第2話 ぬいぐるみは夢を見る
白と黒のグラデーションが作り出す輪郭。
羽の一部に見える金属片や、箱の一部らしき木片が散乱している。
モノクロームの世界で、青年が呟く。
「もういいよ、これは」
世界が閉じていき、灰色で塗りつぶされた。ランダムに白い点が現れては消えていく。
スノーノイズに似ている。アナログ放送の信号が弱くなり、なにも受信できなくなって画面が砂嵐のようになる現象。
チャンネルを切り替えたように、景色が変わった。
街路樹のおかげで日差しが軽減されている歩道。さきには、交差点にかかる大きな横断歩道がある。大勢の人の姿はない。
横断歩道の真ん中に立つのは、ケンジと比べて長身の男性ただ一人。左肩にぬいぐるみがのっている。
「ガードが堅くて苦労しました」
スーツ姿の人物が、歩きながら話しかけてきた。高い背に見合った筋肉質な体格。髪型はすこし崩した七三分け。微笑している。二十代に見え、ケンジには見覚えがない。
「知らない顔だ。何と関連付けた記憶だ? いや、これは。意識がはっきりしすぎている」
「おっと。夢の中でも時間は過ぎています。現実で重要なことをお伝えします」
「肝心なことを忘れてるだろ。いつ、どこで?」
「明日。いえ、すでに今日でした。午前9時に。この道の手前、あのカフェでお願いします」
両手に白い手袋をはめた男性の右手が、人差し指をのぞいて曲げられた。
振り返るケンジ。ゴーストパルスという名前の看板が、はっきりと見える。
「あえて言わない、ってことか。普通の夢なら辿り着くのは無理だ」
狭い部屋で目を覚ますケンジ。
カーテン越しに見える強い光が、普段よりも遅い時間だと教えてくれた。外からは生活音が聞こえる。
「夢の内容をはっきり覚えている。あのときと同じだ」
パジャマのまま照明をつけて、PCの電源を入れる。検索により、ゴーストパルスというカフェを確認。地図とも一致する。
PCをそのままにして、ケンジは着替えた。部屋を出ていく。
昨日とは違う色の格子柄のシャツに、茶色のパンツ姿。昨日と同じようなボサボサ頭で、栄養補助食品を持って部屋に戻ってきた。作業のように朝食を済ませる。
そのあと、洗面所へ移動。鏡を見ながらひげを剃る。電動シェーバーの作動音が響く。
相変わらず物がすくない部屋に戻る。机の上の密度だけが高い。
組み上げたプログラムのソフトウェアテストをしながら、声が漏れる。
「8時半はちょっと早いか。いや、別に早くてもいいか」
歯磨きを終えても、時刻は午前8時を回っていない。
ケンジは、集中すると時間を忘れて続けてしまう。自覚しているからこそ、複雑な作業をせずに暇を持て余していた。
「……」
無言でPCの電源を切る。
床に転がっている情報端末の電源を入れ、胸のポケットに放り込む。机の引き出しを開けて、細長いケースをつかんだ。マウスよりも大きな物を、右脚のポケットに格納。
部屋から出て、玄関へ向かう。西のドアの手前で足が止まった。
外に誰かがいる。
気配を察知したケンジは、ゆっくりと靴を履く。ドアを開けた。
「おはよう」
出迎えたのは笑顔。紺色の長袖シャツにジーンズ姿で、昨日よりも体の線がはっきりしている女性。手には小さな鞄。にこやかな顔を、そよ風が撫でる。
「ああ。うん。おはよう」
チホに挨拶をするケンジ。
落ち着かない様子の相手。体を揺らし、セミロングの髪が軌跡を描く。
「ついていってもいいかな?」
「うーん。変なこと言ってると思うだろうけど、何か危険なことが起こるかもしれない」
お互いに、じっと目を見つめている。先にケンジが逸らした。
「危険なことが起こらないように、慎重にいこう」
「そういうことじゃないんだけど」
真剣な表情の男性は、女性を不審に思っていた。とはいえ、何かを知っているならデータがほしい。
「どうかした?」
「なんでもない。それじゃあ、行こうか」
集合住宅の二階から移動する二人。
クリーム色の建物から出て、昨日と同じように北へと歩いていく。昨日と違って、屋根の上からネコが見てはいない。チホが話を始める前に、ケンジが切り出す。
「えーっと、ゴースト……なんだっけ」
