第六話 『デモハン』
放課後になると、生徒たちはみんな曲がった弾丸のように飛び出して行く。教室に残されるのは、不運にも、週替わりの清掃当番を言い渡された者たちだけ。――そう、俺のように。
アンジェリカには先に目的地に行ってもらうことにして、俺はなるべく早くに掃除が終わるよう努めた。するとその成果があったのか、想定の半分の時間で任務を完了。額にじんわりと滲んだ汗を拭いつつ、俺は同じく清掃当番だった雄山に声をかけた。
「――……ん? なんだ。今日は一緒に帰らないのか?」
「あぁ、悪いな。ちょっと用事が出来てさ」
「ふーん。あっそ、了解」
彼は教科書を詰め込んだバックを肩に掛け、興味なさげに答える。
共に帰宅部に所属している俺と雄山は、自然と一緒に帰ることが多い。それが出来ないときは、何か特別な事情があったりするのだが、今回は奇跡的に追及がなかった。
俺は自分のバッグを肩に掛け、その反面、内心では肩の荷が下りたのを感じている。
なぜなら、この男にだけはバレるわけにはいかないから。全校生徒のアイドルたるアンジェリカと俺が、放課後に待ち合わせをしているなんて、絶対にバレるわけにはいかない。
バレたら最後――この男は絶対に妨害してくる。その確信が俺にはあった。
「それじゃあな、鵜坂。お先に」
「おう、お疲れ~……――」
そのため、雄山が教室を出て行ってから数秒後。俺は小さく――
「――……よっし」
ガッツポーズ。何か一つ、大きな壁を越えたかのような達成感があった。
「……っと。でも、本題はここからだったな」
緊張感から解放された余韻に浸りたいところではあったが、アンジェリカを待たせている。それに真に難しいのはここからで、まだやっとスタートラインに立ったに過ぎない。
俺は気持ちを切り替えるように深呼吸をしてから、教室を後にした。
そして、目的地へと早足で歩く。それほど時間はかからない。階段を上がって三階へ行き、ちょっと進めばそこについた。――俺の目の前に現れたのは、一つの特別教室だ。
入り口に張り付けられたプレートには、ゴシック体の太文字でこう記されていた。
「それにしても、どうして……ここなんだ?」
――……『コンピュータ室』、と。
活発なイメージのある金髪の少女に不釣り合いなところ。偏見で申し訳ないが、このような場所が似合うのは、俺の部屋に居候しているニートな廃神少女の方だろうと思う。
「そういや、昼休みもここから……いいや、考えても無駄か。それに……」
その理由は、中に入れば自ずと分かるだろう。考え直し、俺はドアに手を掛けて、
「失礼しまーす……」
遠慮気味な挨拶をしながら、身体を中へと滑り込ませた。
すると目に飛び込んできたのは、通常の教室の倍はある広い空間。そして、ズラリと並べられた大量のパソコンだ。どれも最近導入されたばかりの新品で、おそらくエニシが見たらよだれを垂らして歓喜するものばかり。そんな最新機器の前の椅子に腰かけ、一心不乱にキーボードを叩いているのは、誰もがメガネをかけた、まさしく! ――といった生徒たちだった。
そんな中だからだろう。目的の人物の洗練された風貌は眩く、よく目立っていた。
「遅くなってごめん。アンジェリカ」
「あ、ユイちゃん! いいえ。オソージ、お疲れデスっ!」
最後列の席に座っていた目的の人物。言わずもがな、アンジェリカに声をかけると、彼女はにっこりと笑って労ってくれた。そして、隣の席に座るように促してくる。
俺は素直に従って、教室のそれとは違う感覚に身をあずけた。
「それで、どうしてここなの? なにか、理由があるのかな?」
「えへへ。えっとデスね、じつは――コレをやるため、なのデス」
「……え? これって、もしかして――」
アンジェリカに手招きされて、彼女がしようしているパソコンの画面を覗き込む。そうするとなぜか、俺もよく知る映像が映し出されていた。――人工的に生み出された高原に、武器を携えた青年がたたずんでいる。そんな、つい先日も見ていた映像。
同時に脳裏を過ったのは、気持ち悪い笑い声を発している少女の背中だった。
そう。これは、どう見ても――
「――……『デモハン』? でも、どうして……」
――……『デーモンズ・ハンター』。
我が家のニートがこよなく愛する、世界的なオンラインゲームだ。
「えっ!? もしかしてユイちゃん、『デモハン』知ってるデスか!?」
こちらの反応が予想外だったのか、頭上から驚きの声が落ちてきた。俺は疑問を抱えたままではあったが、軽く頷いて、
「あ、うん。知ってるよ。アカウントも持ってる」
深く考えずに返事をした。すると――
「本当っデスかっ!? だだ、だったらユイちゃんは、どのクラスで遊んでるデスかァッ!」
――ガバァッ! という擬音がつくほどの勢いで、俺は両肩を鷲掴みにされた!
