第十七話 解決策

 そして、そこにたどり着いた時――


「――そうか。だから、花束を……」


 アンジェリカの行動の意味、その重みの一部をようやく理解した。


「ごめんなさいデス、ユイちゃん。……全然、デートっぽくないデスよね」


 こちらの独り言を拾った彼女は、申し訳なさそうに返事をして――そっと、手元を離れていった花を愛おしげに撫でる。淡く儚い桃色が揺れ、つられて少女も優しげに微笑んでいた。

 俺は改めて周囲を見回してから――


「大丈夫だよ。……まぁ。まさか、お墓参りだとは思わなかったけど、ね」


 ――……墓前に花を飾るアンジェリカに答えた。


 アンジェリカとのデート。――その終着点は、閑静な霊園だった。

 手入れの行き届いた芝の公園は広く、たくさんの墓石が等間隔に建ち並んでいる。


 そんな世界を染め上げるのは朱色。そして、漆黒だった。

 天を覆い始めた気の早い、流れゆく雲と終わりゆく太陽の日差しが、訪問者の少ない平日の霊園を赤黒く支配していく。しかし、その景色は嫌悪を煽るものでもなく、焦燥を駆りたてるものでもなく――言うなれば幻想的な、郷愁を誘う情景であった。


 俺とアンジェリカの二名がいるのは、その中心部。

 白く美しい墓石の前にしゃがみ、手を合わせるアンジェリカの髪は、吹きすさぶ風にさらわれて宙をたゆたっていた。――俺はそんな彼女を守るように、左隣に立つ。


「えへへっ。ありがとうデス。ユイちゃん……」


 そして合掌をすると、少女は幸せそうに笑っていた。


「このお墓って、おばあさんの?」

「ハイ、そうデス。オーマ――去年の今頃に亡くなったデスけど、それまでずっとボクの国に住んでたデスから。これからは、日本の家族といた方が――――嬉しい、だろう……って」


 尋ねると、詰まりながらも答えるアンジェリカ。平静を装ってはいるが、声の端々にある悲しみの色は隠しきれていない。それは元気が取り柄である彼女の、精一杯の強がりだった。


「……うん、そうだね。きっと、その方がいいと思う」


 だから俺は、下手に慰めようとはしない。彼女も今になっては、そんなこと望んではいないだろうと――そう、迷いのない横顔を見て感じたから。


「そうだと、ボクも嬉しいデス。……死人に口なしデスから、分からないデスけど、ね」

「は、ははっ……」


 微笑んでそう言ったアンジェリカに、俺は苦笑いを返した。

 またもや絶妙な間違いを犯している。きっとまた、ちょっとした勘違いをしているだけで、彼女自身には、悪気など微塵もないのだろう。そう思って、今回は黙っておくことにした。


 さて。そうしていると、アンジェリカが唐突に――


「アンジェリカ。それって、もしかして……」


 ――どこからか、すでに封の切られた封筒を取り出した。


「お手紙――オーマから、ボクに宛てての……その、遺書……デスね」


 俺の言葉に律儀に答えて、アンジェリカは中から二枚の紙を取り出す。そして、そのうち一枚を広げてこちらへと示した。内容まで見ることは出来なかったが、日本語で書かれた文字はどれも丁寧で、可愛い孫娘への配慮がなされているのがよく分かる。


 少女はその手紙に目を通し、祖母へと思いを馳せるよう大事に抱きしめた。

 次いでおもむろに立ち上がる。


「ボク、オーマから友達の話をたくさん聞きました。どこで出会ったのか、どんなコトをして遊んだのか。……そして、もう会えなくなってしまったことを」


 ――だからボクは約束したデス、と。少女は語った。


 約束とは彼女の言っていた――祖母の友達を探す、そのことなのだろう。理解したことを示すために俺が頷くと、アンジェリカはふっと息を吐き出した。

 そして今度は、別の――同封されていたもう一枚の紙に視線を落として、話を続ける。


「ここには、ボクへの手紙。それともう一枚、その友達への手紙が入ってたデス。そして……信じてもらえないと、思うデスけど――」


 彼女は一度言葉を切って、深呼吸。

 数拍の間を置き、俺へと一度、目配せをしてから――


「オーマの友達は、神様だった……って、書いてあったデス」


 意を決したように、そう打ち明けた。


「――――――――ぇ?」


 俺の口から、勝手に音が漏れた。

 頭の中が真っ白になる。――一際大きな風に、すべてが攫われた。


 それでも一生懸命に、頭を回転させようとする――が、駄目だ。突然に冷水を浴びせられた思考は錆びついて、腐食した自転車のチェーンのように動かない。重鈍かつ愚鈍なそれでは、まともな会話を行うことは不可能に近かった。


