第十二話 ゲームセンターにて
――が、しかし。
もう、すでに手遅れだったらしい。
「はぁ……。くっそ、雄山の野郎。やっぱり邪魔しやがった……」
青色のベンチに腰かけてうな垂れ、俺は憎き親友に向かって恨み言を漏らしていた。
映画館を出た俺達が訪れたのは、同じく多くの若者が集う場所――ゲームセンター。
『HeLLo』にあるゲームセンターは、正面から入ると左右にブースが分かれていた。右には親子連れが多く見受けられ、クレーンゲームやリズムゲームなど、誰もが楽しめる物が並んでいる。対して左側のブースには、レトロな物から最新の物まで、多岐にわたる格闘ゲームが揃っており、足を踏み入れることが許されるのは歴戦の猛者、すなわちガチのゲーマーに限られていた。――要するに、綺麗に住み分けがなされている、ということ。
さて、それでは。俺達がいるのは、どちらのブースだろうか。
それはもちろん――
「――デス、デスっ! DEATHッ! その程度でボクに一撃入れようなんて、笑止千万! 片腹痛いデスよっ! 雄山くんッ! アハハハハハハハハハハハハッ!」
「ひ、ひぃぃっ……」
――左側。
格ゲー・ブースなのだが、アンジェリカさん性格変わりすぎじゃないですか?
普段の彼女からは百八十度豹変してしまったアンジェリカの相手をしている雄山は、涙目になっていた。というか、泣いていた。身を小さくして怯えてしまっている。
大方、甘々な展開を期待して彼女を誘ったのだろう。しかし蓋を開けてみれば、そこにあったのは修羅の世界。――これは、ゲーマー魂を甘く見たあいつが悪いとしか言いようがない。
だから俺は、そんな雄山を遠巻きに見ながら一言。
「ぷぎゃー……はぁ」
そして、深くため息をついた。
アンジェリカが楽しいのであれば、それはそれで喜ばしいこと。だがしかし、今日の目的は今のままでは達成されないのだ。当然、雄山にもそれは伝えたのだが、少しでも期待した俺が馬鹿だった。――雄山という男は、自身の欲望に忠実な奴なのである。
それを分かっていたはずなのに、彼を追い返さなかった。
紛うことなき、俺の判断ミスだ。
「タイムマシンがあればなぁ……」
「何を馬鹿げたこと言っているのだ。……すべて、身から出た錆ではないか。この阿呆」
ぼんやりと、思わず考えていたことを口にしていると、それを聞いていた人物があった。
その人物――エニシはジト目で俺を睨みつけ、こちらを罵倒する。そして、小馬鹿にしたように鼻を鳴らしながら、こちらから少し離れた位置に腰を下ろした。
「エニシは……アンジェリカのプレイ、見に行かないのか?」
「馬鹿か。あんな状況なのに、儂が近寄れるはずがないだろうが」
彼女に問いかけると、すぐにそんな答えが返ってくる。――だよなと、思った。
今、アンジェリカの使用している台の周囲には人だかりが出来ている。彼女のプレイがあまりに神懸っているため、多くのゲーマーが見物に来ているのだ。
そして、その観客の多数は男性。その中に、男性恐怖症の少女が入れるはずがないのだ。
「それでは、今度はこちらから質問していいか? ユウよ」
「ん? ……どうした」
一人納得をしていると、不意にエニシがそう言った。俺は何を聞かれるかを理解した上で、問いを促し、隣に座ってうつむいている少女を見た。ワンピースの裾が、微かに持ち上がる。
そうして数秒の沈黙の後、彼女は静かな怒気をはらんだ声で、
「――……ユウ、何故だ。どうしてお主はそこまでして、儂とレディの仲を取り持とうとするのだ。まさかとは思うが、同情しているのではないだろうな?」
そう聞いてきた。――自然に出来ればよかったのだが、やはりバレてしまっていたらしい。
「どうして、そう思うんだ?」
「儂を馬鹿にしておるのか? あれほど露骨にやられれば、誰だって気が付く」
聞き返すと、まるで波のない口調で答えるエニシ。
俺は前を見て「そっか」と、呟いた。