そしてグルンと、身体を無理矢理に捻られる。その犯人は疑いようもなくアンジェリカだったのだが、俺は何が起こっているのか理解が出来ていなかった。
ただ突然に、目の前に現れた彼女の顔を見て……――
「えっ? ア、アンジェリカ!? なにを――――――あ」
――……すべてを悟った。
俺は、この
目と口とが大きく開かれている。嬉しさのあまりに上気した顔。呼吸は荒くなり、全身が大げさなほどに上下動。掴む指先にはだんだんと力がこもり、肩の骨が軋み始めた。――痛い。
うん、知っている。何度も見た。それもここ最近――自分の部屋で。
「くぅーっ! まさか、ユイちゃんも『デモハン』ユーザーだったなんてっ! やっぱり、このゲームの素晴らしさは、分かるヒトには分かるデスねっ! ――ユイちゃんも、そう思うでしょうっ!? そうに違いないデス! 絶対そうデスっ!!」
「あの、うん。そう――」
「――デスよねっ! このハイクオリティな仮想空間のグラフィック、細部までこだわり抜かれたクリーチャー造形、多種多様な武器と防具のバランスとセンス、そして何よりも、クエストごとに紡ぎ出される綿密なストーリーと人間関係! これぞオンラインゲームの最高峰! ボクの愛する日本の技術の結晶デス! そして、さらに――」
「――…………」
――……まるで会話にならない。それに、誰もそこまで聞いていない。
でもそれをそのまま、こういった人に言ったところで聞いちゃもらえない。彼らは自分の話したいことを話すタイミングを探って、ねじ込んでくるのだ。さらに悪化すれば、会話全体の流れをぶった切ってまで話すのだから手に負えない。
だから、こういう時は早めに――
「ユイちゃん、ユイちゃんっ! 今すぐ、一狩り行きマスか――あがががががががっ!?」
――力技である。
俺は彼女の肩を掴み返し、渾身の力で揺すった。無言で。
首の座っていない乳児のように、激しく頭を前後に振るアンジェリカ。そうやって『デモハン』のことが脳ミソの中から排除すると、呆けた表情の彼女とご対面となる。
この方法を思いついたのは、むろんエニシと会話していた時だ。まさか、こんなところで役に立つとは、夢にも思わなかったのだけれど……。
「はえっ!? ……ユイちゃん? ど、どうしたデスか?」
「さぁ。少し、頭、冷やそうか。アンジェリカ……本来の目的は何だったのかな?」
「――…………はっ! そ、そうデシた! ありがとデス、ユイちゃんっ!」
金髪の少女は、ようやく気付いたらしい。こちらに感謝の言葉を述べると、乱れてしまったサイドアップの髪を整える。
そして改めて、こほんと、軽く咳払いをしてから、
「ユイちゃんがアカウントを持っているなら、話が早いデス。『デモハン』についての説明も、省いていいデスよね?」
何事もなかったかのように仕切り直した。――エニシのように泣き出したりはしないので、アフターケアの必要がない。そのためこちらとしては、多少であるが、ありがたく感じた。
……まぁ。面倒に感じる度合いは、両者ともに遜色ないけどさ。
「たぶん。物凄いライトユーザーだけど――もしかして、その友達もユーザーなの?」
「ハイ、そうなんデス。そのヒトと会ったのは、深夜にプレイしてた時だったデス」
ピンときた俺が尋ねると、それはどうやら正解だったらしい。アンジェリカはそう言ってカチカチと、慣れた手つきでパソコンを操作する。
そして、思い出すような口調でこう続けた。
「その人は今、この町に来てるらしいデス。だから、最後に会ってお礼が言えると思ってたデス。でも、その話をする前に怒らせて……昨日から、ずっと会ってもらえナクて――」
