第1話 最強の敵 ~入社早々、ピンチです~


 そして月曜日――本社への初出勤日当日。


「ここがブラック企業の総本山か……」


 俺は真黒カンパニー本社の前に立ち、有楽町のオフィス街にそびえ立つ高層ビルを見上げていた。

 自動ドアの前にはしっかり警備員まで立っている。

 腐っても大企業といったところのようだ。


『でっかいわねー……。

 ねぇ白真。

 こういうところにいる人間って、神の気分でも味わいたいのかしら?』

『さぁな。

 だが、この会社の社長なら今も俺のことを見下ろし見下して【人がゴミのようだ。】とか言ってそうだよな』

『ああ、それたまに天界でも言ってる女神たちがいるわ』

『いるんかい!』

 

 ていうか、言ってる女神ってお前じゃないだろうな。

 まぁ、今はそんな話は置いておいて。


『ゼウス、新しいチートの件なんだが』

『あ、何にするか決めたの?』


 ゼウスが俺にオススメしたチートは複数あった。

 透明になれるなんて色々な意味で実用的なものから、ビームを出せるなんて明らかに現実では使い道のない力とか。

 色々と提示されたのでどれにしようか散々悩んだが。


『心を読むチートにしようと思う』


 その中で俺はこの力を選んだ。


『地味なのを選んだわね。

 ま、敵が多い場所ならこういう力が有用って考えたのかしら?』

『そういうことだ』


 ここはブラック企業の総本山――であれば、友好的な者が少なくて当然。

 極端な話――俺を陥れようとするクソ野郎が大勢いるだろう。

 そういうやつの心の内がわかれば相手の裏をかけるからな。


『じゃあ、スカッとポイントを消費するからね!』


 スカッとポイントを100消費。

 そして、


【あなたは読心フィーリングハートを獲得しました。】


 いつものような説明的な声が聞こえた。




----------


読心フィーリングハート

 

 使用時、ストレスを50消費。

 対象相手一人の心を読むことが出来る。


----------




 この読心は、王の支配ドミネーション時戻しワンモアリピートのように、この世の理すら捻じ曲げるような圧倒的な力ではないかもしれない。

 だが、その二つのチートと違い、使用制限がなくストレスを消費するだけで使用することができるのは使い勝手がいい。

 何より便利。


『さぁ白真!

 新しい力も得たところで、早く社長の顔を拝みにいきましょう!』

『待て待て。

 まだ仇花が来てないだろ』


 俺はただボケッとビルを見上げていたわけじゃない。


「や、社さ~ん……」


 俺の名を呼ぶ声に振り向くと。

 仇花がバタバタと駆け足で走ってきた。

 ちなみに、この間の変態女神の裸を見て卒倒した件は、夢を見ていたということで納得したようだった。

 自分はどうしてそんな夢を見てしまったのか。と言って頬を染めていたが、実は夢ではないということを教えられないのは、ちょっとだけ歯痒い。

 仇花には申し訳ないけれど、その方が色々と都合がいい為、事実を教えてやれる日は来なさそうだ。


「はぁ、はぁ……す、すみません社さん。

 お、お待たせしました」

「仇花、そんな走らなくてもよかったのに……」


 仇花は、息を切らせ額には汗を浮かべていた。

 レディース用の黒いスーツに黒いヒールという格好で走った為、余計に疲れたのだろう。


「で、電車がかなり遅れてしまって……」


 電車通勤のサラリーマンには良くある話だが。

 それでも尚、まだ約束の時間には余裕があった。


「まだ少し余裕があるから、まずは息を整えてくれ」

「は、はい……」


 すーはー。と息を整える仇花。


「だ、大丈夫です!

 行きましょう!」


 胸の前に手を置いて、仇花もなんだかとても気合が入っていた。


「わ、私、初めての本社なのでなんだか緊張してしまいます……。

 あ――社さんのことは、社マネージャーとお呼びした方がいいでしょうか?」

「あ~……そうだな。

 社内では、それが無難だと思う」


 本社での俺の役職はエリアマネージャーで係長クラスらしい。

 そして仇花は、俺の直属の部下ということになっている。

 ちなみに彼方怜悧は統括エリアマネージャーで部長クラスだそうだ。


『役職が付くとなんだか偉そうに聞こえるわよね。

 白真のくせに生意気ね』


 いや、偉そうじゃなくて実際ちょっと偉くなったんだけどな。

 ま、偉ぶるつもりはないが。


「上司がいるところでは気を付けた方がいいけど、二人の時は今のままでいいだろ」

「わ、わかりました!」

「よし!

