第二十一話 誓い、そして再会

――――

――


「――……こんなのって、ないだろ」


 半分まどろみに足を踏み入れたままで、俺は開口一番にそう呟く。


 これで、すべてが繋がった。エニシの残した言葉や、行動の持っていた意味が。

 依然として不鮮明な視界を右手で拭って、すっかり硬くなった身体を持ち上げた。そして隣を見る。するとそこには、静かに、イズモさんが正座していた。


「おはようございます。鵜坂さん……いかがでしたか?」


 そこでやっと俺が目を覚ましたことに気付いたらしい。


 イズモさんは、いつものように丁寧な口調でそう聞いてきた。しかし俺は答えることが出来ず、無言の間が場を包み込む。

 昼となっても降り止まぬ雨だけが、その時間を埋めていた。


「貴方は、どう思いましたか? エニシさんの過去を知って、苦しみの理由を知って、何を考え、何を思い、そして……これから、どうしようと思われましたか?」


 黙っていると、先に耐えられなくなったのは彼女の方だ。今ほどした質問の内容をより掘り下げて、今後のことについても尋ねてきた。

 俺はイズモさんから目を離して、そっと、窓の外を見る。そして――


「そう、ですね……」


 そう切り出しながら、頭の中で考えをまとめ始めた。

 今の映像を見てから考えたこと。まず、第一に思ったのは――


「エニシを泣かせた奴を殴ってやりたくなりました。――なんてことをしてくれたんだ。お前のせいで、エニシはどれだけ苦しい思いをしてきたのか、分かってるのか……って。一発じゃ足りないかな……出来るなら、気の済むまで殴ってやりたいです」


 少女を押し倒した男への、行き場のない怒りだった。

 エニシは何も悪くない。それだと言うのに、あの男は自分のことだけを考えて、彼女のことを裏切った。少女のまっすぐな思いをへし折って、心に深い傷を負わせたのだ。


 それは、とても許せる行いではない。許されるわけがなかった。

 ただ、それでも――


「でも俺には、きっと出来ないです。そんなこと……」


 ――俺には、彼を殴る資格がない。

 なぜなら、一歩間違えば同じことをしていたかもしれないから。


 昨日、エニシがすぐに逃げていなかったら、俺も彼女に対して何をしていたか分からない。皮肉な話だが、過去にあの男が少女を傷つけていたから、俺はまだ罪を犯していない――そう表現しても、決して間違いではないように思えてしまった。


 そして、それに加えて理由はもう一つ――


「それは、何故ですか? 教えていただけますか」


 イズモさんが薄く目を開けて、話を促してくる。俺はゆっくりと、口を開く。

 そして、きっとこれが一番の理由。


「どうしてあの男が、あんな行動を取ったのか、分かったんです。分かってしまったんです。だってアイツは、俺と同じだったから。俺と、同じで……――」


 それを俺は、深く息を吸ってから口にした。



「――……本気で、エニシのことが好きだったから」



 すると、胸の奥に火が灯る。


 だんだんと、熱を増していくのが分かった。

 俺はそっと手を当てて、その感覚が勘違いでないことを確かめる。そしてホッと息をつきながら、いくらなんでも気付くのが遅すぎだと、自分でも思った。これでは、アンジェリカに『鈍感さん』だと言われても仕方がない。


 そう思っていると、どうにも自嘲的な笑みが出てしまった。


「……あら? エニシさんのどういったところが、お好きになられたんですか?」


 恥ずかしさと情けなさから頬を掻いていると、イズモさんが言う。

 横目で見ると彼女は、口元に手を当てて、今日初めての微笑みを浮かべていた。どうやら今の答えは、この人のお気に召す内容であったらしい。その表情にはどこか、獲物を視界に捉えたヘビのような雰囲気が漂っていた。


「正直きっかけは、ハッキリとは分からないです。ただ……――」


 だとしたら、もう逃れることは出来ないのだろう。

 そのため俺は前置きをして、素直に答えることにした。部屋の中にいるエニシを想像しながら、その時に抱いていた感情を思い出す。


 そう。俺は……――


「――……目が離せなかったんです。縁結びしないと彼女が消えてしまうからとか、そういった理由が先にあったんじゃなくて、もしかしたら出会った時から。義務感だとか、関係なしに。本当はまっすぐで優しいのに、不器用なせいで苦しんでいる彼女を放っておけなかった。そうしたら、いつの間にか、好きになっていたんです。……だから――」


