第11話 うかぶ風船は涙を見せない
「どうにも、煮え切りませんね」
午前8時30分。
五つの机が並んでいる部屋で、トネヒサが息をはき出した。一番北側の席。
「なんで、二人の報告が食い違ってるんだ。口裏合わせぐらい、ちゃんとしろ」
ウタコは、トネヒサの横に立っている。ディスプレイを覗き込んでいた。
遊園地での事件。見たままを報告したチホ。対して、ケンジは違う。ふれられる拡張現実について、一切報告していない。
「ハッキングについての報告をしただけ。それ以上の意味はない」
憮然とした様子で、PCに向かっている。南東の席。少しまとまっている髪以外は、いつもと変わらない。スーツ姿の三人と違って、部屋着の上にスーツの上着を羽織っただけ。
「クラッキングについても、報告をお願いします。対抗するための手段。問題ありませんよ」
「甘やかすな! トネヒサ。ガツンと言ってやれ」
小柄な女性がトネヒサの背中に回り込む。あごを右肩にのせた。左肩にアマミズはのっていない。ケンジの席の向かい、金属製の机の上に座っている。
「わたしが、ヒーローとして解決するように言ったから。ケンジのせいじゃないです」
立ち上がり、七三分けの男性を見つめるチホ。相手は微笑している。
男性の大きな背中から二人に顔を向ける女性が、頬を染めた。
「ヒーロー? お前ら、やっぱり」
「そうじゃないって、まえに言ったでしょ。子供の夢を壊したくなかった」
普段どおりに話すケンジ。ウタコの顔が真っ赤になる。
「なんだ、そのセリフは。私は、悪者か」
トネヒサのそばを離れ、自分の席へと帰っていった。
事件についての情報をまとめたケンジ。全員で共有し、それぞれのディスプレイに映し出される。
「物理的な衝撃を与えるプログラムに、バックドア、ですか」
「ここの地下にも、通路があったりしないだろうな?」
「それはない。でも、ここを知られている可能性はある」
「狙ったようなタイミングだったもんね。事件」
『できるだけ一人にならずに、警戒しよう』
アマミズの言葉に、ウタコの目が細められる。
「たまには、いいこと言うじゃん」
玄関のチャイムが鳴った。
トネヒサが、PCのキーボードとマウスを操作する。
「おはようございます。鍵を開きます」
さらにマウスが操作された。玄関で物音がして、部屋にスーツ姿の男性が入ってくる。三十代。身長、約175センチメートル。
「よう。期待の新人に会えて嬉しいぜ」
歩きながらケンジとチホを見る。たれ目ぎみの目尻を下げて、頬をゆるめた。ケンジの向かいの席に腰を下ろす。机の上の、白いぬいぐるみを気にする様子はない。
「この方は、
トネヒサが二人に伝える。緊張した面持ちで会釈するチホ。ケンジの表情は変わらず、かるく頭を下げた。
「俺のことはギョウタでいい。忙しいとは思うが、個人的な依頼を受けてくれ」
「ハッキングですか? わざわざ、いらっしゃったということは、よほど重要な――」
「
凄みのある表情で、全員の顔を見渡すギョウタ。
「ごめんなさい」
ウタコが小声を出す。すっかり委縮していた。
「おや。フウマさんは政府の関係者でしたか? ぜひ、お力添えをいただきたいものです」
「違うぞ。ご近所さんとは仲良くしないと、な」
ギョウタが満面の笑みを浮かべる。張りつめていた空気がゆるんだ。
「家族構成を考えると、孫を利用するのが効率的だと思う」
『有効な手段だね』
ケンジの意見に、アマミズが同意した。頭をかかえるギョウタが机にひじをつく。机の上から視線を外して、立ち上がった。
「新人の育成に苦労しそうだな。それじゃ。方法は任せる」
うしろに向け手を振る、中年男性。振り返らずに部屋から出ていく。トネヒサの操作で玄関の鍵が開き、去っていった。
「孫の同級生にレイトがいる。知り合いだ。これも利用しよう」
『アマミズには、その情報はないよ』
「アマミズは役に立たない、か」
ケンジの発言を受けて、渋い顔の面々。白いぬいぐるみは普段どおり。表情は特に変わらない。
フウマ周辺の懐柔作戦が始まる。
「同級生の、
『知ってるけど、あんまり話したことないよ』
