第十話 デート前のこと

 ――そして、翌日の正午過ぎ。


「それでは、週末には超大型の台風も接近するようなので、十分に注意して……――」


 という、担任のどうでもよい連絡事から解放されて、クラスメイト達はみな口々に、ついに始まった夏休みのことを話し合っていた。近くのグループの話を聞くに、どうやら彼らは、今から遊びに出かけるらしい。そんな華やかなイベントは、俺や雄山のようなタイプには縁がない話だと思っていた。

 そう思っていたのだ。


 そう。昨日までは――


「なぁ、雄山。悪いけどさ、今日も一緒には帰れないんだよ」

「……あ? 今日もかよ。……もしかして、鵜坂。テメェ、なんか隠してないか?」


 簡単な掃き掃除だけでいいと言われた清掃活動。その終わり際。

 俺は昨日同様、雄山にそう声をかけた。すると彼は怪訝そうな表情を浮かべ、俺の顔を覗き込むようにしてにらみつけてくる。しかも何やら、虫の居所が悪いようだった。


「べ、別に……何も隠してないっての。用事があるだけで……」


 その勢いに押され、つい言葉をつっかえさせてしまう。だが、それでもごまかすことは出来たらしい。

 雄山はため息をついてから、頭の後ろで手を組んだ。


「はぁ……ったく、今日はついてねぇな。イチかバチかアンジェリカさんを映画に誘って断られたから、気晴らしに鵜坂をカラオケに誘ってやろうと思ったんだけどなぁ……」

「は、はは……そっか、ありがとな。つーか、なんで上から目線だ。この野郎」


 そうして飛び出した恐怖の発言に、俺は苦笑いしつつ答える。――ついでにツッコむ。

 これはいよいよ、黄色信号に明かりが灯ったと考えた方がいいのかもしれない。アンジェリカの誰にでも優しく接するという性格が、こんなところで問題となるとは……。


 しかし、そうだとしても――


「――まさか、雄山がアンジェリカを誘うとは、思ってもみなかったな」

「ハイ、ボクもビックリしたデス。あ、でも、ちゃんと嬉しかったデスよ?」

「だよなぁ。こいつ、学校の女子のことはもう………………………………んっ!?」


 聞き覚えのあるカタコトの日本語が、背後から。――俺は少し間を置いてから振り返った。そして、そこにいた人物を見た瞬間、


「アンジェリカさんっ!? さっき、先約があるって……はっ! も、ももももっ、もしかして! やっぱり僕との映画館デートを受けてくれるんでしょうかぁっ!?」


 こちらよりも先に、雄山が勇み足気味にそう叫んだ。

 彼の目を見た俺は「あぁ……」と呟いた。さっそく、今ほどの疑問が解決したのである。


「すみませんデス、雄山くん。……ボクが用あるのはユイちゃんデス」


 ――と、そんなことを考えている場合ではなかった!


 アンジェリカの方へ向き直ると、彼女はにっこりと笑っていた。

 うきうきとした気持ちを抑え切れないといった様子である。つまりは、こちらの都合など微塵も理解していないということで――このままでは、まずいことになる!


 直感した俺は、大げさなジェスチャーを交えつつ、意図を伝えるよう試みた。


「あの、アンジェリカ! その話なら、ここじゃなく――」


 が、遅かった。

 アンジェリカは、俺の制止を聞き入れずに――


「――ユイちゃん! それでは、さっそく……デートに行きましょうっ!」


 ――無邪気な大声で、そう言った。しかも、デートって。


 教室はおろか、廊下からも――いや、下手をすれば校内から音が消えたかもしれない。

 まず俺はおずおずと、教室内を見渡す。するとそこにいたのは、表情を数秒前の状態で硬直させた男子生徒の姿であった。誰もが動きを止めて、蝋人形のようになっている。


 次いで俺は、間近にいる友人へと目を向け――


「――――――――」

「急ごう、アンジェリカ! ――ほら、早くっ!」


 ――彼が失神しているのを確認し、すぐにアンジェリカの手を引いて駆け出した!

 荷物は雑につかみ取り、乱暴に肩にかける。


「えっ!? でも、他のみなさんに、まだアイサツしてな――」

「――いいから! 今日は、いいからっ! そうしないと絶対、遊びに行けなくなるっ!」


 律儀なことに、アンジェリカはそんなことを言う。だが俺はそれを聞き入れず、力の限りに引っ張りながらそう断言した。すると、さすがの彼女も静かになり、黙って俺の後をついてくるようになった。


 俺はそうして、校内を駆け抜けた。でないと、遊ぶ時間が短くなってしまうから。

 そして何よりも、急がなければ俺の命が危なかったから……――


◆◇◆


 高校に最寄りの駅から電車に乗り、五つ目の駅で下車。外に出ると、そこにはぶっちゃけ何もない。強いて言えば苔の生えた、手入れの行き届いていない円形の噴水と、老夫婦の営む花屋があるだけ。それ以外には、目の前の細い道路を挟んだ向かいにも、古いアパートや住宅が並ぶだけだった。――……まさしく、田舎の寂れた駅前。その表現が、ピタリと当てはまる。


「はぁ、あっちぃ……。やっぱ、冷房の効いてる教室とか、自分の部屋が恋しいな……」


 ようやく本気を出し始めた夏の日差しに目を細め、俺は額の汗を拭った。隣にいるアンジェリカも同じく。ハンカチを頬に当てつつ、少し疲れた様子で息をついていた。


 さて。それではなぜ、このような場所に俺達は来ているのか、というと――


「エニシちゃん。ホントに、来てくれるデスかね……」

「まぁ。来なかったとしても、家まで戻って引っ張り出してくるだけ、だけど……」


 ここが、エニシとの待ち合わせの場所だからだ。この駅は、俺の家から最も近い駅であり、今日の目的地であるショッピングモールとのちょうど中間に位置している。

 そのため、あの廃神少女と落ち合うには都合のよい場所なのであった。


 しかしだからと言って、エニシが来るという保証はない。現に今、先に来て待っているはずの少女は、人がまばらな中でも見つけることが出来ないでいた。

 俺は少し呆れて、肩を落とす。そして、


「こりゃあ、本当に家まで迎えに行く必要がありそ――」

「――……い、いる! わ、わわわ儂は、ここにいるぞっ……」


 彼女を迎えに行こうと、一歩を踏み出した時――今にも消えそうな、か細い声がした。

 だが声はしても、相変わらず姿は見えない。


「って、いるのかよ! エニシーっ? どこにいるんだ? 出てこいよーっ!」


 なので、そう呼びかける。するとまた、小さく――


「くっ……うぅっ。おのれ、ユウめ。この恥辱はいずれ晴らしてくれるっ……!」


 と聞こえたと思ったら、こそっと、噴水の向こう側からエニシが顔を出した。やや遠いため表情は見て取れない。だが、十数メートルのこの距離でも、赤面しているのはよく分かった。

 俺は安堵しながら少女へと駆け寄る。すると、エニシは恥ずかしそうに出てきて――


「エニシ。何をそんなに恥ずかしがって――」


 分かっていたはずなのに、彼女のその出で立ちを見た瞬間、俺は息を呑んでしまった。


 今度はこっちの顔が熱くなっていく。きっと、もう真っ赤だ。やばい。なんか恥ずかしくなってきた。

しかし俺は、目を離すことが出来なくなっていた。


「は、恥ずかしいに、決まっておるだろうっ。は、初めてなのだぞ? こんな格好は……」


 そう言ってエニシは、もじもじと身体の前で手を組み、服をきゅっと摘まむ。だが今の彼女が身にまとっているのは、ヨレたダサい赤ジャージではない。


「足元がす、スースーする、のだ。か、肩も出てるし……は、はしたなくは、ないか……?」


 ――太陽の下。純白が眩しい、清楚なワンピースだった。


 いつもは赤い布に隠された白く細い肩が、照れくさそうに露わになっている。そして胸元と腰より下には、控えめにフリルがあしらわれていた。しかしそれが、エニシという少女の、少女らしい部分を引き立てているようにも感じられ、なおいっそうに愛らしい。