 それじゃあ行くか!」

「はい!」


 そして俺たちは本社へ足を進めた。




        ※




 社内にも警備員が立っていた。

 ギロッと怪しむような鋭い目線を向けてくる。

 まさか警備員さんまで洗脳済みとかないだろうな……と、周囲を警戒していると。

 

「社マネージャー、仇花さん。

 お待ちしておりました」


 妙齢の女性に声を掛けられた。

 美しい顔立ちではあるが、感情を全て排してしまったかのような無表情。

 ミステリアスと言えば聞こえはいいが、正直不気味だった。



「あなたは……もしかして社長秘書の?」


 先日の彼方怜悧からの伝達事項で、社長秘書の案内に従うように指示を受けていた。


「はい。

 社長室までご案内いたします。

 こちらへ」


 俺たちは社長秘書の後に続いていく。


『う~ん……?』


 その時、ゼウスが唸った。


『どうしたんだ?』

『なんか変な感じがするのよねぇ……』

『変……?』

『気持ち悪い……というか』

『社長秘書がか?

 確かに表情死んでるが……』

『あ~、この秘書も怖いけど……

 う~ん……。

 そうじゃないのよ……この気配って……』


 はっきりしない物言い。

 ゼウス自身も違和感の正体をわかりかねているようだ。

 だが、悩むゼウスを待っていられない。


「こちらへ」


 秘書に言われるままに、俺はエレベーターに乗った。

 彼女が押したボタンは最上階の50階。

 50階建とは……とんでもない高さなわけだな。

 特に会話もなく無言。

 気まずさがあるわけではないが、社長秘書の表情が死んでいるのは気になる。

 真黒カンパニーで働いているうちに、洗脳されてしまったということもあるのだろうが。

 この人も真黒カンパニーの労働環境で苦しんでいるのだろうか?

 もしかしたら……仇花の時のように自殺を考えていたりするんじゃないよな……。

 色々と不安だ……。

 たとえそれが杞憂だとしても。


『白真、折角だしチートを使ってみたら?』

『そうだな。

 リスクを回避するという意味でも……』


 女性のプライベートを覗き見てしまうのは良くはないが、少しだけ……。

 俺は新しく手に入れたチート――読心フィーリングハートを使った。

 直後――


『仕事楽しい。仕事大好き。仕事最高、仕事したい仕事したい仕事仕事仕事仕事死ぬまで仕事、仕事大好き大好き愛してる仕事仕事仕事仕事――』


 ぐおっ!?

 俺は大慌ててチートの使用を止めた。

 思わず汗が零れ落ちる。


 やばい……。

 なんだこれ……。

 これが真黒カンパニーの秘書なのか?

 完全に洗脳……というか、いや、洗脳なんてレベルじゃない。

 狂っている。と表現したほうがいいかもしれない。


『……どうしたの、白真?

 あの秘書、何か変なことでも考えてた?』

『ああ、流石はブラック企業の総本山だ。

 ここ、俺が考えている以上にヤバいとこみたいだな』


 チートがあるからと油断なんてしていたら、速攻で喰われるかもしれない。

 いや――もしかしたら俺は既に魔獣の腹の中にでもいるのかもしれない。

 だとしても――逃げるつもりは一切ない。

 だからこそ気を引き締める。

 静寂に包まれる中、何事もなく最上階へ到着した。


「こちらが社長室になります。

 どうぞお入りください」


 深々と頭を下げる。

 なぜか異様で荘厳な雰囲気を感じる。

 落ち着いた雰囲気の深い木の色をした扉をノックしようとすると――。


『白真……やっぱりここおかしいわ』

『それはさっきも聞いたぞ?』

『違うの。

 不穏な気配というか……』

『そりゃあブラック企業のトップがいるんだ。

 不穏な気配の一つや二つ感じるだろ』

『違うのよ!

 嫌な気配なの!

