第七話 遭遇
玄関から我が家に入ると、俺を出迎えるのは正面に階段、左手に居間へと続く廊下である。
中流家庭の、極めて一般的な二階建ての一軒家。築二十年を経過した板張りの床は所々ゆがみ始め、そろそろ何かしらの対策が必要だろうと、両親は話をしていた。
そんな、見慣れた光景。
だがしかし、一つの例外を挙げるとすれば――
「あ、あにき。お帰――」
「あぁ、ただいま」
「お邪魔しますデス。えっと……ユイちゃんの、妹さんデスか?」
――帰宅した俺の隣に、金髪の美少女……アンジェリカがいる、ということ。
たまたま階段を降りてきた妹が、硬直する。口を半開きにして、視線は見慣れぬ来訪者に固定されたままピクリとも動こうとしない。その様子はさながら未知との遭遇と言っても過言ではなく、大きな衝撃が妹の身に襲いかかっている。そのことがよく分かった。
「……ひゃ、ひゃい。そうでひゅ」
「むぅ、羨ましいデス。こんな可愛い妹さんがいるなんて……それなんてエロゲ? デス」
「い、いえ。そんあこと、ないでひゅ……」
妹は顔を真っ赤にして、緊張のあまりに舌足らずな話し方になっていた。かなり狼狽えているため、アンジェリカの問題発言にも、まったく気付いていない。
しかし、今はここで足止めを食っている暇はない。
だから――
「ちょっとそこ、どいてくれないか? 俺とアンジェリカは、部屋でやることあるから――」
「――ヤ、ヤることっ!? あ、ああああにき、そんな顔してなかなかっ……」
――そう言ったのだが、なぜか悲鳴に近い声を上げて興奮する妹。小学六年生。
「ん? どうしたんだよ。そんなに鼻息荒くして」
その異変が気にかかって俺が聞くと、「な、なんでもない!」と叫びながら頭を左右に、ぶんぶんと振っていた。アンジェリカに助けを求めようと視線を送るが、にやけ顔で妹を眺めているだけ。――俺の中で、彼女のイメージが音を立てて崩れていく。それも、たった一日で。
「は、はいっ! どうぞお楽しみくださいッ!」
「…………
そうこうしていると、妹は意味不明なことを言いながら道を譲ってきた。
思わず俺がツッコみを入れると、
「ナニをだよぉっ!?」
これまたどういった訳か、同じ言葉が、怒気をはらんだイントネーションで返ってきた。
「お、おい。お前どうしたって言うんだ? 何か様子が変――」
「――うっさい死ね! バカあにき! この色魔!」
「はぁ!? なんだよそれ……」
もう、何がなにやら。つーか、なぜ色魔? これ、反抗期ってやつか?
俺には妹の言っていることの意味が、ちっとも分からない。分かるのは、現状この妹には話がまったくと言っていいほどに通じないだろう、という一点のみ。
でも、この先のことを邪魔されないため、これだけは断っておかないといけない。そう考えた俺は念押しするように、語気を強めてこう言った。
「……おい。絶対、盗み聞きなんてするんじゃないぞ? もし、そんなことしたら――」
さらに『マンガの続きを貸さないぞ』と、脅し文句を入れて牽制。……しようとしたのだけれど、それよりも先、涙目になった妹は叫ぶようにして言い放った。
「盗み聞きしないし、邪魔もしない! するわけない! あにきの……バカァ――ッ!」
「あっ、おい! それってどういう……いっちまった。何だったんだ?」
居間へと向かって駆け出す妹。俺は彼女が消えていったドアを見つめ、首を傾げた。
……いや。だから、いったい何なのさ。
「まぁ、いっか。どうせ、たいしたことじゃないだろうし」
「???」
ちらり、アンジェリカの方を見てみても、俺と同じ。理解できていない様子だ。
だが、すぐに忘れることにした。やることは他にあるのだから。
俺は半端になっていた靴を脱いで階段に足をかける。首だけで振り返ると、アンジェリカも同じように、しかしどこか緊張した面持ちでついてきていた。それを確認し、一つ息をついてからスマホを取り出す。
アプリを起動して、友達一覧から選ぶのは当然――――エニシだ。
「あの、ユイちゃ――」
「――しっ! 静かに。ホシは間違いなく、この先にいる」
不安げに声を発したアンジェリカを、口の前に一本指を立てて制する。それを見た彼女は、口を真一文字に結び、何度か瞬きをしてから頷いて了解の意を示した。
「……ふぅ」と、俺は気持ちを落ち着ける。
そして、部屋にいるのであろうエニシへと意識を向けた。
コンピュータ室で提案したこと。それは無論――二人を引き会わせるということだ。