「……デスよね。信じられなくても、当然なんデス。でも――お願いデス。信じてください」


 対してアンジェリカは準備万端。すでに覚悟を決め、胸を張っていた。


 彼女は澄んだ青の眼差しを向けて、話を続ける。案山子のように、ただ突っ立っているだけとなった俺は、ぼんやりと、曖昧な受け答えをするに終始してしまっていた。

 だがしかし、とある言葉を聞いた瞬間だ。


「その神様は、オーマに初めて好きな人が出来た時に……姿を現した、そうデス」


 役立たずになっていた脳は前触れもなく――一つのピースを繋ぎ合わせた。


「姿を、現した…………神様が?」


 俺は無意識に、アンジェリカの発言をそのまま繰り返す。そして、そこからはもう氷山が一気に溶けていくように、疑問が解けていった。


 ――……アンジェリカの祖母の前に現れた神様。

 それはエニシが最も信頼し、『縁結び』に失敗して消滅した神様だ。イズモさんの言葉を信じるなら、エニシ以前に人と関わったのはその神様だけ。それで、間違いないはずだ。


 ――……今日、アンジェリカが何をやろうとしていたのかも分かってきた。

 神社に向かったのはその神様のことを探すため。その後の電車で後悔の念に駆られていたのは、払った犠牲に見合う成果を得ることが出来なかったから。


 でも、それは仕方のないことだったのだと、今の俺には分かった。

 なぜなら、その神様はもう――


「ハイ……えへへ。やっぱり、信じられないデスよね?」


 こちらの言葉をマイナスな方向に理解したらしい。アンジェリカは、心痛な表情を浮かべ、苦しげに胸を押さえる。そこにあるのは、期待していた自身に対する失望だった。

 ……だけど、違う。俺の言いたいのはそうじゃなかった。


「いいや。大丈夫だよ、アンジェリカ。俺は、ちゃんと信じているから」


 だから、いつも以上に真剣に。

 俺は彼女の青い瞳を見つめ返して、力を込めてそう言った。すると――


「ユイちゃん……えへへっ! この話をして笑わなかったの、ユイちゃんが初めてデス」


 ――心の底からの歓喜。少女は、今日一番の笑顔を俺に。


「それじゃ、ユイちゃん――ボクのお願い、一つだけ聞いてもらえマスか?」


 そして今度は、どこか緊張したように。だがどこか、吹っ切れたように顔をほころばせて、アンジェリカはそう言った。手紙を仕舞い、胸に抱く。目を閉じて、祈りを捧げる。


 彼女の真面目な訴えに、俺は背筋を伸ばした。

 大切な友達の願いとあれば、無下にすることなど出来ない。それに――


「うん、いいよ。――俺に出来ることなら、何でも言ってくれ!」


 ――救いのない袋小路に迷い込んでいる少女を。ただ純粋に、大好きだった人との約束を果たそうとしている無垢な心を……俺は、癒してあげたかった。

 拳を強く握りしめる。胸にドンと叩きつけながら、そう宣言した。


「えへへっ……これは、ユイちゃんじゃないと駄目な、お願いなんデスよ」

「俺じゃないと、駄目……?」


 小さく笑ったアンジェリカに、俺は首を傾げる。

 すると、そんな俺の様子がおかしかったのか、前に立つ少女が明るく笑った。


「えへへっ! やっぱり、『鈍感さん』なんデスね」

「うぐっ!? そ、そうなのか……?」


 容赦のない言葉にうめく俺。だが、こうなってはもう、彼女がその願いを口にするのを待つしかない。……分からないのだから、仕方がないだろう。


「じゃあ、言うデスよ? ユイちゃん……――」


 そう決めて、まっすぐにアンジェリカを見つめた時――また、風が駆け抜けた。

 うつむき、息を整えるアンジェリカの髪が――ふわり、舞い上がる。


 そして、ゆっくりと顔を上げて――



「お願いデス……ボクと、お付き合いしていただけませんか?」



 ――彼女は、その願いを俺へと告げた。


 直後に、動き出せないでいると、ほんの小さな衝撃を受ける。


「えっ……アンジェ、リカ?」


 その正体は、アンジェリカだった。俺の身体に抱きついた彼女は、表情を見られたくないのか、こちらの胸に顔をうずめてくる。――ふわり、と。風が運んでくる夏の匂いの中に、彼女の使うシャンプーのいい香りを感じた。