 これ……人間のものとは思えないわ……悪魔がいるのかも?』

『悪魔……?』


 そりゃあ悪魔みたいな男がいるんだろうけど。


「社さん……?」

「あ、ああ、すまん」


 仇花も不安そうに俺を見ていた。

 何より社長秘書の視線が、早くしろと俺に訴えていた。


『白真、気を付けなさいよ』


 ゼウスの言葉に内心頷き。

 俺は社長室の扉をコンコンコンと三度ノック。

 少しの間の後。


「……入りたまえ」


 扉の中から威厳のある声が聞こえた。

 間違いない。

 この中に――。


「失礼いたします」

「し、失礼いたします!」


 俺と仇花は社長室へ入り、深々と頭を下げた。


「顔を上げたまえ」


 言われるままに顔を上げると、テレビやインターネットで何度も見た男の顔。

 今、俺の目前には、一代で真黒カンパニーという大企業を作り出した生ける伝説――真黒まくろ暗部あんぶの姿がある。


「君が社 白真くんか」


 既に齢50を超えているはずだが、スーツの上からでもわかるくらい身体がガッシリしており衰えを感じさせない。

 その威風堂々とした姿は海千山千の修羅場を潜り抜けた強者だからこその自信なのだろう。

 その強者の深淵のように深い瞳が俺を直視してくる。

 だが、望むところと俺は逸らすことなくその視線を受け止めた。


「はい。

 本日から、居酒屋真黒の荻窪東口店から本社へ異動になりました。

 真黒社長の部下として、より真黒カンパニーの発展に努めていくつもりです!」

「うむ。

 模範解答だな。

 流石は期待のニューフェイス。

 荻窪東口店でも大活躍だったそうじゃないか」

「……いえ、自分などはまだまだです」


 どうやら荻窪東口店での俺の奮闘は社長の耳にも入っているらしい。

 まぁ、そうでなければ本社への異動なんて話は出ないか。


「そうか。

 だが――君はうちに入る前の会社でも、素晴らしい活躍をしたそうじゃないか。

 なんでも君のお陰でブラック企業が一つまっさらなホワイト企業に変わったとか」


 そう言って社長は片頬を吊り上げてシニカルな笑みを浮かべた。


「……素晴らしい活躍ですか?

 社長の耳に入るほどの働きが出来たとは思っておりませんが?」 


 冷静に返事をすることは出来たが。

 内心、焦りはあった。

 まさか俺のことを調べているなんてな。

 先程から仇花には目を向けず俺と話を続けていたのはそれでか。

 もしかしたら既に俺がこの会社をホワイト化しようとしていることに気付いてるんじゃ……。

 いや――悩んでいてどうする。

 こういう時の為に――心を読むチートを手に入れたんだろっ!

 相手の考えさえわかれば戦略を練ることは出来る。

 社長――あんたの心を丸裸にしてやるよ!

 俺はチート――読心フィーリングハートを使用した。

 だが――。

 ……あれ?

 どうしたんだ?

 何も感じない。

 さっき秘書に対して使用した時は、雪崩のように感情が流れ込んできた。

 なのに……どうして?


『おい、ゼウス!

 どうなってる?

 チートが発動しないぞ?』


 ゼウスに尋ねるが、返事がない。


『ゼウス……?

 おい、ゼウス!

 どうかしたのか……?』


 何度も問いかけた。

 だが、返事はなく――なっ!?

 次第に世界が暗転した。

 周囲を見回すが、暗黒に飲み込まれてしまったかのように何も見えない。

 そして何も聞こえない。

 なんだこれは?

 どうなっているんだ?

 俺は夢でも見ているのか?


『……何も悩むことはない』


 ふいに、声が聞こえた。

 ゼウスの声ではない。

 誰かの声が。


『さぁ……ゆっくりと堕ちるといい』


 何も聞こえないはずなのに、その声だけはおかしなくらいはっきりと聞こえる。


『考えず、私の言葉に身を任せて』


 それはまるで、俺にとってはこの暗黒の世界で唯一の救いのように。


『暗く黒く沈むことは恐怖ではない』


 この声は悪魔の囁きだとわかっていても、恐ろしいほど俺の心を鷲掴みする。


『それは、君に与えられた安寧だ』


 逆らうことは出来ず、俺は手を伸ばした。


『安寧の中には君が望んだ幸福の形がある』


 言われるがままに、俺は探し求めた。


『見えて来たのではないか? 君の望んだ幸福が……?』


 すると――真っ暗闇の空間に暗黒の中でさえ深く浮き出る黒い影が見えた。

 それは人の形を模している。

 誰だろう……この人影を――俺は知っているような。

 だが、もう考えることすら面倒だ。

 もう……このまま流されていたい。

 そう考えた直後、ゆっくりと俺に近付いていた影が急速に迫り――俺の身体を包み込むように――


『白真!!!!!!!

 ボケッとしてんじゃないわよっ!』


 喧しい絶叫。

 不快にも思えるが、不思議なことにどこか温かい。


『白真、急いで!

