第十一話 映画館にて

 ショッピングモール『HeLLo』は、俺の地元で一番の大きさを誇っている。その広い敷地の中でも二階には、映画館やゲームセンター、そして様々なブランドショップがあり、休日になると若者が多く足を運ぶ。だが、今日は他の高校でも夏休みに入ったのだろう。平日の昼間ではあるが制服を着た客が多いように思えた。


 さてさて。そんな中で俺達は、これからどうしようかと話しながら歩いていた。

 するとアンジェリカが、


「あ、それだったら。ボク、見たい映画があるデスけど、みんなで見に行きマセんか?」


 こう提案した。そのため俺達は今、映画館の受付の列、その最後尾に並んでいる。

 そうしていると、一つ気付くことがあった。それは並んでいる人がみな、一種独特な空気感を漂わせているということ。それこそ、先日コンピュータ室で見た学生たちのような……。


 しかもよく見れば、この列だけが異様に長い。

 他の受付にも、制服姿の学生が楽しげに話しながら並んでいる。だが、これほどではない。


「なぁ、今から見る映画って――」


 不審に思って、俺はそう発起人アンジェリカに尋ねようとした。

 だが、それよりも早く――


「ま、まさか……そうか。そう言えば今日は、あの日だったか!」

「知っているのか、エニシ!」


 隣のエニシがわなわなと震えながら呟いたので、俺はそれっぽく質問の方向を変えた。すると少女はガッと顎を持ち上げる。目を輝かせ、本日公開と銘打たれた一枚のポスターを指差した。そして、そこに書かれた映画のタイトルは……――


「『魔法少女☆シャイニー・ゴッド』……?」


 聞いたこともない、アニメのものだった。


 よく見れば、ポスターに描かれているのは小学生、下手をすればそれよりも幼い女の子。そんな少女が、やけに露出度の高い衣服を身にまとい、大量の触手を生やしたモンスターと対峙していた。――何だろう。寒気がする。並んでいる人、全員が変態に見えてきた。


 だが、これでようやく合点がいった。つまりこの列に並んでいるのは、大きなお友達と呼称されている人種だということ。――……か、帰りてぇ。この列から、とにかく離れたい。


 意図せず口角が引きつっているのを、俺は感じていた。


「ご存じ、ないのですか? ユイちゃん」


 そうしていると、今度はアンジェリカが鼻息荒く声をかけてくる。野獣の眼光であった。

 あ、やばい。このままだと、また欲しくもない知識の押し売りを受けてしまう。


「ご、ご存じないけど、俺はちょっと興味ないかな? エニシは知ってるみたいだけど……」


 俺はそう直感し、すかさず話題をエニシに振った。


「わ、儂か!? 儂は、もちろん知ってはおるが……」


 急に話を振られて驚いたのか、はたまた別の理由があるのか。エニシは目を丸くして、明らかに動揺しているようだった。だがそれでも、やっぱり興味はあるらしい。口をもごもごと動かし、ポスターとアンジェリカを交互に見つめていた。