 とっさに、少女の小さい肩に手を置くと、柔らかい感触が伝わってくる。早鐘のような鼓動に急かされ、身体の芯が熱くなっていく。その感覚が手に取るように分かった。


 だがこの気持ちの昂りは、それだけが原因ではない。そのことを俺は知っていた。


「答え、聞かせて……? ユイちゃん……」


 ――女の子から、生まれて初めて受けた告白だったから。


 ほんの一週間前では、まずありえなかったこと。学校のアイドルであるアンジェリカが、ごく普通の生活を送ってきた俺に告白をするなんて、考えたこともなかった。

 でもこれは現実で、目の前で返事を求めている女の子はアンジェリカだ。そんな単純なことが途方もなく思えてしまう。――つまりは、現実味が大きく欠落してしまっていた。


 そのため俺は、どうにも返事が出来ないでいた。


 だが最後の一歩を踏み出させない原因は、それに加えて一つある。それは他でもない、俺とアンジェリカの関係性――互いに思い描いているモノが、恋愛感情からはかけ離れているように思えてしまったためであった。


 その証拠に、今のアンジェリカが秘めている思いは――


「オーマ、言ってたデス。ボクにも『好きな人が出来たら、友達に会えるかもしれないね』って。だから、こうすればオーマの友達、気付いてくれるかも……」


 そう。それは、きっと――義務心だった。


 アンジェリカが見ているのは俺ではなく、その先にある祖母との約束。腕の中にいる金髪の少女は、それを守りたいがために嘘を重ねようとしている。自らの心を偽って、自らの心を傷つけて、自ら積極的に、悲しみの道へと歩みを進めようとしているように見えた。


 だけど、俺にはそれを非難することは出来ない。なぜなら――


「アン……ジェリカ。俺も、アンジェリカの……こと……――」


 ――同じだったから。

 俺も、アンジェリカと同じだったのだ。


 俺はエニシの『縁結び』を成功させるために、アンジェリカに声をかけた。悩みを聞いている時も、こうやってデートしている時も、その先にあるのはエニシのこと。俺が最優先してきたのは常に、どうしようもない、でもなぜか放っておけない、廃神様のことだった。


 そして今『縁結び』は、手を伸ばせば届くところまできている。

 しかし、俺の手はそれを掴むことなく――止まった。


「……アンジェリカ。やっぱり――」


 ――今はまだ、互いに未成熟だ。だから今日のところは戻ってもう一度、じっくりと考え直した方がいい。それに『縁結び』の期限までは、あと一日あるのだから……。


 俺はそう考え直して、アンジェリカに答えようとした。

 が、こちらが言うより先に――


「――……今、返事を聞かせてくださいデス。ユイちゃん」


 まるで心を読んだかのように鋭く、アンジェリカは淡々とそう言った。

 ぐっと、背中に回された腕に力が込められる。そして、


「アンジェリカ? どうし――」

「――ボクは明日、自分の国に帰らなきゃいけないデス。もしかしたら、もう帰ってこられないかもしれない。だから、今日がサイゴのチャンスかもしれないデス……」


 さらに追い打ちをかけるようにして、彼女は新たな事実を口にした。


「えっ――あし、た?」


 それを耳にして、俺は絶句する。これではもう八方塞がりだった。


 帰って考える時間もなければ、今ここで、心を落ち着ける暇すらない。そして、こうしている間にも、アンジェリカは無言の要求を続けていた。だんだんと呼吸が乱れて、鼓動が速くなり、大量の汗が頬を伝っていく。――理性が、削れていく音がしていた。


