第4話 最初の一歩


 あれから六日間が経過した。

 チートの効果が継続している間の職場は正にホワイト。

 仕事自体が大変な時はあっても、人間関係は非常に円滑だった。

 職場の仲間たちとの絆が深まったとすら思える。

 ずっとその気持ちに浸っていたい。

 そう思いながらも、俺はクソ上司を破滅させるために様々な手を尽くしていた。

 そのお陰もあり、あいつを破滅させるための手札は揃った。

 後は実行に移すのみ。


 しかし、職場はまだ平穏だった。

 恐らく、チートの効果が切れるのは俺が上司に命令を下した時間。

 あれは12時過ぎくらいだったはず。

 だとするなら……そろそろチートの効果が消える時間だろう。

 俺は一度、席を立ち外に出た。

 そして俺はある人物に、電話をかけた。




     ※




* 視点変更――夢岬 彩希 *




「おい!

 どうなっているんだね!!!

 ここ! 見えないのか!!

 間違えているじゃないか!」


 突然、大声が上がりました。

 最近は聞かなくなった、でも忘れることのできない部長の叫び声です。


「まったくこの職場はクズばかりだな?

 粉骨砕身の覚悟で働くんだよ!

 そういう気持ちがないから、こんなくだらんミスをするんだろうがっ!!」


 社員の書類のミスに部長が激怒しています。

 一瞬で空気が重くなるのを感じました。

 先週はあれほど穏やかだった会社の雰囲気が、幻だったように消えてしまいます。


「まったく……。

 ん? 夢岬君、ちょっと来たまえ!」

「……は、はい!」


 私は名前を呼ばれ、ドクン――と胸が跳ねます。

 慌てて部長の下へ行くと、


「キミね、少しは頑張るつもりはあるのかね?」

「え……?」


 そんなことを言われました。


「ダントツで低いぞ、キミの営業成績は」

「も、申し訳ありません!

 ですが、今週はアポイントが複数取れているので必ず業績を――」

「言い訳はいいんだよ!

 わしは、今!

 今の話をしているんだよ!

 なぁ、キミの取り柄はなんだね?」


 取り柄……?

 友達には明るいところとか、素直なところと言われたことはありますが。


「簡単だろ!

 若さだよ、若さ!

 若いんだから、枕営業でもするくらいのつもりで客を取って来い!」

「そ、そんな……」


 出来るわけない。


「はぁ……やはりやる気がないのか?

 このままじゃクビだぞ?」


 クビ……!?

 ――それはダメ。

 私は弟のためにも働かなくちゃいけない。

 絶対、弟を一人前にするからって。

 お父さんとお母さんに誓ったんだ。


「が、頑張ります!

 だからクビだけは――どうか」

「ふふっ、ならわしに対してもそれなりの対応があるんじゃないか?」

「え……?」


 スッと――私のお尻に、部長の手が伸びた。

 思わず身が強張る。

 怖くて、身体が動かなくて、逃げることもできなかった。




      ※




* 視点変更――社 白真 *




「――部長、この手はなんです?」


 俺は、夢岬に伸びていたクソ上司の手を掴んだ。


「や、社さん……」


 夢岬は蒼白な顔を俺に向けた。


「ごめんな。

 もっと早く割って入れればよかったんだけど」


 電話が長引いて、戻って来るのが遅くなってしまった。


「おい、貴様!

 いつまでわしの手を掴んでいるんだ!

 離せ!」


 あえて離さない。


「離せと言っている!」


 あえて離した。


「うおっ……!?」


 ガシャーン!

 俺が急に手を離した事で、クソ上司は椅子ごと倒れた。


「なぜ急に離した!」

「離せと言われたから、離したんですがね……?」

「ふざけるなっ!

 貴様はわしをバカにしているのかね!

 クビにされたいのかっ!!」

「ああ、構いませんよ?