 今すぐにどうにかして逃げなさいっ!!

 じゃないとあんた――他の社員と同様にあのクソ社長に洗脳されるわよっ!』


 洗脳……そうか。

 俺は――社長に何かされて。


『いいの?

 あんたこのまま終わっていいの?

 情けないわよっ!

 カッコ悪いわよっ!』


 気付いた途端に怒りが沸いてきた。

 ゼウスの言う通りだ。

 くそがっ……!!

 やっとここまで来たんだ。

 もう直ぐ、このクソみたいなブラック企業をぶっ潰せるんだ。

 こんなところで終われるかっ!!!!!!!

 だが……徐々に意識が消えていく。

 悪魔に誘われるように奈落の底に堕ちるように。

 少しだけでいい……意識が完全に落ちる前に、少しだけ時間を戻せれば……。

 最後の力を振り絞り、俺は――

 もどれ……――頼む……――もどれえええええええええええええええええっ!!!!!!!

 悪魔の誘惑を打ち消す為に、力の限り咆哮した。

 瞬間――。



       ※




「……――!?」


 暗黒ひしめく世界は消えていた。

 目前では真黒暗部がシニカルな笑みを浮かべている。

 どうやらほんの少しだけ時間を巻き戻せたらしい。


「そうか。

 だが――君はうちに入る前の会社でも、素晴らしい活躍をしたそうじゃないか。

 なんでも君のお陰でブラック企業が一つまっさらなホワイト企業に変わったとか」


 その証拠に先程と一言一句同じ言葉が社長の口から紡がれた。


『白真、平気なの!?

 大丈夫?

 気は確か?』


 口早に確かめるゼウス。


『……なんだったんださっきのは?』

『あんたがチートを使った瞬間、カウンターを受けたみたいに様子がおかしくなったの』

『なに……?』


 どういうことだ?

 それじゃ……まるで――。


『真黒暗部はどうやら――チートを持ってるみたい』

『っ!?』


 悪い予感が的中してしまった。

 だが、あの意識を奪われるような現象。

 人とは思えない力を感じた。


「どうかしたのかね?

 答えに窮しているようだが、答えにくい質問だったかな?」


 しまった。

 相手の力が気になり、真黒の言葉を無視する形になってしまった。


『白真、いい。

 真黒相手にチートは使わないで。

 多分、相手は既にチート持ちとの戦いを経験してる。

 今のままやりあったら、絶対に負けるわ』


 本当にこいつは女神ゼウスかと思ってしまうくらいの弱腰。

 だが、その声音からもどこか緊張しているのが伺える。

 だが、真黒がもしチート持ちなのだとしたら、そのチートを渡したのは――。

 いや今は考えるのはやめだ。

 まずは、この場を切り抜けなくては。


「社長の耳に入るほどの働きが出来たとは思っておりません」

「そうかね?

 平社員が上司に立ち向かうというのは、それだけで大それたことだと思うが?」

「以前の職場は真黒カンパニーのような大企業ではありませんでした。

 一言で言うならば上司が無能だったんです。

 利益率の向上などの観点からしても、会社の運営の一端を握らせておける相手ではなかった。

 最終的に元上司の処遇を決めたのも社長でしたから」

「ふむ……なるほど。

 だが、社長を動かしたのはキミなのは間違いないのだろ?」

「はい。

 自分の美点だと思っていただければありがたいですが、行動力だけはあるようなので」

「……ふふっ。

 そうか――まぁ、無駄なおしゃべりはここまでにするとしよう」


 シニカルな笑みを解き、真黒は楽しそうに笑った。

 それは子供がおもちゃで遊ぶような、純粋な笑みのような気がした。


「仇花才華君。

 君は社マネージャー直属の部下だが、我が社の社員であることは忘れないでもらいたい。

 それを理解した上で、我が社の利益になるよう行動してくれ」

「は、はい……社マネージャー同様、粉骨砕身の想いで努力いたします!」

「うむ。

 話は以上だ。

 後は彼方エリアマネージャー統括に話を聞きたまえ」

「かしこまりました。

 それでは、失礼いたします」


 俺は踵を返し社長室を後にする。

 扉を出る直前――


「そう簡単に尻尾は出さないか……」


 そんな呟きが聞こえた気がした。




         ※




 俺はエレベーターに乗り35階――真黒カンパニーの企画運営部に向かいながら、


『ヤバかったわね……』

『ああ……』


 時戻しワンモアリピートがなければ実質的な敗北は決定していた。


『ゼウス、さっきの話だけど……』

『ええ。

 もしかしたら……あのシニカルクソジジイのチート――能力の詳細は不明だけど、あれは悪魔が与えたものかもしれないわ』


 シニカルクソジジイというのは、恐らく真黒暗部のことなんだろうが。


『悪魔なんてのがマジで関わってるのかよ……』

『確実ではないけど……この会社、入った時から嫌な感じがしたのよ。

 禍々しい感じっていうか……どちらにしても一度調べてみる必要はありそう!