静寂のない空間に、しかし俺とエニシは切り離され、ただ何も言うことなく行き交う人々の喧騒を眺めている。そんな時間が一秒、また一秒と流れていく中で、不意に一つの音が生まれた。――それは、先ほどまでとは打って変わって、潤った音。
「答えろ。昨晩――イズモから何かしら、話を聞いたのだろう?」
「……知っていたのか」
エニシのその言葉に、俺は思わず目先を変えた。返答はなかった。
すると彼女も、半身を乗り出してこちらを見ていることに気付く。――円らな黒い瞳に宿っているのは、部屋にいる時のような怠惰な輝きではない。遊びの欠片もない、真剣な輝きだ。
ハッと、息を呑む――おそらくこれが彼女の、神様としての在り方なのだろう。
「エニシの前の神様が、『縁結び』に失敗して消えてしまった……っていう、話を聞いたよ」
だとしたら、もう隠し通すことは出来ない。――嘘をつかせない。あるいはすべての嘘を見抜くかのような、そんな魔力が少女の瞳には宿っているような気がした。
「……本当に、それだけか?」
「あぁ、それだけだ。……なんだよ。俺のことを疑ってるのか?」
しばらくの間、俺と目を真っすぐに合わせていたエニシは、やがて静かに首を左右させる。そして、先ほどの俺のように「そうか」と、小さく呟いて視線を前に戻した。
ふっと踊った彼女の長い髪が、音もなく青のベンチに黒い絨毯を作り出す。
「――……なるほど、な。それで、ユウは儂のことを哀れな奴だと、そう思ったのだな」
それに見惚れていると、急に冷水をかけられた。――思考が凍りついていく。
すぐそばにいるのに、エニシがどこか遠くへ行ってしまう。手を伸ばしても届かない場所へと、去って行ってしまう。そんな錯覚に陥った。なのに、彼女の声はすぐ耳元で、頭の中に直接響かせるように聞こえてくるのだ。
「お主は優しいからな。おおかた一人ぼっちの儂のために、あのメガネ男にも協力を仰いだのだろう? だがな、ユウ――昨晩も言ったが、儂は一人でいることには慣れている」
エニシの呆れた声が淡々と、俺の目的を言い当てる。
彼女の言う通り。俺はエニシとアンジェリカの二人を、仲直りさせようとしていた。
映画館に二人で入らせたりしたのも、そのため。イレギュラーではあったけど、雄山に出した条件もそれを手伝うという内容だった。――もっとも、それは失敗に終わってしまったが。
「だから、な。同情しているだけだとしたら、それは時間の無駄だぞ?」
だがしかし、今の彼女の推測は、答えは合っていても中身がまるで間違っている。
決してエニシを哀れに思ったから、それだけで行動しているのではない。
だから――
「いいや、違う。俺は、エニシに同情しているわけじゃない」
俺は少女の前に立ち、はっきりと、そう否定した。
「えっ……――」
――瞬間。
見上げるエニシの顔から、自慢げな色が薄らいでいく。
吸い込んだ息、速くなる鼓動――それらの音が、俺の耳にも届いてくる。
「では、何故だと言うのだ。同情以外に、このようなことをする理由など……」
キッと睨みつける視線には、もう力強さはない。声の震えすら、抑え切れていない。
そんな少女を見下ろし、俺はずっと抱いていた確信を投げかけた。
「なぁ、エニシ――お前、本当はアンジェリカと遊びたいんじゃないのか?」
「なっ……!?」
エニシは身体を強張らせて目を逸らす。そして、弁明をした。
「何を、言っているのだ。そんなわけッ……儂は一人でも構わない。ずっと、そうやって――」
――独りで生きてきたのだ、と。
エニシの語気は衰えて、最後にはもうほとんど聞き取れないほどに小さく。しかしだからこそ、気持ちは痛いほどに伝わってきた。それだけで、俺にとっては十分な答えだった。
そう。この、エニシという少女は――本当は、誰よりも人恋しい神様なのだ。
――が、しかし。
そんな少女が、どうしてアンジェリカと遊ぶのを避けるのか。
それは神様としての立場だとか、体裁とかじゃなくて、きっと――
「なぁ、エニシ。もしかして、怖いんじゃないのか? 失敗するんじゃないか……って」
――……トラウマ。
信じていたモノが、消えてしまった過去への恐怖だった。
