第八話 兆し
……。
…………さてさて。
俺達は現在、以前にイズモさんを交えて話していた時と同じく、テーブルを囲んで座っている。しかし違いがあるとすれば、前に俺が座っていた場所にアンジェリカ。イズモさんの座っていた場所に俺が座っている、ということである。――エニシとは、絶妙な距離感で。
アンジェリカを見ると、彼女は心痛な面持ちで押し黙っていた。
それに対して、俺達はというと――
「何故だ。何故、この娘に儂の姿が見えているのだ!? もしやユウよ、話したのかっ!?」
「知らねぇよっ! 俺は話してない。神様とか言ったら、変な目で見られるだろうが!」
――……アンジェリカに背を向けて、小声でそんなことを言い合っていた。
俺としては別に構わないのだが、仮にも神様であるエニシにとっては大問題らしい。彼女は頭を抱えて考え込み、やがて唐突に面を上げた。そして、
「はっ! まさか、アレのせいか!?」
ノートパソコンを見て、わなわなと手を震わせ、そう呟いた。
「よもや、このようなことが起ころうとは。『デモハン』…………恐るべしっ!」
「いや。それは、さすがにないだろ。うん」
神様について知識の少ない俺ではあったが、この少女の推測は間違っていると思った。というか、こんなので神様が見えるようになったら、きっと戦争だって起こらないだろう。
「あ、あのっ! ――……エニシちゃんっ!」
「――うひゃあっ!? ごごごごごご、ごめんなさいぃぃっ!?」
そうして考え込んでいると、不意にアンジェリカがエニシの名を呼んだ。予測していなかったのだろう。背を向けていた少女は、全身を跳ねさせ、なぜか謝罪の言葉を口にしていた。
そして、そのリアクションを受け取ったアンジェリカは――
「あ、いえ! その、謝らなきゃなのは、ボクの方で……ごめんなさいデスっ!」
目を固く瞑って、大真面目に答えていた。――それぞれに、互いのことが見えていない。会話ができているようで、まるで明後日の方向にボールを投じている。そんな様子だった。
やがて案の定、無言の時間が生まれる。
アンジェリカとエニシは互いに向かい合うものの、うつむき、目を合わせられていない。
「ったく。……ほら、エニシ。アンジェリカの話をちゃんと聞いてやれって。お前だって、喧嘩をしたまま、なんてのは絶対に嫌だろ?」
「…………ぐっ」
俺はそんな二人のギクシャクした姿を見て、我慢し切れずに助け船を出す。だがエニシはそれでも、唇を噛み、かたくなに口を開こうとはしなかった。どうにもエニシの方は、キャッチボールをすることすら拒否しているらしい。
そうなると、どうしようもないじゃないか。……これは、エニシのためでもあるのに。
「エニシっ! ……お前、いい加減に――」
俺はなぜか裏切られた気持ちになり、声を荒らげそうになった。
だがそれを――
「いえ。大丈夫デス、ユイちゃん。……怒られて当然なコトしたの、ボクの方デスから」
アンジェリカが、弱々しく笑って制した。
「アンジェリカ。でも……」
「いいんデスよ、ユイちゃん。こうやって、話を聞いてもらえるだけでも十分なんデス」
気丈に振る舞い、彼女は最後に「ありがとう」と、小さく頭を下げる。その言葉がまた、俺の胸を締め付けた。申し訳ないと、つい頭を下げてしまいそうになる。
それはきっと、彼女の期待に応えられなかったこと、それだけじゃなくて――
「――……だから! ここからは、ボクが勝手に、一方的に、自己満足で話しマスっ!」
「えっ? あの、アンジェリカ?」
と思っていたら突然に、アンジェリカは立ち上がってそう宣言した。虚を突かれた俺は、彼女の名を呼ぶものの、最終的にはぼんやりと見上げるだけ。それは隣に座っている少女も同じで、見れば唖然とした表情を浮かべていた。
そして、こちらを置いてけぼりにしたアンジェリカは、気合の入った様子で話し始める。
「ボクは、『★GOD★』さんにとても感謝してます。エニシちゃんは、ボクの知らない日本のコト、たくさん教えてくれたからデス! ……昔の日本アニメのコト、今の日本アニメのコト、そして掲示板で起こった色々な祭りのコト……――」
――教えてもらったことって、それサブカル関係ばっかじゃねぇかよ!