「その子のおじいさんが、探偵嫌いで。誤解を解いて仲良くなりたいんだよ」
『そうなんだ。分かったよ。事務所に行けばいいの?』
「探偵嫌いだから、見られないようにカフェがいい。ゴーストパルスっていう、和風の建物」
『なんとかして、連れていくよ。待っててね。ケンジさん』
「ありがとう。レイト。それじゃ」
デジタルデータに変換された、ざらついた声が聞こえなくなる。情報端末を顔の近くから離すケンジ。胸のポケットに入れて、締まりのない表情になった。
「えげつないな。お前」
「私たちだけで解決することは難しい。これは事実です。では、四人で向かいましょう」
「はい」
探偵事務所をあとにする四人。歩道を南へ歩いていく。トネヒサの肩に座る、アマミズとともに。
十歳くらいの子供たちが、白いものに見向きもせずすれ違う。声が遠ざかっていく。反応したのか、電柱の上でカラスが鳴いた。夕方が近づき、長く伸びた影が東側の街路樹にかかる。
ケンジたちは道路を横断した。カフェは道の東側に面している。
木製で、和風の民家のような外観。看板を立てかけていなければ、店だと気付かないかもしれない。西からの日差しをあびている。
ガラガラと音を立てて、ゴーストパルスの古めかしい引き戸が開けられた。
足ふきマットで止まらない二人が先に進み、トネヒサとウタコが追いかけていく。
床や壁を含め、ほとんどが木製。飾り付けがされている店内。幽霊やお化けをモチーフにしていて、かわいらしい。恐怖や驚きを狙う仕掛けは見当たらない。照明もあたたかい色。
カウンター席にずらりと並ぶ、背もたれのない黒い骨組みの椅子は、上部が柔らかい。四人が座った。左から、ケンジ、チホ、ウタコ、トネヒサ。ほかに客はいない。ウタコの足は床に届いていない。
服の色としての並びは、濃い茶色、クリーム色、藍色、グレー。
「いらっしゃいませ」
白いワンピース姿の、髪の長い店員が現れた。片目が隠れている。服はサイズが大きく、袖も長い。
「学生たちが来るので、少し待ってもらってもいいですか?」
「私は、大人です」
間髪入れずに断言するウタコ。店員が営業スマイルを浮かべる。
「カップル割引で、お得になりますよ」
「お得? これが原因か!」
何かに気付いたウタコが叫ぶ。トネヒサのほうを見てから、チホのほうを見た。
音が鳴る。ゴーストパルスの木の引き戸が開いていく。
「こんにちは。探偵のみなさん」
嬉しそうな声を響かせたのは、左腕を三角巾で固定した少年。十四歳。黒いシャツにグレーのパンツ。ウタコのほうをちらりと見た。相手からの反応はない。
「こんにちは。ハルナです」
「おごってもらえるって聞いて」
淡いピンク色の服の少女と、黄土色の服の少年が店に入る。レイトよりも背が高い。というよりは、レイトの背が平均よりも低い。三人ともアマミズには無反応。
「ユズルに頼んで、連れて来てもらったよ」
「とりあえず、座って話そうぜ。レイトからな」
三人が座る。左から、レイト、ユズル、ハルナという順番。その右がケンジ。カウンター席にはまだ余裕がある。
名前を告げる七人。雑談が始まった。ウタコの年齢に、レイトが大げさに驚く。
「シオミさんに気付かれないようにするの、大変だったよ」
「あら。残念ですね。ちょうど、カップル割引ができた人数なのに」
微笑む店員。ハルナが頬を染めつつ、くせ毛をいじる。素朴な髪型。
「思春期の少年少女に、なんてことを言うんだ!」
ウタコは立腹している。
「割引だって。頼もうぜ、ハルナ」
「えっ。ユズル? どうしようかな」
「本当のカップルじゃなくても、割引しちゃいますよ」
店員の言葉に、今度はチホが頬を染めた。
「三人の分はこっちで払うから、とりあえず注文しよう」
何人かの冷たい視線をあびたケンジ。疑問の表情を浮かべた。
作戦会議が始まる。
「何か、フウマさんの力になれることがあれば、誤解が解けるかもしれません」
「エミカさんに協力してもらうのは、どう?」
レイトの言葉に、少年少女が反応した。レイトと同じ難病の少女。同級生ということで、こんどお見舞いに行こう、という話でもり上がる。
「僕にはエミカを助けることができないから、協力は無理だ」