「どうしたんだよ。このアニメ、知ってるんだろ? 話したいんじゃないか?」

「そ、それはそうだが……あーっ! だからお主は、今日の目的を忘れたわけではないだろうなっ!?」

「ん? ちゃんと憶えてるけど?」

「な ら ば 何 故っ! 儂に話を振るのだっ!? ――この、たわけ!」


 なので、そう促してやると、次は頭を抱えてそう叫んだ。ころころ表情が変わる様は、見ていると実に面白い。――だけど、それが目当てでやっているのではない。


 エニシには申し訳ないが、今日の俺には、彼女の言う目的とは別の目的があるのだ。

 そう。それは、もちろん――


「――あ、ボクたちの番デスよ!」


 エニシと戯れていると、俺達の順番が来たようだった。アンジェリカの弾むような声を追いかけるようにして受付へ向かうと、人数を尋ねられる。

 当然ながら三人と答える。――だがそこで、一つの問題が発生した。


「――え? あと二席しか、空いてないんですか?」

「ごめんなさいねぇ、お嬢ちゃん。次の……三時間後のやつだったら空いてるんだけどねぇ」


 俺の驚いた声に、受付のおばさんは謝罪する。――お嬢ちゃんは、きっと二人のことだ。

 スマホで時間を確認する――が、駄目だ。その時間だと、かなり遅い時間になってしまう。俺とエニシは家が近いから大丈夫。しかしアンジェリカの方は、そうはにはいかない。


「どうしましょうか……ユイちゃん」


 その証拠として、アンジェリカも困った表情を浮かべている。


「……そうだな。だったら、ここは――」


 答えは決まっていた。が、俺は念のため、ちらりとエニシの方も見てみる。

 するとそこには、こちらに背を向けた少女が――


「ここは、やはり二人を行かせるべき……い、いやしかし、この機会を逃せば次はない。だったら、儂と…………の二人で――な、何を考えているのだ、儂はっ!? そ、それだけは絶っっっ対に、駄目に決まっているはずだ! そもそも、今日の目的は……――」


 頭を抱えて錯乱し、小声で呪詛のような文言を積み重ねている姿があった。


 今、エニシの頭の中には凄まじい葛藤があるのだろう。それは当然、自分がやらなければならないこと、そして自分が本当にやりたいこと、その二つ。前者が『俺とアンジェリカの縁結び』であり、後者は『アンジェリカと映画を観ること』である。


 一方を取れば、一方が立たない。――どちらかは、必ず捨てなくてはならない。


「――……よし!」


 そんな悩みを持った彼女の姿を見て、俺の答えは決まった。だから――


「アンジェリカ。エニシと二人で映画、観てきなよ。俺、この映画あまり興味なかったし」

「なっ!? ユウ! お主、何を――」


 そう、アンジェリカに伝えた。

 それを聞いたエニシはハッとした表情で振り返る。そしてその表情はすぐに、苦虫を噛み潰したようなものに変わった。眉間に皺を寄せて、彼女は俺へと抗議しようと詰め寄る。


 ――が、しかし。

 それよりも先に行動したのは、アンジェリカだった。


「すみませんデス、ユイちゃんっ! それと――――ダンケシェンありがとうっ!」


 アンジェリカはそう言うと、エニシの小さな身体を小脇に抱える。そして、


「ほらほら、エニシちゃんっ! もう、開演まで時間ないデスよっ!」

「ふにゃあっ!? レ、レディ! 何を……離してくれええぇぇ――――――っ!?」


 静止を求める少女の叫びを、完全に無視して劇場の入口へと駆けて行ってしまった。

 人が掃けて声の通るようになった館内には、悲痛な叫びが響き渡っていた……。


「ふぅ……これで、よしっと」


 その声が消えたのを確認して、俺は一息つき、汗もかいてないのに額を拭う。そして、わざとらしく言葉を口に出した。――もう、次のことを考えなければいけないからだ。

 だけれども、その前に。俺はスマホに小気味の良い着信音があったのに気付いた。


「……ん? 誰だ?」


 取り出してみると、そこには『えにし』という名前。

 そして、その内容は――


『馬鹿者っ! 何を考えているのだ。変な気を遣う必要はない。昨晩、言ったではないか!』


 ――当たり前だが、非難の言葉だった。


「…………いや。これでいいんだ。これで」


 延々と綴られていた、少女からの文句、批判、罵倒。

 だがそれでも、俺は自分のやっていることが間違いだとはとても思えなかった。だから、自分に言い聞かせるように言ってから、スマホを仕舞う。そして、改めて次のことを考えようとしたところで、またもや小気味の良い音がした。


