第十三話 目的

 プリクラ機から出た俺とエニシは、また青色のベンチに腰かけていた。


 エニシが不服を申し立てたため、俺達二人の手には二回分のプリクラシートがある。それらは結局どれもカメラとの距離感が合わず、中途半端な完成度となってしまっていた。


「ふふっ、変な顔だな。これなんかは、ユウが目を瞑ってしまっているぞ?」


 だが、それでもエニシは満足そうだ。嬉しそうに写真を見せてくる。

 そんな彼女を見ていると、これはこれで良かったのではないかと、そう思えてきた。それに加えて、エニシの笑顔を取り戻せたこと、それが俺にとっては何よりも嬉しい。


 この幸せの時間が、いつまでも続いてくれたらいいのに――そう、切に願うほどに……。


「あははっ、ユウよ。これもおかしいぞ? だって――」


 だけども、明らかにしておかないといけないことがあった。


「――なぁ、エニシ? お前、俺に触れてても大丈夫なのか?」


 それは、今まさにエニシが俺の手を握っているということ。そして身を寄せて、俺の肩に自身の頭を乗せていることだった。――それはまるで、恋人同士のような甘い距離。

 男性恐怖症のエニシは、そもそも俺に触れることすら出来ないはずだった。だけどプリクラでの一件にしても、現状にしても、嘘のようなことが起こっている。


「……何故、だろうな。儂にも分からんのだ。ただ――」


 俺が尋ねると、黒髪の美少女は言って、一度目を伏せた。

 だが、次にこちらを見た時――


「――ユウだったから。ずっと、傍にいてくれたのがユウだったから、かもしれんな」


 エニシの顔に浮かんでいたのは、夢のように儚げな、しかし優しい笑顔だった。


「俺、だったから……?」


 その、花のような愛らしさに触れてみたい――そんな衝動に駆られる。しかし、それをすれば壊れてしまうような、崩れてしまうような気がして、俺はオウム返しするにとどまった。


「うむ。きっと、ユウだったから。ユウだったから、儂は――」


 少女は頷き、立ち上がる。そして数歩前へ進み――くるり、振り返った。

 純白のワンピースに、長く綺麗な黒髪が――ひらり、舞い踊る。


「――信じることが、出来たのだと思う。儂のことを裏切らぬと、誓ってくれたから。それにもう一つは……いいや。これは違うな。それに、そうだったとしても言えないな」

「なんだよ。気になるじゃないか」


 紡がれた言葉に、俺はそう切り返した。すると彼女はムスッとして、「秘密だ」と答える。訳が分からないと、そう言って俺は笑うと、少女もつられて笑っていた。


 だが、訳が分からなくても、これでいい。心からそう思えた。

 なぜなら、エニシが笑ってさえいれば、俺は――


「――……すまないな。ユウ」


 ――その時だった。エニシが、唐突にそう言ったのは。

 彼女はプリクラシートを胸に、ただただ柔らかい微笑みを浮かべていた。


「なんだよ。急に――」


 虚を突かれた俺はどうにか声を絞り出す。だがエニシは――エニシの目は、俺を映しながらも、俺のことなど見ていなかった。少女の見る世界には、誰もいなかったのだ。


「これで。これで、迷いは消えた……」


 そして、次に発せられた音は――


「――……えっ?」


 ――俺の思考を封じるには十二分なものだった。


「お、おい。それってどういう……」


 それでも、俺はエニシに真意を問いただそうとする。

 が、それより先――


「あ! 見つけたデス! ――……エニシちゃんっ! ユイちゃんっ!」

「ほら、アンジェリカ師匠。言ったでしょ? 二人はきっと、ココにいるって……」


 元気に手を振ってこちらに駆け寄るアンジェリカに、あたかも従者の如き腰の低さでそれを追いかける雄山が姿を現した。どうやらこの二人は、俺達を探して駆け回っていたらしい。

 すると、エニシは肩で息をしているアンジェリカに向かって――


「む? レディ。その変態の相手はもういいのか?」


 さも何事もなかったかのような自然さで、そう答えていた。


「こ、このガキ……黙っていれば、当たり前のように変態、変態って! ふざけんなっ!」


 その言葉に反応したのは、アンジェリカではなく雄山。彼は目の端を吊り上げ、鬼の形相となり、クソ生意気な発言を繰り返した少女へ向かって手を伸ばした。


「ひぃっ!? ――……た、助けてくれっ! ユウ!」

「え、えっ? 俺? アンジェリカじゃなくて!?」


 そうするとエニシは肩を弾ませ、息を呑み、そそくさと俺の背後へと。脇から顔を出して、いきり立つ俺の友人に向かって舌を出してみせた。――俺の困惑など、お構いなしである。


 それを見た雄山は、頭を抱えてこう叫んだ。


「だーっ! なんで俺様は駄目で、鵜坂ならいいんだよ! あれか? 付き合ってんの!?」


 ――……は? 何で、そうなる。

 俺の思考は、彼のその一言によって急速に解凍されていく。

 そして、とっさに――


「「つ、付き合ってないぞ!? 何を言ってん(いるの)だ!」」


 ……言ったら、エニシとハモってしまった。俺達は顔を見合わせる。


「息ピッタリか! そこまで仲良しかよ、こんちくしょうがぁ――――――っ!?」


 それを見た雄山は、そう絶叫しながら誰もいない端の方へと行ってしまった。響く声だけがこちらまで届き、思い通りにことが運ばないという、彼の無念さがありありと伝わってくる。