誰の目も見ずに告げたケンジ。その目を、チホが見つめていた。
「探偵嫌いの理由は、よく分からないけど――」
ハルナによると、フウマはクラッカーの被害に遭ったことがあるらしい。ハッカーを嫌っている理由は判明した。
漂うコーヒーの香り。七人分のカップが配られる。ふうふうと息を吹きかけるチホ。
フウマはネットを見ないという。誤解を解くのも難しい状況。
まずは探偵の株を上げることになる。アマミズのAIでは対処できない複雑な案件のため、黙ったまま。
会議は次の段階に進んだ。
探偵としてできること。
普段着の上にスーツの上着を羽織っただけの青年は、思考がすぐに一巡した。
アナログな手法に疎く、自分ができることすら分からない。
空になった陶器のカップにヒントはない。木製のカウンターの向こうにもデータはない。右の三人と左の三人からも、答えを見出せない。椅子に座ったまま体を回転させ、窓から外の景色をながめた。
「おや? お祭り、にしては妙ですね」
ケンジに続いて外を見たトネヒサが呟く。すぐに反応したウタコが、小さな体を素早く動かして窓に近づいた。四人席の木の机をかいくぐり、長椅子に座って外を見る。
「おい。これは、まずいぞ」
道の上。建物の二階くらいの高さに、北に向かって、風船が一定間隔で複数浮いている。ひもや棒で固定されていない。風の影響を受けていることから、触れることのできるホログラム。拡張現実。
クラッカーの攻撃。
「煙幕が濃くなっていく。風に流されていない」
窓際の女性へふれそうな近さに座って、意見を述べたケンジ。小柄な女性がびっくりして跳ねた。距離を離そうと手で押す。
「みなさんは、ここを動かないでください。わたしたちが、なんとかします!」
チホが、強い口調で告げた。セミロングの髪をなびかせて、店の入り口へ向かう。ガラガラと鳴る引き戸。
あわてて追いかけるケンジ。二人を微笑んで見つめているトネヒサと、それを眺めるウタコ。学生三人が席を立った。
霧の中に浮かぶように見える、血のように赤い色の風船。
「なんだ? あれ」
「不思議だね。ちょっと、こわい」
「そうだね。おねえさんの言うとおり、ここを出ないようにしようよ」
ユズルとハルナが並んでいて、レイトは二人のあいだから見ていた。店員もカウンターから移動して、外を見ている。電柱の上のカラスは普段どおり。
長身の男性が立ち上がった。左手の手袋を外す。
「あれは手品です。私が、手品で――」
「ちょっと待て! 範囲が広い。車を止めて、人も入らないようにしないとダメだろ!」
七三分けの男性に抱きつく、ツインテールの女性。両手を上げて手をつかんだ。
「さすが
「よし。いくぞ」
小柄な女性が左手をにぎる。引っ張って、長身の男性はびくともしない。
「その前に、お会計をお願いします」
にこやかに告げるトネヒサが、全員分の料金を支払った。
道路の上で、白色の煙幕がすこしずつ濃くなっていく。
北へと伸びる道。横から、いくつもの道が十字型に合流している。四人ですべての封鎖はできない。ただ、主要道路ではないので交通量のすくなさが救いだ。
チホのあとを追うケンジは、住民に話しかける彼女を見た。
「煙幕が濃くなっています。何も見えなくなるかもしれないので、避難をお願いします」
「見えなくなるだけじゃない。有害な物質が含まれているかもしれない。離れて」
信じていない様子の住民に告げられた、可能性。強い意味をもつ言葉に動かされ、住民が現場から離れていく。
「ありがとう。ケンジ」
「データの書き換えって言っても理解されないから、別の表現を使った」
浮かぶ風船は、10個近く確認できる。道沿いに北上する二人。避難を呼びかけつづける。大きなトラブルもなく、5個の風船を通り過ぎた。
二人へと、和服の男性が近づいてくる。
「孫が。ハルナの姿が見えん」
「大丈夫です。南の、煙幕の外にいます」
年配の男性は、チホを信じようとしない。ケンジが、胸のポケットから情報端末を取り出した。男性に地図を見せる。
「ここのカフェ。ゴーストパルスという名前。近くにいるトネヒサが、解決してくれる」