……などと、条件反射的にツッコみたくなってしまったが我慢だ、我慢。今は茶化すような場面ではない。黙って、アンジェリカの素直な気持ちを聞くことにしよう。
切り替えようとして、すっと俺が息をつくと、それはアンジェリカと同時だったらしい。
そしてそれがスイッチとなったのか、彼女のまとう空気が、静かなものに変わる――
「――……でも、それよりもデス。エニシちゃんは、挫けそうなボクを励ましてくれました。何度も、何度も……。もしもエニシちゃんの言葉なかったら、ボクはきっと、もっと早くに色々なコトを諦めてたと思うデス……」
アンジェリカはおもむろに、祈りを捧げるように、両手を胸の前で組む。
「エニシちゃんがボクよりも小さな、こんなに可愛い女の子だとは思わなかったデス。でも、それでも……アナタが、エニシちゃんが、ボクの大切な友達だというコトに、変わりはありません。だから……――」
彼女はそこで言葉を切り、右手をエニシへと差し出した。
そして――
「――……だからっ! こんなお別れ、したくないっ! 仲直りしたいっ! もっと色々なコトお話しして、一緒に遊びに行ったりしたいデス……普通の、お友達みたいにっ!」
――……そう、懇願した。
それはあまりにまっすぐで、純粋で、だからこそ心に響く――混じり気のない彼女の願い。ただ一心に、エニシとの仲を取り戻したいと、切実に願うからこその言葉だった。
「レディ…………」
受け取らざるを得ない。見過ごすことの不可能なボールだ。
ここに至って、エニシはアンジェリカを見てそう漏らした。自然に出てきたのは、呼び慣れた、親しみ深い友人のハンドルネーム。彼女にとっての、特別な名前だった。
エニシは拳をぐっと握りしめ、肩を震わせた。そして、震えの伝わった声で小さく言う。
「……あぁ、分かった。だが――」
しかし間を置かずに、エニシは言葉を続ける。それは、
「――一つだけ条件がある! 遊びに行くのならば、ユウも一緒に、だっ!」
「え……はぁ!? お、俺もっ!?」
俺の帯同という、まさかの条件だった。
想定外だった彼女の発言。その内容に俺は思わず声を上げてしまうが、しかし条件の提示を受けたアンジェリカは満面の笑顔を咲かせていた。今は驚きよりも、喜びの方が大きいのかもしれない。
そしてアンジェリカは、その表情のままエニシへと答えた。
「ハイっ! それでは、明日さっそく遊びに行くデスっ!」
流れに乗り遅れた、俺を放置したままで……。
◆◇◆
「それにしても、意外だったな。エニシの方から、遊びに行く話を振るなんてさ」
「む……?」
アンジェリカが帰ってからしばらく。すっかり日の落ちた頃になってから、俺はふとエニシにそう声をかけた。小さく唸るような声を発した少女は、こちらには背を向けたまま、端の方でテレビゲームに勤しんでいる。――ちなみに。やっているのは、有名な某格闘ゲームだ。
俺は手に持ったスマホの画面を見た。そこに映っているのは、一通のメール。
差出人は――アンジェリカだ。
内容は明日の予定を確認するもの。しかし、ただそれだけの内容だとしても、学校のアイドルからのメールだ。俺は若干ではあるが、言いようのない優越感を抱いていた。
「まぁ、お主の『縁結び』の件もあったからな。やむを得ず、といったところだ」
「なるほど、な。……ふぅん? まっ、そういうことにしといてやるよ。へへっ」
「……なんだ、ユウ。そんな気色の悪い声を出したりして」
「いやぁ? 別にぃ~? へへへっ」
だが、俺の機嫌が良い理由はそれだけではない。
それというのは、もちろんエニシのこと。今まで一度もこの部屋から出ようとしなかった彼女が、初めて、不器用ながらにも遊びに行くと言ったのだ。俺としても、アンジェリカとの対話をセッティングした甲斐があったというものである。
それに、俺は見逃さなかった。――アンジェリカの
あの時エニシは瞳を揺らし、今にも泣き出しそうな顔をしていたのだ。それはつまり、この浮世離れした少女にとっても、友達というのは大切なものであるという証拠。
今は背を向けてつれないことを言っているが、きっと内心では、喜んでいるに違いない。
「にゅっふふふ、にへへへへへへっ」
「………………うわぁ」
そう考えたら、嬉しくなって笑いが漏れてしまうのも必定だと言える。――エニシにドン引きされているような気もしたが……うん、きっと気のせいだな。そうでないとおかしい。
そんなわけで俺は現在、非常に満たされた心持ちなのであった。
「……はぁ。それにしても……――」
と、いうところで、不意にエニシはため息をつき、そう切り出した。