 遠く、小さくなってしまった雄山の背中を眺めつつ俺は、改めてこう呟いた。

「ぷぎゃー……」――と。


「あの、エニシちゃん? よかったら、今度はボクと一緒に遊びませんか? その――」


 さて。そんな馬鹿げたことをやっていると、ふいにアンジェリカがそう提案した。

 彼女の表情はどこか不安げ。苦笑いを浮かべて、もじもじと、指を絡ませている。――どうやら、エニシを放置していたことが後ろめたいらしい。


「――えっと、その……ご迷惑じゃなかったら、デスけど……」


 俺は僅かな不安を感じつつ、エニシを見る。だが、それは杞憂だとすぐに分かった。

 心配そうなアンジェリカ。そんな彼女にエニシは――嬉しそうに、笑いかけていたのだ。少女は隠れるのをやめ、堂々と、大切な友人へと歩み寄る。そして――


「うむ! 言われるまでもない。――ふふふっ。儂は、あの変態とは格が違うぞ?」


 初めて自分から、アンジェリカの手を取った。

 アンジェリカは一瞬だけ目を丸くするが、しかしすぐに明るい笑顔を浮かべる。


「っ……! ハ、ハイっ! 行きましょうデス! エニシちゃんっ!」


 そして弾むような返事をして、微笑むエニシの手を引いて走り出した。転びそうになりながら、エニシもそれについていく。やがて、二人は見えなくなった。

 俺は大きく一息つく。これでやっと、一番の懸念が解決されたことになる。が、一つ終わればまた一つ。俺の脳裏には、エニシとのさっきの会話が引っ掛かっていた。だから――


「あらら? あの二人は、もう行っちまったのか?」


 そのことについて考えようとした――ところで、背後から妨害行動に遭った。振り返るとそこには、一仕事終えたサラリーマンのように清々しい笑顔の友人の姿。


 しかし、こちらと目が合うとすぐに、その表情を曇らせる。

 困惑した顔になり――


「え、なんなの? その『この野郎。仲直りを手伝うって約束したのに、自分勝手に行動して、邪魔しかしなかったのに清々しい顔しやがって。ムカつく。一発殴っとくか?』……って顔」


 ――最後には、にやけながらそう言ってきた。


「分かってんじゃねぇかよ! 分かってるなら、最初っからちゃんとやれよ!」

「あっはっはっ! まぁ、いいじゃねぇか。結果オーライってやつだ!」

「………………」


 ツッコみを入れると、なぜか爆笑しながら背中を強打してきた。

 雄山は聞く耳を持たないといった感じ。それに、たしかに結果として二人は仲直りをしたので、ここは堪えるとしよう。――うん。そうしよう。俺、大人だなぁ……。


「それにしても――」


 ――と。

 俺が内心でため息をついていると、雄山が呟いて視線を投げた。追いかけるとそこには、エニシとアンジェリカ。彼女たちは楽しげに語らいながら、様々なゲームに興じていた。


 結局、何が言いたいのかと、俺は雄山を見る。すると彼は深くため息をつき、


「なーんで、鵜坂なんだろうなぁ。まったく……こんな女顔の、どこがいいのやら」


 とんだ暴言である。――てめぇまで、そのことを弄りやがりますか。おい。


「はぁ? 喧嘩売ってんのかよ、おい。雄や――」

「――なんてな。お前がいいやつだから……ってのは、俺様もガキの頃から知ってるよ」

「は……はいぃ!?」


 反論しようとしたら、次に飛び出してきたのは甘言だった。――そのあまりの緩急に俺は怯んでしまい、捻り上げるような悲鳴を上げてしまう。


 だが雄山からは、先ほどまでの砕けた雰囲気は感じられなかった。つまりそれは、彼が本気で言っているのだということであり、そのことから、何かを指摘しようとしているのである。


 それを示すように彼は、俺の耳元でこう囁いた。


「だから、一つ忠告しておく。お前は昔から、誰にでも親切で優しい。――でもな? どちらか一方に決めないと、結局は両方が不幸になるってこと……ちゃんと、覚えとけよ?」

「……え? それって、どういう――」


 しかし俺にはその意味が判然としない。この男の言いたいことが、まるで理解が出来なかった。

それなので、雄山に聞き返そうとしたのだが――


「――よっし! これで友人としての義理は果たしたぞ? あとは鵜坂がどうなろうと、俺の知ったことじゃねぇ! そんじゃ明後日、また会おうぜ……あぁ、でも最後に一つだけ――」


 彼は出口方向へと向かいながら、一方的にこう告げてきた。


「――……あんな可愛い女の子達を泣かせたら、ぶん殴るからな?」


 そして雄山はそれっきり、一度も振り返ることなく去って行った。


 その背中から醸し出される空気はどこか寂しげで、だけども俺には、それの意味もまったく分からない。でも、そんな状態でも頭を働かせて、一つの結論へと至る。


「エニシとアンジェリカのこと、か? だったら、そんなの決まってる」


 そう。それは――


「……俺には、やらなきゃいけないことがある」





 ――……エニシのために・・・・・・・、アンジェリカとの縁を結ぶことだった。


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