個人的聞き取り1(小田渕)

 大方の事情聴取が終わると、元のゼミ室に戻るよう海藤に指示されたが、トイレに行きたくなったのでそれを告げる。了解を得て俺はその部屋を後にした。

 トイレは廊下に出て右の突き当たりにある。反対の左奥は階段が設けられていて、野次馬のように集まって来ていた学生達を二人の制服警官が引き返すよう注意していた。

 そこから離れた位置、ちょうど廊下の真ん中辺りに俺が林野と乗ったエレベーターがあり、同じように制服警官が一人で立っていた。ビシッ、と姿勢を正した状態で真っ直ぐ前を見つめている。どうやら、許可がもらえない限りは利用は出来そうになく、またエレベーターを使ってこの階に来た人も通さないのだろう。

 あるいは、俺達の中にいる犯人を逃がさないためか……。

 そんな事を考えながら振り向き、トイレへと向かった。

 トイレに入り、四つ並んだ内の奥から二番目の便器の前で立ち止まり、俺は用を足す。尿と一緒にこのモヤモヤした気分も排出してくれれば良いのだが、当然そうはいかない。人間は不純物をこうして体外に出せる複雑な構造をしているのだから、嫌な思考の排出も自由に出来ればいいのに、とたまに思う時があった。

「森繁さんも来ていたんですか」

 立ち続けていると声が掛けられた。振り向くと入り口に小田渕がおり、どうやら彼も許可を得て来たようだ。どうも、と返事をすると、それから俺の横へと来る。

「……あ~。ずっと我慢してたので、やっとスッキリできた~」

 用を足しながら気の抜けた声を出す小田渕。無言もどうかと思ったので、そうですねと返す。ちなみに、俺がトイレに入った時点でレイは姿を消している。

「……今日は本当にすいませんでした」

 突然、小田渕が前を向きながら俺に謝罪をしてきた。

「無理に参加をお願いしておきながら、こんな事態になってしまって。ただ速水の事で話をして終わるつもりが」

「いやいや、それは無理があると思いますよ。誰だってこんな事予想できません」

「ですが、さすがに……」

「俺だってこうなるなんて知ってたら来てませんよ。それに、最初はあんなに盛り上がっていたじゃないですか」

 レイの事で質問攻めに遭っていた時は本当に彼らは楽しそうだった。あの雰囲気からこの事態を読めというのは不可能だ。

「そう言っていただけると助かります」

 少し安堵したのか、小田渕が小さい溜め息を付く。

 そうだ。ちょうど誰もいないし、小田渕さんから今の内に色々聞いてみるか。

 佐藤がなぜ殺されたのか、誰に殺されたのか……今は姿を消しているレイはきっと考えているだろう。そして、それを突き止めようとするに違いない。かつての仲間に起きた事件だ。そのまま無視するような奴ではない。どうせ急き立てられるのだから、今から始めた方がいいだろう。

 そう思った俺は早速行動に出る。

「あの、聞いてもいいですか?」

「何ですか?」

「佐藤さんって普段からあんな感じだったんですか? その、人を見下すような性格というか」

「そう……ですね。あまり周りの印象は良くないかもしれません」

「他の皆さんにも同じように?」

「はい。以前はあんなトゲトゲしい性格ではなかったんですが」

 それはレイからも聞いていたが、その変わったきっかけまでは知らないとも言っていた。だが、今日まで交流のあった小田渕は知っているかも。

「理由とか知ってます?」

「いや、俺は知りません。突然あんな風に変わって驚きましたから。たぶん、皆も同じかも」

 誰も知らないのか……。

 期待したが、返答はレイと同じ。

 大人しい性格から強気な性格へ。一体佐藤を変えたのは何なのだろうか。

「本当の所は分かりませんが、皆の間では失恋したんじゃないか、って話しましたけど」

 なるほど、失恋か。

 失恋のショックから半ばやけくそでイメチェン。そしてそれをまだ整理できずそのまま引き摺っている。あり得る話だ。

 自分の中の気持ちに押し潰されないよう溜め込まずに外に発散。そのため、あんな冷たい発言をするようになった。

 しかし、それが還って佐藤に対する憎悪が周りに蔓延。それから海藤の言う怨恨へと至り殺害。綺麗な一本の線となっているように思える。

 となれば、誰がその線を描いたのか。

「あの、これは答えたくなかったら別に構わないんですけど」

「何です?」

「その、皆さんの中で佐藤さんを嫌っていた人はいますか?」

 犯人はゼミ生六人の中にいる。直感であるが、間違いないと俺の脳が主張していた。怨恨の線が濃厚と判断できる今、六人の中で佐藤を特に嫌っている人間がおり、そいつが犯人であるはずだ。

「正直に言うなら、皆嫌っていたんじゃないかと思います。彼女を好むなんて無理なんじゃないかな。だから、誰でも殺す理由はあったと思います」

 こんな質問だ。その意図を悟った答えが小田渕から返ってきた。

「小田渕さんも?」

「……ええ。今日は特に本当に腹が立ちました。豊島にあんな責めるような事をして、ましてや初対面の森繁さんにも言いたい放題罵って」

 ギリッ、という歯と歯が軋む音が小田渕の口から発せられた。温厚そうな印象を持っていた彼が初めて怒りを見せる。

「ここだけの話、俺は佐藤を許せなかった。人を悲しませるような事をしておいて、平気な顔をして部屋から出ていった。さすがに言ってやろうと思い、佐藤を探しに行きました」

「後を追ったんですか?」

「ええ。といっても、少し経った後です。構内をあちこち探し回りました。けど……」

「見つからなかった?」

「ええ。どこを探しても見つからず、歩いている間に少し落ち着いたので、ゼミ室に戻りました。会ったのは……大講義室でです」

 やっと見つけた時には佐藤は殺されていた、という事か。

「どれくらい探し回っていましたか?」

「そうですね……時間にしたら四十分くらいですかね」

 随分と長い、というのが俺の感想だった。自分でもそう思ったのか、小田渕が詳細に説明してくる。

「佐藤を探しながら、豊島も探していたんです」

「豊島さんも?」

「ええ。豊島は俺の前に部屋を出ていったんですが、その時は酷く落ち込んでいたので心配になったんです」

 なるほど。それでそれだけ時間が掛かったのか。

「その豊島さんには会いましたか?」

「……いえ。でも、俺が帰ってきた五分後ぐらいに戻ってきました」

 ということは、豊島は約五十分近く出ていたのか。

 その時間内なら犯行は可能ではないか? と俺の頭に浮かんだ。佐藤をナイフで刺し、首にロープを掛けて吊るす。時間的にも余裕があるような気がする。

 しかし……。

「豊島を疑っているならそれは的外れですよ。正確な重さは分かりませんが、佐藤の体重はたぶん四十後半~五十キロ半ばまででしょう。女子の体重として言うなら軽いかもですが、吊り上げるとなれば話は別です。その重さを女性が一人で引き上げられるわけがない」

 そう。人一人持ち上げるとなると話は変わってくる。抱えるならまだしも、ロープで引き上げるのは思った以上に筋力と体力を必要とするのだ。豊島は平均的な体型の女性。筋肉もあるようには見えない。そんな彼女が佐藤を引き上げる様子は想像できなかった。

 となると、犯人は……男?

 今の話で当てはまるのはここにいる小田渕、新原、松田の三人。この中の誰かなのだろうか?

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