第2話 ぬいぐるみは夢を見る
白と黒のグラデーションが作り出す
羽の一部に見える金属片や、箱の一部らしき木片が
モノクロームの世界で、青年が
「もういいよ、これは」
世界が閉じていき、灰色で塗りつぶされた。ランダムに白い点が現れては消えていく。
スノーノイズに似ている。アナログ放送の信号が弱くなり、なにも受信できなくなって画面が
チャンネルを切り替えたように、
横断歩道の真ん中に立つのは、ケンジと比べて長身の男性ただ一人。左肩にぬいぐるみがのっている。
「ガードが堅くて苦労しました」
スーツ姿の人物が、歩きながら話しかけてきた。高い背に見合った
「知らない顔だ。何と関連付けた記憶だ? いや、これは。意識がはっきりしすぎている」
「おっと。夢の中でも時間は過ぎています。現実で重要なことをお伝えします」
「
「明日。いえ、すでに今日でした。午前9時に。この道の手前、あのカフェでお願いします」
両手に白い手袋をはめた男性の右手が、人差し指をのぞいて曲げられた。
振り返るケンジ。ゴーストパルスという名前の看板が、はっきりと見える。
「あえて言わない、ってことか。普通の夢なら
カーテン越しに見える強い光が、普段よりも遅い時間だと教えてくれた。外からは生活音が聞こえる。
「夢の内容をはっきり覚えている。あのときと同じだ」
パジャマのまま照明をつけて、PCの電源を入れる。
PCをそのままにして、ケンジは着替えた。部屋を出ていく。
昨日とは違う色の
そのあと、洗面所へ移動。鏡を見ながらひげを
相変わらず物がすくない部屋に戻る。机の上の密度だけが高い。
組み上げたプログラムのソフトウェアテストをしながら、声が
「8時半はちょっと早いか。いや、別に早くてもいいか」
歯磨きを終えても、時刻は午前8時を回っていない。
ケンジは、集中すると時間を忘れて続けてしまう。自覚しているからこそ、複雑な作業をせずに暇を持て余していた。
「……」
無言でPCの電源を切る。
床に転がっている
部屋から出て、
外に誰かがいる。
「おはよう」
出迎えたのは笑顔。紺色の長袖シャツにジーンズ姿で、昨日よりも体の線がはっきりしている女性。手には小さな鞄。にこやかな顔を、そよ風が
「ああ。うん。おはよう」
チホに
落ち着かない様子の相手。体を
「ついていってもいいかな?」
「うーん。変なこと言ってると思うだろうけど、何か危険なことが起こるかもしれない」
お
「危険なことが起こらないように、
「そういうことじゃないんだけど」
「どうかした?」
「なんでもない。それじゃあ、行こうか」
集合住宅の二階から移動する二人。
クリーム色の建物から出て、昨日と同じように北へと歩いていく。昨日と違って、屋根の上からネコが見てはいない。チホが話を始める前に、ケンジが切り出す。
「えーっと、ゴースト……なんだっけ」
「びっくりさせようとしたのに、いま言っちゃうんだ」
楽しそうな顔のチホから、笑い声が
「この近くにある、あれだよ。知らない?」
「ううん。引っ越してきたばかりだから」
歩道を並んで歩く。右手にカフェが見えてきた。正確には、知っているから見つけることができた。
「名前が悪いんじゃないか。この店」
「何のお店?」
外見からはカフェだと判断できない、飾り気のない建物。古い木造の民家、と
二人は、音を立ててゴーストパルスの引き戸を開いた。
真ん中に机のある、四人で向かい合って座れる席。
男女が、片側の椅子に
店に入って左手の窓側。入り口が見える位置で、辺りを見渡す。日光は差し込んでいない。
「
ケンジの予想とは違い、かわいらしい
「いいお店なのに、お客さんいないね」
チホは経営状況を心配している。10以上あるカウンター席の椅子は、一直線に並んで黒い骨組みが目立つ。窓の外を見て、ごく自然に隣へと視線を向ける。落ち着かない様子で、