「――――――――」
息を呑み、押し黙るエニシ。
予感が、だんだんと、確信に変わっていく。
彼女の作り出す沈黙は、饒舌に語られたゲームの設定や愛着よりも的確に、かつ端的に。エニシという名の少女の持つ心の形を、もっと分かりやすく表現していた。
――……やはり、その恐怖が彼女を苦しめている原因なのだ。
その恐怖が、エニシの足に杭を打ち、身動きを取れなくして、アンジェリカに笑い返すことすら出来なくしている。心通わせることを、怖いものだと錯覚させている。
俺は、それが勘違いなのだと、そう少女に伝えたいと思った。
だから誓ったのだ――絶対に笑わせてやる、と。
「……ならば儂は、どうすればいいと言うのだ」
喧騒の中の静寂。その中でうつむき、黙っていたエニシはそう声をこぼした。
そして――
「ユウの言う通りだ。儂は、どうしても怖いのだ。……ほら、見てくれ。これを――」
――俺の言ったことを認め、彼女は右手を見せる。
「…………お前、これって」
差し出された手は震えていた。――少女の胸中を示すように、小刻みに。
「ははっ……おかしいだろう? 男だとかは関係なく。気を抜けば、震えが止まらなくなってしまうのだ。自分の手からすべてがすり抜けていってしまう。そんな気が、してな……」
エニシはそう告白し、手を胸へと引き寄せ、情けない己を嘲るように笑った。
その笑顔は、痛々しい。見ていられない。
だけど同時に、それは――
「こんな出来損ないは、神失格だ。必要にされない。……儂は、どうすればいいのだろうな」
俺が初めて触れたと言ってもいい、エニシという女の子の本音だった。
本当は誰よりも人が大好きで、ネットでの繋がりにでさえ感情的になって、親身になって相談に乗ってあげたりもする。そんな、強がりで優しい、普通の女の子の心の悩み。
だから、ちゃんと受け止めよう。――もう、この子にあんな表情をさせたくはないから。
「エニシ……――」
俺は膝をつき、エニシと顔の高さを合わせる。
そして、最大限に優しく――
「俺は、さ。エニシの先輩がやっていた『縁結び』は、間違いじゃないと思う」
――素直な思いを。
神様の決まりだとかそんなの分からない、一人の人間として伝えた。
そしてそれは、エニシとアンジェリカを仲直りさせようと思った理由、そのものでもある。
「――――――――」
肩を弾ませたエニシは、困惑した様子で俺を見た。
瞳にある揺らぎは消えない。迷いは、まだ残っている。――だから俺は、こう言った。
「少なくとも俺は、人に投げっぱなしの神様より、人と一緒になって考えて、悩んで、喜んでくれる神様の方が好きだぞ? だから、エニシはもっと素直になっていいんだよ」
人の思いに寄り添ってくれる相手の方が、親近感が湧いてくる。
だから――
「それに、もし他の誰かが否定しても……俺が、ぜんぶ肯定してやる! 俺が味方だ!」
――自信を持て。不安がらなくてもいいんだ、と。
「し、しかし――」
だけども、少女はまだ納得しようとしない。――それなら、と。
「それでも! 俺の言うことが信じられない、不安だって言うなら…………ほら」
俺は否定の言葉を紡ごうとする少女に、小指を突き出した。
「約束、してやるよ。 俺が……俺が、絶対にエニシの『縁結び』を成功させてみせる! 約束する。だからエニシはもっと、もっとアンジェリカと遊んで、もっと……!」
そうして話していると、自分の声も上ずってくるのが分かる。しかし相対的に、目頭が熱く、鼻の奥には刺激があり、しだいに自分が何を言いたいのか分からなくなってきた。
でも、それでも、気持ちは言葉にしなければいけない。
だから一際大きく息を吸い込んで、俺は――
「……すまないな、ユウ。そこまで気を遣わせてしまって。やはり儂は、神失格だな」
――だが、それよりも先に。エニシが言って、静かに立ち上がった。
「エニ、シ……?」
俺は勢いを削がれ、尻すぼみに声を小さくしながら腕を下ろす。
