第13話 何も信じず過ごしてきた青年

 横に並ぶ三人。トネヒサ、ウタコ、チホ。

 その前にケンジが立つ。右の壁の近くには、席に着いているエミカ。暖色系の内装に反して、冷たい空気がただよう。物音がしない。外に誰もいないかのように。

 五人がいるのはエミカの病室。メダルを左手で掴むケンジ。

「アウト・オブ・オーダー」

 笑顔のチホが宣言した。

 ケンジの左腕に、腕時計よりも大きな装置が現れる。青みがかった灰色。

 現実がハッキング可能となり、データの流れを感覚で捉えることができる。ケンジは、現実感に近い感覚を覚えていた。

 拡張現実。データフローメダルの効果により、データとしての世界がすけて見える。高さも含めて、あらゆるものが入力された情報でしかない。人間のデータが、異質なものとして蠢いている。

 両手を自由に使うため、手をゆるめて青いメダルを右手で持つ。装置にはめ込んだ。

「エクセキューションカード、構築!」

 ウタコが叫んだ。空中にプログラムが組まれていく。ケンジが右手をのばし、カードをつかむ。

 メダル単体で、認識できる範囲に手を加えることが可能。ただし、直感的に扱えない。世界はデータの羅列でしかない。カードで、高度な変更がおこなえる。装置に入れられた。

「え? 私ですか? 実行」

 トネヒサは戸惑っていた。アウト・オブ・オーダー実行により、データの流れとしての現実が揺らぐ。本来は見ることのできない、さらなる拡張現実が姿を現す。

 ただし、基本的には、メダルに触れなければデータそのものは見えない。

「ソフトウェアテスト済みの、嘘を検知するカードを使う」

「なるほど。脳の働きをデータとして読み取るわけだね。スパイには効果的というわけだ」

 右隣に座っているエミカを見て、ケンジが表情をゆるめる。

「精神性発汗の有無や心拍数も、参考として入手。反応が大きければ、そこを突ける」

「合理的だね。あまり質問しないでほしいな」

 データに乱れがない様子を見ているのは、ケンジだけ。

「エミカは正直だな。それじゃ、次だ」

 三人のほうを見たケンジに、長身のトネヒサが手をあげた。微笑している男性へと質問が飛ぶ。

「ウタコが対処したクラッキング事件のとき、事務所にいなかった理由は?」

「落書き事件のときですね。エンチャントを使ったという。政府への報告です」

「続きを」

「ギョウタさんですよ。情報漏洩を警戒して、ネットを使わない主義なので。大変です」

 表情を変えない相手に、トネヒサが続ける。

「そういえば、私は、病から奇跡的に助かった過去があります」

「何が言いたい?」

「自分の命を軽く見る傾向があり、結果として、人の力になろうとするようですね」

「だから、それがなんだ」

「理解し難い行動を取っていることがあるかと思いまして。あと、私はスパイではないですよ」

 データに乱れはない。

「分かった。嘘はない」

「まずは、おめでとう。と、言っておこうか。ケンジ」

 少女の言葉に、青年が笑う。

「それじゃ、次は」

「順番でいいだろ。私だ」

 腕を組んだウタコが、声を張り上げた。

「ハチジョウ丸の事件のとき、いなかった理由を聞こう」

「なんだっけ? 詳しく教えてくれ」

「アマミズもどきが肩に出現した船ですよ。報告書、読みましたよね?」

 トネヒサの言葉に、ウタコがたじろぐ。

「え。読んだことは読んだけど、なんでそのとき、いなかったんだったかな」

 データに乱れが生じた。

「エンチャントの表示切り替えを使った事件だ」

「そうだ。ギョウタが、報告受けるのを忘れてた。って、言うから、届けてた」

「いつの間にかいなくなっていたのは?」

「黙って来いって言うんだもん、あいつ」

「理由は」

「知られたら、おごる相手が増えるだろ、って」

 何人かが眉を下げた。ケンジは、事件が起きた時間との奇妙な一致に気付いて、言わなかった。相変わらず、部屋の外で足音一つしない。

「トネヒサが言ったから言うけど……」

「何かな?」

「作法に厳しく育てられたから、反発して乱暴なことがある、かも。あと、スパイじゃない」

「驚いた。嘘はない」

「それはちょっと、ひどいぞ」

「二人目もシロ、か。いいじゃないか」

 エミカに向けて、ケンジが微笑む。その様子を眺めている女性が、質問されてる前に目を閉じて、力強く開く。