 一応やることをやって、今日で辞表を出すつもりだったので」

「なに……?」


 怒り一辺倒だったクソ上司の顔が驚きに変わった。


「部長、今からあなたに与えるのは最後のチャンスです。

 誓約書に書いた通り、心を入れ替えて、社員の待遇を改善するつもりはありませんか?」


 チートにかかった直後に、部長が自らが待遇改善を誓って書いた誓約書の話だ。


「……誓約書……?

 ……そういえば、そんなものがあったな」


 部長は引き出しから、誓約書を取り出すと、


「こんなものは――こうしてやるわっ!」


 俺たち社員に見せつけるように、びりびりに破り捨てた。


「心を入れ替えて?

 待遇を改善?

 ふざけるなっ!

 給料は払ってるだろうがっ!

 社員ってのは会社のために死ぬつもりで働くんだよ!!

 それが出来て一流の社会人だろうがっ!」


 折角、最後のチャンスを与えてやったのに。

 聞く耳を持つつもりはないようだ。


「そうかよ。

 だったら、あんたはもう終わりだ」

「あ……?」


 社員全員の前で――公開処刑を始めてやる。

 俺は持っていた封筒を机に投げた。


「これは……?」

「中を確認してみたらどうだ?」

「……」


 俺の指示通り部長は封筒を手に取った。

 そして中身を確認する。


「これは――!?」

「そのファイルの中、確認させてもらったよ」

「っ……」


 俺が投げたのは、部長が管理している会計帳簿。

 そしてそれは――このクソ上司が会社の金を着服している証でもある。

 普段なら絶対に、会計帳簿の確認をすることなど出来なかっただろう。

 だが、一時的とはいえホワイト化し、全ての社員が定時で帰ってしまった。 

 俺はそれを利用した。

 誰もいない夜の会社――この6日間だけは、社内の経理資料を調べ放題だったのだ。

 俺も経理の知識はなく、調べるのに随分と手間と時間はかかったが……。

 ただ、このクソ上司が会社の金を着服している。

 ある理由から確証はあった。

 だからこその行動だ。


「この帳簿には色々とおかしな点があった」

「な、何が変だと言うんだ!」

「たとえば――先月、夢岬が取ってきた契約の売上。

 なぜかそれが計上されていない」


 最初に目に付いたのは営業部の売上金だ。

 計上されるはずの売上が明記されていない。

 これは夢岬本人から、先月は売上を出したと聞いていたので直ぐに気付けた。


「っ……た、たった一件、契約が取れただけだろうがっ!

 大した売上でもない。

 そ、そうだ、うっかりして記入を忘れてしまったんだ!」


 額に汗を浮かべながら、クソ上司は苦し紛れの言い訳を始める。

 それにしても、もっとマシな言葉が出てこないのだろうか?


「じゃあ聞くが――業務用のコピー機はどこに導入されてるんだ?

 数台、購入したことになってるようだが……?」

「あがっ!?

 そそそそそそそれは……」

「確かにこれは必要経費だ。

 本当に会社に導入されているのならな」


 会社のどこにもコピー機などありはしない。

 業務用ともなれば、それなりの大きさだ。

 もし隠していたとしても、隠せるはずがない。


「そ、そんなもんは、これから届くんだよ!」

「……あんたも諦めが悪いな。

 だったらこっちも遠慮なくやらせてもらうがっ!

 まだまだ出てくる。

 出てくる出てくる次から次へと!

 経費ってのはあんたのためにあるのか?」


 俺は領収書をバラまいた。

 それら全ては接待費――という名目の経費。


「いつ、どこで、誰と、どういった目的で会っていたのか一切不明の領収書だ。

 山のように出てくるな!

 少しなんて金額じゃない。

 これらを計算すれば――少なくとも500万以上の行方不明金が存在してる」

「ぐぐぐ……」


 焦燥感に満たされたクソ上司に、


「これが何を意味しているか……言わなくてもわかるよな?

 あんたは――会社の金を横領してる!!」


 はっきりと告げた。

 もう逃げ場などどこにもないことを。


「わ、わしは知らん!