エニシは天井を見上げており、こちらからは顔色をうかがい知ることは出来なかった。俺は不安に駆られるも、しかし話しかけることは許されない。厳粛なる空気がそこにはあった。
――そうして。また、無言の時が流れる。
「ユウ? ――一つだけ、聞いてもよいか?」
断ち切ったのは少女の静かな、だがどこか温かみのある言葉だった。おもむろに向けられた眼差しは、慈悲深く、すべてを包み込むような光によって満たされている。
小柄な乙女たる出で立ちには似つかわしくない――母のような存在が、現われた。
「あぁ……」
数分前に感じたものの比ではない、圧倒的な存在感。気圧された俺は、短く答え、僅かに顎を引くことしか出来なかった。――エニシの目が閉じられて、ようやく解放される。
こちらの返答を了解して、少女の神様はついに問いを口にした。
そして、その内容は――
「お主は――誓えるのか? 儂の期待を裏切らぬと、己の心に誓うことが出来るのか?」
――俺に新たな誓いを立てることを求める、約束に近いものであった。
予測できない、エニシのまさかの問いかけに閉口する。しかし次に開いた時には、俺の心の内はすでに決まっていた。――否。この答えは、もっと前から決まりきっていたのだ。
それはきっと、最初に彼女が俺の部屋にやってきた、その時から……。
「そんなの、聞かれるまでもないよ。俺は……――」
だから俺は立ち上がり、胸を張ってこう宣言してみせた。
「――……大切な友達。エニシを裏切るなんてこと、絶対にしない。するわけがない」
――と。
力強く、見上げてくる少女の無垢な視線を見つめ返しながら。
「そうか。そうだったな。……お主は、こんな儂を受け入れてくれたのだから、な」
「だろ? エニシみたいに面倒な奴、相手できるのは俺くらいだっての」
「ふふっ……言ってくれるじゃないか。だが、その通りだな」
ふっと和らいだ彼女の雰囲気に、俺はついつい軽口をたたく。しかし、それを受け止めてエニシは、胸に手を当てて小さく笑った。そして、
「――……よしっ!」
大きく深呼吸をし、気合を入れるように声を張った彼女は――
「そうと決まれば善は急げ、だ! 今日は思いっきり遊ばなくてはいけないなっ!」
――普段の調子に戻って、あっけらかんとそう言った。
「儂についてこい、ユウ! 一つ、やってみたいことがあるのだっ!」
「えっ!? お、おいっ! 待てって! エニシ、お前――」
そして、言うが早いかエニシは右側のブースへ。放たれた弾丸のようになって駆け出していった。突然の事態に思わず声を上げると、少し行った先で彼女は立ち止まり、振り返った。
長い黒髪が宙をたなびく。やがて、それが収まった時――
「アンジェリカがあの男に取られているからな。仕方ないから、お主と遊んでやる! ほらほら、もう時間がないぞ。――早くこい、ユウ!」
――その先に現れたのは、実にエニシらしい。意地の悪い笑顔だった。
それを見た瞬間。俺の中には胸の空くような、爽やかな風が吹き抜けた。それはやり遂げたという実感に近い。だが、そのような心地良さを味わう暇を与えられることはなく――
「エニシ……って、そうじゃない! 追いかけないと!」
――俺はエニシの後を追いかけることになるのであった……。
◆◇◆
「それで? これが、お前のやってみたいことなのか?」
「ふっ、ふふふふふ……そのとおりだ、ユウよ。だがしかし、たった一つだけ弁明をしておくとすれば、決してリア充に憧憬を抱いたわけではないぞ? ――ほ、本当だぞ?」
「……いや、誰もそこまで聞いてないけど」
俺は聞いてもいないのに、勝手に言い訳を始めるエニシにツッコんだ。すると彼女は小さくうめき声を発して、さらに挙動不審になってしまう。
――狭い個室の中、触れないようにするのは大変なのだが……。
「まぁ、それにしても。エニシがプリクラに興味があるなんて、ビックリしたな」
そんな少女を落ち着けようと、俺は世間話的に素直な感想を述べることにした。
――そう。俺とエニシが今いるのは、煌びやかな装飾が施され、学校帰りの女子高生やカップルが頻繁に利用する、加工可能な個室型射影機――すなわち、プリクラの中であった。
