設定スパイラル
多田七究
第一章 現実ハッキング
第1話 置き去りにされた現実感
モノクロームの世界。
グラデーションが複雑化していくにつれ、
金属片や木片が
動くものがない。バラバラになっているものは、どれも原形をとどめていない。事故現場を表示するだけの限定された
せまい世界。立ちつくす少年。
「また、この夢か」
少年の姿が消えて、青年が現れた。
五歳くらいの少女が
目を見つめる青年。
「約束は忘れてないよ」
カーテンの向こうから明かりがもれている。室温はそれほど低くない。
押しのけられる、うすい掛け布団。ベッドの右側で、
せまい部屋の
着替え終わったケンジが部屋から出ていく。建物のそとから、人々の話し声や
部屋に戻る
きれいに
ほかにも物があった。机のうえ、右奥の、
白いタワー型で、縦にながい。入力と出力をおこなう機器は、うしろから伸びる線で
PC(パーソナルコンピュータ)とよばれる物に近づくケンジは、電源を入れない。ボサボサの黒髪。
椅子に座って、朝食が始まった。口の周りに
夢の内容を思い出そうとして、はっきりと思い出せず、ケンジは考えるのをやめた。
ようやくPCの電源が入れられる。
入力機器であるキーボードが、キーの文字や記号を見られることなく次々と押されていく。横長に100以上あるキーの半分以上が、押されてはすぐに離される。
目まぐるしく動きつづける、まるで楽器を
出力機器であるディスプレイに、文字と数字と記号が横書きでつみ重なっていく。ななめ下をむく視線とほぼ平行に立つ、胸のはばよりも広い横長の画面。
音が
「歯磨きを忘れるところだった」
ディスプレイに表示されている時刻は、午前7時30分を過ぎている。
PCをそのままにして、部屋を出るケンジ。
5分以上が経過して戻ってくると、
右手を伸ばして、マウスをにぎる。二次元的な動きがPCへと伝えられ、ディスプレイのアイコンが押されて画面が切り替わる。
マウスは、ネズミに似ていることからその名がつけられた、ポインティングデバイス。おもに人差し指でボタンを押し、画面のポインタやアイコンを直感的に操作するために
ケンジが立ち上がり、床の
画面を見て、指で触れていく。
タッチパネルによる画面を直接タッチ操作する方法は、さらに直感的といえる。
ルータを介した情報がモデムにつながり、インターネット回線へと流れていく。
机の上の機器が、データ送信の合図を点滅させた。まわりには、無数に伸びるコード類。まるで血管のように、コンセントや壁の中へとつながっている。
いじり終えた
PCの画面に、一通のメールが表示されている。件名は、セキュリティチェックの依頼について。
「
メールのウィンドウが閉じられる。ウィンドウは、アプリケーションごとに与えられる
続いて、別のアプリケーションが立ち上がった。データの流れを視覚的に分かりやすく表示した、ハッキング専用のプログラム。
ひし形がいくつも重なって魚の形になったアイコンが、ネットへと潜っていく。
ハッキングとは、本来コンピュータに熟知した者がおこなう行為。だが、悪意あるクラッキングと
魚が、いくつもの壁で仕切られた通路を進む。まわりが光で照らされたように明るくなり、とおった場所の情報が取得される。黒かった地図が白に染まっていく。
回転する壁や、不定期に出現する壁をやりすごし、進み続ける。
企業に依頼されているため、侵入の
にもかかわらず、システムに足跡を残さないよう
「
ハニーポットとは、あえて不正アクセスを受けるシステムのこと。いわゆる罠。
罠にかからず、システムを
悪意があれば乗っ取りができた、という意味を込めて。
「ガードできないなら、ネットに
切り替わる画面。追加料金でセキュリティを改善する、という内容の定型文をコピーし、メールの本文にペースト。企業へ送った。
たくさんの部屋が並ぶ、
その二階。ケンジがディスプレイから目をそむける。大きく
机の近くにあるカーテンは閉まっている。とはいえ、東からの光は防ぎきれていない。
PCの電源を切って、椅子に座ったまま
部屋に戻ってきた青年。ひげは
玄関で靴をはく。西側にある鉄のドアを開けようとすると、女性の声がした。
「わっ。びっくりした」
声に驚いたケンジは、びっくりしたのはこっちのほうだ。とは言わなかった。ゆっくりとドアを開ける。
「こんにちは。なんですか?」
日は高く、すでに昼前。時間に対応した
女性の身長は、約170センチメートル。部屋の主よりわずかに高いものの、
「
「表には、
むねを確認するまでもなく、学校指定の体操服を着ていないことは一目で分かった。ちなみに、すでに卒業している。
「制服じゃないと分からないかな? 同じ学校だった、チホだよ」
白いワンピースの、スカート部分についているフリルが
「ああ。思い出したよ。それじゃ、ウォーキングに行くから」
「よろしくお願いします」
差し出された
「えっと。ご
「タオルだから、さっそく使って。わたしも一緒に行く」
「えっ」
ケンジは眉を下げた。
「誰かと約束してるの?」
「いや。軽くだから、タオルは置いていく」
「じゃあ、いこう」
ドアが閉まる。
南へ向かい、階段を下りる二人。コンクリートの材質にも、くの字に折り返す場所が広いことにも、ケンジは興味がない。
クリーム色の建物から出た。
さらに進んで、集合住宅の
人であふれる
コンクリートの歩道をならんで歩く、男性と女性。
二人は北に進む。はしに等間隔でならぶ
アスファルトの道路をはしる自動車がすくないのは、バスを利用する人が多いため。地下鉄は南の市街地にしかない。
ケンジから話題が
「もうお昼だね。予定あるの?」
「あー。あったような気がする」
「そっか。残念だね」
チホの言葉に、そっけなく返すケンジ。
その視線が前方に固定された。交差点にかかる、大きな横断歩道。歩く人々の中で
全長、約30センチメートルの白いぬいぐるみ。
リスのような
何も言わないチホ。
まわりの人々も、気にしていない様子。横断歩道の先で散歩中のイヌも、ゴミ箱の上のカラスも、見ていない。
流行に
ぬいぐるみが振り返ったように見えたのも、見間違えに違いない。
赤に変わった歩行者用の信号で止まっているあいだ、横断歩道の先を見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます