エピローグ 一 『アンジェリカ』と『ユウ』
――……あの日から、ちょうど一週間後。
俺とアンジェリカは空港で二人、彼女の母国――ドイツへの便を待っていた。やや硬いソファに腰かけて、ぼんやりと、ただただ時計を眺めている。残された時間は、あと十分程度だ。
「ねぇ、ユウくん?」
そんな時だ。アンジェリカが、立ち上がって俺の視界を遮ったのは。
あの日以来、彼女は俺のことを「ユイちゃん」と呼ぶのをやめた。最初はどうにもむず痒く、違和感もあったのだが、一週間も経てばずいぶんと慣れてしまった。
「なに? どうかした?」
「ユウくんは、これからもエニシちゃんのコトを探すデスよね?」
いきなりどうしたのかと、聞き返した俺に、彼女は当たり前のことを訊いてきた。
「当然っ! ……というか、それってお互い様だと思うんだけど?」
「えへへっ!」
答えると彼女は笑って、くるり、身体を反転させてジッと上を見上げた。そして、すっと息をつく。するとそこから、ガラッと雰囲気が変わる。
アンジェリカは静かな口調で、「でも」と、口にした。
「それでも、会えなかったら。ずっとこの先、何年も、何十年も……ユウくんはエニシちゃんのこと、ずっと好きでいられマスか?」
それは決意の確認か、不安か、あるいはそれ以外にも様々な思いが重なり合っているのかもしれない。それが何なのか、俺にはすべてを知ることが出来ない。
しかし、いずれにしても返事は決まっていた。そう――
「もちろん。ずっとだよ……それに、きっと――」
俺は、あの日壊れてしまったスマホの裏側を見る。そこには少女と二人で撮ったプリクラが貼られている。お互いに不慣れな、可笑しな顔になってしまっている写真。
きっと――いや。いつまでも、忘れることはない。
「そう、ですよね」
「アンジェリカ? どうかしたのか?」
ふと目の前の少女に視線を戻すと、声を絞り出して、そして肩を震わせていた。
「な、何でもないデス! ただ、これで良かったんだなって、悔しいとか悲しいとかよりもいっぱいに、ホッとしちゃったデス」
俺は思わず立ち上がろうとすると、必死な声で――ただ少し悲しげな声で――アンジェリカは制してくる。そのように言われてしまうと、こちらはもう何も出来ない。
静かに座り直して、ただ彼女が話し始めるのを待った。
そして、何度か目をこすって、数秒後――
「それではっ! もう時間ですので、お別れの挨拶をしましょうデス!」
――そこには、いつもの、いつも通りの無邪気な笑顔のアンジェリカの姿があった。
同時に俺は、彼女の言う通り、搭乗時刻が間近に迫っていることにも気が付いた。受付まで長くとも五分は切っている。
「それじゃ、また――」
「――おっとと。すみませんデス! 最後はボクの国のお別れで、お願いしてもいいデスか? えっと、その……せめてもの思い出として」
「え? あ、うん。分かったよ」
俺が押し切られるままに頷くと、少女はその美しい顔を近付け、そっとそれを耳打ちしてきた。それを一度で、間違えないようにしっかりと記憶する。
「……これぐらいは、許してもらえますよね」
「え?」
――ただ、最後にちらりと聞こえたその言葉の意味は理解が出来なかった。
「それじゃ! いくデスよーっ! せーのっ!」
聞き返す隙は与えない、ということだろうか。アンジェリカは距離を取ると周囲の人々の視線を釘付けにするような大きな声で、高らかに音頭を取る。
俺は慌てて、さっき聞いたばかりの別れの言葉を――
「「イッヒ、リーベ、ディヒっ!」」
――彼女と同じく、出うる限り最大の声でそう叫んだ。
それを言い終えると、アンジェリカはどういう訳か顔を真っ赤にして、荷物を手に取った。そして、まるで逃げるようにして、しかし、最後にはこちらを振り返って――
「エニシちゃんのこと、泣かせたら絶対に許さないデスからねーっ!」
そう、言い残して駆けて行ってしまった。
取り残された俺は、中途半端になってしまった手をゆっくりと下ろし、一つ息を吐く。結局は最後に謎が残ってしまったが、それは解かない方がいいのかもしれない。
遠方から、物凄い形相で「何でお前ばっかりぃぃ」と、叫びながら駆けてくる雄山の姿を見る限り、決して間違いではないのだろう。
――さて。それじゃあ今日は、どこでアイツを探すとしますかね。
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