 そもそも、か、金を預かる立場にある者はわしだけではないだろっ!」


 追い詰められていながら、しぶとく生き延びようと足掻く。

 まだみっともなく、言い逃れするつもりのようだ。

 だがもう、あんたは詰んでるんだよ。


伴利ばんりちゃんに、随分と貢いでらっしゃるそうで?」

「――!?

 ど、どこでその名前を!?」

「やはり知ってらっしゃるんですね?」

「はっ……」


 クソ上司が徐々にボロを出す。

 伴利ちゃんとは、このクソ上司のお気に入りのキャバ嬢だった。

 俺が伴利ちゃんと出会ったのは本当にたまたま。

 会社の前にずいぶんとケバい女がいて、気になって話しかけてみたのだ。

 するとこの伴利ちゃん、クソ上司の名前を口に出した。

 ここ数日、店に来ないから気になって会いに来たのだというのだ。

 だから、俺は伴利ちゃんに探りを入れたのだ。

 そしてこれが、クソ上司が金を着服しているという確信に繋がった。


「酔った勢いで言ってたそうだぜ。

 『自分は会社の金をいくらでも使える。

 だからなんでも買ってやれる』ってな。

 だからキャバクラで飲んだ金も全部経費してるってよ。

 伴利ちゃんから聞いた話じゃ……その金額は少なくても500万ほどだって?」


 会社の行方不明金と近い金額。

 

「……ぐっ……ぐぐぐぐぐぅ……」

「奥さんのことも……随分と悪く言ってたみたいだな。

 聞いたんだぜ、俺は……?

 お前が外では、奥さんのことを豚の豚子だと言ってることを」

「な、なぜそんなことまで……いや、で、デタラメだ!

 全てデタラメだ!

 わしは認めんぞ?」

「ま、デタラメかどうかは、これから来る税務調査官にじっくりと話せばいいさ」


 俺はスマホを手に取った。


「なななななあああああっ!!

 ぜ、税務調査官だとおおおおおっ!

 きききき貴様ああああああっ、正気か!?」


 うちのような中小企業。

 こんな小さな会社に税務調査が入るわけがない。

 こいつはそう考えてたんだろうな。


「そんなものがバレたら、会社の信用問題にも発展するぞ!?

 業績が下がり、会社が倒産でもしたらどうする?

 仕事を失って困るものだっているんだぞ!」

「だからなんだ?

 俺はあんたを裁く。

 それ意外は知ったことかよ?

 俺はもうこの会社を辞めるんだ。

 この会社がどうなろうと知ったことか。

 ついでに警察も呼んでやるよ。

 横領罪であんたは終わりだ」


「ま、待て!

 早まらないでくれ!

 な、何が望みだ?」

「それは交渉したいってことか?」

「そ、そうだ!

 いや、そうです!

 どうか――こんなことがバレれば、わしはおしまいだ」


 ここまでは想定通り。

 ちなみにこの会話は録音済みだ。

 そして――ここからが面白くなる。


「なら認めろよ。

 そうしたら考えてやる」

「認める?

 な、何を認めたらいいんだ?」


 馬鹿かこいつは。


「まずは会社の金を着服していたこと。

 いくら使い込んだ?」

「あ、ああ、着服した。

 着服しました。

 500……いや1000万――いや、もっと……!」


 ついにクソ上司の口から真実が語られた。

 金額から察するに、ずいぶんと前から会社の金を横領していたようだ。


「キャバ嬢の伴利ちゃんの妹と援助交際したってのは?」

「それは……」

「なんだよ?」

「本当です……」

「じゃあ、最後に。

 奥さんのこと、豚だと思ってんの?」

「思ってる!

 あいつは豚だあああああっ!」

「……そうか」

「もういいだろ!

 許してくれ……!」

「馬鹿か?

 一番大切なことを言ってねえだろ?」

「一番、大切なこと……?」

「この会社の社員全員に――パワハラをしていたこと。

 労働基準法を無視して働かせていたこと!

