知らない過去
「それじゃあ、私はそろそろ帰るね」
誕生日プレゼントを食してしばらくした後、栞が帰宅の準備を始めた。玄関まで見送り、靴を穿く後ろ姿に声を掛ける。
「今日はありがとな」
「ううん、こっちこそ失敗して悪かったわね」
トントン、と靴を履きながら栞が答えた。
「さて、と。んじゃ、また来るわね」
「次来るときは連絡してくれよ? いきなり来られても困るから」
「それじゃあつまんないじゃない」
つまんないとかじゃなくて、訪問する前に一報入れるのは人としての礼儀であってだな……。
言いたいことはあるが、こんな性格の栞に今さら言っても仕方がない。
「レイちゃんもまたね」
栞の挨拶にレイが手を振って返事をする。今度は一緒に買い物に出掛けよう等と約束までし、二人の距離はだいぶ縮まったようだ。
「そういえば悟史、あんた一度はお参りしなさいよ」
「お参り?」
「そう、レイちゃんのお墓参り」
お墓参り……。
レイは死者だ。栞の言う通り、本来なら墓にお参りするのが通例だろう。
「いや、レイの墓があるとこ知らないし」
「だったら亡くなった場所でもいいじゃない。そこなら分かるんでしょ?」
それなら分かる。以前参加したイベントでレイの本名と事件を知ったので、レイが殺されたであろう場所は把握している。
「でもな~、本人が目の前にいるのになぜわざわざ」
「ダメよ。悟史も私のお祖母ちゃんから聞いてるでしょ? お参りは死者と向かい合う大事な行事。ただそこで立ち尽くして見るだけじゃなく、両手を合わせなければならない。右手は自分、左手は相手を表し、手のひらを合わせることは自分と対等であることを意味し、憐れんだり蔑んだりと下手に見ないように死者と対面するためだ、って。普段から横にいようがいまいがそれが礼儀よ」
それは昔、栞と栞のお祖母さんと一緒にお祖父さんのお墓参りに行った際に聞かされた内容だった。二人で立った状態でお墓に向かって話し掛けていると、お祖母さんに怒られたのだ。きちんと手を合わせなさい、と。理由を説明され、納得した俺達は三人並んでお参りした。食事の前に手を合わせてやる「いただきます」も同じ理由だとも言っていた。右手は自分、左手はご飯を作ってくれた相手を表し、きちんと向き合わせ感謝の意を向ける行為だ、と。
「でも、そこには行かないとレイと約束してるしな。危ないから、って」
殺人現場をウロウロしていれば怪しまれるし、万が一レイを殺した犯人にそれを見られたら俺の身に危険が及ぶ。それだけはダメだ、とレイと以前約束していたのだ。
「それは事件の捜査をするからでしょ? 目的がお参りなら危険もないんじゃない?」
なるほど。お参りなら知人の一人が来ているのだろうと周りには見えるし、仮に近くに犯人がいても警戒はされにくい、か。
「そうだな。一度行ってみるか。本人横にいるのはなんか違和感あるけど」
「よろしい」
笑顔で頷いた栞が振り返り、ドアノブに手を伸ばし出ていこうとした。
「……ねぇ、悟史」
ドアを開けようとしたが途中で制止し、後ろ向きのまま栞が声を掛けてくる。
「何だ?」
まだ何かあるのか? まあいい、この際だ。出来ることなら応えてやろう。
「悟史はまだレイちゃんの事件の捜査を続けるの?」
「するな」
「いつまで?」
「解決するまで。当たり前だろ」
「そう……」
どこかしら覇気のない返事が返ってくる。急にどうしたのだろうか。
「それってやっぱり……あの時の事をまだ引き摺って――」
「栞!」
俺は栞の台詞を遮った。その声に栞の身体がビクッ、と震える。
「その話はなしだ」
「……ごめん」
「いや……俺も怒鳴って悪い」
玄関に重い空気が充満し始める。俺達の雰囲気に隣のレイがオロオロと不安な表情で見返していた。
「止めたってやめないだろうからもう言わない。でも、これだけは約束して。絶対に無茶はしないで」
「ああ」
俺の返事を聞くと、何も言わずに栞はドアを開けて帰っていった。
リビングに戻り、テーブルのカップを片付けようとした時、レイが話し掛けてきた。
『ねぇ、悟史』
「……何だ?」
『さっきの話、どういうこと?』
当然と言えるか。今さっきのやりとりはレイからしたら疑問だらけの内容だろう。
『あの時ってどういうこと? 悟史、前に何かあったの?』
「……」
俺は何も答えず黙っていた。
『それにずっと気になってたんだけど、栞さんが来た時たしかこう言ってたよね。悟史、また取り憑かれたの? って。もしかして、前にも私みたいに幽霊に取り憑かれたことあるの?』
「……」
『ねぇ、悟史。黙ってないで何か言ってよ』
「……悪いレイ、それはもう少し待ってくれないか?」
俺は頭を下げてレイにお願いする。
「たしかに、俺は過去に一度幽霊に憑かれた。レイは二度目だ。初めてじゃない。この事はいつかはレイに伝えるつもりだったよ。ただ、まだ言う時期じゃないというか、俺の気持ちの整理がつかないんだ。でも、必ず話す。俺の過去の事を」
それは紛れもない俺の本心。あの時の事はいつか話すつもりだった。というか、今俺がレイとこうして事件の犯人を探そうとする原点とも言える内容だ。レイには伝えなきゃいけないだろうし、するべきであると常々思っていた。だが、まだ俺の心のどこかに引っ掛かりを覚えている。それがいまだに話せていない理由だった。
『……分かった』
「悪い」
『それは明日? 明後日?』
「随分早いな! いつかって言ったろ!」
どんだけせっかちなんだお前は。今の雰囲気は納得して『うん、その時は必ず話してね』って言って待ってくれるものだぞ。
「秘密を持たれてモヤモヤするかもしれないが、もう少し待ってくれ」
『別にそこはいいんだけど』
「嘘つけ。そんだけ知りたいくせに別にはないだろ」
『本当よ。誰でも秘密にしたいことや言いづらい事はあるだろうし』
「じゃあ、何でそんなにせがむ?」
『……栞さんとの秘密というのが何か癪』
癪?