だが俺のやろうとしていることを知れば、天邪鬼なエニシだ、すぐに姿を隠してしまうことだろう。そうなれば、すべてが水泡と帰してしまう。
それでは、絶対にダメなのだ。
そう。すべて――それには他ならぬエニシのことも含まれているのだから……。
『帰ったのか? 何やら騒がしいが、どうかしたのか?』
トーク画面にはそんな文字が浮かんでいた。
幸い今はまだ、エニシはアンジェリカの存在に気づいてはいないようだ。ならば予定通り、このまま慎重に進むとして、それと並行して、俺は彼女へ返信する文章を打ち込んでいた。
完成してもすぐには送信しない。それを送るのは――
「……よしっ。中にいるな、間違いなく」
自室の前に到着した。ドアに耳を当て、ゲームの音がしているのを確認する。
俺はもう一度振り返って小さく頷き、アンジェリカに無言の合図を送った。彼女は胸に手を当て、深く、しかし静かに深呼吸を繰り返している。まだ、余裕がないのかもしれない。
――彼女の心臓が、耳元で脈打っているかのように感じられた。
それでも、いつまでもここで待っているわけにはいかない。
だから――
『レディ・Aを連れてきた』
短いその一文を、エニシへと送った。
するとガタッ! と、何かを蹴るような音がしてから、
『(゜p゜)…………』
という、何とも言えない顔文字が返ってきた。
「………………」
……なんだ? コレ。
『念力的なもので文章を送る』とは言っていたが、これはどういう意味なのだろうか。文章を送れるほどの余裕もなかったら、このようになるのだろうか……?
と、そんなことを考えてしまっていると、スマホから着信音がした。
『ちょ、おぬっ!? ちょっと、用事を思い出したからあああ、ウボァァー!?』
「っ! 逃がすかッ!」
そこに書かれた字面でようやく我に返った俺は、すかさずドアノブに手を掛ける。そして勢いよく捻ろうとしたのだが――――ズシリ。なぜか、信じられないくらいに固かった。
――ちなみに、だ。俺の部屋には、鍵などというプライベート保護機能は存在していない。
だとしたら、犯人は一人しかいない。それはもちろん――
「エニシ! 何しやがるんだ、中に入れやがれ!」
「なななな何を言うか、この痴れ者がっ! うら若き乙女のいる部屋に押し入ろうなど――」
「――だぁれが乙女だ! この居候ニートっ!」
ドア越しに口論する俺とエニシ。口ではこちらが優勢であるように思えたが存外、腕力比べでは拮抗していた。腐っても神様。普通の女の子とは違う、ということだろうか。
だがその力関係も、唐突に崩れることになった。
それはアンジェリカの――この、一言によって。
「『★GOD★』さんっ! ボク、あなたとちゃんと……お話ししたいデスっ! お願いしますっ!」
「――……ボ、ボボボボっ、ボクっ娘だとおおおおおぉぉぉぉ――――――――――ッ!?」
――そっちかよっ! ある意味流石だな、お前っ!
と、内心でツッコみを入れた俺だったが、このチャンスを見逃す手はない。軽くなったドアノブを回し、思いっきり押し開く! ――すると現れるのは、顔面蒼白な廃神少女。
城壁を破られた彼女は、声ならぬ声を漏らしながら後退する。が、その時だ。
狼狽えて冷静さを失ったエニシは、身の丈よりも長い自身の髪を踏み、
「ふがぁっ!?」
顎をガクンと持ち上げ、そのまま真後ろに倒れそうになる。
鼻から抜けるような声は、愛らしさの欠片もない。みっともないものだった。
「あ、あぶないっ!」
そうは思ったのだが、俺はとっさに手を伸ばす。そしてどうにか、彼女のジャージの端を掴むことは出来た――のだけど、この先はいわゆる『お約束』というやつなのだろうか。
倒れゆく少女に引っ張り込まれる形になった俺もまた、踏み止まることが出来ず――
「うわっ!? ――くっ、いってぇ…………………………あっ」
「――――――――」
その結果、黒い絨毯の上、仰向けになって転がるエニシに馬乗りの状態に。両手は彼女の顔の横に叩きつけられていた。さながら暴漢が、幼き少女を脅しているかのようでもある。
そして渦中の少女――エニシは絶句し、円らな瞳には大粒の涙を湛えていた。
「あぁ……――」
それを見て、俺は思った。――死んだ、と。
それは決して、アンジェリカが誤解を、という社会的な意味ではない。彼女は最初から、一連の流れを見守っていたのだから、そのような勘違いをすることはないだろう。
ならばなぜ、そのように考えるのか。――その原因は、エニシにある。
何を隠そうエニシは、男性恐怖症なのだ。触れられると我を忘れ、泣き叫ぶ。