「わたし、話します」

「なぜ、僕に付きまとうんだ」

 チホに聞いたケンジ。ウタコがすごい形相で睨みつける。

「それ、聞いちゃうのかよ! ダメだろ。恥ずかしいぞ。絶対」

 途中から頬を染めて、声が小さくなっていく。

 エミカがケンジをちらりと見て、すぐ目を逸らした。チホが口を開く。

「恥ずかしいかもしれないけど、話すよ」

「誰かに頼まれたのか?」

 ケンジの声は低い。すこし険しい表情。

「昔、友達がいたの。わたし、何もできなかった」

 データに乱れが生じた。

「関係者か?」

 エミカが表情を曇らせた。

「学校にいたとき、ケンジはずっと悲しそうで、わたしは何もできなかった」

「友達の話はどうした」

「もう、後悔したくない。友達には、もう、会えないから。それと、クラッカーじゃないよ」

「関係者でも、頼まれたわけでもない、ってことか。嘘はない」

「嘘はない。じゃないだろ。優しい言葉をかけろ。そこは!」

 ウタコが立腹して、ケンジは不思議そうに見ている。それ以上の会話はなく、しーんとする部屋。

 少女が、じっと青年を見つめていた。

 取り出されるカード。胸のポケットへとしまわれる。

 アウト・オブ・オーダーからメダルを外すケンジ。前に向けて歩き出した。

 チホに手渡す。

「今度は僕の番だ」


 青年よりもすこし背の高い女性は、メダルを使わない。

 ケンジがチホの手をつかんで、メダルを握らせた。

「いいから。使う」

「うん」

 静けさに包まれたエミカの病室で、チホが青いデータフローメダルを握る。

 アウト・オブ・オーダーが左腕に現れた。

 手に触れて力を共有しているケンジ。拡張現実を使おうとして、やめた。胸のポケットからエクセキューションカードを取り出す。

「はい。これ」

 アウト・オブ・オーダーに、嘘を見抜くカードが挿入された。

 現実へのハッキング開始。データの流れが鮮明になる。すでに手を離しているので、ケンジには見えない。

「えっと。何を聞けばいいの?」

「疑いすらしてない? それはまずいよ」

「嘘はないね」

 セミロングの髪の女性は笑顔。頭をかかえる黒髪の男性。

「まずは、なぜデータを隠しているのか、聞いてみて」

「なぜ、データを隠しているの?」

「素性を明かすと面倒なことになるから。情報を売る連中もいるし」

 エミカはケンジのほうを見ていない。光が灯っていない13インチのディスプレイを見ていた。チホが質問する。

「情報? なんの?」

「飛行機事故の生き残り、っていう情報だよ」

 データに乱れが生じた。

「つらいなら、話さなくていいよ」

「話すよ。飛行機事故の唯一の生き残りで、どうやって助かったのかも分からない」

「分からないのに、隠すの?」

「遺族の中には、墜落の原因だと思って、悪意を向けてくる者もいた」

 データの乱れが強くなる。

「そんなの。ひどいよ」

 うつむくチホ。トネヒサが口を開く。

「やり場のない感情をぶつけることがあるのです。人は。間違っていると分かっていても」

「それで、身を守るすべを、ハッキングを教えてくれたのが、エミカ」

「航空会社のデータをいじって、乗っていないことにしたのさ。大半の目はごまかせたよ」

 ボブカットの少女が告げた。食材に調味料をかけなかった、という程度の話をするように。ケンジが微笑む。

「奇跡的に助かった、っていう扱い。怪我してもないのに、病院で包帯ぐるぐる巻きだった」

「データ上は生存者がいない。病院へ押し掛ける連中に、死亡した、と錯覚させられたのさ」

「ん? 何歳が、何歳に教えたんだ?」

「四歳か五歳だっけ? 僕は十歳だったな。あの時すでに、今の僕より上だった」

 質問したウタコは、目を丸くしている。笑う二人。

 データに乱れはない。

「買いかぶりすぎだよ。でもまあ、ネットワークから情報が漏れたとは、考えにくいね」

「そっか。ヒーローショーで子供を助けたのは、昔の自分と重ねてたんだね」

「そうかもしれない。でも、それはおかしい」

 トネヒサが首を傾げる。

「クラッカーが、その情報を知っているはずがない、と?」

「うーん。スパイの可能性を考えたんだけど、三人じゃなかったね」

 データに乱れはない。

 ケンジが苦笑いした。ウタコが口をとがらせる。