 もしかすると、一目惚れに近いのかもしれない。


 一度だけ言葉を切って、「あぁ」と、小さく声を漏らした。

 そうだ。そうだった。俺がしたかったことは、これだったのだ。



「――俺は、エニシにただ笑っていてほしかった。それだけだったんです……」



 思い出した。

 俺は、あの少女に笑っていてほしかった。


 大好きだから――愛しい少女には、常に笑っていてほしかったんだ。


「ったく。本当に、どうしようもない馬鹿だなぁ。俺って……」


 それを、今の今まで忘れていた。元々頭だってよくはないくせに、色々と考えようとして、自分の根っこの部分を見失う。そして、ずいぶんと遠回りしてしまったようだった。


 それでも、これでやっと前に進むことが出来る。

 ならば、こうしてはいられない――俺はベッドから降りて、身支度を始めた。


「あらあら……この荒天の中、どちらへ行かれるのですか?」


 すると背中に、疑問形でありながらも嬉しそうなイズモさんの声。それにはどこか、こうなることが分かっていたような、あるいは思い通りに事が運んで満足しているような――とにもかくにも、愉快で仕方がない、という響きがあった。


「エニシに、会いに行ってきます。……まだ、諦めるには早すぎますから」


 だが、今はそんなことを追究している時間はない。手を休めることはなく、俺は背後にいる彼女にそう答えた。――が、まだあちらには用があるらしい。


「それでは、鵜坂さん? エニシさんに会いに行って、その後はどうするのですか?」


 イズモさんは、こちらの覚悟をはかるような口調で。


 準備を終えて、彼女の方へと振り返る。そこに立っていたのは――一週間前、初めて会った時のように余裕綽々、すべてを理解したような温かさを持つ神様だった。


 俺は、そんな人を前にしてため息をつく。そして――


「エニシに言われたんですよ、『最後は自分で行動しないと意味がない』――って。よくよく考えたら、俺って今まで人に言われるばかりで、何も自分で行動してなかったんです」


 大好きな少女の説教を思い出して、苦笑した。

 あの時は、何を馬鹿なことを言っているんだと、考えていた。けど蓋を開けてみれば、エニシの言っていることは正しくて、的を射ている。当たり前だけど、とても大切なことを俺はもう教えてもらっていたのだ。


 だから、それを無駄にすることなどあってはならない。

 エニシから教えてもらったことを――未来つぎへと、繋げていかなくてはいけない。


「だから……――」


 俺は、胸を張る。

 そして、エニシが立派な神様であることを証明するために――



「――……存分に、告白してきます!」



 ――そう、宣言した。



 時計は午後五時を示している。

 さぁ、急ごう――大好きな少女の、明るい笑顔を取り戻すために……。


◆◇◆


『嘘じゃない、デスよね……?』


 電話口から聞こえてくるアンジェリカの声は、半信半疑といった音だった。


 それもそのはず。先日まで普通に会話をしていた友人が、本当は神様だったなんて、しかも自分の探していた相手だったなんてこと信じられるはずがない。ご都合主義もいいところで、だとすれば俺が嘘をついていると考えても別段、変な話ではなかった。


 ――だがこれは、紛れもない真実なのだ。


「……こんな嘘、俺がつくわけがないだろ?」

『………………』


 俺の言葉に、アンジェリカは押し黙る。――やや乱れた息遣いだけが聞こえた。


 エニシを探しに向かう前。俺にはやるべきことがあった。

 それはもう一つの大切な約束を果たすため。アンジェリカとエニシを仲直りさせるという、俺が一方的に結んだ約束を果たすための電話だった。


 しかしこれは、はっきり言って俺のエゴである。

 二人に笑っていてほしいという、俺自身の幸福のための行動だった。だからこうやって真実を打ち明けたとしても、アンジェリカが動いてくれるとは限らない。むしろ動かないという選択の方が、この場合は正常であるようにも思われた。


