第十四話 サイゴ


 さぁ。雄山が帰ってからしばらく経ち、気が付けばもうだいぶ日は傾いていた。


 そうなると、楽しい時間も終わり。暗くなる前に各々、自分の住む家に帰らなければならない。だから俺とエニシ、そしてアンジェリカは、三人で集合した駅へと向かって歩いていた。


 しかし、駅が視界に入ってきた――という時である。


「そ、それでは、儂はここで失礼するぞ。あとは、若い二人で……」


 エニシが唐突に、前後の会話の流れなど完全に無視してそう言ったのであった。なぜにお見合い風なのかと、思わずツッコみかけたが我慢をする。


「……どうしたんだよ、エニシ。一緒に見送ればいいじゃな――」


 そして、至極真っ当な意見を述べようとした――のだが、


「――ばっ、ばばばばば馬鹿者っ! お主は、儂の気遣いが理解出来んのか!?」


 俺が近づくと――シュバァッ! という効果音がつきそうなほど勢いよく、飛び退いた。その動きの必要性が分からないが、俺には他にも気になることが一点ある。それは――


「いや、本当にどうした? エニシ、顔が真っ赤だぞ。もしかして熱でも……」

「ひゃうぅっ!? ら、らいりょーびゅっ! 大丈夫だから、ひん配するなっ!」


 ――彼女の顔が、茹でダコみたいになっていたこと。


 まさか神様が風邪を引くとは思えなかったが、念のため額に手を伸ばす。すると少女は呂律の回らない、舌足らずな声を発しながら地団太を踏んで怒っていた。


 男性恐怖症が再発した――わけではないと思う。なぜなら、原因がそれであれば会話自体が成り立たなくなってしまうはずだ。――……だったら、何があったんだ?


「いっ……いいか!? これはアシストだ。アシストなのだ! これ以上聞くなっ!」


 そんな中。エニシの慌て振りは理解できなかったが、今の発言の意図は分かった。つまりはアンジェリカと俺を二人きりにして、『縁結び』をし易くする――ということなのだろう。

