第九話 現実

 俺の住んでいる地域は、お世辞にも都会とは言えない。家を出て少し歩けば、すぐに田んぼだらけの道へと出る。ほんの僅かな街灯が照らすあぜ道は、歩くには若干心もとない。

 いつもなら綺麗に見える月も、今日は雲に隠れ、不安を煽るかのよう。そして足元を駆け抜ける風は独特の湿気を含み、薄気味悪さを喚起させる冷ややかさがあった。


 時計の針も、もうじき九時を指そうとしている。そんな時間に、このような場所に人影などあるはずがない。――だから、ここにいるのは俺とイズモさんだけ。


「それで、ユウさん。話したいこととは、どういった内容でしょうか?」


 先に口を開いたのは、後ろを歩いていたイズモさんだった。

 彼女の問いに俺は足を止め、


「エニシの試験について、です。……聞いたら、イズモさんは答えてくれますか?」


 振り返ってから、逆にそう問い返した。


「そうですね……限度はありますが、答えられる範囲でしたら可能ですよ?」


 すると彼女は嫌な顔一つせず、暗がりでも分かる柔和な笑みを浮かべたままそう言った。そして、こちらを促すようにスッと手のひらを見せてくる。

 それなら……と、俺は唇を舐めてから、一つ目の質問をイズモさんに投げかけた。


「イズモさん。エニシは……試験に不合格だった場合、どうなるんですか?」


 それは、先ほどのエニシとの会話の中で出てきた不穏な単語から抱いた疑問だ。

 少女は『縁結び』に失敗した神様を知っていると、そう言っていた。そして、その神様は最終的には死んでしまった、と。


 俺にはそれが、今まさにエニシの身に迫っているように思えて仕方なかったのだ。だからこうやって、イズモさんを連れ出してまで問いかけている。そして願わくは、杞憂であってほしいと、そう心の内で祈りを捧げていた。


 ――が、しかし。祈りは儚くも、


「……消滅します。跡形もなく、最初からそこにいなかったかのように」


 無慈悲な神様の一言によって、塵と化してしまった。


「……どうして、ですか」

「神とはみな、人の信仰心によって存在を保っているのです。そのため、今のエニシさんのように誰の思いも、信頼も得ていない神は不必要な存在として、消滅してしまうのです」


 まだ、信じたくない。その救いようのない感情から出た問いかけにも、イズモさんはハッキリと答えを導き出してきた。――今ばかりは、この人が神ではなく悪魔に見える。


「分かり、ました。それじゃあ、もう一つ……」


 俺は爪が食い込むほど、強く拳を握った。そして最後となる、二つ目の質問を口にする。


「……エニシより以前に、人と直接に関わっていた神様はいましたか?」


 これもエニシとの会話に出てきた情報。

 このことに確信が持てれば、どうしてあの少女が人との関わりを避けようとするのか、孤独でいようとするのか。その理由の、俺なりの答えに、確信が持てる。


 イズモさんは先ほどと異なり、少し考えた後に、小さく頷いてから話し始めた。


「……はい。今のエニシさんより前に、たしかにいましたよ。その方は、人との繋がりを大切にしていました」

「その神様は、エニシのよく知っている神様……ですか?」


 俺は間髪を入れずに、そう尋ねる。するとすぐに、イズモさんは表情を変えず、


「はい。エニシさんがよく知る神です。そして、それと同時に、当時の彼女が一番に信頼して疑わなかった方でした」


 欠片ほどの淀みもなく、疑う余地もなくそう言った。


「……そうですか。やっぱり」


 彼女の肯定をもって、俺の推測は確信に近いものへと形を変える。


 ――……エニシは、恐れているのだろう。

 自分が、その消えてしまった神様のようになるのを。

 エニシが信頼していたという神様は、人に直接手助けをして『縁結び』を行っていた。だがある日、それを失敗してしまい、信仰心を失ってしまった。


 そして――消滅した。

 自分を信じてくれていたエニシという、見習いの神様を残して。


 残されたエニシは、今まで信頼していた神様が消滅して大きなショックを受けたのだろう。しかし彼女は、その神様のやっていたやり方しか知らない。悪手だと知っていても、それしかないのだ。だとしたら、エニシの心に残るのは――迫る死への恐怖。


「そんなのって、あるかよ……」


 これじゃあ、エニシが可哀そうだ。――ずっと一人で、苦しみを抱えてきたのだから。

 だが同時に違和感もあった。今の推測に矛盾があるような、そんな感覚。

 けれども、その正体を掴みきることは出来なかった。


「……くそっ!」


 俺は苛立ち、足元にあった小石を蹴った。――カンッ! という音と共に、小石は闇の中に溶け、すぐに行方が知れなくなってしまう。それにまた、無性に腹が立ってしまった。


「それでは、ユウさん。貴方はこれから、どうするおつもりでしょうか?」


 俺の心を見透かしたかのように、イズモさんは解答を求めてくる。浮かんでいるのは、やはり一貫して優しげな表情。――それが今どうしてか、恐ろしくて仕方がなかった。


「…………まずは、明日――」


 だが、答えはもう決まっていた。言葉をしっかり選び、


「――存分に、エニシを笑わせます。それはもう腹を抱えて、立ち上がれないぐらいに」


 少女の口癖を真似て、そう、力強く断言した。


「ふふっ。そうですか……それでは、頑張ってくださいね? ご健闘、お祈りしています」


 すると満足そうにイズモさんは目を細めた。そこには、さっき覚えた違和感はない。


「神様に祈ってもらえるなんて、百人力じゃあ足りないですね。……ありがたいです」

「あら、お上手ですね? ユウさん。……それでは、失礼いたします――」


 俺の切り返しにまた一つ、小さく笑ったイズモさんは空気の中に溶けていった。やがて肌に感じていた気配も完全に消えて、ここにいるのは自分だけなのだと実感する。


「……よっし! 明日は、とにかく頑張るぞ!」


 俺は空を見上げて改めて決意表明をした。そして、空に向かって手を伸ばす。

 天を覆っていた雲に若干の切れ間が出来ていた。そこからは微かに月の光がこぼれ、明かりの頼りない世界を照らしている。


 だから俺は手を伸ばし、ぐっと、拳を握りしめるのだ。




 その小さな希望にも似たその光りを掴もうと、がむしゃらに、一生懸命に……――


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