第18話 すべては情報の投影にすぎない

「久しぶりな気がする」

観覧車かんらんしゃに乗ったとき、見なかったの?」

 海沿うみぞいの公園こうえん。足元は緑のじゅうたん。長椅子に座る女性が、右隣の男性にたずねた。

「タワーのある南を見てたから。東を向いたら、見えたのか」

 風にゆられる髪。あまり整えられていない。格子柄こうしがらのシャツの上に、スーツの上着を着ている。茶系のパンツで、足には運動靴うんどうぐつ

「いい風。帰りたくないなあ」

 大きな目を細めるチホ。クリーム色のスーツは、あまり風の影響を受けない。セミロングの髪がなびいた。南東から二人にかかる木のかげも、ゆれている。

「珍しいね。つきあうよ」

 ケンジの表情はゆるんでいる。はにかんだチホが東を向いて、二人は海をながめた。

 見ている物は、データの集合体しゅうごうたいでしかない。

 土と植物におおわれた足元も、肌にふれるおだやかな風も、しおの香りも。隣に座る人も、プログラムにすぎない。

 電子でんしが、貫通不能かんつうふのうなはずのガウスの外に飛び出す、ありえない現象げんしょう量子波りょうしは物理的ぶつりてき障害しょうがいがあっても広がり、電子でんしはランダムに崩壊ほうかいする。データで構成こうせいされた量子世界でんしせかいが現実で、物理世界ぶつりせかいはその産物さんぶつ情報じょうほう投影とうえいしたホログラム。

 いつもならすぐに退屈たいくつな表情を見せるケンジは、隣を見つめていた。

 ハッキングのときのような、真剣しんけんな顔。

「ん?」

 振り向いたチホを見て、あわてるケンジ。考えを口に出す。

「どういう風に、データをあつかえばいいのか、よく分からなくて」

「わたしには、何を言ってるのかが、よく分からないよ」

 笑い声をあげる二人。

 そのうしろから、2つのデータが近づいてきた。

「メダルがないから、相手にするだけ無駄むだだよ」

 振り返らずに、ケンジが告げる。うしろを向くチホ。近付いてくる男女は、落ち着いている。優しく芝生しばふみしめ、野獣やじゅうのようなはげしさは感じられない。

「たまには、のんびり話すのも悪くないだろ」

 静かに声を出したカズヤ。赤いシャツの上に、茶系の上着。黒いパンツ。屈強くっきょう肉体にくたいのほとんどはかくされている。

 黒い短髪の男性は、木製の椅子に座った。木製の机をかこんで、八人まで座れる場所。

「デートの邪魔じゃまして悪いけど、言い出したら聞かないから。カズヤは」

 その隣に、モモエが座る。白いドレス姿。顔をうすい布でおおってはいないものの、結婚式けっこんしきに出席したかのような衣装いしょう。スタイルのよさが際立きわだつ。

「違うよ。デートじゃないよ」

 慌てるチホは、二人の座る場所に近付ちかづいた。モモエの向かいに座る。

 大きく息を吐き出したケンジ。むずかしそうな顔で追いかける。カズヤを見ながら席に着いた。

「もう一回、言っとくか。オレは、カズヤ」

「アタシは、モモエ。よろしく」

 ケンジは何も言わない。チホがあわてて口を開く。

「チホです。よろしくお願いします」

「なんでそんなに、丁寧ていねいなんだ?」

 苦笑いするケンジを、カズヤが鼻で笑った。机の上で指を動かす。

「生きる実感じっかんは、られるようになったか?」

 表情を変えない青年。

「そのために、クラッキングを続けているのか?」

「もうすぐ分かるぜ」

 隣を見るチホに、モモエがつやっぽく話しかける。

「自分に正直になったほうがいいわよ」

 おどろいた様子のチホ。何かを言いかけて、やめた。

「失ってから気付きづいても、遅いんだから」

 白い服の女性は、すこし悲しそうな顔。海の向こうに目をやる。ハッカーの二人に対し挑戦的ちょうせんてきな表情を浮かべて、笑顔で隣の青年のほうを向いた。

 カズヤが席を立つ。モモエが続いた。

 公園こうえんを出る二人の姿は、色々なデータにおおわれていく。すぐに見えなくなった。


 休日。

 ケンジの自宅から北東に、四人が集まった。

 開く、電子制御でんしせいぎょとびら。日の光が東から差す中、クリーム色のレンガの塀を抜ける。樹々きぎの緑だけでなく、花壇かだんの色々な花が出迎えてくれた。黄色いちょうが飛んでいる。