 長く、邪魔になっていた黒い髪は後ろで一つにまとめられていた。すると、やや癖のあったエニシのそれは、程よく波打ち、小川のような美しさを魅せる。

 花の装飾がついた赤いミュール。その踵をカツンと鳴らし、こちらに歩み寄る少女。


 その姿を見て、俺が思わず――


「かっ、かかかかかかかかかかかかっ! 可愛いデスぅ――――――――――――っ!?」


 ――……言おうとしたことを、代わりにアンジェリカが絶叫した。


「れ、レディっ!? や、やめ――――きゃあっ!?」


 そしてその勢いのまま、様変わりした少女に抱きついて――バランスを崩し、一緒になって転んでいた。エニシは慣れない靴を履いているのだから、当然の結果といえるだろう。

 そんな二人のじゃれ合いに頬が緩むのを感じながら、俺は二人に近づいた。


「いてて……ご、ごめんなさいデス。エニシちゃん、大丈夫?」

「う、うむ。だ、大事ない……」


 幸い怪我はなかったらしい。そのことにほっと胸を撫で下ろしつつ、改めてエニシの方を見る。すると彼女もこっちを見ていた……というよりは睨んでいた。潤んだ目で。

 なぜだろうと、首を傾げていると少女が口を開く。そして、


「……ほ、ほれ。どうだ。貴様が惨めに、土下座をしてまで用意した服を着てきてやったぞ? どれ、ここは一つ感想でも聞かせてもらおうか? ――なぁ? ユウよ」


 飛び出してきたのは、やや好戦的な言葉だった。――顔は、まだ赤かったけど。


「あ? あー……」


 俺は間延びした声を出しながら、天を仰いだ。ポリポリと首筋を掻く。

 実は、今エニシが着ている服は、彼女の物ではなく、妹の私物であったりする。土下座をしたというのは、俺が妹に借用を申し出た時の話。俺にとっては、人生始まって以来の屈辱だった。


 そもそもの事の発端は、この少女が朝になって唐突に、


『遊びに行くのならば、服が必要になるなぁ~』


 こう、ドヤ顔で言い放ったのが原因だったのだ。


 エニシ曰く『服は概念体であり、残念ながらコレしか持っていない』とかなんとか。神様の服については詳しく分からない。だが、つまるところ彼女は、あの赤ジャージしか持っておらず、『おっと! それではいかんなァ』と言ってきた――ということであった。


 当日の朝になって言うあたり、コイツはドタキャンする気満々だったらしい。

 正直なところ――このド畜生が! とも思った。しかし俺としては、エニシを連れて行かないという選択肢はない。でもそうは言っても、ジャージ姿で、というのには気が引けてしまう。


 だから恥を忍び、ダメもとでエニシと背格好のよく似た妹に頭を下げたのだった。

 すると意外にも――


『う、うん。あにきが必要なら……準備する』


 二つ返事で了承し、一式を揃えてくれたのだ。本当に、心からありがたいと思う。

 だがしかし一つだけ、気にかかることを挙げるとすれば――


『そういうプレイ、なのかな? じゃあ、あにきでも着られる服にしないと……』


 ――妹が、ぼそっと。そう呟いていたこと。

 なんだろう。妹にとてつもない勘違いをされている予感が……。


「ほれほれ。どうしたのだ、こっちを見ろ。どうだ? 土下座の甲斐はあったのか?」


 さて。そんなことを思い返していたら、エニシが答えを急かすようにそう言ってきた。立ち上がり、薄い胸を張っている。調子が出てきたのか、顔には意地の悪い笑顔が浮かんでいた。

