第一話 その少女は、神様(廃)
安っぽい質問で悪いけれど、聞いてほしい。
――皆さんは、『神様』っていうのを信じているだろうか?
なにかしらの比喩だとか、素晴らしい能力や技術を持った人への敬称であるとか、そういうのではなく。ただ純粋に、その存在を認めているのかどうか、という疑問だ。
「うはwww今週の作画www神過ぐるwwwwww」
そう。決して、俺の目の前にいる少女が言っているような意味ではなくて、だ。
さて。ではここで、もう一つ別の質問をするとしよう。
――皆さんは、『廃人』という言葉をご存じだろうか?
『廃人』ってのは、普通の人間生活を送れなくなった人に対する蔑称だ。最近では、趣味に没頭するがあまりに日常生活に支障をきたしている人々を揶揄する、ネットスラングとしても定着している。
今回、俺が言いたいのは後者の意味。
そう。例えるなら今、俺に背中を向けている少女のように――
「ドゥフフwww……さぁて、それでは時間になったことですし、デモハンにログインするとしますかねぇwwwデュフフwwwwww」
狭い室内。小さな丸型テーブル上にあるノートパソコンの前に座って、言葉の端々に大量の『w』――いわゆる『草』を生やしている人物のことを指す。
小さな身体を色褪せた赤ジャージで包み、真黒な髪は長く、床に八の字になって広がっていた。パッと見た限り、外を出歩けるような格好ではない。――そのつもりすら、ないだろうけど。
明け方の薄闇に浮かび上がる姿は、神秘的というより心霊的で、正直なところ不気味だ。
「ふひっ、ふひひっwww」
そして部屋の中に響く、くぐもった笑い声は、地の底の悪魔のそれ。
――これが、俺の知る『廃人』の姿である。
「つーか……今、何時だよ。ちくしょう……」
申し訳ないけれど、二つの質問の意味は後で説明するとしよう。
俺はひとまず、枕元に置いてあるスマートフォンに手を伸ばした。起動し、画面に映し出される無機質なデジタル数字に目を凝らす。そして、寝ぼけた頭でどうにか理解した俺は、
「ん。四時、か。はぁ……」
そう独り言を言って、深いため息を吐いた。
持ち上げていた腕が、ボスン、という音と共にベッドに落ちる。怒りよりも、脱力感。
昨夜の七時から、この少女は今の今までこの体勢のままでネットゲームに興じていたのだ。合計すると九時間である。とても信じられる時間ではない。
だが、今回はまだ比較的短いのだ。――最長で、十七時間という記録があるのだから。
そんな生活を日々目の当たりにし、今日のように何度も起こされているうち、注意することすら馬鹿らしくなってしまった。怒りよりも、呆れの方が大きくなってしまったのである。
「な、何ということだ。こんなこと、許されるはずがないっ……」
「……ん? どうした。エニシ?」
そんなことを考えていると、先ほどまで上機嫌に笑っていた少女――エニシは、動揺を隠しきれないといった声色でそう言った。
俺は思わず答えつつ、天井へ向けていた視線を彼女に戻す。
だが――
「なぜ……なぜだ……――」
エニシは前のめりに画面を覗き込み、身体を支えている腕を小刻みに震わせていた。そして不意に頭を抱え、左右に何度も振る。呟く声には、次第に悲壮感がこもっていく。
その様子から察するに、こちらの声は聞こえていないらしい。
俺は固くなった身体を起こし、そんな小さな背中を観察していたのだが、すると突然に――
「なぜ……誰もログインしておらぬのだァァ――――ッ!! 学校や会社に行かなければならないという甘ったれた理由に配慮して、集合時間を明け方にズラしてやったというのにッ!! 恥知らず、恩知らず、生類の風上にも置けぬ腐れ外道どもがアアァァ――――ッ! ふざけるなアァァァァ――――――――ッ!!」
――……爆発した。
キンっ、という甲高い声が俺の耳を裂く。
声を張り上げたエニシであったが、先ほどまでの悲しみに満ちた背中はどこへやら。今、少女の肩には阿修羅が宿っているように感じられた。立ち上がって大股を開き、天に向かって吼えている。――その姿は、もはや獣である。
おそらく、彼女にとってはただ事ではないのだろう。
だがしかし、俺にとっては限りなくどうでもよく、関係なく、かつ同時に、
「……あぁ。また、か」
よく見慣れた光景であった。
とっさに耳を塞いだのですべては聞き取れなかった。だが聞こえた範囲と、今なお髪を振り乱して荒れ狂う少女の姿から判断がついた。
「はぁ……」
俺はまた、ため息一つ。次いでゆっくりと、手を元の位置に戻す。すると飛び込んでくるのは、烈火の如きエニシの罵声であった。
「くそっ、くそっ、くそっ! 『デモハン』は遊びではない、戦争なのだぞッ――――」
……いいえ。遊びです。断じて戦争ではありません。
「――隊員№003め。だからアレほど、会社を辞めろと忠告したのだぞッ! 生半可な覚悟で挑めるほど、『デモハン』の世界は甘くないとッ!!」
……無理言わないであげて下さい。その人にも、その人の人生があるでしょう?
