねる。

「入らないの?」

「あとでな。お父さん、仕事があるんだ。ごめんな。お母さんのところに、行ってください」

「はい」

 家に入るようにうながして、ギョウタがまわりの人たちに手品てじなの終わりをげる。近所のみなさんが家路きろについてから、四人のほうを向く。

「これまで時間を指定していして会わなかったのは、わけがある」

「だと思いました」

「えー? ただの、ダメな大人かと思ってた」

 トネヒサとウタコの意見いけんは、正反対せいはんたいだった。

「こっそり見ていたことがあるのは、知ってるだろ? 上から命令されて、監視かんしのためだ」

当然とうぜんだね。信じる理由りゆうがない。特にぼくのことは」

 ケンジが真顔まがおで言い切った。すぐに微笑む。チホも笑みを浮かべた。

「まあ、もう必要ないが、な」

 ギョウタは豪快ごうかいに笑った。

 プログラムには、人それぞれのクセが出る。事件じけん対処たいしょ不審ふしんな点はない。ケンジがかかえていた、ギョウタへのうたがいは晴れた。


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