男から話題を
「いらっしゃいませ。カップルには、こちらがお得となっております」
白いワンピース姿の女性が、
けげんな表情を隠さないケンジ。
「え? そういう――」
「はい。では、それで」
チホが即決した。口元を手で隠し、うなり声を上げる右隣の男性。
「僕はブラックで」
「かしこまりました。ごゆっくり」
白い服の店員が、普通に歩いて離れていった。
「どうやって知ったの? このお店。やっぱりネット?」
座ったまま、体を
「ああ。思い出した。学生時代にPCで何か教えた気がする。それで、か」
「それで、どうなの?」
若さを感じさせるチホの顔。さらに近づいた。
「怪しまれて割引なし、ってことは起こらないよ」
「まさか、未来が見えるなんて」
二人の会話中に、
「ただの
大きく開かれた目が、元に戻る。ゆっくりと体の向きを修正していくチホ。
「なるほどね」
「まだ時間はあるから、のんびり話そう」
「誰かとの約束? その人に教えてもらったの?」
「知り合いじゃない。たぶん、
ガラガラと音がして、ゴーストパルスの引き戸が開いた。
現れたのは男性。身長、約180センチメートル。入り口に置いてある緑色のタオルのようなものを、革靴で踏みしめている。あまり汚れていないものの、土を落とすためのマットだということを、ケンジが把握した。
男性は、微笑したまま二人に近づいてくる。髪型は
グレーのスーツ姿で、両手に白い手袋をしていることはあまり印象に残らない。なぜなら、左肩に白いぬいぐるみがのっているからだ。
店中には時計がない。
「はじめまして。
「知っていると思うけど、ケンジだ。とりあえず、座って」
「チホです。かわいいですね」
二人の向かい。机をはさんで、椅子に腰を掛けるトネヒサ。三人を線で結ぶと三角形になる位置。肩に座るリスのようなものは
コーヒーの香りが漂ってきた。カップを二つ持った店員が、席に近づいてくる。
「お待たせしました。ご注文は?」
「
二十代と思われる男性が、ケンジとチホの前までコーヒーを移動させた。笑顔を向けられ、表情を緩める店員。そそくさとカウンターへ向かう。目で追っていたケンジが、視線を外す。
「重要なことを話してもらおうか」
普段より低い声。
「私に構わず、冷めないうちにどうぞ」
「はい。いただきます」
トネヒサに応えたチホ。しかし、なかなか口をつけない。つややかな唇が突き出された。顔の前にカップを持って、ふうふうしている。
「聞かれても理解できないことだろ?」
「コーヒーを楽しんでもらおうと思ったのですが」
「どうぞ、おかまいなく」
息を吹きかけることに疲れたチホ。休憩していた。
「では、順を追って説明します。世界について」
「この世界は、データで
「いきなりそこからか」
「ちょっと、何言ってるのか分からないの、私だけ?」
セミロングの髪が
「速度には
「
「そして、空間が曲がる。
「何もないように見える空間は、
「時間の流れは一定ではありません。速度が――」
「コンピュータの
二人の話を聞いていたチホが、口を開く。
「わかりやすく、お願い、します」
「情報を立体的に
「それが、現実と呼ばれるものの正体。と言いたいわけか」
目を
「お待たせしました。お会計は別々でよろしいですね?」
「はい。ありがとうございます」
トネヒサが、店員からコーヒーを受け取る。白く
「人間だけが
「おかしいですか?」
「人間によって引き起こされる問題のシミュレーションなら、
「言われてみれば、いろいろ問題があって、どれも解決するのが難しそうだけど……」
コーヒーを見つめる女性。机をかこんで座る三人に
カップを持ち、長身の男性が笑みを浮かべる。
「アマミズ。出番です」
