第1話 誰でも知ってるブラック企業


「あ……」


 目が覚めた。

 涙で頬が濡れている。

 またあの時の夢を見ていたみたいだ。


「ぐーがー」


 アンニュイな気分でいる俺の隣で、物凄いいびきが聞こえた。


「はぁ……」

「ぐがーぐがー」


 そのいびきを出しているのは女神ゼウスだ。

 俺のベッドを占領し、剝き出しの腹をポリポリと掻いている。

 タオルケットは被っているが、女神とは思えないあられもない姿を披露していた。

 ていうか、こいつ明らかに服を着ていない。

 布の上から身体のラインがはっきりとわかる。

 もしこいつの信者がこれを目にしたら、ショック死してしまうんじゃないだろうか?

 最早、駄女神ではなく堕女神だ。

 ちなみに俺は床に布団を敷いて寝ていた。


(……ったく、気持ちよさそうな顔で眠りやがって……)


 ベッドはさぞ寝心地がいいのだろう。

 こいつが来てから、俺はベッドを使える日があまりない。

 それを思うと、ストレスゲージが若干上昇する。

 

「そいや!」

「あだっ!?」


 眠るゼウスのおデコにチョップした。


「……う~ん……うん?

 もう……朝……?」

「おいゼウス。

 さっき天界から女神様が来たぞ。

 でも、お前が腹を出して寝てるところを見て、女神失格と言って帰ってしまった」

「ああ、そうなの……って、え……?」


 ゼウスは、今まで一度も見たことがない顔をした。

 普段は表情豊かな女神だが、今は表情が消えているのだ。

 そして、目をパチパチさせる。


「ぜ、ゼウス……?」

「そ、そそそその女神は、なななな名前はなんて……?」


 とんでもない量の汗が、ゼウスの額から流れ落ちる。

 あ、どうしよう。

 なんだか信じてしまったようだ。

 嘘だって言いにくいなぁ……。


「あー……ゼウス……今言ったことなんだが……」

「ああああああたし……く、クビになったりしないわよね!

 ねぇ、大丈夫よね、白真っ!?」

「女神ってクビになるのか?」

「なるわよ!

 あんた、常識ってものはないの!」


 基本、裸でいるお前に言われたくないよ。


「女神の常識なんて知るか。

 あ、それとな……さっきのは嘘だぞ」

「は……?」

「あ、いや……お前が人のベッドで気持ちよさそうにぐーすか寝ていたから、ちょっと意地悪したくなったんだ」

「は……――はああああああああああああああああああああああああああああっ!?」


 早朝――女神の絶叫がアパートの一室から天高くに響くのだった。




        ※




「まったく……本当に、白真ったら……!

 あたしをなんだと思ってるの!」


 あれから暫くたったが、ゼウスはまだ怒っていた。


「悪かったって言ってるだろ。

 お前、いつまで怒ってるんだ」

「心がこもってない!」

「あのな、今日は俺の初出社なんだぞ。

 少し落ち着かせてくれ!」


 以前の職場をホワイト化した俺は、この国に腐るほどあるブラック企業を改善すべく、転職を決めた。

 そして今日が初出勤日なのだ。


「むっ……なら、あたしを必ずスカッとさせなさいよ!