「ひとまず、横道に逸れて向かうのがいいか?」
「そうですね。この道は通らないようにしてください」
二人に気難しそうな顔を向けたフウマ。十字路を東へ歩いていった。空で、濃度を上げていく白色。
ケンジとチホは、さらに北へと向かう。
十字路の西から歩いてきた男性が、二人のうしろ姿を見つめる。すこしサイズの大きいスーツ姿。その上からでも、引き締まった体つきなのが窺える。三十代の男性が、たれ目ぎみの目を細めた。
道の南側。
道路の封鎖を要請したトネヒサが、ウタコとともに北へ向かう。住民に避難を呼びかけ、さらに進む。左肩のぬいぐるみについての質問は、なかった。
「もういいだろ。このままじゃ、地面まで届くぞ」
道を通る自動車はない。10個の風船が浮かんでいるはずの空。よく見えないほど、白い煙幕が濃い。その真ん中付近で立ち止まる二人。
「そろそろ、手を離してもらえると、メダルが握りやすいのですが」
「ん? あ! なんで握ってるんだ、トネヒサ」
眉を下げた女性が、ふり払うように右手を動かした。
「店から出る前に、
長身の男性が、胸のポケットに右手を入れる。白い手袋につままれて、青いデータフローメダルが現れた。体の前に出した左手に、メダルを移動。左手の白い手袋は、すでに外されている。
『アウト・オブ・オーダー』
久しぶりに、アマミズが喋った。同時に、トネヒサの左腕に装置が現れる。
現実をハッキングし、データの流れを鮮明に見せる効果があり、さらに補助もおこなう装置。アウト・オブ・オーダー。専用のカードを使い、きわめて高度なハッキングが可能。
空を見ながら、メダルを装置にはめ込む男性。不思議そうな声を出す。
「おかしいですね。なんの効果もない、ただの目くらましです」
「いいだろ。早く消せ」
「犯罪とは、エスカレートしていくもの。罠があるかもしれません。手を貸してください」
トネヒサが力を貸すように頼んで、手を伸ばす。乗り気ではないウタコ。ためらいがちに手を握った。大きな手が優しく包み込む。
肌に触れることで、力が伝達する。ハッキングが可能になった女性。サポートに回る。
「何もないぞ。衝撃もないし、毒もない」
「こちらも同じです。妙ですが、考えても仕方ありません。デリートしましょう」
空中に、ウィンドウが複数開いた。二人の左手と右手が触れていく。指揮をしているようにリズミカルに動いて、拡張現実が書き換えられた。変更される0と1。
風船と煙幕を構成するデータ量はすくない。すぐに消去がおこなわれる。
罠はなく、作業が完了。
普通の人が見ている景色。煙幕が薄くなっていき、赤い風船が見えるようになる。突然消えた。普段どおりの、夕方の景色に戻った。窓から見ていた人々から、不安の色が消える。
情報端末を取り出し、連絡を受けるギョウタ。道路の規制を解除するための手続きに入った。
ケンジとチホが南へ向かい、トネヒサとウタコに合流。街路樹の影をものともせず進む四人は、東側の歩道をさらに南へ向かう。
「あ。フウマさんだ」
小声で告げたウタコが、トネヒサの後ろへ隠れるように移動した。正面から、和服の男性と孫が歩いてくる。淡いピンク色の服を着た少女は、屈託のない笑顔。
「おじいちゃん。探偵さんだよ」
「ん。ああ。世話になったな。無事でよかった」
ケンジは何も言わない。チホは隣を見ている。微笑して、トネヒサが対応する。
「何事もなく解決して、なによりです。そういえば、ほかの学生さんは?」
「きびしそうなお姉さんが、レイトくんを連れていっちゃった。ユズルくんも一緒に」
「シオミさんか。見つからないように来た、って言ってた気がするし。怒られてそうだな」
たいしたことではないという様子で、貧相な男性が淡々と伝えた。
「もう、いいだろう。帰るぞ」
歩き出そうとするフウマを、ハルナが引き留める。
「同じ方向でしょ。一緒にいこうよ。あと、お礼も」
「ううむ。なんだ。礼を言う。世話をかけた」
フウマを最後尾にして、一行は北へ歩き出した。
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