第二章 データがもたらす現在

第4話 力を示したい先輩

 関塚探偵事務所せきづかたんていじむしょ

 洋風二階建ての建物。薄いグレーの壁。大きな看板が、ドアの近くについている。屋根は紺色。

 建物とおなじく朝日をあびる、東側の入り口。まだ気温は高くない。

 夜間と日中で寒暖差かんだんさが大きい季節。外を歩く人々は、上着を羽織はおっている。強い風が吹きぬけることはなく、静けさに包まれた近辺には民家が多い。隣の庭で黄色い花がゆれた。

 一階をまるごと、事務所じむしょとして使っている建物。

 入り口の金属製のドアから入ると、土足厳禁どそくげんきん。靴をぬぐ。壁や床をふくめて、木の部分が多い。廊下をふむ足にやさしい感触かんしょくがある。天井てんじょうについている照明の色も、冷たくない。

 一般的な住宅とちがう部分がある。部屋をわけるための壁は最小限で、ドアがない。ただし、トイレや風呂場をのぞく。

 おもな仕事場は北の部屋。フローリングの床を歩いて、右にまがる。部屋にならぶ席は、東西で向かい合って四つ。それにくっついた机が北にあり、合わせて五つ。どの机にもタワー型のPCが置いてある。

 グレーのスーツに身をつつんだ男性が、北の席に着いている。すこしくずした七三分しちさんわけ。座っていても、身長の高さは隠せない。高い背に見合った筋肉量きんにくりょうが見て取れる。

 北東の席には、女性が座っている。セミロングの髪。やや童顔どうがん。クリーム色のスーツに身を包み、悪くない体つき。左を向いて手をのばした。

「分からないよ。ケンジ」

「チホ。ゆっくりやるから」

 隣に座る男性が、こたえた。差し出された手をにぎる。普段着の上に、濃い茶色のスーツの上着を羽織はおっている。体つきはすこし貧相ひんそう。まとまりのない黒髪で、寝ぼけているような顔。

 金属製の机の上に浮かぶ白いぬいぐるみや、天井付近てんじょうふきんに浮かぶ赤い風船ふうせんを、だれも話題にしない。

「なにをやってる。職場しょくばで!」

 部屋の入り口から、するどい目つきの女性が叫んだ。ツインテール。身長、約150センチメートル。手にはかわいらしい鞄。藍色のスーツ姿で、子供ではない。あまり発育はついくがよくないだけである。

縫野ぬいのさん。大事なところなので、静かにしてください」

「トネヒサ! お前が原因か。お前が」

 北に座る男性に向かい、ずんずんと近づいていく小柄こがらな女性。空席をとおりすぎた。手をにぎる男女を横目で見ると、左腕に手首をおおうプロテクターのような装置そうち確認かくにんできる。視線が前に戻された。トネヒサは微笑み続けている。