 もし悪魔がいるなら放ってはおけないもの!』


 こいつ、珍しく神様っぽいこと言ってるな……。


『とりあえずあたしの調査が終わるまでは、無理するんじゃないわよ!』


 言いたいことだけそそくさと伝えて、ゼウスは話を断ち切った。

 呼んでも反応がないところを見ると調査に出かけてしまったのだろう。

 何をどう調査するつもりなのかわからないが……。


「社さん、大丈夫ですか?

 さっきからずっと黙ったままですけど、体調でも悪いのでしょうか?」

「……いや、大丈夫だ。

 ちょっと気になることがあったんだが……と、着いたな」


 気付けば俺の職場となる企画運営事業部に到着していた。

 ……直ぐに社長には届かずとも、少しずつでも俺この会社を変えてやるさ。




          ※




 企画事業運営部に到着して直ぐ。

 俺と仇花はエリアマネージャーたちに簡単な挨拶を済ませた。

 そして現在、企画事業部のトップである統括エリアマネージャー彼方怜悧から業務説明を受けている。


「社マネージャーには、真黒カンパニーの飲食チェーン、居酒屋真黒の区内15店舗をお任せしたいと思います。管轄地域は世田谷区、中野区、杉並区、練馬区です」

「わかりました」

「あなたの実績次第では、飲食チェーン以外にも様々な店舗管理をお任せすることになると思います」


 真黒カンパニーが運営するのは飲食チェーンだけではない。

 金の匂いに敏感な真黒暗部の指示の下、金になるものには全て手を出してきた。

 結果、今の真黒カンパニーが存在している。

 実際、エリアマネージャーの中には、レンタルビデオショップだったり、本屋やCDショップ、はたまたゲームセンターやパチンコ店、様々な店舗を管理する者もいるようだ。


「我々エリアマネージャーの仕事は、経営戦略を立て利益を上げること。

 それ以上に求められていることはありません。

 会社の為に成果を出しなさい」


 感情を伴わない淡々とした発言が続く。

 あくまで業務的で、一切合切無駄がない。

 仕事という面だけ見れば、理想的な上司と言えそうだ。

 今のところパワハラもなく、社内の雰囲気自体は悪くない。


「何か不明点はありますか?」

「問題ありません。

 役職に就いた以上は、最大限の利益を出すつもりです」

「そうですか。

 ……決して、無理はなさらずに」

「え……?」

「5分後にエリアマネージャーを集めた会議があります。

 店舗の経営戦略に関するものなので、社さんは参加をお願いします」


 それだけ告げて、彼方怜悧は会議室へ向かった。

「あ、あの……社マネージャー。

 会議の間、私はどうしていれば?」 


 会議に参加するのは俺だけ。

 だからこそ――頼めることがある。


「仇花、頼みたいことがあるんだ」

「はい!