 敷地しきちに入っても、すぐに家のドアがない。セミロングの髪の女性が、となりをむく。

「困ったな。わたし、マナー知らないよ」

検索けんさくする?」

作法さほう常識じょうしきだろ? というか、適当てきとうでいいぞ」

普段ふだんどおりでいいと思いますよ。私服の時点じてんで」

 広い庭の先にそびえる、洋風二階建ての建物。横に長い。黒に近いレンガの壁で、白い窓。黒い屋根。

 宇津木邸うつぎていの入り口が開く。日差しをあびた笑顔のレイトと、無表情むひょうじょうなシオミが現れた。

 中に入り、靴をいだ一行。木のフローリングの廊下ろうかを進む。

 装飾そうしょくがほどこされた広い部屋で、黒い革のソファに座る。ケンジのとなりにチホ。紅茶こうちゃに息を吹きかけている。トネヒサのとなりにウタコ。少年にだらしない笑顔を見せて、となりの女性からややかな眼差まなざしをあびた。

 白いカーテンは開いている。ソファの近くにある豪華ごうかな木製のテーブルに光が差す。左腕を三角巾さんかくきんで固定した少年は、微笑みをたやさない。

 あっというに、時間が過ぎた。

 からのカップがテーブルにならぶ。

 部屋の片隅かたすみにあるPCへと、レイトが歩いていく。入り口から見て、左奥。日の光は届いていない。

「もし、病気びょうきなおったら。もっと、いろいろ教えてよ」

 となりに立つケンジと、約束をわした。

 テーブルをかこんだ四人が、離れて見守る。

 小声でシオミと話す、ウタコ。

 まゆを下げたショートヘアの女性。視線しせんらす。少年を見て、口元くちもとをゆるめた。

 全員が部屋を出る。

 靴をいて、家の外に出た。

 遠ざかっていく四人。大きく手を振る、笑顔の少年。

 となりで見つめる女性。優しい目で。


 南からの日差しに照らされる、紺色の屋根。

 薄いグレーの壁も、光を反射する。

 あまり気温は高くない。まだ、夏の暑さにはほど遠い。

「休みだっていうのに、なんで、こんなことに」

 エプロン姿のウタコは、いきどおりをかくさない。髪は低い位置でむすばれている。おさげ。

 キッチンとダイニングルームをそなえた、探偵事務所たんていじむしょ

「まあまあ。一緒にいたほうがいいですから。クラッカーの行動こうどうは、予測不能よそくふのうです」

 エプロン姿のあるじ。手伝う様子はなく、料理の様子をながめている。長身。白い手袋はしていない。肩にも何もない。

 北の部屋で、机の上にいるアマミズ。ねむるような動きをしている。

「料理じゃなくて、ほかに、することあるだろ」

 露骨ろこつ機嫌きげんを悪くした、小柄こがらな女性。ジャガイモの皮をむいている。トネヒサに向かって、ほおふくらませた。

「たまには、いいよね」

 エプロン姿のチホは、手際てぎわよく料理を続ける。うしろでむすばれているセミロングの髪。隣に立つ男性の邪魔じゃまにならない。

「データでは簡単かんたんそうなのに」

 エプロン姿のケンジ。隣の女性を手伝って、苦戦くせんしていた。キャベツをゆっくりと切る。

 突然、ウタコがえる。

「トネヒサ! 手伝え。食べさせないぞ!」

邪魔じゃまになるだけ、のような気がしますが。それより、アマミズのバージョンを――」

「うるさい。早く、こい」

 ならんで、料理指導りょうりしどうが始まった。野菜やさいあら段階だんかい四苦八苦しくはっく。トネヒサは困り顔。ウタコはいたずらっ子のような顔をしている。

 トネヒサと同じく、ケンジもれていない。

料理りょうり化学かがくだ」

 データのように手際よくできず、苦戦くせんしていた。野菜やさいを混ぜるのもおぼつかない。