 そうしたら許してあげるわ!」

「言われなくたって、最高にスカッとさせてやるさ」

「そう。

 ……ふふっ、楽しみだわ~」


 恍惚とした顔をするゼウス。

 こいつ、きっと自分の上司に対してめちゃくちゃストレスが溜まってるんだろうなぁ。


「でも白真、あなたもの凄いやる気ね!」

「そりゃそうだろ。

 今回の獲物は最高の相手なんだからな」


 俺が今回転職を決めた企業は、誰もが知っている有名ブラック企業だった。


「へぇ、そうなのね。

 え~と、なんて名前だったかしら?」

真黒まくろカンパニーだ」

「ああ、そうそう。

 真黒だったわね」


 真黒カンパニーは様々な分野に事業展開をしている総合企業だ。

 儲かると判断すれば新分野にも率先して投資し、数々の成功を収めていた。

 だが、そんな輝かしい栄光が霞むほどのブラック企業でもある。


「ちなみに、どんな風にヤバいのよ?」

「強いて言うなら、全てヤバい」


 何せ、社訓からしてイカれてるのだ。

 働くことこそが至上の喜び。

 365日、年中無休で死ぬまで働け。

 それが真黒カンパニーの企業理念だそうだ。

 そんな社訓を掲げ、仕事のやりがいを強調し社員たちを洗脳している。

 実際に自殺者も出しているらしいが、残された遺書などには企業への批判ではなく自分の至らなさが書き連ねられているのみだったとか。

 これはあくまで、噂の範囲ではあるのだけど。


「そんなヤバい企業のトップをぶっ飛ばせたら、とってもスカッと出来そうね」

「ま、直ぐに社長をってわけにはいかないだろうけどな」

「どうしてよ?」

「前の会社と違って、真黒カンパニーはそれなりにでかい企業なんだよ」


 これから俺が出勤するのは、真黒カンパニーが経営するの飲食店で居酒屋真黒という。

 面接時に本社勤務を希望したが、店舗の店長候補ということで入社することになったのだ。


「ま、実績を上げていけば、本社に顔を出す機会はあるさ」

「なんだか気の長い話になりそうね……」

「そうならない為にチートがあるんだろ」


 俺に与えられたチート能力。

 ぶん殴った相手を一度だけ支配することが出来る力。

 この力を上手く使えば――真黒カンパニーでのし上がることだって出来る。

 そして俺は、このブラック企業をホワイト企業に変え――


 ――ピピピ、ピピピ!


「って――しまった」


 スマホのアラームが鳴った。

 気付けばもう家を出なければならない時間になっていた。

 就業時間はまだ先ではあるが、初日だけはかなり早めの出社を考えていた。

 上の人間に取り入るには、最初の印象が大切だからな。

 ブラック企業の人間が相手なら尚更だ。


「ゼウス、俺はもう出るぞ。

 お前も上司の女神に怒鳴られないよう、さっさと仕事に行けよ」

「あぁ……働きたくないわねぇ……」


 自堕落な女神がだらけた言葉を吐くが、俺はそれを無視して職場に向かうのだった。




            ※




 勤め先となる居酒屋真黒は、俺のアパートから歩いて通える距離だった。

 職場からの距離が近いことを買われ配属が決まったのだろう。

 流石は真黒カンパニーだ。

 こき使う気満々に違いない。

 休日とか当然のように呼び出しを受けるのだろう。

 いや……そもそも休日などなく、近場なら逃げられない、そして逃がさない。

 そのくらいは考えていそうだ。


『あ、そうそう白真』

「っ――!?」


 頭の中に突然声が響き、道端でビクッとなってしまった。


『ぷっ、何よ今のビクンッ! って、面白い~!』

『おいこの堕女神!

 いきなり話し掛けてくんじゃねえっ!』


 道を歩く小学生が、俺を不審者のような目で見たぞ。

 通報されたりしたらどうすんだ。

 ブラック企業を改善する前に、俺がブラックリストに入っちまうだろっ!


『そんなに怒るんじゃないわよ。

 これから新しいチートをあげるんだから』

『は……?』

『言ってなかったかもだけど。

 白真、あなたは新しいチートが覚えられるから』

『……なに?

 新しいチート?』


 思わず聞き返していた。


『あたしをスカッとさせることで、あなたはスカッとポイントが溜まるわ。

 そのポイントに応じて、あなたはチートが覚えられる』

『チートを?

 王の支配ドミネーションのような強力なチートが他にも手に入るのか? 』

『ええ。

 あなたの頑張り次第じゃ、もっと凄いチートが手に入るかもしれないわね』


 今のチートだって常識から考えれば尋常じゃないほどの力だ。

 それをさらに超えるような力か……。

 考えると少し怖い気もするが――俺はもう、後ろに振り返るつもりはない。


『それで今覚えられるチートはどんなのがあるんだ?』

『そうね……いくつかあるのだけど……あたしのオススメはこれね』


 ゼウスがそう言ったのとほぼ同時に、頭の中にそのチートの詳細が流れ込んで来た。




----------


時戻しワンモアリピート

 時間を1時間以内なら、記憶を保持したまま好きな時間に戻す事が出来る。

 ただし1度使用すると、その日から1週間使用できない。


----------




『時間を戻す……?』

『そう。

 便利でしょ』


 平然と口にするゼウス。

 だが、便利という安っぽい言葉で済ませていい力ではない。


『マジで時間を戻せるのか?』

『だからそう言ってるじゃない。

 別に大したことないでしょ?

 これくらい、女神は日常的にやってるわよ。

 ほら、たま~に失敗して世界を滅ぼしちゃう時とかあるでしょ? 』


 知らねぇよ!

 軽いことみたいに言ってんじゃねえ!

 女神界の常識、恐ろしすぎだろ!!


『で、どうするの?

 新しいチートを覚える?

 それとも他のがいい?』


 女神は俺に問う。

 だが、


『いや、とりあえずまだいいや。

 今日は社内の様子を窺って、その状況に応じて能力を選びたい。

 それに、もう職場が目の前だ』


 横断歩道の赤信号で俺は足を止めた。

 歩道を渡った先には、俺の新たな職場せんじょうが見えた。


『そう……。

 ま、必要になったらいつでもいいなさい。

 折角ポイントが貯まってるんだから、使わないと勿体ないわ』


 ポイントカード好きの主婦みたいな発言するなよ。

 まぁ、使える物は全て利用させてもらうつもりだが――


「うん……?」


 信号待ちしていると女性が一人、居酒屋真黒から出て来た。

 遠目からでもわかるくらい、目が虚ろで表情が暗く、まるで覇気がない。

 あの子も真黒のブラック具合に苦しめられているのだろうか?

 ふと、そんなことを考えてしまった。


『うわぁ……死にそうな顔してるわね、あの子……』

『お前もこっちの様子を観察してないで、さっさと仕事に戻ったらどうだ?』

『してるわよ、しながらこっちの世界の様子を……――――白真っ!?』


 ゼウスが声を荒げた。

 だが、その理由は俺にも直ぐにわかった。

 居酒屋真黒から出て来た女性が――赤信号のはずの横断歩道に、


「っ!?」


 飛び出していた。

 ――直後、ドガンッ!! と鈍い音が響く。

 まるでスローモーションのように、車にひかれた女性の身体が吹き飛ぶ。

 そしてゆっくりと、本当にゆっくりと、吹き飛んだ女性は地面に落下していった。


「き……きゃあああああああああああああああああああああっ!!!!!!?????」


 絶叫が耳に入る。

 それと同時に、周囲は慌ただしさを増していく。

 この状況で、冷静さを保っていられるほうがおかしい。

 だが、どうしてだろう?

 俺の思考は、自分でも驚くほどにクリアだった。

 一切の混乱もなく、ただ状況を直視する。

 視界の先に広がるのは……頭から血を流し倒れている女性。

 その女性は、信じられないくらい……安らかな笑みを浮かべている。

 これで楽になれると語るように。

 彼女の行動は自殺なのだろうか?

 だとしたら、何が……この女性を苦しめた?

 考え始めて直ぐ、居酒屋真黒から出て来た女性の姿が俺の脳裏をかすめた。


『……ゼウス。

 時を戻せるチートが覚えられるって言ったよな?』

『白真……あなた、あの子を助けるつもりなの?』

『ああ』

『チートの詳細は見たわよね?

 このチートは一度使えば、1週間は使えなくなるけど問題はない?』

『構わない。

 その程度のデメリットで済むなら、助けない理由がない』


 この女性は居酒屋真黒から出て来た直後、自殺したのだ。

 そして、自殺することで救われるような顔をした。

 なら原因は間違いなく真黒にあるはずだ。


『はぁ……意外とお人好しよねぇ白真って。

 でも、いいわ。

 あたしはそういう人間、嫌いじゃないから――あなたに、新しいチートをあげる!

 受け取りなさい!』


 その言葉の直後、


【あなたは時戻しワンモアリピートを獲得しました。】


 頭の中に声が響き、このチートの使用方法も含めた詳細なデータが頭の中に流れ込んできた。

 そして――俺は時間を巻き戻した。




        ※




 まるで夢を見ているような感覚が終わり、意識が覚醒する。

 周囲を見回すと、ここが俺の部屋であることがわかった。

 スマホの時間を確認する。

 時間的には、俺がアパートを出る直前に戻っているようだ。


『白真、時間旅行はどうだったかしら?』


 そんな言葉を掛けてきたのはゼウスだ。


『……なんだかおかしな気分だな……』

『ま、慣れるまではね。

 で、助けるの?』

『当たり前だ。

 その為に戻ってきたんだからな』


 俺は慌てて家を出た。




      ※




 さっきの横断歩道――事故現場に到着した。

 まだ飛び込みは起こっていない。

 俺が歩道を渡ると、直ぐに信号は赤になった。

 そして居酒屋真黒から、あの女性が出てくる。

 近くで見るとはっきりとわかる虚ろな目。

 俺がよく知る、働くことに、生きることに疲れた者の目だ。

 そして、女性の視線が信号に移ったのがわかった。

 だが、女性の足は止まることない。

 やはりこの女性は、自殺するつもりだったのだろう。


「おい、あんた」


 俺は後ろから、咄嗟に女性の手を引いた。


「……!?」


 いきなり手を引かれ、女性は驚愕に目を見開く。

 普通、こんなことしたら完全に不審者だろうな。

 通報されてもおかしくない。

 だが今は、そんなことは構いやしない。

 俺は勢いのままに口を開いた。


「あんた、死のうとしてたんだろ?」

「っ……そ、それは……」

「赤信号を確認していたはずなのに足を止めなかった」

「っ……それは……」

「もしあんたの自殺の原因が――仕事の問題なら、力になれる」

「……どうして……?」


 女性は目を丸めた。

 やはり自殺の原因は――ブラック企業にあったらしい。

 なら、


「俺があんたを助けてやる。

 だから死ぬなっ!

 クソ会社の為に、あんたが死ぬ必要なんてない!」

「っ……うぅっ……」


 女性の虚ろな瞳に光が戻り涙が流れる。

 その涙は――この女性が生きることを諦めたくない証のようだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る