 なんでも言ってください!」

「じゃあ――」


 意気揚々と頷く仇花に、無理のない範囲で社内調査を任せ、俺は会議へ望むのだった。




        ※




 エリアマネージャーによる経営戦略会議は、俺が考えていた以上に非常に身のあるものだった。

 ブラック企業らしく根性論ばかりを語るものかと思えば全くそんなことはない。

 計画目標を達成できなかった理由を明確にした上で、理路整然と問題と解決していく。

 大企業ならではのビッグデータがあるからこそ、ここまで詳細にデータを分析できるのだろう。

 一部上場企業として経済を潤わせているだけのことはある。

 偽りようなく、経営面で優秀な人間が多いのは間違いないようだ。


「それでは各自――問題の解決に取り組んでいただければと思います。

 ……さて、ここからが今日の本題ですが、社マネージャー」

「……なんでしょう?」


 突然、彼方怜悧に名前を呼ばれた。

 気付けば会議に参加しているエリアマネージャーたちは下卑た笑みを漏らしている。

 さっきまでとは打って変わり、空気が不穏なものに変わっていた。


「渡してある紙を見てください。

 社さんに管理していただくエリアですが、人口や経費に対して赤字となっている店舗が多くあります」


 資料は既に目を通したが、数字的には大きく赤字の店舗が2店舗。

 そのうちの1店舗は先日まで勤めていた居酒屋真黒の荻窪東口店。

 つまり、この酷い売上はあのクソ店長のせいだ。

 今まで横領していた分の赤字が組み込まれているのだから。


「この業績は東京23区にある居酒屋真黒の飲食チェーンの中でも、社マネージャーの管理するエリアは最低の売上となっています。

 一刻も早い業績の改善をお願いします」

「わかりました」


 まさかいきなり振られるとは。

 まぁ、気合を入れろということなのだろう。


「……彼方統括マネージャー。

 この件に関しては流石に社マネージャーが気の毒でしょう。

 荻窪東口店の店長は屑だったのですから」


 俺を庇うような発言をしたのは、同じエリアマネージャーである権化ごんげ競冶きょうやだ。


「確かにその通りですね。

 店舗スタッフはアルバイトも含め、改めて真黒の教育プログラムで再教育する必要があるのかもしれませんね」


 この物言いから察するに、彼らは教育プログラムを受けていないようだ。

 洗脳染みた人間特有の狂気は感じない。

 だが、


「それはいい。

 家畜同然の店舗スタッフには高等過ぎるかもしれませんが、

 使えないゴミ屑のままでは困りますからね。

 せめて猫の手ほどの活躍はしてもらわねば」


 不穏な空気が深まっていく。

 ああ、そうか。

 一瞬でもまともだなんて思ってしまった自分の勘違いが恥ずかしい。


「仮に相手が家畜だろうと、それを上手く使うのも我々エリアマネージャーの仕事ですよ」

「彼らのような無能いるからこそ、我々は頭を使うことで利益を得られるのも事実ですからな」

「はははっ!

 確かにその通りですね!

 我々は頭を使う代わりに、彼らは身体を動かして死ぬまで働く。

 家畜にとって、これほど幸せなこともないでしょう」

「そうですね。

 今後も我らが真黒カンパニーの為に、限界まで絞り取り最大限の利益を生まなくては」


 醜悪な欲に塗れた発言が次から次に飛び出てくる。

 こいつらはやはり――ブラック企業に相応しい最悪の人間のようだ。


「そういえば、社マネージャーは、店舗からの異動だったそうですね」

「ええ」


 明らかにこちらを小馬鹿にするような物言いに、俺を格下だと見下しているのが伝わってきた。


「どうです?

 家畜から人間になった気分は?」


 下卑た笑みをさらに醜く歪ませ、エリアマネージャーたちが俺たちを嘲笑う。

 そう――どれだけ優秀だろうと屑はいる。


「そうですね。

 最高の気分です」

「あははっ、そうでしょうね。

 また家畜に堕ちないよう――」

「何せあなたが家畜以下である証明が出来るんですから」

「なに……?

 今、なんと言ったんだ?」


 俺たちを家畜と発言した男の笑みが消え怒りに震える。


「最高の利益を上げれば、あなたが家畜以下だってことが証明できると思いまして」

「へぇ……それは僕に対する挑発――」

「これ以上の無駄な会話は慎みなさい」


 売り言葉に買い言葉。

 舌戦が始まりかけたその時、彼方怜悧が間を割った。


「社マネージャー、その言葉が口だけではないことを期待していますよ。

 社長もあなたの活躍を望んでおられるでしょうから」

「……はい。

 光栄です」


 軽く流しておくべきだったかもしれないが、後悔はない。

 こんな腐った奴らが相手なら俺も遠慮せずに済む。

 何より、各店舗のスタッフを苦しめているのは、こいつらエリアマネージャーの指示に問題がある。

 今、それが明確にわかった。

 だから、


「必ず結果を出してみせます」


 まずはこいつらを踏み台に実績を上げ、上司である彼方怜悧からの信頼を得る。

 社長に近い人間に近付いていけば、きっとこの会社を変える為の一歩に繋がるはず。

 真黒暗部の弱みを握る。

 まずはそれからだ。


「ではこれで会議を終了します。

 各自、今週も真黒の為に最大の貢献を」

「「「「「「「「「「「真黒の為に――」」」」」」」」」」」


 そしてエリアマネージャーたちは敬礼のように真黒に誓いを立て、会議は終わりを迎えたのだった。


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