「――え? 昨日から? 昨日って、一日メンテナンスしてたんじゃなかったのか?」
そこまで黙って聞いていたが、俺はそう口を挟んでしまった。理由は、家にいるエニシのことを思い出したから。
エニシは昨日、『デモハンはメンテナンス中だ』と言っていた。あの後も、押し入れから古いゲームと箱型のテレビを引っ張り出して、勝手にプレイしていたのだ。
だからてっきり、本当にしたくても出来ないのだと思っていたのだけど――
「メンテナンス……デスか? してなかったと思うデス、けど。――あの、すみません!」
首を傾げ、顎に手を当てて思案顔になったアンジェリカは、立ち上がって声を上げた。その行く先は、二つ前の席に座って、同じく『デモハン』に興じているふくよかな男子生徒。
パツパツの制服に袖を通した彼は、ゆっくりとした動作で振り返った。
「ど、どうしたでござるか? アンジェリカ氏」
「あの、つかぬコトお聞きするデスが、昨日はメンテナンスあったデス?」
するとくぐもった声で、「な、なかったでござるよ?」と男子生徒。――その証言をもって、俺の中では一つの確信が生まれた。
どうやらエニシは、昨日の朝、『レディ・A』というユーザーに約束を破られたことが、想像以上にショックだったらしい。だから嘘をついてまで『デモハン』から距離を取っていたのだろう。――……なんとも、天邪鬼な態度である。
「ありがとデス! ……それで、ユイちゃん? どうしてそんなコト、聞いたデスか?」
「ん? あぁ。いや、別に。こっちの話だから、気にしなくていいよ」
俺の答えに「そうデスか?」と、また首を傾げ、不思議そうな表情をするアンジェリカ。
とりあえず今日家に帰ったら、エニシの話を聞いてやろう。睡眠を妨害されるのは嫌だが、このまま放っておいたら、彼女はきっと落ち込んでいくだろう。そんな姿は、見たくはない。
そう決心してから、俺は思考を目の前の出来事へとシフトさせた。そして――
「ところで、ずっと聞きたかったんだけどさ」
「にゅ? どうしたデス?」
不意打ちだったのか、変な声で鳴いて答える少女。そんな彼女に、
「どうして、俺だったの? さっき声かけた人も知り合いみたいだし。『デモハン』のことで相談するんだったら、俺なんかよりも……――」
そう質問を投げかけた。それは、昼休みの時から抱いていた疑問。
――なぜアンジェリカは、俺にこの悩みを打ち明けてくれたのか、ということだ。
同じクラスと言っても、たまに挨拶を交わす程度の間柄に過ぎなかった俺たちだ。しかも、今の男子生徒との話を聞いていると、適任者は他にもいるような気がした。
だとしたら、俺ではなくてもよかったのではと、結論付けてもおかしくはないだろう。
「――……こんなこと、そんな気軽に相談できないデス」
「えっ……?」
言った、というよりも、漏れたという表現の方が正しい。そんな彼女の声だった。
パソコンの画面を見ながら目を細めている彼女の横顔を見ていると、今の言葉には、他の意味が含まれているようにも思えた。――もちろん。俺の気のせいかもしれないが。
「それって――」
「――あとは、まぁ……『縁』と、言ったらいいデスね!」
だが、そのことを確かめようとする前に、笑みを浮かべてアンジェリカは口を開いた。
飛び出した言葉がタイムリーなものだったこともあり、思わず俺は黙ってしまう。そうしているうちに、彼女は腕を組んで、何かを考えている様子だった。
そして、次に出たのは――
「えっと、そう! 日本のことわざにあったデス。袖触れ合うもハラショーな縁、と!」
「いや、それ間違ってるから! 『他生』だよ! なんで、そこだけロシア語っ!?」
――そんな、絶妙な勘違いであった。てかキミ、ドイツ系だったよね?