「びっくりさせようとしたのに、いま言っちゃうんだ」
楽しそうな顔のチホから、笑い声が漏れた。
「この近くにある、あれだよ。知らない?」
「ううん。引っ越してきたばかりだから」
歩道を並んで歩く。右手にカフェが見えてきた。正確には、知っているから見つけることができた。
「名前が悪いんじゃないか。この店」
「何のお店?」
外見からはカフェだと判断できない、飾り気のない建物。古い木造の民家、と認識している人が多くてもおかしくはない。白色の看板だけがぽつんと置いてある。入り口は、くたびれた木製の引き戸。
二人は、音を立ててゴーストパルスの引き戸を開いた。
真ん中に机のある、四人で向かい合って座れる席。
男女が、片側の椅子に並んで座っている。年季を感じさせる木の机に、黒い革の長椅子。フローリングの足元にも、外を吹く風にも、ケンジは興味がない。
店に入って左手の窓側。入り口が見える位置で、辺りを見渡す。日光は差し込んでいない。
「医療か機械工学系の内装だと思ったんだけど」
ケンジの予想とは違い、かわいらしい飾り付けがされているカフェ。幽霊やお化けをモチーフにしていながら、愛嬌がある。デフォルメされていた。かすかにコーヒーの香りがする。
「いいお店なのに、お客さんいないね」
チホは経営状況を心配している。10以上あるカウンター席の椅子は、一直線に並んで黒い骨組みが目立つ。窓の外を見て、ごく自然に隣へと視線を向ける。落ち着かない様子で、気難しそうな表情がそこにあった。
男から話題を提供する意思がかんじられない。
沈黙を破るのは、長い黒髪を揺らし、ゆっくりと近づいてくる白い存在。
「いらっしゃいませ。カップルには、こちらがお得となっております」
白いワンピース姿の女性が、袖の長さを誇示するように手を動かしている。明らかにサイズが大きい。どのメニューを差しているのか不明。長い髪で片目が隠れていて、店員としてふさわしいとは言いがたい。
けげんな表情を隠さないケンジ。
「え? そういう――」
「はい。では、それで」
チホが即決した。口元を手で隠し、うなり声を上げる右隣の男性。
「僕はブラックで」
「かしこまりました。ごゆっくり」
白い服の店員が、普通に歩いて離れていった。
「どうやって知ったの? このお店。やっぱりネット?」
座ったまま、体を傾けて詰め寄る女性。髪がサラサラと動き、ケンジに迫る。
「ああ。思い出した。学生時代にPCで何か教えた気がする。それで、か」
「それで、どうなの?」
若さを感じさせるチホの顔。さらに近づいた。薄化粧だということがはっきりと分かる。ようやく気付いたケンジが、何かを言おうとして言葉を飲み込んだ。小声で伝える。
「怪しまれて割引なし、ってことは起こらないよ」
「まさか、未来が見えるなんて」
二人の会話中に、焙煎されたコーヒー豆の粉砕が終わっていた。あとはコーヒーサイフォンでの抽出。木製のカウンターからは、客の様子が確認できる。
「ただの推測。人が少ないのに、悪い印象を与える理由がない」
大きく開かれた目が、元に戻る。ゆっくりと体の向きを修正していくチホ。
「なるほどね」
「まだ時間はあるから、のんびり話そう」
「誰かとの約束? その人に教えてもらったの?」
「知り合いじゃない。たぶん、初対面」
ガラガラと音がして、ゴーストパルスの引き戸が開いた。
現れたのは男性。身長、約180センチメートル。入り口に置いてある緑色のタオルのようなものを、革靴で踏みしめている。あまり汚れていないものの、土を落とすためのマットだということを、ケンジが把握した。
男性は、微笑したまま二人に近づいてくる。髪型は七三分けをあえて乱している。手を付けずにボサボサなケンジの髪とは違う。
グレーのスーツ姿で、両手に白い手袋をしていることはあまり印象に残らない。なぜなら、左肩に白いぬいぐるみがのっているからだ。
店中には時計がない。情報端末で時間を確認するケンジ。胸のポケットに戻した。
「はじめまして。
「知っていると思うけど、ケンジだ。とりあえず、座って」
「チホです。かわいいですね」