やや暗い雰囲気の声だったが、上機嫌な俺は特に気にすることもなく少女の言葉の続きを待った。そして、そのまま待つこと数秒。
ゲームの電源を切ったエニシは、そのままの体勢でぼそりと、こう言った。
「――……ユウよ。余計なことをしてくれたな」――と。
「…………何だよ、それ」
背筋が冷たくなる。頭の中が、一瞬で白く染まっていく。
俺は無意識のうちに、エニシへとそう言い返していた。込められた感情は怒りだったのか、それとも悲しみだったのか。それはもう、判断が出来ない。
唯一確かなことは、エニシによって、俺のやったことが真っ向から否定されたということ。
「……お主のやったことは、余計なことだったのだ。ユウは、儂に気を遣う必要などなかった。儂のことなど気にせずに、アンジェリカのことを考えていれば、それでよかったのだ」
「なっ!? どうして、そんなこと――」
「――そもそも、だ。儂はお主に、このようなことを頼んだ覚えはない。アンジェリカがレディだと気付いた時点で、ユウは儂を利用すればよかった」
俺をさえぎって、少女は淡々と否定を重ねていく。
こちらが善かれと思ってやったことはすべて、独善でしかないのだと。エニシの口から紡ぎ出される音の連なりは、俺の心から平静を削ぎ落としていった。
「神が『縁結び』を行う際に人と関わるのは、あまり褒められたことではない。悪手なのだ。……儂は、それをやって失敗した大馬鹿な神を、よく知っている」
「どう、なったんだ……?」
俺はただ彼女に聞き返すだけの機械となる。
そして、そんな俺に突き付けられた現実は、想像するよりもさらに非情で――
「――……死んだよ。人に求められない神様など、存在する意義がないからな」
「―――――――――」
世界から、心臓の鼓動以外の全ての音が消えてしまったのような気がした。
俺は呆然と、腕を組んで座る見習い神様の後ろ姿を眺めているだけ。ついさっきまで隣に座っていた少女が、跡形もなく、消えてしまうかのような幻覚に呑み込まれそうになる。
喉が渇く。舌が回らない。そもそも、言葉が見つからなかった。
「お前は……明日、どうするんだ……」
その状態でどうにか絞り出したのは、そんな問いかけ。
あまりに無意味な問いにも思えた。
「今回の儂はただのきっかけに過ぎない。当日は儂のことなど忘れ、アンジェリカとお主の二人で遊んでいればいい。……心配するな。儂は――」
だが、それに対する彼女の答えが――
「――……独りでいることには、慣れているのだからな」
――失いかけていた俺の感情を、呼び起こした。
「…………違う」
俺の声が、音のない部屋の中に響く。
それは違うと、揺らぐことのない確信が俺の背中を押していた。
なぜなら、知っているから。――俺は、エニシが孤独に泣いていたことを知っているから。
エニシはレディ・A――すなわちアンジェリカが待ち合わせの時間に来なかったこと。信じていた友人に約束を破られたと思ったことで、孤独を感じたことで、泣いていた。そんな奴が、独りでいることに慣れているなんて、ありえない。
きっと本当のエニシは寂しがりで、だからこそ放っておけない。そんな女の子なんだ。
俺は立ち上がり、彼女のもとへと駆け寄る。
そして肩を掴み、こちらを向かせ――
「エニシっ! 嘘を吐くんじゃな――――――…………っ!?」
――……息を呑んだ。
「エ、ニシ……? お前……」
少女の顔を見た瞬間に、俺の思考は完全にフリーズした。それはもう、自力では復旧が不可能なほどに大きな損傷。絶望という二文字だけが脳裏を過ぎっては、また戻ってくる。
それほどまでに今、ここにいるエニシという少女には……――
「お邪魔いたします~。エニシさんにユウさん? 『縁結び』の進行状況はどうなっていますか…………って、あらあら? 何事でしょうか、この重い空気は……?」
その時だ。
場の空気にはそぐわない緩さで突如として現れた人物があった。
瞬間的な光の中から現れた白雪髪の美女――エニシの上司である、イズモさんだ。先日と変わらぬ紫色の着物に袖を通した彼女は、ふわり。床の上に着地すると、口元に手を当てながら目を丸くして驚いていた。
俺はそんな場違いなイズモさんに、挨拶もせず。単刀直入に――
「すみません、イズモさん。少し話したいことがあるので、外に出てもらえますか?」
――……そう言って、彼女を家の外、エニシから離れた場所へと連れ出した。
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