「えっ!? ち、違うデスか!?」
思わず語気を強めてツッコむと、アンジェリカは目を丸くして驚いていた。すぐさまスマホを取り出し、検索をかけている。――どうやら、ガチの勘違いらしい。
「あー……うん。まぁ、今はいいんじゃないかな? それよりも、『デモハン』やろっか」
そして、そんな彼女の姿を見ていると、色々とどうでもよくなってしまった。
俺が言うとアンジェリカは「そ、そうデスね!」と、またもやハッとした表情。おたおたと姿勢を正して、パソコンに向かい直す。そして、息を整えてからマウスを操作し始めた。
「それで、アンジェリカ。その友達との約束を破ったって言ってたけど……」
俺は、そんな彼女のキリっとした横顔を見ながら言った。
必要な情報ではあったが、何をしたのか、というのは呑み込む。だけどアンジェリカはこちらの意を察したのだろう。ゆっくりと瞬きして――
「ハイ。昨日の朝に、一緒にクエスト行く約束してたデス。四時過ぎで早かったデスけど、ボク、必ず行くって言ったのに――」
「――……ん? 昨日の四時?」
「え? あ、ハイ。そうデス。……どうしたデス、ユイちゃん? 顔が優れませんよ?」
「………………」
――……いやいや、まさか。そんなに世間は狭いわけがないだろう。
アンジェリカの言葉を耳にした瞬間、俺の中で何かが繋がった気がした。そしてその気付きは、激しい動揺を喚起させる。――目前の少女の間違いに、ツッコむことが出来ないほどに。
「……えっと、それで。コレが、そのヒトとの最後のチャット――」
少女はポカンとしながらも、俺への説明を続行。すると画面はすぐに、緑の広がったフィールドから、ユーザー同士の個人間チャットへと移行した。
真っ黒な中に横書きの青い文字が踊っている。会話は一昨日の夜、別れのあいさつで終わっていたが、それ以降、相手がログインした様子はない。ただただアンジェリカ側が出たり入ったりを繰り返しているのが見て取れた。
『ごめんなさい。もう一度、ちゃんとお話ししたいです――』
その隙間には、切実なアンジェリカの願い。そして、その相手の名前は――
『――……★GOD★さん』
――エニシの使用している名前と、全く同じ。
俺は慌てて、アンジェリカのユーザー名に視線を動かした。すると、そこにあったのは予想通りながらも、しかし反面、とても信じられない。想定外の名前であった。
「――……『レディ・A』」
口に出すと、隣の少女が反応する。それによって改めて、間違いないのだと実感した。
つまりは、こういうことだったのだ。
エニシの悩みとアンジェリカの悩み、そして何よりもエニシの『縁結び』の問題。それらをまとめて解決する方法が今、俺の目の前に転がり落ちてきた。
だったら、どうするのか――
「ねぇ、アンジェリカ? あのさ――」
――迷う必要はないだろう。やることは、もう決まっている。
そう思った俺は、ぼんやりとするアンジェリカに、ある一つの提案をしていた……。
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