そして、そのことに加えてコイツは、曲がりなりにも神様だ。以前に『呪いを……』とか呟いていたこともあったが、それも冗談ではない可能性は十分にある。
俺は、生殺与奪の権を握られているのだ。
すなわち――
「――……まな板の上の鯉、か」
「ふえっ……って、誰がまな板だああああぁぁぁぁ――――――――ッ!!」
「ごふっ!? ――……がはっ!」
ついつい考えていたことを漏らしてしまうと、鳩尾に強烈な一撃。さらに追撃として、脇腹めがけて蹴りが打ち込まれた。痛みに悶え苦しみ、俺はうめき声を上げながら横倒しになる。
対してエニシはすり抜けるようにして脱出し、涙目のまま、眉尻を吊り上げていた。
見下ろされた俺は、患部を押さえながら声を絞り出す。
「よ、よぉ。お前、男性恐怖症……じゃ、なかったのか……よ……」
「貴様の言葉で、逆に冷静になったのだ! 不能にされなかっただけありがたいと思え! あと、今のイベントを起こすならば本来、儂ではなくヒロインと、だ! ――……この無能が!」
吐き捨てるようにエニシは言った。目には、変態を睨むような侮蔑の色が浮かんでいる。
「い、言ってくれるじゃねぇか……ぐふっ……」
俺にも言い分はあった。しかし、想像以上に深く蹴りが入っていたのか、いつまでたっても痛みが引かない。そのため、言い返そうにも喋ることさえ困難になっていた。
――泣き寝入りするしかないのか?
だが、そう思っていた俺に優しく声をかけてくれる人物がいた。
「だ、大丈夫デスか、ユイちゃんっ!?」
その人物とは、アンジェリカだった。
彼女は一目散に俺のもとへと駆け寄り、身体を支えてくれる。おかげで俺は、どうにか身を起こし、壁に身をあずけることが出来た。
「あ、あぁ。ありがとう、アンジェリカ」
礼を言うと、にっこりと笑うアンジェリカ。その笑顔は、どこかの暴力廃神娘には見られない、とても明るい輝き。みんなから愛されるのも頷ける輝きだった。
だから俺は、少しは見習えと、そういう意思を込めてエニシを見る。――が、
「……なんだよ、エニシ。そんな人を小馬鹿にしたような顔をして」
視界に捉えた少女は、仁王立ちをして口角を意地悪く上げていた。ジト目でこちらを睨め付けて、両手の甲を腰に当てている。そうして彼女は軽く鼻を鳴らしてから――
「バカを見ているのだから、当たり前だろうが」
そう言って、大げさに肩をすくめてみせた。
「はぁ? お前、何言ってんだ。理由を言ってみろよ、理由を」
「ふむ。……ならばヒントだ。儂がお主に教えた、二つの条件を思い出してみるがいい」
「二つの条件……? それってアレだろ。たしか――――あっ!」
そうだった。基本的なことを忘れていた。
アンジェリカには、エニシの姿は見えない。なぜなら彼女は、神様の姿が見える二つの条件に、当てはまっていないからだ。――エニシ自身も忘れていたようだが。
つまるところ俺は、誰もいない部屋に向かって声を荒らげ、突入し、勝手にスッ転んで、最後には謎のうめき声を上げて苦しみ始めた――――どう考えても、ただの変態じゃないか。
――なんてこった! 俺はいつの間にか、社会的な死を迎えていたのか!
「あ、あの、ユイちゃん。そんな青ざめて、どうしたデスか? 大丈夫デス?」
「プギャーwwwwwwマジワロタwwwwww」
気付いてしまうと、アンジェリカの慰めが辛い。そしてエニシの煽りがウザい。
頭の中が真っ白になった俺は、奥でこちらを指差し嘲笑するエニシを見つつ、アンジェリカの言葉には曖昧な返答をしていた。何を答えたのかは、あまり覚えていない。
試験の合否を気にしろよと、そうエニシにツッコみを入れてやりたかった。だが、その気力すら湧いてこない。完全に、俺は抜け殻の状態になってしまっていたのだった……。
「そう、デスか。それでは……――」
心配そうに眉を下げてそう言い、金髪の少女は立ち上がった。
こうなっては、彼女がここにいる理由はないだろう。結局俺は、アンジェリカの期待に応えられず、ただ悪戯に、心を掻き乱したに過ぎなかった。裏切りにも近い行いだ。
本当なら、糾弾され、罵られてもおかしくない。
それなのに彼女は――
「――……そちらの、えっと、エニシちゃん? あなたも怪我はなかったデスか?」
――エニシを見て、優しい声でそう言っ…………………………ん?
「「…………はい?」」
俺とエニシは同時に音を漏らし、顔を見合わせた。
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