第4話 真黒カンパニー本社へ


 居酒屋真黒荻窪東口店は開店以来、初めて店を開くことがなかった。

 今回の顛末を本社に報告したところ、今日は店を閉めろという指示があったのだ。

 そして数時間後、荻窪東口店には真黒カンパニー本社からエリアマネージャーが来ていた。


「……なるほど。

 そのようなことがありましたか……」


 俺たちスタッフとエリアマネージャー――彼方かなた怜悧れいりは、休憩室で話をしている。

 彼女は冷静に話を聞いていた。


「それで、そこで震えているペテン師をどうするつもりで?」

「……彼はこの店舗の店長からは外れてもらいます」

「ふざけるなっ!

 僕らがそれだけで納得すると思ってるのかっ!

 こんな奴、クビだろっ!」


 この店舗のスタッフたちの洗脳はすっかり解けていた。

 今までの鬱憤もある為か、怒りは今も治まっていない。


「勿論、今まで未払いだった残業代は払わせていただきます。

 それ以外にも対応可能なことはさせていただくつもりです。

 しかし……ただクビにして終わりというのは、真黒カンパニーの理念に反します。

 こういった非社会的な行動を起こす者には、真黒の再教育プログラムを施させていただければと」


 再教育――その言葉が出た途端、元店長はガタガタと激しく震えだした。

 何かを恐れるように。

 俺は思わず笑いそうになるのを堪えた。

 本社での再教育……か。

 どんな洗脳をされるのやら。

 だが、この男の末路としては悪くないだろう。


「……この事を警察には?」

「皆さんには申し訳ありませんが……可能ならこの話は警察には……」


 やはりそうなるか。

 ネットでは真黒カンパニーのイメージは最悪ではあるが。

 それはあくまでネット上の噂に過ぎない。

 しかし、実際に警察が動き、メディアが注目する事態になれば如何に金のある大企業といえど面倒ごとは避けられないだろう。


「ただし……それなり条件を出させていただきます。

 副店長は今後、この店舗の店長へ昇進してください。

 二度とこのようなことが起こることのないように、クリーンな店舗を」

「……僕が……店長に……?」


 昇進を餌にしたようだが。


「……いや、僕は今日限りで真黒カンパニーを辞めさせていただきます。

 ダメとは言いませんよね?」

「なら自分もやめます!

 今度はもっとまともな会社で働きたいんで……」


 副店長をはじめ、店舗のスタッフは辞める意志を示した。

 もう洗脳は解けたのだ。

 如何に店長が変わろうと、この会社に残る意味はないと考えたのだろう。


「……そうですか。

 残念ですが、このような事があっては、仕方ありませんね」


 仇花は俺を見た。

 俺は――


「彼方マネージャー、お願いがあります」

「お願い、ですか?」

「自分を真黒カンパニー本社に異動させてもらえませんか?」

「……異動?」

「ええ。

 自分は元々、真黒カンパニーの企業理念に共感し転職を決意しました。

 ですので、今よりも自分を高めてきたいと考えています。

 本社では優秀な人材も数多くいると聞いておりますので、皆さまと切磋琢磨し――」


 意識が高い人間が好きそうな言葉を、適当に並べる。

 これでダメなら交渉のカードはいくつかある。

 相手の返しを想定し、考えを巡らせていると。


「あなたには元より、本社への異動命令が出ています。

 希望の部署に役職付きでと」

「……え?」


 だが、想定外の動きを見せた。


「勿論、部下を連れてきていただいても構いません。

 詳細は後日ご連絡させていただきますが、いかがですか?

 あなた自身が望まれているのなら、悪い話ではないと思いますが?」

「そ、それは……勿論。

 こちらから是非、お願いしたいくらいだったので」

「では詳細は改めて」


 何かある……何もないわけがない。

 こんな簡単にとんとん拍子に話が進むなんて。

 だが、俺は敢えてそれに乗っかることした。

 ピンチをチャンスに変えられるくらいでなきゃ、今後戦っていけるわけがないのだから。




        ※




 マネージャーが店を出た後。

 休憩室には俺と仇花が二人切りになっていた。


「仇花……この後、暇か?」

「は……はい。

 大丈夫です」

「じゃあ、飲みにでも行くか」

「はい!」


 少し仇花に聞きたい話もある。

 俺たちは近くのバーに移動した。




       ※



 バーに着くと、適当に酒を注文し。


「……乾杯ですね」

「うん?」

「社さんが、本当にあの店舗を変えてくれました。

 私たちがダメなんじゃなくて、会社がおかしかったって事を証明してくれました」

「そうか……じゃあ、乾杯だな」

「はい!」


 カンッとコップとコップを軽く当て、俺と仇花は祝杯をあげた。


「社さん、私を救ってくれてありがとうございます!」


 仇花が柔らかく微笑む。

 顔を見ただけで、心が軽くなっているのがわかった。

 今までの苦しさから解放されたように。


「なぁ、仇花。

 一つ聞きたいことがあるんだ」

「……私にですか?」

「ああ。

 店長が自殺しようとした時、助けようとしていたよな?」


 時間を戻し運命は変わったが、仇花は店長の自殺を防ぐ為に走り出そうとしていた。

 あの行動の理由はなんだったのか。

 俺はその理由がわからなかったのだ。


「あ……あれは……」

「うん」

「あの場で一歩を踏み出せれば……変われる気がしたんです」

「変われる?」

「はい。

 私は今まで鬱屈とした毎日を過ごしていました。

 ただ状況に流されて、何も考えずに生きてきたんです。

 その結果が、この状況でした」


 仇花は目を瞑り、思い出すように話し出す。


「だけど、もしあの場で店長の自殺を防げたら――自分が選んだ一歩を踏み出せたら、運命を変えられるんじゃないかって。

 変われるんじゃないかって……そう思ったら、身体が動いちゃったんです」


 その言葉には、自ら前に進もうとした彼女の想いが詰まっていた。


「結局、私は何も出来ませんでしたけど……」

「そんなことないさ。

 今の仇花なら、自分で選んだ道を進めるよ」

「もしそうだとしたら、私が変われたのだとしたら、それは社さんのお陰です」


 もし俺の行動が、彼女が踏み出す切っ掛けになったのなら。

 それはとても喜ばしいことだ。


「なぁ仇花。

 お前はこれからどうするんだ?

 真黒を辞めるのか?」

「それなんですけど……もう決めているんです。

 あの社さん――」


 仇花は席を立ちそのまま俺に頭を下げた。


「社さんの部下として、私を連れて行ってくれませんか!」

「仇花……本当にいいのか?」

「は、はい!

 社さんは真黒カンパニー全体を変えるつもりなんですよね!

 なら私は、社さんの力になりたいんです!」


 彼女の瞳に迷いわない。

 誰に言われたわけでもなく、自ら選択した道。

 なら、


「なら、乾杯するか。

 俺と仇花の新しい一歩に」

「あ――それじゃあ……!」

「これからもよろしくな、仇花」

「はい!」


 新たな仲間と共に上げた二度目の祝杯は、一度目よりもより甘美に俺の心に響くのだった。


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