 でも俺は、彼女に教えなければならないと感じたのだ。だから――


「信じられないなら、こなくても大丈夫だ。……でも、少しでも信じてくれたなら、エニシに顔だけでも見せてやってほしい。――――……頼むっ! アンジェリカ!」


 必死に懇願した。深々と頭を下げた。

 アンジェリカには俺の様子が見えていないと理解していても、身体が勝手に動く。だけど僅かでもいい。こちらの思いが伝わるように、出来得る限りの誠意を尽くしたかった。


『――――――――』


 電話越しでも、彼女が息を呑んだのが分かる。

 祈るような思いで答えを待った。そして、数秒の沈黙があってから――


『……分かったデス。少し、考えさせてください』


 アンジェリカは小さな声でそう言い残して、電話を切った。


 彼女のそれは、明確な回答ではない。だけども俺には、彼女を強制する力もなければ、もちろん権限などもない。――だから信じるしか、残された道はなかった。

 昨日の『友達のことなどもう、どうでもいい』という言葉が、嘘であることを……。


「行くか……っ!」


 しかし今は、いつまでも立ち止まっている訳にもいかなかった。一分、一秒でさえ惜しい。こうしている間にも、タイムリミットは迫っていた。


 幸い、行くべき場所は分かっている。

 エニシが俺の部屋以外に行く場所といったら、あそこしか思い浮かばない。だから一つ大きく息をついてから――俺は、嵐の中へと飛び出した。


◆◇◆


 ……。

 …………そして、それから約一時間後。


「ぜぇっ……ぜぇっ……けほっ! はぁ……はっ……」


 この暴風雨の影響で、公共交通機関は完全にストップ。三駅分の距離を全速力で疾走することになった俺は、全身を水浸しにして、大きく肩で呼吸をすることになっていた。


 風に煽られて、何度も転んだ。

 無遠慮な車には、大量の水を飲まされた。


 それでも俺は、エニシに会いたい一心で、足をとにかく前へと進めてきた。途中でへこたれそうになっても、アイツが抱えてきた苦しみはこんなものではないと、そう自分に言い聞かせる。そうして、ただがむしゃらに走り続けたのだ。


 そして、ついに俺は――


「ついた……ッ!」


 目的地――新星の廃神社に到着した。


 夢の中でも見た。エニシにとっての始まりの場所であり、因縁の場所。何かしらの確証があったわけではないのだけれど、俺の中では不思議と、ここに少女がいると思われた。


「うわぁ、すげぇ……」


 思わず、そんな間の抜けた感想が漏れた。


 膝に手をつきながらも見上げると、そこには深い闇へと続く神社の入口。風雨によって踊らされている木々が乱暴に枝葉を振っている様子は、あたかも地獄へ招待する悪魔の姿にも感じられた。近辺には街灯もなく、一種独特の雰囲気を醸し出している。


 それはもう、人が足を踏み入れるべき場所ではないようで――


「………………っ!」


 ――ぞわり、と。ひどい寒気がした。

 俺は固い唾を呑み込む。完全に気圧されていた。


 だけども、ここまで来て何の成果もなしに引き下がるわけにはいかない。疲労と恐怖心の両方で震える足に一撃を加えて、ゆっくりとではあるが、確実に一歩ずつ歩を進めた。


 鳥居の前で仁王立ちになって、思いっきり胸を張る。

 そして、大きく息を吸い込み――


「エニシィ――――――ッ! 出てきてくれぇ――――――――――ッ!」


 ――少女の名を叫んだ。


 風の音にも、コンクリートを叩く雨粒の音にも負けないほど強く。木々の隙間にも、あまねく響き渡るように感情のすべてを込めて、俺は愛しい少女の名を呼んだのだ。


 でも、音は闇に溶けていくばかり。

 エニシは姿を現さなかった。


「くっそ……エニシィ――――――ッ! 話をさせてくれぇ――――――――――ッ!」


 それならば――と、諦めずにもう一度。喉が裂けんばかりに、声を張り上げる。


 だがしかし、それでもまだ少女は出てこなかった。三回目、四回目――と、回数を重ねるごとに声はかすれ、固かった決意も次第に削ぎ落とされていく。


 そして、俺はとうとう自信をなくし、別の作戦を考えることにした。


「ちくしょうっ! ……だったら、エニシのやつどこにいるんだよッ!」


 スマホを取り出して、アンジェリカの電話番号を表示する。そして彼女へと一報を入れようと、それをタイプした――瞬間だった。


「――……えっ?」


 ……漆黒が、純白へと塗り替えられる。スマホが手から滑り落ちる。


 反射的に目を覆いかけるが、しかし、突如として発せられた光は優しい。眩ませるのではなく、すべてを包み込むように温かい光は、見惚れるほどに美しかった。


 そして、それらが収束した後に眼前に広がっていたのは――


「これ、は――――――あの時の、神社……?」


 先ほどとは打って変わって、天国のように秀麗な景色。


 それは、イズモさんに見せてもらった過去の記憶にあるセピア色の神社に、命を吹き込んだような場所だった。鳥居も、拝殿も、そしてそれらを彩る自然のすべてに。


 ――……あぁ。


 きっと、これが本来あるべき姿なのだろう。

 あのような悲劇が起こらなければ、参拝客が多く訪れ、人々に愛され、大切に守られるはずの場所だったのだろう。贔屓目など抜きにして、素直に俺はそう思った。


 ――……さぁ。それでは、前へ進もう。


 俺はまっすぐに前へ――拝殿の方へと目を向けた。すると、そこには一人の女の子が立っており、こちらが傍へ行くのを待っている。


 世界を包んでいる穢れのない純白と同じ色をした着物を身にまとい、長く艶のある黒髪を後ろで結っていた。それは小柄で幼い容姿をした少女ですら、一人前の大人の女性に変貌させている。簡素ながらも魔性的、かつ神秘的な姿であった。


 そんな絶世の美女と向かい合って、俺はしっかりと視線を結ぶ。

 ゆっくりと、その名を口にする。


「……久しぶりだな、エニシ」


 すると、少女は――




「馬鹿者。……まだ、一日も経っておらぬではないか」


 ――……いつもの悪戯っぽい笑みを浮かべて、そう答えたのだった。

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