聞き取り開始

 レイとの話をした二日後。夜勤のバイトを終えた俺は家に帰らず、ある人物との約束の場所である喫茶店へと足を運んだ。

 星光大学から歩いて二十分程、教えてもらった道順を辿っていると細い路地にポツンと隠れるようにその店はあった。

 茶色い外壁に白いドア、ドアの上部には鈴が取り付けられ、壁は所々ヒビが入っている小さな店だ。入り口の横に設けられている看板も薄汚れていて、見た目は古臭い、という言葉が相応しいのかもしれないが、それが味というか落ち着いた雰囲気を滲ませている。店の前には使い込まれたボードにオススメの品が書かれており、ハヤシライスという文字に目が行く。値段もお手頃だ。こういった喫茶店のハヤシライスは絶品とテレビで見たことがあるので自然と喉が鳴るが、今日は飯を食いに来たわけではないので頭から振り払う。店の名前をもう一度確認し、カランカラン、という鈴の音を鳴らしながら俺は中に入った。

 店員から声を掛けられたが約束があると伝え、見渡してみると当の人物が奥の二人掛けの席に既に着いていた。俺はそこに向かう。

「おはようございます。すいません、朝早くから」

「おはようございます。大丈夫ですよ、今日は二限から講義ですし」

 その人物――林野めぐみが挨拶を交わしながら手を振ってきた。俺は注文を聞きに来た店員にコーヒーを頼みながら席に着く。

 事件捜査のためにまず連絡をしたのは林野だった。彼女は最初に出会った人物であり、俺のバイトあがりならちょうど時間も空いているとの事で、この時間に指定してもらったのだ。

「今日はありがとうございます。時間を作ってもらって」

「いえいえ。さっきも言ったように、二限から講義がありますから丁度よかったです」

「二限は何時からですか?」

「十時四十分からです」

 時計を見ると、現在時刻は八時十五分。

「普通はぎりぎりまで寝てたりするもんじゃないんですか?」

「いつもならそうですが、あれからはあまり寝付けないので……」

 そう言った林野の表情が暗くなっていく。

 佐藤の事件からまだ日にちは経っていないのだから、気持ちの整理が出来るはずもない。だが、こちらもそれを待つわけにはいかなかった。

「すいません。思い出したくないかも知れませんが、俺としては気になるので」

「いえ、気にしないでください。森繁さんからすれば当然でしょうし、こちらも巻き込むような形になってしまいましたから。こちらこそ本当にすいませんでした」

 頭を下げてくる林野。

 こうして呼んだ理由は既に伝えている。二限が十時四十分からという事は、歩く時間を考えれば十時過ぎまでの一時間半しかない。無駄話をするために呼んだわけではないので、早速本題に入る。

「連絡したように、俺は今回の事件を自分で調べてみようと思っています。レ……紗栄子の仲間が殺された状況で黙っているつもりはないです。だから、失礼かもしれませんが、色々話を聞きたいと思っています」

「でも、それは警察の仕事ですよね?」

「知ってます。でも、ただ興味本意で調べたいと思っている訳じゃないです」

「というと?」

 俺はレイと話した、ゼミ生の中にレイを殺した犯人がいるかも、という仮説を告げる。それを聞いた林野もさすがに驚いていた。

「そんな……」

「あくまで仮説ですけど、状況は似ていると思います」

「信じられ……いやでも、今回また私達のゼミの人が殺された……」

 林野はしばらく困惑していたが、俺の意を汲み取ってくれたのだろう「分かりました」と答える。

 そういえば、レイのお参りに来ていたのもこの林野だ。もしかしたら、彼女自身も突き止めたいと思ったのかもしれない。

 返事を聞いた俺は質問を開始した。

「まず最初に、三年の時に佐藤さんが変わった理由を知りたいと思っています。そこに事件の鍵があるんじゃないか、と。何か知りませんか?」

「いえ、私は知らないです」

「本当ですか?」

「はい。美優紀本人も何も言わないし、それについては皆で考えたんです。でも、結局分からずじまいで……」

「何でもいいんです。何か気付いた事とかありませんか?」

「とは言っても……」

 過去を思い出すように天井を見上げる林野。しかし、返答は変わらないものだった。

「佐藤さんが変わったのは三年なんですよね?」

「ええ。春休みが明けた三年最初の講義の時です。皆、帰省したりしていたので久し振りに会ったんですが、誰だかさっぱり分からなかったんです」

「春休み前は変わらず?」

「そうです」

「ということは、春休み中に何かあったのか?」

 確率的にはそこが一番怪しい。学業から解放され、何かトラブルが起きたか、あるいは……。

「あっ、そういえば、私達が帰ろうとした時、美優紀は元気なかった」

「佐藤さんが?」

「はい。駅まで見送りに来てくれて、次は春休み明けだね、とか話していたんですけど、美優紀は暗かったんです」

「見送り、って佐藤さんは帰省しなかったんですか?」

「ええ。尋ねてみたら、叔母と喧嘩したとか」

「叔母?」

「実は、美優紀はご両親がいないんです。五歳の頃に父親は事故で亡くなり、母親も九歳の頃に病気で亡くなったらしいんです。それで、母親の姉である叔母に引き取られた、とか」