 それは俺の役目だから、言われるまでもなく遂行するつもりだ。だから、


「え、あ、うん。それは分かってる、けど……」

「ならばよい! 存分に爆は――青春するがよい! ――そ、それではさらばだっ!」

「って、おい! アンジェリカにも挨拶してけ――――行っちまったか」


 そう答えたら――脱兎が如く。

 エニシは、土煙の上がるような勢いで帰ってしまった。そしてその直後、俺のスマホには彼女から、こんなにも粗雑な指令が届くのである。


『レディをデートに誘え! 絶対にだぞ!?』――と。


 確認した俺は静かにスマホを仕舞い、判然としない気持ちから首筋を掻いた。すると、そんな俺にアンジェリカが背後から、静かな声をかけてくる。


「……エニシちゃん、帰っちゃったデスね」

「ごめんな、アンジェリカ。次からは、ちゃんと挨拶するように言っておく――」


 その声に返事をして、彼女の方へと振り返った俺は――声を失った。


「……エニシちゃん。気を遣ってくれたデスかね」


 なぜなら、そこに立っている少女が――あまりに美しく、可憐だったから。

 ちょうど夕日を背負う形となったアンジェリカ。そんな彼女の明るい金色は空の中に溶け込み、しかし同時に、まっすぐ、こちらに送られた青い眼差しは存在感を増していた。


 彼女の抱える雰囲気は――悲哀。だがそれは、決意を秘めた悲哀。

 不意打ちとも言える展開。その瞬間は間違いなく、俺はアンジェリカという名の少女の世界に呑み込まれていた。――しかし、それではいけないと思い直す。


「気を遣うって、どういうことだ?」


 頭を振って尋ねる。そうすると彼女は、ふっと息をついてから微笑んだ。


「えへへ。じゃあ、そのご厚意には甘えないとデスね。……あの、ユイちゃん――」


 そしてアンジェリカは、震える声で俺へと言葉を投げた。だけどもそれは、どこか上の空な曖昧さで、心に迷いがあるようで、少なくとも俺に向けられたモノではない。

 そう、今は感じられた。だから――


「――明日……ボクとデートを、してくれませんか?」


 ――理性の飛びそうな言葉を聞いても、平常心でいられたのだろう。


「俺とでいいの? 俺なんかと、二人きりで」


 アンジェリカの本当の気持ちと、飛び出してしまった言葉の齟齬を確認する。小さな子供に聞くようにして俺が言うと、彼女は困った表情を浮かべていた。

 きゅっと手を組んで、ゆっくりと目を閉じる。そして、


「……ハイ。ユイちゃんじゃないと、ダメなんデス。だって、きっとこれが――」


 深呼吸をして彼女が口にした淡い音は、



「――サイゴ・・・かも、しれないデスから。だから……」



「――――――――」


 俺の中に引っ掛かっていた不安、疑問、焦燥の思いを呼び起こした。

 足元で生温い、湿気を含んだ風が渦を巻いて絡みついてくる。やがてその風は、アンジェリカの方へと流れてゆき、強さを増して、少女の髪を吹き乱して――



『――サイゴ・・・に、このように幸せな思い出をもらったのだからな……』



 ――刹那。俺は、今この場にはいない少女の姿を幻視した。


 脳裏に蘇ってくるのは、ゲームセンターでエニシが呟いた一言。それが今、耳元で、何度も何度も、執拗にリピートされていた。そして、それは心臓を激しく打ち鳴らしている。

 絶対に誤るなと、警鐘を鳴らすようにして……。


「ボクは、ユイちゃんと大切な思い出を残したい。だって――」


 サイゴ――その意味は最後か、はたまた最期か。


 必死に話しているアンジェリカの声も届かないほどに、俺はそればかりを考えていた。なぜここまで、エニシという少女のことが気にかかるのか。それは分からない。

 ただ一つ、俺の中で確信があったのは――エニシには笑っていてほしい、ということ。


 その思いに突き当たった時。続いて聞こえてきたのは――


『――……あんな可愛い女の子達を泣かせたら、ぶん殴るからな?』


 意外にも、雄山が去り際に残したものだった。

 女好きのアイツらしい一言だ。いつもならきっと、クサい台詞として忘れてしまっていた。だけども今の俺にとっては、これほどに背中を押してくれる言葉はないと思える。


 そうだ。俺は、二人の女の子を笑わせてあげなくてはいけない。

 だったら、そのために一番なのは――


「だって、ボクはユイちゃんのことが――」

「分かった。それじゃ、明日は二人でデートに行こうか。アンジェリカ」


 ――アンジェリカからの誘いを受けること。これしかない。


「えっ!? ほ、ホントにいいデスか!?」


 驚いて目を丸くするアンジェリカ。しかしその顔には先ほどまではなかった喜びと、安どの色が浮かんでいて、俺の胸にはちくりと、針で刺したような鋭い痛みが広がっていった。

 だからつい、それを隠そうとして――


「なんだよ。そっちから誘ってきたんだろ? ……嘘なんだったら、なしにするけど?」


 意地悪なことを言い、彼女から目を背けてしまう。――するとアンジェリカは、


「い、いいえ! 嬉しいデス! ホントに、ホントに嬉しいデス! ――ユイちゃんっ!」

「うわっ!? あ、アンジェリカ!?」


 こちらへと走ってきて、その勢いのまま抱きついてきた。

 ふわっとした、柔らかい感触に包み込まれる。そして爽やかな石鹸の香りと、夏の日の下で一日遊んだ証拠――微かな汗が合わさった匂いが、俺の鼻孔をくすぐった。


 やがて名残惜しくも、その心地良さは離れていく。

 そうすると、次いで現われたのは――


「それじゃあ、また明日デスね! だから……またね、デス! ユイちゃんっ!」


 ――あぁ、駄目だ。これがトドメ。


 夏の太陽にも負けない眩さを放つ、アンジェリカの無垢な笑顔を直視できなかった。

 なぜならそれを見てしまえば、自分の卑しさに煩悶することになってしまうから。だから俺は黙ったまま、手を振りながら駅の方へと駆けて行く少女を見送っていた。


 そして、彼女が駅舎の中に消えていくのを確かめてから、俺はポツリと呟くのだ。


「ごめん。アンジェリカ……」――と。


 俺は彼女の期待、気持ちを裏切っている。その自覚は当然あった。

 しかし、そうだとしても――


「でも、これでいいんだ。きっと……」


 ――この選択が間違いだとは、俺には思えなかった。

 なぜなら俺とアンジェリカが上手くいけば、エニシも満足する。そして彼女は晴れて正式に神様となり、消滅する心配もなくなるのだ。


 だから、そうなれば――


「エニシ。これで最期・・だなんてこと、もう絶対に言わせないからな……」


 あんな悲しいこと、もう言わなくても済む。それに、もう言ってほしくもない。


 エニシが消えてしまうことなんて、誰も望んでいないのだ。俺も、アンジェリカも、それにきっとイズモさんだってそう。――そして無論、他でもない彼女自身も。


 だから、この報告はすぐに届けてやらなければならない。


「よし。そうと決まれば、早く喜ばせてやらないとな!」


 そう考え、沈みゆく太陽に向かって宣言して踵を返す。



 そして俺は、エニシの待つ自分の家へと向かって一直線に駆け出すのであった……。

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