黒のカーテンを潜ると、広がっているのは四面が真っ白な空間。俺はその端に棒立ちとなり、前部に備え付けられた液晶を操作するエニシの横顔を観察していた。
だが、プリクラ初体験である彼女は、先ほどからうんうんとうなるばかり。手を貸そうとなぜか怒られたので、こちらは仕方なしに待つだけ、という状況なのである。
「むぅ? よ、よいではないか。わ、儂だって……」
俺の言葉に、一度エニシはこちらを振り返る。――が、声を詰まらせるとすぐに液晶へと向き直った。ちらりと見えた少女の耳は、何やら真っ赤に染まっている。
どうかしたのかと、俺は頭を捻った。
「ん? エニシどうかし――」
そして、そのことを尋ねようとしたところで、エニシがぼそりと――
「――……儂だって。いちおう、女の子なのだぞ? …………むぅ」
――頬を膨らし、小さく唇を尖らせながら。そう呟いた。
「――――――――」
「む? どうかしたのか、ユウ。何故にこちらに背を向け、縮こまっているのだ?」
「な、なななな何でもないからっ! エ、エニシは気にせずに、そのまま作業を続けてくださいなっ! 俺れれれは、ここにいるから、出来たら声かけてくれっ!」
――ガタっ! という音をたててたじろいでしまう。
それに反応してエニシは振り返るのだが、俺はその視線から逃れるように背を向けた。言い訳になっていない言い訳をすると、彼女は「そうか? 分かった」と、不思議そうに言いながらまたうなり始める。
ちらり肩越しに、少女の小さな背中を見上げる。そして、
「な、なに考えてんだよ。俺……」
俺は、思いがけず湧き上がった感情に愕然としていた。
――いじけているエニシを見て、可愛いと。愛おしいとさえ、思ってしまった。
もちろん出会った時から、美少女だと思ってはいた。でも、この瞬間に生まれた感情は、今までに感じたものとは、どこかが違う。……何を言っているか、自分でも分からないけど。
「これは、あれか? 一種の父性的な感――」
「――何をブツブツと言っておるのだ?」
「うひゃあっ!?」
エニシの声に、心臓が飛び出るかと思った。振り返ると、太めの眉を怪訝そうにひそめてこちらを見下ろす少女の姿。――とりあえず、この鼓動はさっきのとは違うな。うん。
「え、エニシ! も、もももう準備は終わったのか!?」
「終わったが――お主、さっきから様子がおかしいぞ。どこか、体調が悪いのか?」
平静を装ったつもりであったが、どうにも挙動不審になっていたらしい。意外なことに、エニシが俺のことを気遣ってくれた。
だがここは、不必要に彼女を心配させるのはよくないだろう。
「い、いや。大丈夫だ……心配してくれて、ありがとうな。エニシ」
というわけで、俺は礼を言ってから立ち上がった。
すると今度は――
「しっ、しししし心配など、しておらんわっ! う、自惚れるなぁっ!?」
「……ん? どうしたんだよ。顔、真っ赤だぞ」
「うるさぁいっ!」
なぜかエニシが大慌て。
キィンっ! と、耳鳴りがするほどの金切り声を上げた。
俺は頭痛によろめく。彼女は肩で呼吸をしている。そしてプリクラ機の外は、何事かと騒がしくなっていた。――い、いかん。コレは、あらぬ誤解が生まれてしまうかもしれない。
「わ、分かったからっ! ごめんって、エニシ」
「う、うむ! わ、分かればよいのだ。分かればな!」
すぐに謝ると、それで満足したらしい。エニシは腰に手を当て、鼻を鳴らした。
「で? 話は戻るけど、準備はもういいのか?」
さてさて。こんなやり取りをしていると、本題を忘れてしまいそうになる。どうやら外で順番を待っている人もいるようなので、早くした方がいいだろう。……何やら難しいことは、あとで考えるとして。
「あぁ、大丈夫だ。儂にかかれば造作もない。あとは、開始のボタンを押すだけだぞ」
聞くとエニシは得意げな顔になって、悲しきかな、無い胸を盛大に張ってみせた。つまりはドヤ顔をしていたのだが、こいつのこの表情には良い思い出がない。イラッとしてしまった。
