犯人?
小田渕と共にゼミ室に戻ると、今度は他の者もトイレに行きたいと言い出し、それぞれ用を足しに行く。全員がまたきちんと揃ったのは、俺が戻ってから十五分くらい経った後だった。
各自の事情聴取も終わり、現時点では犯人が誰なのかは判明していない。経験上、ここで連絡先を教え解散、という運びになるだろう。そう思っていた。
しかし、海藤は行動を起こすわけでも口を開くこともなかった。入り口の傍で立ったまま何やら考え事をしている。
「あの、そろそろ帰してもらえませんか? 僕、もうすぐバイトの時間なんですが」
「ああ、すいません。すぐに帰しますよ。けど、もう少しだけお待ちしてもらえませんか?」
松田が声を掛けるが、やはり海藤は首を立てに振らない。答えた後もまた何かに耽っていた。
おいおい……まさか、このまま帰さないわけじゃないよな?
何も聞くことがないのなら帰らせてもらいたい。レイは間違いなく事件を解決させようとするし、俺自身も気になっている。早く帰ってレイと意見交換をしたい。
「今、部下が構内で聞き取りに言っているんですが、それがもうすぐ帰って来るはずですので、それまでお待ちください」
その結果待ち、という事か。その聞き取りの中に犯人を見たという情報がある、と。
場所は大学だ。生徒が多く行き交いしているので、目撃情報の一つ二つは出てくるのかもしれない。おそらく、海藤はそこに狙いを定めたのだろう。
海藤はこのゼミ生の中に犯人がいると踏んでいる。俺も同様だ。そう易々と犯人を帰すわけにはいかず、そして部下の持ってくる情報にいくらか期待しているに違いない。
警察からしたらこれが仕事であるので、容疑者を待機させ続けたいだろうが、待たされる側からしたらたまったもんじゃないだろう。素直に、はいそうですか、と受け入れられるわけではない。俺はもう慣れているからそこまでではないが、新原を始めとした面々は落ち着きなく足踏みしたり髪を弄ったりと、イライラした雰囲気を醸し出していた。気付けば時刻は十九時を過ぎた辺り。事件発覚から二時間近く拘束させられている事になる。新原達が落ち着かなくなるのも無理はないだろう。
それから十分程経った頃。
ノックの音が聞こえた後、聞き取りに行っていた部下が姿を見せた。
「お待たせしました、海藤さん」
「おう、お疲れ。で、どうだった?」
イライラしながらも気になるのだろう。動きのあった全員がその動作を止め、部下の紡ぐであろう言葉に耳を立てる。
「それが……いませんでした」
「……いなかった?」
驚きを隠せなかったのか、海藤がゆっくり聞き返した。
「はい。構内には多くの学生がいましたが、この校舎の中に学生がいたのはほんの少数。その少数から聞いてみましたが、事件のあった時間は各自教室にいたようで、目撃どころか事件の事さえ俺が聞きに行く直前まで知らなかったようです。また、その学生達も誰かしらといたようなのでアリバイもありました」
まさかの収穫ゼロ。その事実に俺も少なからず驚愕する。
おいおい、マジか。大学ってもっとこう、研究やら勉学に明け暮れて、資料とか何冊も抱えながら校舎内をたくさんの学生があちこち歩き回るイメージあったのに、実際は違うのか?
「ここは大学だろ? しかも、この校舎には研究室もある。普通、学生は勉強道具片手にゼミ室や研究室に頻繁に足を運んだりするもんだろ」
俺と同じ疑問を海藤が部下にぶつける。それに答えたのは新原だ。
「そういうのはごく一部だけですよ?」
「そうなのですか?」
「ええ。ドラマじゃそういうシーンがよく取り上げられてますが、実際はそんなに行き来しませんし、ノートを剥き出しで持ち歩きませんよ。普通に鞄に入れます。あと、研究室と言っても、ウチはたいした設備でもありませんし」
そうなのか……でも、自分のゼミには足を運ぶよな?