 それを認めてこの場で謝罪しろ!」

「わかった……わしが悪かった……。

 今まで……申し訳なかった。

 この通りだ、許してくれ……!」


 土下座で謝る元パワハラ上司。

 その姿はもうどこにもなく。

 今はただ情けない姿をさらしていた。

 その姿を俺は見下し、


「……だそうですよ。

 確かに聞きましたよね?」


 踵を返して声を掛けた。

 すると半開きになっていた扉が開く。

 そこから入ってきたのは杖を突いた年老いた男性と二人の女性。


「大野木原部長……」


 まず、初老の男性の声が重々しく響いた。

 その声にクソ上司は慌てて顔を上げ、大慌てで立ちあがった。


「――しゃ、社長!?」

「経営を全て君に任せていたのは失敗だった。

 わたしは今、そう確信したよ」


 俺は当然、税務捜査官なんて呼んでいなければ、警察にも連絡はしていない。

 会社がどうなってもいいなんて、本心のわけがないからな。

 全ては部長を自白させる演技だ。

 そして――その演技は功を奏した。

 俺が電話で呼びだした相手は三人。

 一人目は――この会社の社長。

 二人目は――


「ありえないんだけど?

 マジでうちの妹とやったの?

 レイプじゃないよね?

 どっちにしてもマジキモ過ぎ」


 キャバ嬢の伴利ちゃん。

 そして最後の三人目は――


「……全部聞いたわよ?

 あんた、本当に最低なのね。

 しかもなんだってあたしを豚と思ってるって!?」


 クソ上司の奥さん。

 社長に頼んで呼んでもらったのだ。


「あ……あぁ……」


 全身の力が抜けたように、膝をガクッと突いた。

 そんなクソ上司に贈られたのは、


「キミはクビだ。

 すぐにこの場から消えたまえ」

「会社のお金盗んだり妹と関係もったり最低!

 ゴミ屑! ゴキブリ以下!」

「あなたとは離婚よ!

 二度とあたしの前に顔を見せるんじゃないわよっ!!」


 見事な三連コンボだった。

 最後に俺はこのクソ上司を見下し呟く。


「今……どんな気持ち?」

『いいわあっ!

 そのセリフいいわぁっ!!

 さいっこうよっ!! それ!!!!!』


 黙って様子を見ていた女神も、思わずスカッとする気持ちよさ。

 だが、相手からすれば憎しみ全開のようで、


「うあああああああああああああああっ!!!!!!!!」


 その憎しみを吐き出すように、クソ上司が咆哮を上げた。

 目を見開き、瞳には憎しみが宿っている。

 そして俺に迫り拳を振り上げた。

 最後は暴力に頼るなんて、本当にどれだけクズなのか。

 当然俺は、そんな暴力には屈しない。

 このクソ上司のステータスは既に確認してある。

 身体能力――200(H)

 対して俺の身体能力は――480(E)

 負ける要素はない。

 俺は攻撃を冷静にかわすと、


「今度は正当防衛だからなっ!」


 自分の身を守るために、クソ上司の顔面を思い切りぶん殴った。

 ボゴンッ! と鈍い音が響き……バタンとクソ上司はぶっ倒れたのだった。




        ※




 あの後……クソ上司は目を覚ますと、慌てて会社を出て行った。

 社長は横領罪で訴えると言っている。

 このままいけば、あのクソ上司は本格的に破滅するだろう。

 そして社長は俺たち社員全員に謝罪をした。

 聞けば身体を悪くしてから経営を離れていたらしい。

 親族もおらず会社を立ち上げた頃から、共に頑張ってきた部長に経営を任せていたそうだが。

 会社がこんな状況にあんな事になっていたとは、思いもしなかったそうだ。

 そして会社の労働環境を改善することを約束をしてくれた。

 すぐに職場を辞めるはずだった俺も、一年間だけは会社に残り見守ることにした。

 そして――社員全員の努力もあり、うちの会社はホワイト企業へと変化していくのだった。


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