 縫野ぬいのウタコは、チホの向かいの席へと座った。

 遅れたわけではなく、むしろ早めに行動している女性。ケンジとチホが、特別に早く呼ばれただけのこと。

「データがそのまま表示されているから、操作そうさするには意味いみ理解りかいする必要がある」

管理者用かんりしゃようみたいだね。普通の人に操作そうささせないための」

 ケンジは、チホにプログラムのかたかたを教えていた。

「メダルが一つしかないので、肌をれなければ機能を共有できません」

『データを扱うには、メダルとの物理的ぶつりてき接触せっしょくが必要だよ』

 リスのようなぬいぐるみがしゃべった。かわいい声。

「知ってる。アマミズ。あー、面倒だな」

 データフローメダルをれることにより、世界をデータとして認知可能にんちかのう。英数字と記号で構成こうせいされたプログラムを変更へんこうし、かいざんできる。

 左腕に装着そうちゃくされるアウト・オブ・オーダーという装置そうちが、処理しょりの手助けをおこなう。

 データの変更へんこうは、現実とは別の姿を映しだす。世界のハッキングによって起きる現象げんしょうは、拡張現実かくちょうげんじつと呼ばれる。

 ウタコがだまってしばらくして、風船ふうせんが消えた。

「学校でも、教えてくれたことあったよね」

 チホが、装置そうちからメダルを外す。青いメダルが机の上に置かれた。

 それを見て、ケンジは学生時代のことを思い出していた。

 制服姿で席に座っているチホ。机のうえにあるノート型PCを見て悩んでいる様子。なにかを話して、不安そうな顔が向けられた。教室にいるほかの生徒の顔は、ぼやけている。

 二人で同じディスプレイを見る。椅子に座らず、PCについて教えている。見える腕から、思い出の主も制服姿と断定だんていできる。

 結末けつまつは思い出せなかった。

「そうだっけ」

 表情を変えない男性に、明るい表情が向けられる。すでに腕の装置そうちは消えていた。

「何かお礼をしないと」

「いらないよ」

 ケンジは、学校で何か礼をもらった気がする。だが、思い出せない。夢の中にいるようなふわふわとした感覚かんかくを、ぬぐい去ることができない。

 席を立ったトネヒサ。右手にも左手にも、白い手袋をはめている。二人へと歩く。

仲睦なかむつまじいですね」

 声をかけられたチホは、立ち上がってまるいメダルを渡した。閉じられるトネヒサの手。青が、白で包まれる。

「そういうのじゃないから、もう言わないでくれ」

 椅子に座ったまま、相手の目を見ずにたのむ青年。

「わたしからも、お願いします」

 深々ふかぶかと頭を下げる女性。

「おや。勘違かんちがいでしたか」

 長身の男性が自分の席に戻り、すこし右を向く。

「ウタコさん。気付きづいていましたか?」

「名前で呼ぶな。トネヒサ」

 眉を下げ、強い口調で命令したウタコ。呼吸こきゅうととのえた。半ば閉じられた目が、ならんで座る男女のほうを向く。

 今日は、探偵たんていとしての仕事はなかった。


 翌日。午前8時45分。

 情報端末じょうほうたんまつをいじっていたトネヒサが、おもむろに立ち上がる。

縫野ぬいのさん。あとを頼みます」

 返事を待たずに、ゆっくりと部屋の入り口へ歩いていく。チホとケンジのうしろを通り過ぎた。小柄こがらな女性が目で追う。

「おい。頼まれても困るぞ」

れいけんです。すぐ戻ります」

 ドアのない部屋から出ていき、建物の外へ向かう。事務所じむしょの入り口が開いて、閉じた。席に着いたままでは、窓から金属製のドアを見ることはできない。ウタコが足早に席へ戻る。

「なんだったかな。アマミズ、知ってる?」

『本日のトネヒサの予定、なし』

 一番北側の机の上に座る、白いものが答えた。全長、約30センチメートル。れられないホログラムで、害のないデータ。ウタコよりかなり小さい。

「ん? なんで、ここにいる」

命令めいれい実行中じっこうちゅうだよ』

「ここにいろ、って、置いて出ていったのか、あいつ」

 ツインテールがれた。左腕がうなる。アマミズに向かっていって、すり抜けた。

 我関われかんせずといった様子のケンジ。右を向き、指導しどうを続けている。

 その先には、PCのディスプレイを見つめるチホ。横幅が約35センチメートルの画面に、文字や記号がならぶ。メダルを持っていないため、二人は手をにぎっていない。すらりと伸びた指が、キーボードを押していく。

「気になるなあ。監視かんしカメラのハッキングで、追跡ついせきしちゃダメ?」

『クラッキングとして、つみに問われるね。ホワイトハッカー失格だよ』

もとむ。つみに問われないように、やる方法」

政府せいふからの依頼いらいがある場合。例外となる』

 アマミズの答えを聞いて、ウタコがだまった。それにより、自発的じはつてきな発言のできないアマミズも沈黙ちんもく。ケンジとチホの話し声だけが部屋にひびく。ときおり、キーボードが優しく押される。