「ゼミには顔を出すでしょう?」
「そこでの講義がある時は集まりますが、今日は土曜ですよ? 講義はありません。よっぽどの良い先生じゃない限り、それ以外は来ませんよ」
嘘だ~。大学って、ゼミの仲間内でワイワイ話したり共に勉学に励むんだろ?
「いや、ゼミ生同士で自然と集まるのでは? 一緒に勉強したり……」
「そんなゼミないと思いますよ? なにせ、僕らが珍しがられていますから。二、三人ずつぐらいに分かれるのが普通です。サークルならともかく、ゼミ生で僕達ぐらいの人数が固まるという事はないんじゃないかな」
新原が一つずつ答えていく度、俺の中の大学というイメージが悉く崩壊する。
CMで観るキャンパスライフとは一体何なのだろうか……切磋琢磨して励む学生は幻なのか。
というか、何で俺の思考と海藤刑事の思考が一緒なんだよ。まだ二十代だぜ? 四十ぐらいのおっさんと同じ疑問を持つって……。
別の意味でも俺はショックを隠せず、自然と頭が項垂れる。
「そうか。いやしかし、全くのゼロとはな……」
「ええ。犯人にとっては嬉しいでしょうね」
「もしくは、それを知っていたから犯行に及んだのか……」
目撃が少ないからこそ、あの大講義室での犯行を狙っていたのだろうか。たしかに、胸をナイフで刺し、首にロープを掛け吊り上げる。犯人がそれに費やした時間は短かったはずだ。咄嗟の思い付きでここまでしたとは考えられないし、計画的であったに違いない。
「しかも、ナイフからは指紋が出なかったんですよね?」
「ああ。何も出なかった」
「ロープからは?」
「どうやら新品のを使用したらしく、指紋も何も」
「被害者の爪とかにも皮膚片は出なかったんでしたっけ」
「ああ。これが全く何も。普通なら抵抗するはずだが……」
「もしくは抵抗出来なかった、ですかね」
「拘束されていたと?」
「ええ。近くに血痕が付いた毛布がありましたよね? あれで身体を巻かれて刺された、とか」
「それはないな。血痕は被害者の物のようだが、血痕は微量で毛布も切れてもいなかった。既に確認してる」
血の付いた毛布。そんなものがあったのか、と思いながらも、海藤と部下のどれも犯人特定に繋がる手掛かりではない。
随分と用意周到な犯人だ。
これから出るかもしれないが、現時点で自分の痕跡を残さない犯人。相当頭の切れる人物だろう。
しかし、それに当てはまる人物はこの中の誰であろうか。
人一人を吊り上げる事だけを見れば犯人は男と予想される。このメンバーでそれに該当するのは新原秋一、小田渕丈一郎、松田賢人。そして、その過程が出来そうなのは身体の大きい小田渕だ。さらに、小田渕は犯行があったとされる時刻、四十分近く一人でいたらしい。容疑者として十分に当てはまる。
「これ以上待たせても意味がないな。とりあえず、今日の所は皆さんお帰りいただいて結構です。あっ、連絡先は教えてくだい。またお話を伺うと思いますので」
ようやく解放される事にほっ、としたのか、あちこちから溜め息音が聞こえてくる。
「小田渕さん。申し訳ありませんが、この後またお話を伺ってもよろしいですかな?」
連絡先を教えゼミ室を出ようとした時、後ろから海藤のそんな質問が聞こえてきた。先程のトイレのやり取りと同じ内容を言ったのだろう、警察も小田渕に嫌疑を掛けてきた。
「……分かりました」
何かを悟ったのか、少し遅れて小田渕が了解の答えを返す。
これで事件解決なら何の問題もない。早期解決は嬉しい事だ。しかし、なぜか小田渕が犯人ではないという気持ちが俺の中に残っていた。根拠はない。ただ俺の直感がそう告げている。違うと口にしたいが、なぜと言われても答える事が出来ない。
そんな蟠りを抱えながら部下に急き立てられ、俺はゼミ室を後にした。
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