 両親は既に他界、しかもまだ小さい頃にとは、佐藤も辛い過去を経験していたのだな。

「よく連絡していて、春休み前にも電話したみたいなんですが、些細な事で言い合いになったみたいで」

 なるほど。それで帰りづらくなった、と。いや待て、だったらレイも知ってたよな? 何で言わなかったんだ?

 チラッ、と隣にいるレイを窺うと『あっ、忘れてた。テヘッ』という風に舌を出していた。

 テヘッ、じゃねぇよまったく……。

「美優紀はいつも叔母に感謝していましたよ。引き取られてから自分の子のように育ててくれ、大学にまで行かせてくれた。いつか恩返しがしたい、って。だからかな? 喧嘩して落ち込んでたのは」

 大学で会った佐藤からは想像も出来ないが、そんな佐藤に一度会ってみたかったな~。

「でも、さすがにそれは変わる要因にはなりませんよね?」

「ですね~」

 話を戻すが、たしかに林野の言う事はもっともだ。喧嘩した反発で見た目を変える。反抗期の小、中学生なら分からなくもないが、佐藤は大学生だ。その歳で喧嘩が原因とは思えないし、落ち込んでいたのなら尚更だ。

 その後も佐藤の変化について聞いてみたが、林野からはそれ以上の話は聞けなかった。

 かといって、これで終わりではない。俺は別の事を尋ねる。

「佐藤さんがゼミ室を出てから、皆さんの行動を教えてくれますか?」

 これまでは佐藤についての動機だったが、今度は他のゼミ生の動き、アリバイについてだ。

「佐藤さんが気分転換と言って抜け出した後、他に誰が抜け出しましたか?」

「誰がというか、全員部屋を出ましたよ。美優紀と同じように気分転換と言う人もいれば、トイレに立つ人もいましたし」

「その気分転換で抜け出した人は具体的に誰ですか?」

「え~と、私の知る限りでは……理奈と小田渕君、新原君、それと私です」

「林野さんも?」

「はい。私はお酒で気分が悪くなったので、食堂に向かいました」

「食堂?」

「食堂の一角に売店があるんですけど、お茶を飲みたくなったので売店でお茶を買って、そこで売店のおばちゃんと少し話しました。それから食堂のテーブルで少し休んでゼミ室に。時間にして十五分くらいですかね」

 となると、林野はアリバイがありそうだな。それが事実ならの話だが。

「今言った豊島さん、小田渕さん、新原さんはどういう順番で抜けたか覚えてますか?」

「たしか……美優紀が出たのが十六時五分前で、五分後ぐらいに新原君が追い掛けて、その十分後に理奈、その五分後に小田渕君、だったかな? 私はそのさらに十分後ぐらいです」

「随分細かく覚えてますね」

「実はその……前に紗栄子と遊んでいた時に、時間を忘れて没頭していた事があって。そのせいで約束の時間に間に合わなくなったので、時間を気にするようにしたんです」

 ああ、UFOキャッチーで取るまでやったっていう、レイが言ってたやつだな。林野なりに反省しているようだ。

 まあ、それは置いといて。今聞いた内容をまとめると……。

 ①:佐藤がゼミ室を抜けたのが十六時五分前。

 ②:新原は十六時に佐藤の後を追う。

 ③:豊島が抜けたのは十六時十分。

 ④:小田渕は十六時十五分。

「私が分かるのはそれぐらいです。食堂にいた間は、誰がどの時間に抜けたかはさすがに分からないですけど」

「いやいや、そりゃあそうですよ」

 そこまで分かったら超能力の域に達している。俺はお礼を言いながら慌てて手を振った。

 時計を見ると時刻はちょうど十時になる。これ以上は無理なのでお開きにした。

 会計を済ませ、外に出て改めてお礼を伝える。林野はまた何か気付いたら連絡してくれると言ってくれ、それから俺達は別れた。

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