内心でそんなツッコみを入れながら、俺は彼女の様子を見守っていた。
簡単にだが、説明しておくとしよう。
『デーモンズ・ハンター』――通称『デモハン』は、今ネットで流行のオンラインゲームだ。秀麗なグラフィックや、多彩な武器、多種多様なエネミー。そして、それらを引き立てる奥の深い物語が話題を呼んでいる……らしい。というのは、友人の受け売りである。
そして、ご覧の通り。言うまでもなく、エニシもその『デモハン』のユーザーだ。
しかし彼女の場合、度が行き過ぎていると言ってよく、しばしば他のユーザーの反感を買っているらしい。今回は大方、他のメンバーにドタキャンされた、といったところだろう。
だが、エニシ自身は己の非に気づいてはいないらしく、感情を周囲にぶちまけるのだからたまったものではない。――ちなみにこの時、下手に手を出すと余計に面倒なことになる。
「はぁ……今日も、朝までコースか……」
そして、これは日が昇る頃まで続く。
俺はそれを覚悟して、本日はや三度目のため息を吐いた……のだが――
「……あれ? もう、終わったのか。今日はやけに早いな」
意外や意外。いつもならここから盛り上がるというのに、ピタリ、エニシの暴走は収まってしまった。それどころか、その場にへたり込んで、テーブルに突っ伏してしまったのだ。
「お、おい。……エニシ? 大丈夫か? 何があったんだ」
「………………」
そうなると、俺としては少し不安を感じる。
仕方なしにベッドがから降り、少女の傍らに行って声をかけた。だが反応はなく、何も言わず、彼女は肩を震わせて――
「……ん?」
――いいや、違う。エニシは何か言っている。
俺は彼女に触れないように気を付けつつ、そっとその声に聴き耳を立てた。
「……なぜだ。『レディ・A』……お前まで――」
すると聞こえてきたのは、涙まじりのようにも感じる弱々しい言葉。――どうやら、他のメンバーが来ないことよりも、その『レディ・A』というユーザーが来なかったことの方がショックだったらしい。
怒りから覚め、思わず涙を流すほどに……。
「えっと、エニシ? その……元気出せよ。な?」
その様子を見てさすがの俺も、この少女がほんの少しだけ哀れになった。
なので、気を紛らわせてやろうと優しく声をかけた――
「おわっ!? ど、どうしたんだよ! 急に立ったりして!?」
「……ふっ。ふふふっ。ふふふふふふふふふふふふっ」
「…………へ?」
――瞬間だった。
エニシはおもむろに立ち上がり、くつくつと笑い始めた。
突然の出来事に俺は尻餅をつき、小柄な少女を見上げる形となる。きっと今、鏡を見ると、ハトが豆鉄砲を食った顔がどのような物か、よく理解できるだろうと思う。
そんなこんなで、こちらが唖然としていると、エニシが長い髪をなびかせながら華麗にターン。――バシッと停止して仁王立ちした時。少女はこちらに向かって正対する状態となった。
「――――――」
見慣れているはずだというのに、思わず息を呑んでしまう。
俺の目の前に現れたのは、絶世の美少女だった。
シミ一つない美しい肌に、幼さの残るやや太めの眉。目鼻の整った顔立ちをしており、その中でも微かに潤んだ大きな黒き瞳は愛らしい。さながら、リスのそれである。
だがしかし、その瞳に宿る光は深い色を湛え、幼い容姿には似つかわしくない妖艶な香りを醸し出していた。その輝きが、少女を見るすべての人を魅了する。そして反面、子供のような笑顔が虜とするのだろう。
そんな、浮世離れした雰囲気を持つ少女――それが、
「ふふふふっ、ふふふふふふふふっ、どぅふっ、ふふふふふっ――」
「………………」
……その魅力も、彼女自身の浮かべている妖艶というよりも、ただただ怪しいだけの笑みに打ち消されてしまっている。宝の持ち腐れとは、このことを言うのだろうと思う。
「はぁ……」
目を閉じて小さく首を左右に振り、何度目か分からなくなったため息。そうして俺は気を取り直し、エニシへと視線を戻した。
それと同時だった。少女の気色悪い笑い声が止んだのは。
見れば彼女はうな垂れ、前髪を垂らし、小さく肩を震わせていた。――ホラー映画ですか?