 俺はもう一度、うんざりとしながらもスマホを取り出す。


「なんだよ、エニシのやつ。さっきのじゃ、まだ足りないって言う――」


 そして、先ほどと同じようにアプリを起動――すると、すぐに異変に気付いた。

 今度の着信は、エニシからではない。そして、その人物はすでに――


「よお、鵜坂? ――……一から説明してもらおうか? あ?」


 背後に立っていた。そいつは静かに、こちらの肩に手を置く。……ぞくりとした。

 俺は慎重に振り返って、その男の存在を確認し――


「お、おう。こんなトコで遭うなんて、奇遇だな………………雄山」



 ――数十分前の自分の判断を、深く後悔したのであった。


◆◇◆


 ……。

 …………さてさて、そんなわけで。


「あれ? 雄山くん、どうしてココにいるデスか?」

「はっ! たまたま、そこで鵜坂と会ったのでありますっ!」

「……どうして軍隊式の口調なんだよ。あと、本当に敬礼するな。恥ずかしいだろうが」


 ここからは、憎き我が親友――雄山も参加である。

 映画館から出てきたアンジェリカは雄山を見て、当然ながら驚きの声を上げた。雄山はそれに敬礼をしつつ答え、俺は肩を落とす。


 おそらくコイツは、学校からずっと俺達を尾行していたのだろう。つまり駅前で感じた視線は、十中八九コイツのもの。そして、俺が一人になったところを見計らって声をかけてきた。


 ……この執念。もはや恐怖すら感じてしまう。こうなっては追い返すのは不可能だろう。

 というわけで、俺はあることを条件に同行を許可したのだけれど――


「……お? そしてそちらの美少女は、噂の鵜坂の従妹ちゃんでありますかな?」


 それを早速、実行に移そうとしているらしい。雄山はメガネを弄りながらそう言った。


「ハイっ! そうデス。……エニシちゃん? ほら、アイサツしないと駄目デスよ?」


 彼に反応したのは金髪の少女だ。アンジェリカは元気に頷いてから身をひねり、自身の後方に隠れている少女の名前を呼ぶ。――長い黒髪のせいで、ぜんぜん隠れられてないのだけれど。


「………………むぅ」


 彼女の呼びかけに対して、エニシはようやく、少しだけ顔を出した。口をへの字に曲げて、劇場に入る前よりも、さらに眉間の皺は深くなっている。間違いなく怒っていた。

 しかし、雄山はそのことに構うことなく――と言うよりは、初めて間近にエニシを見たことで興奮してしまったのだろう。この野郎はにやっと口角を緩め、浮ついた声色で、


「うおぉっ!? マジで!? マジでお前の従妹、可愛いんだけど! ――おい、鵜坂! どうしてもっと早くに紹介しなかったんだよ、おい。あ、俺は雄山。よろしくな!」


 言いながら、エニシへと握手を求めた。――ちなみに従妹というのは、エニシの素性を隠すための嘘だ。これは、アンジェリカに対しても同じように説明してある。

 さてさて、そんな雄山の要求に、当のエニシはどうしたのかと言うと……。


「触レルナ、コノ変態ガ」


 ……感情こもらぬ、起伏のない、辛うじて意味の取れる音を発した。


 俺達の間に、得も言われぬ微妙な空気がただよう。雄山は手を差し出したままの状態で硬直し、アンジェリカはどうにかフォローしようとするが、言葉が見つからないらしい。

 俺は、あまりに予想通りの展開に、手で顔を覆おうとして――


「……ん?」


 またもや、エニシからスマホにメッセージが届いたことに気付いた。

 そして、その内容はというと――


『――もう、儂は知らんぞ』


 匙を投げたと言わんばかりに、突き放したものだった。

 エニシを見ると、彼女はツンと顔を背けてしまう。その態度に俺は軽くショックを受けてしまうが、どうにか持ちこたえ、静かにこう提案した。


「と、とりあえず……次に行こうか」




 大丈夫。まだ、慌てるような時間ではない――そう、自分に言い聞かせながら……。

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