二人の向かい。机をはさんで、椅子に腰を掛けるトネヒサ。三人を線で結ぶと三角形になる位置。肩に座るリスのようなものは微動だにしない。全長、約30センチメートル。
コーヒーの香りが漂ってきた。カップを二つ持った店員が、席に近づいてくる。
「お待たせしました。ご注文は?」
「粗挽きでお願いします」
二十代と思われる男性が、ケンジとチホの前までコーヒーを移動させた。笑顔を向けられ、表情を緩める店員。そそくさとカウンターへ向かう。目で追っていたケンジが、視線を外す。
「重要なことを話してもらおうか」
普段より低い声。
「私に構わず、冷めないうちにどうぞ」
「はい。いただきます」
トネヒサに応えたチホ。しかし、なかなか口をつけない。つややかな唇が突き出された。顔の前にカップを持って、ふうふうしている。
「聞かれても理解できないことだろ?」
「コーヒーを楽しんでもらおうと思ったのですが」
「どうぞ、おかまいなく」
息を吹きかけることに疲れたチホ。休憩していた。
「では、順を追って説明します。世界について」
「この世界は、データで構成された平面的なプログラムです」
「いきなりそこからか」
「ちょっと、何言ってるのか分からないの、私だけ?」
セミロングの髪が揺れて、ケンジの表情は変わらない。もう一度揺れて、トネヒサが微笑む。
「速度には限界があります。光は常に一定」
「演算の限界か」
「そして、空間が曲がる。処理ネットワークとしての空間なら、曲がる三次元の表面が可能です」
「何もないように見える空間は、膨大な情報処理で充満している」
「時間の流れは一定ではありません。速度が――」
「コンピュータの負荷が大きすぎると、動作が重くなる」
二人の話を聞いていたチホが、口を開く。
「わかりやすく、お願い、します」
「情報を立体的に投影している、ということです」
「それが、現実と呼ばれるものの正体。と言いたいわけか」
目を潤ませて、ケンジを見つめるチホ。反応がないので、静かにコーヒーを飲み始めた。まざりあう砂糖とミルクにより、苦みがうすらいでいる。
「お待たせしました。お会計は別々でよろしいですね?」
「はい。ありがとうございます」
トネヒサが、店員からコーヒーを受け取る。白く揺れる服が遠ざかってからカップを置き、話すチホ。
「人間だけが合理性を欠いて、というか、非効率的な気が」
「おかしいですか?」
「人間によって引き起こされる問題のシミュレーションなら、矛盾はない」
「言われてみれば、いろいろ問題があって、どれも解決するのが難しそうだけど……」
コーヒーを見つめる女性。机をかこんで座る三人に沈黙が訪れた。右隣の男性は前を向いたまま。カフェのファンシーな内装は、雰囲気の改善に意味をなさない。
カップを持ち、長身の男性が笑みを浮かべる。
「アマミズ。出番です」
左肩で、白いぬいぐるみが動き出した。空中に見えない足場があるような動きでちょこちょこと歩いて、机の上にのる。体を丸めて止まった。
「どういう仕掛けなの?」
チホが、白いリスのようなものを見つめる。身を乗り出して目を輝かせている。
「力ある者にのみ見えるホログラムで、実体はありません」
「それで、交差点の真ん中にいても誰も反応しなかったのか」
「簡単なAIを、人工知能を組み込んでいます。もう話してもいいですよ。アマミズ」
机のまんなかで白いものが動いて、ちょこんと座った。
『その命令は実行できない。具体的に言ってよ』
かわいい声を出したアマミズ。チホが手をのばして、すり抜けた。がっくりと肩を落として、すぐに顔を上げる。
「力ある者って、どういうことなの?」
「最初に見たとき、反応しなかった理由は?」
答える暇を与えず、割り込むケンジ。隣をじっと見つめている。
「ケンジの機嫌が悪いかと思って、何も言わないほうがいいかな、って」
チホはすこしだけ困ったような顔で、隣を見つめた。
二人の邪魔をしないトネヒサ。
時間が過ぎていく。
「本当に、世界がプログラム?」
「証拠じゃなくて、可能性に過ぎない」
ケンジがカップを手にする。窓のそばにあるコーヒーは、すっかり冷めていた。ミルクと混ざっても強く残る苦みを、ケンジは気にする様子がない。