『悟史の幼馴染みで、しかも二人だけの秘密を抱えられたら、私の入り込む余地が……』
「何だよそれ。入り込む余地って、まるで嫉妬みたいな言いぶりだな」
すると、レイの顔がみるみる赤くなり出した。
『ししししししし、嫉妬なわ(まふくぬつしゆんうる)けないでしょ! なななななななな、何で私が!』
レイの指が途中あっちゃこっちゃに動き回り、読み取るのに苦戦する。
「まあでも、レイが栞と仲良くなれて良かったよ。楽しかったんじゃないか?」
『えっ? う、うん、正直楽しかった。こうやって同じくらいの年の女の人と話すの久し振りだったから』
偽りのない言葉だろう、その顔は自然と笑顔で包まれていた。
「栞の言うように、二人はもう本当の友達だな。もっと頻繁に会ったりしたら親友になれたりして」
『それはない』
おおう、バッサリ言い切ったなこいつ。そこまでは心を許せないか?
『栞さんとは本当に友達みたいに仲良くはなれると思う。でも、それ以上はなれない』
「何で?」
『……ライバルと仲良くなって……どうするのよ』
「ライバル? 何の?」
『……何でもない』
不機嫌そうに目線を反らすレイ。いまいちレイの言うことが理解できないが、どうせ大した内容ではないだろうし、聞き出した所でどうということもないだろう。
『それより、ちゃんと行きなさいよ』
「行く? ああ、お前のお参りか」
『そう。栞さんに言われるまで思い付かなかったけど、今まで行かなかった分もしっかりお参りしなさい』
「しっかりも何も、ただ手を合わせるだけだぞ? 別に大した事は――」
『ふっふっふ……悟史が私の目の前でひれ伏して許しを請う。私はそれを見下ろす。ああ、なんて素敵な構図なのかしら。早く次の休みが来ないかしら』
遠足を楽しみにする子供のように、レイは目を輝かせ惚けた顔で天井を見つめていた。
……栞のお祖母ちゃん。死者と対等と教わりましたが、死者がこんな高飛車で図々しいヤツの場合でも手を合わせなければなりませんか?
****
「……あっ、もしもしお母さん? 私だけど。――うん、あいつ元気にしてたわよ。全然変わってなかった――うん――うん――そう、だから悟史のお母さんにも元気だって伝えといといて。あ~い……あっ、そうだお母さん、ちょっとお願いがあるんだけど――違う、お金じゃない。そうじゃなくて、家に帰ったら料理教えてくれない? もうちょっと色々レパートリー増やしたいなって――え? どういう風の吹き回し? べ、別に特に理由は――な、何言ってるのよ! 私は別に悟史のためなんかじゃ――いや、彼女はいないみたい――よかったね、じゃないから! 彼女じゃないけど、可愛い女の人はいるけど……ううん、何でもない。それより、帰ったら料理教えてね。これから私もご飯作るの手伝うから――えっ? ……男の半分は胃袋で出来てるんだからそこを掴めばイチコロ? だからそんなんじゃないってば!」
獅子川栞は乱暴に通話を切った。次はスマホを投げ飛ばすのではないかと思われたが、栞は逆に自分のスマホを見つめている。
「胃袋を掴めばイチコロ、か……」
たった今違うと否定していながら、彼女は母に言われた言葉を口の中で小さく復唱していた。学生が試験前に単語を頭に叩き込むかのように。
「……負けないよ、レイちゃん」
最後にそう呟くと、栞は駅へと早足で歩き出す。
その表情は好敵手を見つけたかのように瞳は燃え、それでいて新たな友達を作れたかのように、どこか嬉しさを宿していた。
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