料理りょうり愛情あいじょうだよ」

 菊間きくまチホは夢見ゆめみがち。

 れているため、そつなくこなす。データを大きく外れない。きちんとした作り方をしてこそ、愛情あいじょう意味いみすのである。

炊飯器すいはんき購入こうにゅうしたので、白米はくまいを食べられますね」

「おこめいたの、私だ」

「平日の昼食を、交代こうたいで作る。というのはどうでしょうか」

「今度の事件じけん解決かいけつしたらな」

 ウタコも手慣てなれている。めずらしくたどたどしいトネヒサに、的確てきかく指示しじを出していた。

れていないので、うまくいきませんね」

「仕方ないな」

 小柄こがらな女性は、長身の男性に白い歯を見せた。


 白い壁の、四階建て。

 鉄筋てっきんコンクリートづくりの建物。入り口の、ガラス製の自動ドアが開いた。

 中は、やわらかな色であふれている。

 受付うけつけには女性がいる。身長から、成人だと思われる。幼児体形ようじたいけいのため年齢不詳ねんれいふしょう事務的じむてき対応たいおうで、にべもない。

 そちらに興味きょうみのない様子の少年。画面のついた装置そうちの前で、歩みを止めた。

 左腕を三角巾さんかくきんがつつんでいる。すべて右手で操作して、面会可能めんかいかのうの文字が表示ひょうじされた。

 黒いシャツの少年が、エレベーターへと乗り込む。

 四階で降りて、部屋の前に立った。生きとし生けるものがねむりについてしまったかのような、静けさ。

「お見舞みまいにきたよ」

 返事を待たずに、レイトがとびらを開けた。

「頼んでいないっていうのに。ほかにすることはないのかい」

 少女が、いつもどおりの口調くちょうで伝えた。部屋の左奥で横になっている。

 腰から頭にかけて、ななめになっているベッド。体を起こすことなく対応可能たいおうかのう病院支給びょういんしきゅうの地味な服で、ボブカットの髪は乱れている。管理責任者かんりせきにんしゃと書かれた部屋のあるじ

 鉄林てつばやしエミカは、病院びょういん様々さまざまなシステムを設計せっけいした。

 二人は同じくらいの身長。同じように華奢きゃしゃ

 微笑む少年。

具合ぐあいがよくないようだね。難病なんびょう治療方法ちりょうほうほう、知りたいよね?」

 少女はまゆをひそめる。

 病状びょうじょうについて、ケンジには伝えていない。チホにデータのあつかいを教えたとき、右手の悪化あっかという情報じょうほうを与えた。しかし。

「それはまず、自分の病気びょうきを治してから、言う台詞せりふじゃないのかい?」

 左腕を動かすそぶりを見せない、レイト。少女に近付ちかづくこともなく、話を続ける。

遺伝情報いでんじょうほうだけが、人間のデータじゃない」

「それで? クリエイターに頼む、なんて言わないよね?」

 冷笑れいしょうするエミカ。

 レイトがベッドに近付ちかづく。少女を見下ろした。せていて、背もあまり高くない。きしめたられてしまいそうな姿に、自分の姿をかさねる。

「ぼくたちに協力してくれれば、難病なんびょうなおせるよ。どうする?」

「すこし時間がほしいな。いろいろと、やることがあるからね」

 目を見つめる少女。少年が目をそらす。

「時間が残されているとは、思わないけどね」

 入り口へと歩く。扉を開く前に、笑顔で振り返った。部屋を去るレイト。

 エミカが、ポケットに手を入れる。つかまれた緑のメダル。左手で持って、微笑びしょうした。



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