「……よし、決めた。決めたぞ――」
――と、エニシが言う。
そして、その言葉に続いたのは――
「――……儂を裏切った奴全員に、『呪い』をくれてやる。くくっ、くくくくっ」
――聞き捨てならない物だった!
「お、おいエニシ! 落ち着け! お前が言うと冗談じゃなくなっちまう!!」
他の人が言ったならば、「なんだ、中二病か」といった程度で済まされた発言だろう。――だがしかし、コイツが言うと中二病とか、そんなチンケな物じゃなくなってしまう!
俺はとっさに立ち上がり、エニシの細い肩を強く、鷲掴みにした。すると――
「――……ひうっ!?」
小さな、鳴き声がした。
エニシの面が上がり、瞳孔の開いた彼女の目が俺を映す。
そしてペタンっと、先ほどまでの異質な勢いは消え去り、彼女はその場に崩れ落ちてしまった。――俺は掴んだ手と交わった視線は離さずに、ゆっくりと腰を下ろす。
そうして、十数秒の沈黙。
それを破ったのは、微かに震える抗議の声だった。
「なっ、なにをする、のだ……ユウ。儂は、儂は……――」
「――バカかッ! お前が『呪い』とか言うと、冗談に聞こえねぇんだよ!」
しかし俺は、その声を遮って声を荒らげた。
――ビクンッ! エニシの肩が大きく跳ね、いっそう小さくなっていくのが分かった。
また、部屋の中は束の間の静寂に包まれる。
さてさて。それでは、この辺りで最初にした二つの質問の意味を答えるとしよう。
まず一つ目の質問。――『神様』を信じるかどうか。
そして二つ目の質問。――『廃人』という言葉を知っているかどうか。
一見しただけでは、この二つの問いに関係性は見て取れない。しかし断言してしまうと、俺にとって――正しくは『エニシという少女』にとって、この二つは大きな関係性がある。
「……それは、エニシが一番分かってんだろ? だってお前は……――」
俺は、小さな子供をたしなめるように声をかけた。
そう。『神様』と『廃人』――この二つの言葉は、『エニシ』にとって重要だ。
なぜならば、彼女は――
「――……お前は見習いとは言っても、『神様』なんだからさ……」
――エニシは、『本物の神様』なのだから。
しかし同時に、ネットの世界にどっぷりと浸かり、ついには抜け出すことが出来なくなった『廃人』でもある。すなわち今、俺の目の前で――
「――ふえぇ……っ! うっ……うわああぁぁ――――――――んっ!」
――泣き出してしまった少女。
高瀬エニシは――世にも珍しい、マジな『廃神様』なのである。
「はぁ……疲れる。こんなので、本当に大丈夫なのかよ……」
こうなってしまうと、エニシは意志疎通が不可能だ。俺はそっと手を離す。
そして視線を虚空に投げ、数日前の出来事を思い出すのであった。
そう。あれは確か、三日前のことだ……――
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