「で、では始めるぞ!? ポ、ポチっとな……」
そうしていると、エニシが液晶に浮かんだスタートという文字に触れた。そして、プリクラのど真ん中に移動して直立不動となる。左横から覗き込むと、口は真一文字に結ばれていた。
――……証明写真か、バカ。
などと思い呆れていると、明るい女性の声でこんな指示が出た。
『よぉしっ! それじゃあ、撮影を始めるよっ。三つのカメラがあるから、順番にポーズを決めていってね? ――……じゃあ、まずは一番のカメラからっ!』
どうやらこのプリクラ、昨今珍しい複数台のカメラが設置された機種らしい。
普通に考えて、一番のカメラは液晶の上――正面にあるもので間違いないだろう。見れば横についている小さな緑のランプが点滅していた。正解、ということだろう。
「さて、それじゃ…………ん?」
俺は少し前かがみになって、ポーズを取ろうとした――ところで気付いた。
「な、に……? カメラが、三つだと……!?」
わなわなと手を震わせ、驚愕の表情を浮かべるエニシに。
せわしなく周囲を見回してカメラを探す少女。どうやら右上と左上にあるカメラの存在には気付いたらしいが、やはり混乱しまくっているらしい。
一番分かりやすい位置にあるはずのそれを、完全に見落としていた。
「おい、エニ――」
そんな彼女を見かねて、俺は場所を教えてあげようと思った。
そう。思ったのだ――が、先ほど湧き上がってきていたなにかが、ふと顔を出す。
「――エニシっ! あっち、後ろだ! ほら、早くポーズを!」
我に返ると、俺は真逆の方向を指示していた。
「うぬぅっ!? で、でやあああぁぁぁ――――――――――――――――――――っ!」
素直に従うエニシ――絶叫と共に、彼女はポーズを決めた。
……何だろうか、あのポーズは。
大きくがに股になり、胸の前で手のひらを合わせている。それを見て俺の中に浮かんだのは、火を噴き、空中に浮かぶヨガの達人のイメージだった。
さて。何はともあれ、そんな間抜けた格好、しかも後ろ向きのまま――パシャリ。
エニシはバッチリ写真に収められてしまったのであった。
「――……ぶふっ!」
堪え切れずに、俺は吹き出す。
「――……はっ! ゆ、ユウ! 貴様ぁっ!?」
それでようやく騙されたと理解したのだろう。少女は頬を赤らめ、肩を怒らせながらこちらへと詰め寄ってきた。そして、その勢いのまま彼女は――
「えっ……? ――って、うわあっ!?」
――……まったく想定外の出来事だった。
俺は即座の対応が出来ずに、されるがまま、思いっきり尻餅をつく。そして背を壁にぶつけてうめいている間に、相手にマウントポジションへの移行を許してしまった。
しかし、仕方ない。
こんなのあり得ないと思っていたのだから……。
「お、おい! ちょっと、お前――」
「お、おのれっ! 仮にも神である儂を
だけども当の本人――エニシは、まったく気が付いていないようだった。鼻息荒く、俺の胸ぐらを掴んで唾を飛ばしている。そうしているうちに、二つ目の写真が――パシャリ。
それなので、俺はやや強引に少女の肩を掴み返した。
「おい! ちょっと待ってくれ、エニシっ!」
いつもなら、ここで彼女の身体から拒絶反応があるはず。硬直し、何も考えられなくなり、そして部屋の隅の方へ行って、膝を抱えてしまうのだ。――が、しかし。
「何を待てと言うか! 儂の話はまだ終わっておらぬ。恥をかかされたまま終われるか!」
――今エニシは、止まることも、震えることもなく俺に触れていた。
「エニシ――お前、男性恐怖症はどうしたんだよっ!」
「えっ!? あ、あれ……? うそっ……」
俺が叫び、指摘してようやく彼女は自分の行動をかえりみる。しかし、それでも震え始めることはなく、ただ呆然と、円らな瞳には俺の唖然とする顔を映していた。
そして――パシャリ。
静かな二人の間に、三回目のシャッター音が飛び込んできた……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます