第2話 俺は現代を選ぶぜ!


 だけど、


「俺はどうせチートがもらえるなら、異世界じゃなくて元の世界に戻りたい」

「え……?

 現代に……?」

「そうだ。

 チートがあれば、ブラック企業にも負けないだろ?

 それどころか――企業ごと叩き潰してホワイトにすることだって出来る!

 俺は、ブラック企業を相手にしても戦えるだけの力が欲しい!」

「ブラック企業を……ホワイトに……。

 ふふっ……ふふふっ――なるほどね。

 それ、結構面白そう!

 なんだかスカッとできそうだわ!」

「そうだろっ!

 だから俺はブラック企業と戦える力が欲しい!

 企業を変える過程で、ブラック企業の根源である悪人をぶっ倒す!」

「いいわいいわ~!!

 そういうのあたし大好き!

 人の中にはどうしようもない悪人っているものね~!」


 俺が言うと、女神は意外とノリノリになっていた。


「なら、今からあなたを元の世界に転移させるわ!」

「え? いきなり!?」

「善は急げって言うでしょ!」

「ち、チートは?」

「約束通りあげる!

 だから白真――ちゃんとあたしを楽しませてね!

 最高にスカッと出来る事、期待してるんだから!」


 女神は俺に微笑みを向ける。

 そして俺は再び強烈な光に包まれたのだった。




       ※




 そして気付けば、俺は元の世界に戻っていた。

 視線の先には床に這いつくばるクソ上司。


「ぐっほおおお……!

 ぎ、ぎみねえ!

 よ、よぐもごんなごとを!!」


 どうやらこれは、クソ上司を殴った直後のようだ。


『白真、聞こえてる?』


 ゼウスの声だ。

 え、え~と、どう返事をすれば?


『心の中で語り掛けるだけで平気よ!

 もうチートを使えるはずよ』


 マジか?

 チートを使える。

 それを意識した途端、


【あなたは王の支配ドミネーションを獲得しました。】


 頭の中に声が響く。


『細かい説明はあとでするけど、

 今あなたが獲得した力は――殴った相手を支配する力!

 そしてあなたは既に、そのクソ上司を殴ってる!』


 つまり、もう俺のチートを発動する事が出来る。


『その通りよ!

 さぁ、白真!

 この力で――今までの恨みを晴らしてやりなさい!』


 恨みを晴らす――か。

 夢が膨らむな。


「ぎ、ギミ!

 ギいているのかね!

 わ、わじは! ぜっだいにゆるざんぞ!」


 だが……個人的な恨みを晴らすだけじゃ意味がない。

 俺が異世界に向かわず、こっちに戻って来た理由は一つだ。

 俺は絶対にブラック企業を――改善する。

 そのためには、


「お前は、社員の待遇改善に全力を尽くせ!」

「お、お前だどおおおっ!

 キミは誰にむがっ――あ……」


 怒りのままに喚き散らしていた上司がその口を閉じ、


「……わかりました。

 私は社員の待遇改善に全力を尽くします!」


 そう口にした。


「え……」


 唖然とした声が漏れた。

 それは俺の声ではない。


「部長……今、なんとおっしゃったんですか?」


 クソ上司の言葉が信じられなかったのか、社員の一人が聞き返す。


「全ての社員の待遇改善に、今後全力を尽くすと言ったんだ」


 そして大声で改めて宣言したクソ上司。


「え……?

 そ、それは……どいうことでしょうか?」

「おれ……働き過ぎて幻聴が聞こえてるのかな?」

「あ、あたしも……とうとう、精神的におかしくなっちゃったのかも」

「ぼくは、夢を見てるのか?

 ダメだ、眠るなんて甘えだ。

 起きて仕事をしなくては……」


 誰も信じていない。

 そりゃそうか。

 ブラック企業の根源たるこのクソ上司が、いきなりこんなことを言ってみろ。

 警戒して当然だ。

 簡単に信じられるわけがない。

 俺たちは奴隷のように扱われてきた。

 休み時間すら与えられず、残業代は出ず、奴隷のように……人権すらも与えられずに。

 社会人たるもの、会社のために尽くして当然と。

 洗脳に近いかたちで働かされてきたのだから。


「当然、簡単に信じることなど出来ないだろう。

 だが、信じてほしい。

 わしは……本気でこの会社を変える!

 全社員の待遇改善!

 社君の言葉を実行してみせる!

 口だけではない!

 今日から実行する!

 行動を示すことで君たちを信じさせてみせよう!」


 そう言って、クソ上司もとい部長は頭を下げた。

 信じられない姿に社員一同が目を見開く。

 世界の終わりのように膝を突き放心する者さえいた。

 この切っ掛けを作った俺自身、驚愕している。

 現実ではないような、酩酊間にも近い感覚を覚えていた。

 想像以上にチートの効果は恐るべきもののようだ。

 あっという間に人の人格を書き換えちまうなんて。

 これを俺が……やったんだよな。


「さあ、みんな――しっかりと昼休憩を取りたまえ!

 安心しなさい!

 その分の給料を引いたりはしない!

 なんなら誓約書をここで書こう!」


 そして部長は、本当に誓約書を書き始めた。


「う、ウソだろ……」

「待遇改善……?

 しゃ、社会保険に入れる日が来るの……?」


 誓約書まで書いてようやく、みんながこの状況が現実であることを認めた。


「ざ、残業時間は減りますか?

 残業代は出ますか?」


 社員たちの声が乱舞する。


「全て改善に努める!」


 そのクソ上司じゃなかった、部長の言葉を聞き、


「「「「「「わあああああああああああああああああっ!!!!!」


 社内は大歓声に包まれるのだった。




        ※




 あれから少し時間が経ち昼休み。

 普段ならまだ仕事をしているはずのこの時間も、


「キミたち!

 昼休みはちゃんと取らなくてはだめだからな!」


 クソ上司からクラスチェンジした部長の一言で、社員は一斉に休憩に入った。

 うちの会社は全社員20名の小さな会社だ。

 社長は会社にほとんど顔を出すことはなく、実質的な経営権を部長が握っている。

 そのため、社員にとってこのクソ上司の言葉が神の声に等しかった。

 だから言われたら従わざるを得ない。

 普段であれば死ぬまで働けとばかりに罵倒が飛び休み時間どころではないのだが。

 今日の社内は陰鬱としたムードなど一切なかった。

 笑い声なんかも聞こえちゃったりして、今までにないくらい平和だ。

 死にそうな顔してる人がいない会社とはなんと素晴らしいのだろう。

 なんだかこれからの人生、希望に溢れているのではないかとすら思えてくる。


『昼休みがあるなんて普通は当たり前の事よね』


 ゼウスの声が聞こえた。

 突然、声が聞こえてくるとちょっとびっくりだ。


『女神の声をこんな風に頻繁に聞けるなんて、

 寧ろありがたがってほしいくらいよ』


 へいへい。

 そうですか。

 ま、あまり俺が仕事してる時は話しかけてくるなよ。


『むっ……!

 折角、能力に付いて色々と教えてあげようと思ってたのに。

 そんな態度じゃ教えてあげないわよ!』


 能力について?

 さっき俺が手に入れたチートについてなら聞いたが。

 それ以外に何かあるのだろうか?


「あの……」


 なんだ?

 俺は聞き返した。

 しかし、ゼウスからの返事はない。


「あの……社さん」


 だからなんだよ?

 もう一度聞き返した。


『白真、話し掛けてるのはあたしじゃないわよ』


 え……?


「もしかしてお忙しかったですか?」

 

 再び声が聞こえて、俺は慌てて顔を向けた。


「あ……いや、大丈夫だ。

 夢岬こそ、どうかしたのか?」

「あの、社さんはまだ、お昼休憩に行かないんですか?」


 そんな事を尋ねてきた来た少女は――夢岬ゆめみさき彩希さき

 俺と同期ではあるが部署違いで、なんとまだ18歳。

 顔立ちはまだあどけなさが残っているが、浮かべる笑みを柔和で可愛らしい。

 人当たりの良さが一目でわかる女の子だ。

 この辺りは流石、営業部に配属されるだけの事はある。

 営業部らしく清潔感を大切にしているのか、短く切りそろえた茶髪をポニーテイルにしており、それがとても似合っていた。


「行くつもりだけど、もしかして何か用事か?」

「違うんです。

 あ、用事といえば用事なんですが……あの……」


 夢岬が言葉を詰まらせた。

 何か言いにくいことでもあるんだろうか?

 部署が違うほうが相談しやすいことってあるもんな。


 ちなみに俺は商品企画部。

 日用品や生活雑貨の商品企画を行うのが仕事だ。

 うちはそれほど大きな会社ではないので、商品企画部と営業部は同じ部屋。

 一応、パーテイションは置いてあるが互いの部署の様子は丸わかりだった。


「何か相談事か?

 だったら食事でもしながら話を聞くぞ?」

「あ、はい!

 是非、ご一緒させてください!」


 そして俺たちは会社を出た。

 だが、外に出て気付いた。

 今まで外で食べる機会がなかったため、飲食店の場所がわからないのだ。




       ※




 結局、少し離れた店に入った。

 俺たち以外にお客もおらず、話すにはちょうど良さそうだ。


「先に注文だけしちゃおうか」

「はい」


 とりあえず、俺たちはランチメニューを注文した。


「それで相談って?」

「あの……相談ではなくて、さっきの事でお礼が言いたくて」

「お礼?」

「社さんが部長の心を変えたくれたお礼です!」


 ああ……。


「何で俺が部長の心を変えたって思うんだ?」

「だってあれは、社さんの一喝が部長の心に響いたからこその結果じゃないですか!」


 いえ、チートの力です。


「皆さん、とても感謝していました!

 企画部だけじゃなくて、営業部も!

 社さんはうちのヒーローですよ!」

「ひ、ヒーロー?」


 俺はヒーローになどなるつもりなど毛頭ない。

 そもそもそんなものにはなれない。

 自分の行動が絶対に正しいと思えるほど、傲慢ではないからだ。

 奇跡的にチートが手に入ったから、今の結果がある。

 ただそれだけの話だ。


「ずいぶんと大袈裟だな……」

「大袈裟じゃないですよ!

 あの部長が心変わりしたんですから!」


 確かに。

 それがもし、チートによる出来事でなければ驚くべき事態だ。

 ストレス解消がパワハラのあのクソ上司が心変わりなんて。

 まるで奇跡が起きたとした思えないわな。


「私も社さんみたいに勇気があれば……会社のために何か出来たのかもしれませんけど……。

 そんな勇気は私にはなくて……」


 勇気なんて立派なもんじゃない。

 実際、あの時はただムカついたからクソ上司をぶん殴っただけ。

 俺はただ、逃げたかったのだ。

 最悪の環境から。

 普通ならあのままクビで裁判沙汰、示談できなきゃ傷害罪で刑務所行き。

 褒められた話じゃない。

 だけど、


「本当にありがとうございます!

 社さんは私にとってもヒーローです!」


 結果的にではあるけど、苦しんでいる人を助ける事ができた。

 この力があれば――俺はもっと多くのブラック企業で苦しむサラリーマンたちを救える。

 夢岬の言葉は、俺にそれを実感させてくれた。

 俺はさっきまで、人理すら簡単に捻じ曲げるチートの力に戸惑いを感じていたけど……。

 今、その迷いが断ち切れた気がした。


「夢岬!

 これからきっと、もっといい会社になるから!

 だから、これからも頑張れよ!」

「はい!

 お互いに頑張りましょうね!」


 普段から明るい夢岬だったけど、今日の笑顔は一段と輝いていた。





        ※





 それからランチを食べながら夢岬と色々な話をした。

 先月、営業として初めて商品を契約して売上を出せたことが嬉しかったとか。

 これから残業代が出るなら、少し生活が楽になるかもとか。

 まだ18歳なんだから、他の会社に転職してもいいんじゃないか?

 そう話してみたが、彼女は家庭の事情で今はまだ転職は難しいそうだ。

 流石に踏み入った話はしなかったけれど。

 この会社で続けているくらいだから、かなり大変な事情があるのかもしれない。


 ちなみにランチ代は俺の奢り。

 気遣いな夢岬は、


「わ、私も払います!」


 そう言ってきたけど俺は断った。


「これはお礼だよ」

「お礼?

 社さんが私に?」

「ああ、夢岬のお陰で俺も吹っ切れたからな」


 俺の言葉に、夢岬は首を傾げた。

 彼女には、これがなんのお礼かはわからないだろう。

 でもそれでいい。

 俺がお礼をしたいから、するだけなのだから。




      ※




 職場に戻り仕事を始める。

 罵声が響かない職場というのは、これほど働きやすいものなのか。

 ストレスは人を劣化させるのだと改めて実感していた。


「よほど急ぎの仕事がないなら、残業はするなよ!

 勿論、残業が必要であれば残業代は出す」


 素晴らしい。

 クソ上司がまともというだけで、ここまで素晴らしいものなのか。

 次のプレゼン用の企画の準備を終えた俺は、今日は残業なしで帰る事にした。


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