 これは、もう。どうしようもない――いや。きっと、この選択が正しいのだろう。


「……アンジェリカ。その、俺も――」


 そう思うようになると、勝手に口が言葉を紡ぎ出していた。


 アンジェリカの身体にも緊張が満ちていく。胸にかかっている息も熱を持ち始め、肩の震えも次第に大きさを増す。俺の背中には少女の爪が、深く突き刺さっていた。


 ――さぁ。もう、ここまできたら覚悟を決めよう。

 彼女を抱きしめようと腕を伸ばしつつ深呼吸をして、俺は静かに目を閉じた。


 だが、その時だった――


「あっ――」



 ――目蓋の裏に、昨日見たエニシの笑顔が浮かんだ。

 カッと胸に火が灯る。思考が、驚くほどに澄み渡っていく。そして――



「やっぱり、ごめ――」

「――……なーんて。こんなの、駄目……デスよね」


 無意識に発言しようとして、しかし、アンジェリカがそれを遮った。


 彼女は自嘲するような声色でそう漏らし、弱々しく俺のことを突き放す。そしてその勢いのまま、くるりと反転して、こちらに背を向けてしまった。

 少女はぐっと背伸びをして、話し始める。


「いやぁ~……やっぱり、こうなっちゃったデスね。一回くらい、まだチャンスがあると思ったデスけど。結局は、ミイラ取りがミイラになった、というか……――」


 先ほどまでの空気はどこへやら。やれやれといった、緩い彼女の口調に毒気を抜かれてしまう。またもや俺は、アンジェリカの変わり様に面食らってしまっていた。――が、


「それに、ボクはホントのコトを知ってますからね……――」

「知ってるって、何を……?」


 どうにか気持ちを繋ぎ止め、そう尋ねる。

 すると――ピタリ、と。少女は動きを止めた。そして、


「じ、自分のコトにさえ『鈍感さん』だとは、予想外デス……」


 なぜか呆れたように言いながら、肩をすくめてしまう。――……え?


「えーっと……? その、『鈍感さん』の意味も、分かんないんだけど……」


 でも、そう言われても本当に分からないので仕方ないと思いました。ということで、俺は頬を掻きながらアンジェリカの背中に問いかける。すると彼女は拳を握り、大きく息を吸った。


「ホンっトに……どうしようもない、お馬鹿さんデスね? あんな楽しそうにプリクラを撮って、身を寄せあって、笑いあってて――どうして、自分では気付かないデスか?」


 らしくない悪態をついて、心底呆れるように頭を抱える。


「ユイちゃん? 仕方がないので、ボクが教えてあげるデス。……ユイちゃんは――」


 そして――くるりと。

 こちらを振り返り、真剣な表情で、



「――エニシちゃんのコトが好き……デスよね? ライクじゃなく、ラブな意味で」



 ハッキリとそう言った。


「それに……無自覚だった思うデスけど、さっきの電車の中でユイちゃんがした話――ぜんぶ、エニシちゃんのコトだったデス」


 さらに、アンジェリカは裏付けを語るように続ける。それは俺が、エニシへ好意を持っていると思われてもおかしくない証言だった。――たしかに、何を話したのか憶えてはいない。