左肩で、白いぬいぐるみが動き出した。空中に見えない足場があるような動きでちょこちょこと歩いて、机の上にのる。体を丸めて止まった。
「どういう仕掛けなの?」
チホが、白いリスのようなものを見つめる。身を乗り出して目を
「力ある者にのみ見えるホログラムで、実体はありません」
「それで、交差点の真ん中にいても誰も反応しなかったのか」
「簡単なAIを、人工知能を組み込んでいます。もう話してもいいですよ。アマミズ」
机のまんなかで白いものが動いて、ちょこんと座った。
『その命令は実行できない。
かわいい声を出したアマミズ。チホが手をのばして、すり抜けた。がっくりと肩を落として、すぐに顔を上げる。
「力ある者って、どういうことなの?」
「最初に見たとき、反応しなかった理由は?」
答える
「ケンジの機嫌が悪いかと思って、何も言わないほうがいいかな、って」
チホはすこしだけ困ったような顔で、隣を見つめた。
二人の
時間が過ぎていく。
「本当に、世界がプログラム?」
「
ケンジがカップを手にする。窓のそばにあるコーヒーは、すっかり冷めていた。ミルクと混ざっても強く残る苦みを、ケンジは気にする様子がない。
カップを置くまで待ってから、チホが話しかける。窓の外を行き交う人々はのんびりとした様子。靴音は
新たに客が
二人の様子を、ただ微笑して見守るトネヒサ。話が終わったケンジの表情は普段どおり。どこか悲しそうに見える。
「もういい。黙ってないで、そろそろ
「アマミズは、
『
かわいらしい声を返す、白いホログラム。顔よりも低い位置に浮かんでいる。
「それを予想して、この場所を選びました」
コーヒーを飲み干したトネヒサが、左手の手袋を外す。上着のポケットに右手を入れて、青いメダルが取り出される。まるいそれは、重量感が
「今は、
左手のてのひらに、青いメダルを置く。素手でにぎられた。
『アウト・オブ・オーダー』
アマミズの言葉と同時に、左手の甲を上に向けるトネヒサ。一瞬だけ苦笑する。腕時計よりも大きな
長身の男性は、すぐに楽しそうな顔を見せる。
「ウタコさんの好きそうな掛け声ですね」
左手で
服が変化していく。データに手を加えているためだ。触れることのできないホログラム。
データの流れを、うっすらと読み取ったケンジ。
「こっちもよろしく」
「では、
トネヒサは、黒いとんがり帽子に黒いマント姿へと変わっていた。右手の人差し指を上に向ける。
「ちょっと、派手じゃないかな?」
チホが、赤いカーディガン姿で
「いつの間に?
白い服の店員がやってきて、長い髪で隠れていないほうの目を細めた。普通の人には、現実がハッキング可能なデータだということを認識できない。
「これから
笑顔で告げるトネヒサ。右手の人差し指を上にむけて、三人の服をもとに戻した。
『
「すごい手品。じゃなくて
店員は、鼻息を荒くしてカウンターへと歩いていった。
「私たちは、これを
グレーのスーツ姿のトネヒサが、左腕の
「詳しい話は
上着の内側にあるポケットから
「とはいえ、この先は
「いや、そういう関係じゃ――」
『それでは、さようなら』
「再び会う
支払いを済ませ、カフェから出ていくトネヒサ。その左肩に座るアマミズ。木製の引き戸がきしんで、再び閉じられた。
「誤解されているのに、説明しなくていいのか?」
「いまは、誤解じゃない。でしょ?」
面倒なことになりそうだと思いながらも、ケンジは何も言わなかった。
会話を続ける二人。現実がプログラムだということへの反対意見はない。
「書き換えで楽に移動できないかなあ」
「現実の書き換えは危険だ。それ以前に手段がないけど」
ゴーストパルスに次の客が現れてから、二人は出ていった。別々に支払いを済ませて。
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