「そういえば、三人ともクラッカーだったら、どうするつもりだったんだ?」

「実は、ここにメダルがある」

 振り返り、エミカの左手の袖に手を入れるケンジ。緑のデータフローメダルを取り出した。少女はすこし困ったような顔。

「エミカには三人がかりでも勝てないから、大丈夫だよ」

 ケンジが、屈託のない笑顔で断言した。

 チホの目に映るデータに、嘘はない。


 関塚探偵事務所せきづかたんていじむしょ

 午後3時。

「協力してくれたら、心強かったのになあ。エミカ」

 北東の席で、チホが肩を落とした。うしろの窓から強い光は差し込まない。天井中心部のやわらかな明かりが、木製でフローリングの室内をてらす。

「性格はともかく、能力は高いみたいだし。残念」

 向かいの席のウタコが同意。男性二人に見つめられて、小柄な女性は不思議な顔をした。

「察してあげましょう」

 北の席から、静かな声がひびく。トネヒサは微笑んでいた。

「気難しいから。まあ、一人でも大丈夫だよ」

 南東の席で、ケンジが表情をゆるめる。三人の視線が集中して、さらに表情がゆるんだ。

 PCのディスプレイに向かう四人。

 ケンジの向かいの席では、アマミズが金属製の机の上に座っている。すこし改良が施されたとはいえ、AIは単純なもの。エミカのデータがないため、会話できなかった。

 軽快な音楽が鳴り出す。

「誰かと思えば、私でした」

 トネヒサが情報端末を取り出して、顔の近くへ持っていく。

「はい。関塚探偵事務所せきづかたんていじむしょです。いつもお世話になっております。ギョウタさん」

 手ぐしで軽く髪型を整えただけの青年が、横目で見た。

「珍しいですね。はい。いつでも大丈夫です。それでは」

「何か、事件ですか?」

 女性の大きな目には、不安の色が宿っている。トネヒサは微笑したまま。

「午後5時に、ここへいらっしゃる、という連絡です」

「言いにくいだろ。十七時、で」

「なるほど。それにしても、いつも突然でしたから。時間を指定するなんて」

 おおげさに悩んでいるポーズを取る男性。ツインテールの女性も同意する。

「まったくだ。常識を身に着けたのか? ギョウタ」

「僕も疎いほうだから、勉強しないとなあ。縫野ぬいの、教えてよ」

 ケンジは、体をゆらして姿をさぐる。タワー型のPCが壁の役目をして、よく見えない。たまに猫背で席に着くとき、ウタコの存在は景色と一体化する。

「なんでだ。自分で検索しろ。あっ。まさか、ケンジ。お前」

「知ってると思うけど。人の気持ちがよく分からないんだ。役に立つデータは少ない」

「自分が恥ずかしい。つらい過去があるのに、変なことを考えて」

 目を潤ませた女性が、男性を見つめる。目を逸らした。頭をかかえて机に突っ伏してしまった。

「どういうこと? 思考の順序を教えて欲しいんだけど」

「ダメだ。言わない。話題変えて。トネヒサ」

「では。クラッカーについての情報が得られないことについて」

 セミロングの髪をゆらして、チホが身を乗り出す。

「病院に現れたのに。二人。何のデータもないの?」

「堂々と姿を現しておいて、情報を出さない。かなりの腕前のようですね」

 ケンジとチホは、シイナギ病院でメダルを持っていなかった。情報を入手しようとしても、相手がメダルを使って消されるだけ。そう考えたのが、エミカの病室へ急いだ理由。

「現状では、受け身に回るしかない」

『次は、撃退よりも、相手の情報を得ることに集中するべきだよ』

 ケンジの言葉に反応したアマミズ。白いリスのようなホログラムを、四人が見る。

「正しい判断だけど、クラッキングを放置すれば、世界そのものが危うい」

 データとしての世界が存在する以上、作って管理する者がいる。認識できない上位世界。通常変更できないデータを、メダルの力で操作できる。メダルは管理者権限の一部。

 どこまでのデータ変更が許容されて、どこからがバグ扱いされるのか。知ることはできない。データの復元による時間の巻き戻しも、復元ポイントの管理がわからない。

 人間が引き起こすさまざまな問題。その解決方法をさぐるのが世界の意味なら、メダルの存在自体が矛盾している。

 問題の本命とはなにか。ケンジの思考は、迷宮の中をさまよっていた。


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