 一連の流れを考えると、彼女がこういった態度を取っているのは彼女なりの仕返し、当てつけなのかもしれない。そう思えてきた。


 もしそうなのだとしたら、俺にとっては痛くもかゆくもない。

 なので、ここは素直に――


「ハイっ! ペロペロしたいデスっ! まさに、マゴにも衣装! デスねっ!」

「ひゃんっ!? うぅ、レディ……」


 ――言ってやろうとしたら、またしてもアンジェリカに先を越された。


 彼女はエニシを後ろから抱きしめて、舐めたりはしないが、とろけた顔で頬ずりをしていた。エニシは小さく悲鳴を上げたが、やがて抵抗しなくなる。誠に微笑ましい光景である。

 しかし幸せそうなところ申し訳ないが、ツッコんでおかねば。後学のためにも、な。


「アンジェリカ。馬子にも衣装は、ちょっとした悪口だから……」

「えっ! 孫のように可愛い子には綺麗な衣装着せましょう、というイミではなかったデスかっ!? ――……え、エニシちゃん。ごめんなさいっ!」

「……おっと。今回は思ったよりも、勘違いの根が深そうだな? ……ん?」


 深々と頭を下げて謝罪をするアンジェリカ。

 それを見て、笑っていると――


「どうしたんだよ、エニシ。……そんなに怒るようなことか?」


 俺は、ジト目になって頬を膨らませているエニシに気付いた。明らかに不機嫌。小さな身体、その全身からささくれ立った感情が、これでもかと言うほどに醸し出されている。

 最初はアンジェリカに怒ったのかと思った。だがしかし、


「ふんっ! ……別に。レディに腹を立てているわけではないぞ」


 その指摘に対して、少女は唇を尖らせながらそう答える。――いや、だったらなんだよ。


「は? じゃあ、どうしたって言うんだよ」


 そして、思ったことをそのまま言うと、


「知るかっ! 儂にも分からんのだから、どうしようもないだろうっ!」


 今度は腕を組み、そっぽを向かれてしまった。

 ――いや。だから、何だっていうんだよ。マジで意味が分からないぞ?


「ええいっ! こうなったら、さっさと行くぞ! そしてユウよ、これだけは言っておく。くれぐれも、お主の本来の目的を忘れないようにしろ! 分かったかっ!?」


 と思っていたら、頭を掻きむしったエニシが、ビシッと俺を指差してそう叫んだ。そして俺とアンジェリカを置き去りにして、がに股で、肩を怒らせながら歩いて行ってしまう。


「お、おう……」


 気圧された俺は呆然と、遠ざかっていく小さな背中を見つめていた。

 結局、エニシは何が言いたかったのだろうか。最後の言葉だけを取れば、俺がこうやって彼女を連れてきたこと、それ自体に怒っているようにも思えるが……。


「あっ、待ってください! エニシちゃんっ!」


 思わず考え込んでいると、アンジェリカの声で引き戻された。見れば、彼女はエニシを追いかけ、先に行ってしまっている。そうして気付けば、駅に残っているのは俺だけに。


「考えても仕方ない、か。そうだよな」


 そうなってからようやく、俺は気持ちを切り替えることが出来た。

 エニシ本人でさえ整理のついていない気持ちを、俺だけで理解できるはずがない。だったら今は、目先のこと、今日の目的だけに集中した方がいいだろう。


 俺はそう思い直し、二人を追いかけようと足を前に踏み――


「……ん?」


 ――出したところで、ふと後ろを振り返った。

 何やら、どす黒い感情のこもった視線、それこそ殺気に近い気配を背後から感じたのだ。しかし俺の視界にあるのは、電車が去り、利用者も去った閑散な駅。ただ、それだけ。


「気のせい……だよ、な。うん」



 なにか嫌な予感がするが、構っている時間はない。自分に言い聞かせるようにして、俺は後ろ髪を引かれながらも、二人の少女へ向かって駆け出した。

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