カップを置くまで待ってから、チホが話しかける。窓の外を行き交う人々はのんびりとした様子。靴音は響かない。カラスの鳴き声がした。
新たに客が訪れる気配のないカフェ。席に着く三人も、動く気配がない。
二人の様子を、ただ微笑して見守るトネヒサ。話が終わったケンジの表情は普段どおり。どこか悲しそうに見える。
「もういい。黙ってないで、そろそろ証拠を見せてもらおうか」
「アマミズは、証拠じゃないの?」
『限定的な影響しかないからね。証拠としては弱いよ』
かわいらしい声を返す、白いホログラム。顔よりも低い位置に浮かんでいる。
「それを予想して、この場所を選びました」
コーヒーを飲み干したトネヒサが、左手の手袋を外す。上着のポケットに右手を入れて、青いメダルが取り出される。まるいそれは、重量感が乏しい。
「今は、証拠だけをお見せします」
左手のてのひらに、青いメダルを置く。素手でにぎられた。
『アウト・オブ・オーダー』
アマミズの言葉と同時に、左手の甲を上に向けるトネヒサ。一瞬だけ苦笑する。腕時計よりも大きな装置が、左腕に装着された。青みがかった灰色。おもちゃのような見た目。
長身の男性は、すぐに楽しそうな顔を見せる。
「ウタコさんの好きそうな掛け声ですね」
左手で握っていたメダルを右手でつかみ、左腕の装置にはめ込む。自由になった両手を広げるトネヒサ。ニヤリと笑う。
服が変化していく。データに手を加えているためだ。触れることのできないホログラム。
データの流れを、うっすらと読み取ったケンジ。
「こっちもよろしく」
「では、魔法を使います」
トネヒサは、黒いとんがり帽子に黒いマント姿へと変わっていた。右手の人差し指を上に向ける。
「ちょっと、派手じゃないかな?」
チホが、赤いカーディガン姿で尋ねた。耳付きのフードを頭にかぶっている。ケンジもほぼ同じ格好になっていた。体を動かして確認中。
「いつの間に? 魔法使いさんですか?」
白い服の店員がやってきて、長い髪で隠れていないほうの目を細めた。普通の人には、現実がハッキング可能なデータだということを認識できない。
「これから魔法で着替えるので、内緒にしていただけると嬉しいです」
笑顔で告げるトネヒサ。右手の人差し指を上にむけて、三人の服をもとに戻した。
『魔法という定義から外れているし、黙っている保証はないよ』
「すごい手品。じゃなくて魔法ですね。内緒にします」
店員は、鼻息を荒くしてカウンターへと歩いていった。
「私たちは、これを拡張現実と呼んでいます」
グレーのスーツ姿のトネヒサが、左腕の装置からメダルを外す。胸のポケットへしまう頃には、装置が消えていた。左手に白い手袋がはめられる。
「詳しい話は事務所でする予定です」
上着の内側にあるポケットから名刺が取り出され、両手でケンジに渡された。
「とはいえ、この先は責任が伴います。二人でよく話し合ってください」
「いや、そういう関係じゃ――」
『それでは、さようなら』
「再び会う可能性を考慮すれば、また会いましょう、のような挨拶にするべきです」
支払いを済ませ、カフェから出ていくトネヒサ。その左肩に座るアマミズ。木製の引き戸がきしんで、再び閉じられた。
「誤解されているのに、説明しなくていいのか?」
格子柄のシャツ姿のケンジが、コーヒーの残りを飲みほす。さきほど現れた服はホログラム。まとまりのない髪に変化はない。
「いまは、誤解じゃない。でしょ?」
無邪気な笑みを浮かべるチホは、紺色のシャツ姿。内巻きにまとまったセミロングの髪を揺らした。
面倒なことになりそうだと思いながらも、ケンジは何も言わなかった。
会話を続ける二人。現実がプログラムだということへの反対意見はない。
「書き換えで楽に移動できないかなあ」
「現実の書き換えは危険だ。それ以前に手段がないけど」
ゴーストパルスに次の客が現れてから、二人は出ていった。別々に支払いを済ませて。
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