「……えっ? 何を、言って……そんなわけが――」


 それでも俺は、反射的に否定しかける――が、しかし。


「………………」


 どういった訳か、途端に声が喉を通らなくなってしまった。頭からは必死に声を出そうと指示を出しているのに、身体が言うことを聞いてくれない――不思議な感覚。


「やっぱり、否定はできないデスね? それなら、図星……というコト」


 そんな俺を見てアンジェリカは腕を組んで大きく頷いていた。どうやら、この反応も彼女にとっては想定の範囲内らしい。驚きよりも、納得といった表情であった。

 そして、ひとしきり頷いて満足した少女は、不意に――


「それだったら……――」


 そう呟いて、俺の手を掴んだ。――グイッと引っ張り、無理矢理に俺を反転させた。

 されるがまま、そうしていると背中に声をかけられる。


「ユイちゃんは、エニシちゃんに告白するしかないデスねっ! ――ここは、男の見せ所デスよ! しっかりしてくださいね、ユイちゃんっ!」

「えっ……!? ちょっと――」


 それは、またしても俺を困惑させる内容だった。そして――


「オーパが言ってたデス! 日本人の男は遺伝子レベルでロリコンだ……って。だから、ボクはユイちゃんがそうでも、まったくもって気にしないデス!」


 ――ドンっと。音がするほど強く、背中を押される。この話はここで終わりだと、アンジェリカの心を代弁するように。俺が振りむかなくてもいいよう、後押しをするように。


 もちろん、俺にとってはエニシに告白するなんて、思いもしないことだった。現在、絶賛混乱中であり、熟考すべき重要案件の一つに挙げられるべき内容と言えるだろう。


「そんなこと、どうでもいい! それよりも――」


 でも今は、そのことよりも――


「アンジェリカは、いいのか!? ――ちゃんと、エニシと話さないままでっ……」


 気になる問題がここに――そう、アンジェリカという少女に。

 二人の少女の間に、大きな溝となって転がっていた。


「……また、デスか? ユイちゃんはまた、そうやって優しいコトを言うデスか……?」


 言葉が刺さったのか、後ろにいる少女は小さく、困ったように言う。こちらの背に触れていた手は、きゅっと弱く、堪えるようにして俺の服を掴んでいた。


「……約束、したからな。一緒に謝ってやるって、さ」


 だから、安心させようとして俺は言葉を紡ぐ。電車の中でしたように、不安がる彼女の気持ちをそっと導くように、そして、子供を諭すように優しく。


「……それじゃあ、ユイちゃん――」


 そうすれば、アンジェリカは答えてくれる――そう思っていた。


「その約束、もういいデス。もう、気にしなくて……いいデスよ」


 彼女が感情のない声でそう、呟くまでは……。


「なっ!? ど、どうして――」

「――ユイちゃんが……ユイちゃんがいたら、どうしたらいいか分からないデス」


 とっさに、問いただそうと振り返り――俺は、声を失った。

 なぜならアンジェリカは、困ったように笑って――


「ユイちゃんだから、駄目なんデス。――ボクは、ユイちゃんのコトが好きだって、嘘をついたデス。エニシちゃんも、ユイちゃんのコトが好きって分かっていたのに……」



 ――……満面の笑顔を浮かべて、涙を流していたのだから。



 その表情のままで、彼女は「エニシに合わせる顔がない」と訴えた。涙を拭うこともせず――いや。きっと自分が泣いていることにすら、少女は気づいていなかった。


「だからもう、忘れてもいいデス……だって、ボクは――」


 そして、最後にアンジェリカはこう言う。それは――


「もう、ぜんぶ諦めたデスから。オーマとの約束も、エニシちゃんとのコトも、もうぜんぶ諦めて帰るデス。――友達なんてもう、どうでもいいデスよ……」


 ……信じたくない、内容だった。


「アンジェリカ、本気か……? 本当に、それで……」

「何度もしつこいデスよ? ユイちゃんは優しいデスけど、こうやって優柔不断だから駄目なんデス。――もっと、自分の気持ちに素直にならないと……辛くなるデスよ?」

「……っ! それは――」


 ――アンジェリカの方じゃないか、と。


 背を向けた少女に向かって言いかけて、俺は呑み込んだ。おそらく、今の彼女には何を言っても無駄だった。それほどまでに、アンジェリカは固く、心を閉ざしてしまっている。


 今の俺には、どうしようもない。

 彼女を、そしてエニシも笑わせてあげることは――


「――いや、駄目だ。こんな終わり方、絶対に……」


 弱気を握り潰すように、拳を握った。アンジェリカは俺のことを『優柔不断』だといったけど、俺にとっては彼女も、それにエニシも大切なのだ。どちらか一方しか笑わせることが出来ないなんて、どちらかが必ず悲しんでしまうなんて、許せることではなかった。


 だったら、どうすればいい――どうすれば、ぜんぶを解決できる?

 どうすれば俺は、エニシとアンジェリカの二人共を――笑わせることが出来る?


 そして、考えに考え抜いた結果。出た結論は――


「……あぁ、そうだ。俺が、エニシに――」


 ――告白すればいいじゃないか、というものだった。


 俺がエニシに気持ちを伝えて、彼女が答えてくれれば消滅は免れる。そして、そのまま彼女を説得して、アンジェリカの待つ空港に向かえばいい――そんな、安直な答え。


 でも俺には、こんな情けのない回答しか導き出せなかったのだ。その回答が、あまりにも『優柔不断』で、なおかつ、『身勝手』なものであることにも気付かない。


「アンジェリカ。絶対に……エニシと、会わせてやるからなっ!」

「えっ……? ユ、ユイちゃ――」


 善は急げと、俺は短い挨拶をして駆け出す。

 アンジェリカの声を聞く暇もない。自分のことばかりを考えて、漆黒が強くなってきた空へと向かって走った。向かい風が思い止まれと、警告するように、激しく行く手を阻んでいる。


 だというのに、俺の頭の中にはもう、戻るという選択肢は残されていなかった。

 見るべきすべてに、背を向けて――そうだ。この時の俺は、


「これで、いいっ! ――ぜんぶ、上手くいく! 笑わせてみせるっ!」


 綺麗事を叫びながら、逃げていたのだろう。

 ただただ、自分が負うべき責任を、直視するのを恐れていたのだ。




 ――……だから、夢にも思わなかった。

 この決断が、あのような事態を招くことになるなんて……――



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