第8話 なぞの難病に抗う者たち
キッチンで料理をする女性。金属的な
まな板の上で、よどみなく動く
セミロングの髪は、後ろで一つに縛られている。エプロン姿。
「楽しいですね。
「なんで、そんな、
いつもと同じ髪型。エプロン姿で、
部屋を区切るドアが基本的にない建物。
「休日に、
やや
「あいつ、勝手に材料買っといて。トネヒサの責任だ!」
もじもじするウタコ。チホの料理を手伝い始めた。慣れた手つきで、しいたけの
廊下から見ているのは一人ではない。体つきがすこし
「忘れてたよ。料理って、こんな風に作るものだったな」
チホとウタコに、いまは亡き母と昔の自分を重ね合わせていた。目を細める。
料理の完成まで見守ったケンジ。
床も壁も木のあたたかさに包まれた場所で、四人が席に着く。
テーブルに昼食が
「
「料理をする気がないからだ。しろ」
「うまくいってなかったら、ごめんなさい」
「いただきます」
ケンジに続いて、三人も同じ言葉を言う。
食事を口に運んだ。
「どうかな?」
「久しぶりに、
「もっと、言いかたってものがあるだろ」
「
ちゃんと味はついている。ケンジには、肉汁のうまみと砂糖のあまさの区別が難しいだけのこと。全員、完食した。
食器洗いを手伝ったケンジ。上着から取り出した歯ブラシで、歯を磨いた。よく水を切ってケースに入れたあと、トネヒサに告げる。
「用事を思い出したので、帰ります」
「誰かさんがいない間に、頑張ってくれましたからね。いいですよ」
返事を聞くと、すぐに出ていった。
「仕方ないな。午後からは、私がチホの
「よろしくお願いします」
ウタコもチホも、楽しそうに笑った。
自宅に戻るケンジ。
上着を衣類用ハンガーにかける。下に着ていたのは、黒地に白い
カーテンが閉められて
コンクリートの歩道を南へと歩いていく。灰色の空がひろがる南西には、遠くにそびえる
白い大きな建物が見えてきた。
ガラス製の自動ドアを抜け、シイナギ病院のロビーへと入る。ならぶ長椅子には、あまり人が座っていない。
壁の色のおかげで、やわらかい印象の内部。
開いた自動ドアの向こうから、雨の音が聞こえる。地上と上空の温度差により起こる、にわか雨。外を見ようとした男性が、別のものへと目を向けた。
「また会ったね。おにいさん」
「ケンジでいいよ。って、言ったよな? レイト、一人か?」
再び自動ドアが開いて、スーツ姿の女性が入ってきた。ヘアバンドをつけているため、ショートヘアはあまり揺れない。高い靴音を鳴らす十九歳の女性が、十四歳の少年へ近づく。
「一人で行かないでください。わたくしの目の届く
「恥ずかしいよ。一人で大丈夫だから」
シオミの言葉を
「そのくらいの年齢のときは、恥ずかしいよね。そうだ。お
「ひょっとして、ぼくと同じ
「うん。同じくらいの
「同行しても、よろしいですね?」
「ああ。はい。心配なのは分かります。一緒に行きましょう」
男性の横を離れない少年。女性の表情は、
エレベーターのドアが閉まる。
上に向かい、四階で開く鉄のドア。三人が降りて、廊下を進む。足音以外が聞こえないほど静まり返っている。
「入っても、いい?」
「やけに優しい口調だね。構わないよ」
部屋から聞こえてきた声に従い、ケンジが扉を開けた。中はやわらかな色合い。壁には、一周ぐるりとついた手すり。左奥にはベッドが置かれている。どう見ても病室だ。
「へえ。サプライズのつもりかい? 彼女、ではなさそうだね」
椅子に座る少女が言った。入り口のほうを向いている。ボブカットの髪は、あまりまとまっていない。
「もちろん。エミカ。紹介するよ。この男の子が……」
「
話の途中で、すたすたと歩いていった少年。少女のすぐそばに立った。あとを追いかけた女性が口を開く。
「
「なるほど。あまり
にやにやと笑うエミカ。名を告げようともしない。女性の表情は変わらず、冷たい
「悪い子じゃないんだよ。
「分かるよ。でも、すごいね。ぼくより
右手で
「おや? この私に
少女の言葉の途中で、女性は少年に近づいていた。
「わたくしたちは、これで
「もっと話したかったな。エミカさん、またね」
二人が部屋を出る。扉が閉まって、シオミとレイトの話し声が聞こえなくなった。
「やっぱり、レイトだけのほうがよかったな」
難しそうな顔のケンジ。大きく息を吐き出した。すぐにだらしない表情になる。
エミカは、すこしだけ表情を緩めた。
二人だけの部屋。
PCのディスプレイに向かう少女。横に、男性が立っている。すでに、締まりのない顔ではない。
「同じ
「怖いね。
「
男性の表情は変わらない。顔が、少女の横顔に近づく。横からキーボードを操作して、ディスプレイに
「PCの扱いに長けている者が
ゆっくりと歩いて、ベッドに座る男性。うしろを振り返らない少女。
「
「人間のゲノムには、多くのダミーデータがある。メダルのおかげではっきりした」
ゲノム(
ケンジは、クリエイターによる
「
「データだけでは足りない。ソフトウェアテストが必要だ」
「相変わらず、データとして見ているようだね。自分も含めて」
少女の声色は
「いざとなったら、メダルを奪ってでも
強い口調で
ゆっくりと振り返って、エミカが微笑む。
「いまの地位を捨てるなんて、
少女を見て、男性の表情がゆるんだ。本人は
「夢でハッキングを教えてくれて、救われた。借りは返さないといけない」
「どうでもいいことに、こだわるね。それに、メダルならここにもある」
「知ってるよ。でも、それは君が使うべきものだ」
雨音がしない。いつの間にか、止んでいた。
一面の白。
ちがう。比較対象がないため、灰色が白く見えている。
黒色が炎のように燃えて、飛び散った。黒い
モノクロームの世界。
散らばる金属片は、かつて乗り物だったことがうかがえる。バラバラになった
現在の出来事ではない。夢。見ている者は、
「久しぶりに見た気がする」
ケンジがつぶやいた。右を向く。
「これは、本当にあったことなのか?」
すべてが
十五歳の少女が現れた。
「夢を使って会いに来たわけじゃないな。こんな笑顔のわけがない」
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