 3分後。

「もう、無理。追いかける」

留守るすまかされているから、外出には許可きょかが必要』

つながらないもん。なんなの」

許可きょかがないと、外出できないよ』

 ウタコが金属製の机にした。PCをスリープモードにする。

 遠ざかっていく、ケンジとチホの話し声。

 キーボードを押す音は、のんびりしている。ゆっくりと。静かに。

「ううん……あっ」

 小さな体が、大きく動いた。

「危ない。戻ってきたときに寝てたら、何を言われるか」

 体を横にゆらして、二人の姿を確認するウタコ。

「大丈夫です。寝ても、起こしてあげますよ」

 クリーム色のスーツ姿の女性が、甘言かんげんろうする。

「甘やかすのは、よくないと思う」

 冷や水を浴びせたのは、ボサボサ頭の男性。部屋着の上にスーツの上着をかぶせただけという、やる気の感じられない格好かっこう

 立ち上がるウタコ。背があまり高くないため、印象いんしょうは大きく変わらない。

子供扱こどもあつか禁止きんし先輩せんぱいとして、頑張ってきたのだ」

「ごめんなさい」

「え? 何か用?」

 悲しそうな顔で謝ったチホと違って、ケンジは不思議そうな顔。首をかしげている。

「何か用? じゃない。後輩こうはいに熱く指導しどうするために、努力どりょくを重ねて――」

子供扱こどもあつかいしてないよ。仕事を取ってたなら、代わるけど」

 ウタコは目を丸くしている。

能力のうりょくの高さは分かるから、技を見られるなら勉強になる」

「お。そうか。って、なんだ、こんなときに」

 表情が緩みかけたウタコ。バイブレーションの音でけわしい顔つきになる。鞄から情報端末じょうほうたんまつを取り出して、今度はほおをふくらませた。画面にふれ、顔の近くへと近づける。

「さっき出なかったのは何?」

政府関係せいふかんけいのあれです。内緒ないしょですよ。そして、事件じけんです。壁に、消せない落書きが出現しゅつげん

 トネヒサの声は通話音量つうわおんりょう関係かんけいで小さい。デジタルデータに変換へんかんされているため、肉声にくせいと違いざらついている。ケンジとチホには、ほとんど聞こえない。

「壁に、ラクガキ?」

広範囲こうはんいのため、監視かんしカメラのハッキング許可きょかました』

「早く戻ってこい。カメラで見ても、対処できないだろ」

『メダルは置いてあるので、使ってください。戻る前に解決かいけつしてくれると、嬉しいです』

「それを先に言え。あ。切りやがった」

 ぶつぶつとつぶやきながら、トネヒサの机へ向かうウタコ。引き出しを開ける。青いメダルを発見した。

「どうすればいいの?」

「アマミズにハッキングの補佐ほさができれば、便利になりそうだけど」

 立ち上がる二人。主不在あるじふざいのトネヒサの机へと歩み寄った。白いぬいぐるみのように見えるものが、上に座っている。

『その機能きのうは、アマミズにはないよ』

「私に任せろ! あいつが戻る前に終わらせる」

 目の前の椅子に座らず、立ったまま。左手で、青いデータフローメダルをにぎるウタコ。体の前に構える。

『アウト・オブ・オーダー』

 アマミズの言葉のあと、左腕に、腕時計よりも大きい装置そうちが現れた。青をふくんだ灰色。

 現実へのハッキングにより、データの流れが鮮明せんめいになる。英数字と記号がひしめく世界。しかし、それが見えるのは、メダルの効果こうかを受けた者だけ。

「わたしたちには、見えないね。ケンジ」

「まあ、メダルを持ってないから」

「カードがくばられないなら、作る。それがハッカーだ」

 ウタコがメダルを右手で持ち、装置そうちにはめる。

拡張現実かくちょうげんじつは、こうやって使う!」

『エクセキューションカード、構築こうちく

 空中に組まれていくプログラム。過程かていは見えないが、メダルなしでも結果けっかは見える。カードが現れた。右手でつかむウタコ。

「アマミズはしゃべっただけ。作ったのは私。ソフトウェアテスト済みで、バグはない」

「バグというのは欠陥けっかんのこと」

「知ってるよ」

 教えるケンジと、えへへ、と笑うチホ。柔らかなほっぺに赤みが差す。

 ウタコが装置そうちにカードを入れる。

実行じっこう

 アウト・オブ・オーダー実行じっこうにより、拡張現実かくちょうげんじつがゆらめく。ケンジとチホの目に、現実を構成こうせいするプログラムがはっきりと映し出された。

「すごい」

「触れてないよね?」

 ウタコの作ったカードの効果こうか。データの流れを分かりやすく可視化かしか、及びほかの人にも見せることができる、というプログラムが組まれている。

「私がやることを、しっかり見ておくように」

 自信満々じしんまんまんの表情で、先輩せんぱいが鼻を鳴らした。


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