死との向き合い方

「どうしてよ……どうして死んじゃったのよ紗栄子~!」

 ボロボロと涙を流しながら豊島がテーブルに伏せていた。

 あれから一時間程経過しているだろうか。次々と繰り出される質問に対して俺はに答えていき、その度に盛り上がっていた。どうやら、普段俺に見せるレイの姿は彼女達には知らない姿であり新鮮だったようだ。お酒を飲んでいるメンバーはさらにお酒に手を出し、テーブルには空の瓶と缶しか残っていない。ちなみに、レイはことごとく自分の意思を無視されて落ち込んだのか、部屋の片隅で踞っている。

 ただ、人は長時間盛り上がり続ける事はできず、途中から思い出話へと移行し、しんみりした会話になっていった。徐々に雰囲気が重くなり、現在に至る。

 ……そんで、お酒に弱く一番酔ってる豊島さんが泣き上戸になった、と。だから弱い人に飲ませたら面倒くさいんだよな~。暴れられるよりはまだいいけどさ。

 空になったにも関わらず、豊島はお酒の缶を離さず握りしめ、時折テーブルに叩きつけたりしておいおい泣いている。それを林野や小田渕が慰め、他のメンバーも雰囲気はどこか暗い。先程の盛り上がりが嘘のようだ。

「豊島さん、本当にお酒弱いんですね」

 雰囲気に似つかわしくない質問かもしれないが、豊島の泣きの方が目立つので隣にいる新原にそう耳打ちする。ほのかに頬を赤らめているが、目線は定まっているので酔っているわけではなさそうだ。

「まあ、そうですね」

「しかも泣き上戸。やっぱり止めるべきだったのでは? あの手って厄介でしょ」

「いや、いいんですよ。彼女も泣きたいでしょうし、僕達もさせたいから」

 ……させたい?

 なぜわざわざ、と疑問に思っていると新原が続けて答えてくれた。

「豊島がああやって泣くようになったのは速水が亡くなってからなんです。この集まりも数回行っているんですが、その度に彼女は泣き潰れているんです。普段は元気に過ごしていますが、まだ速水の死を受け止めきれていない部分があるみたいで、この集まりで一気にそれが溢れてしまうんです」

 お酒に弱いながらも手を出していたのはその気持ちを整理したい、でもやっぱり認めたくないという相反する想いから来ている、との事。

「僕達も速水の死を受け入れているつもりではありますが、この集まりでは心のどこかのわだかまりに気づいたりするんです。自分ではそれをどう払拭していいのか分からないんですが、豊島のああして泣いている姿を見ると少し和らいだりするんです。まるで自分達の蟠りも一緒に泣いて拭ってくれているようで」

 人に頼るのはどうかとは思いますがね、と新原は付け加える。その顔は自分が情けないという思いと、レイの死への悲しさがない交ぜになったようなものだった。他のメンバーも見回して見ると、皆新原と同じような表情をしている。

 そりゃそうだよな。友人が死んで悲しくないヤツなんかいない。

 嫌なことがあっても時間が癒してくれる。そんな言葉を聞いたことがある。たしかに、長い時間があればそれができるかもしれないが、レイが死んでからまだそれほど日時は過ぎていない。彼女達が整理できていないのも無理はないのかもしれない。

 それに、俺はこの時間が癒すという言葉は正しくないと個人的に思っていた。時間があればそれだけ落ち着けるという考えからだろうが、時間があろうがなかろうが、結局は本人の気持ち次第だからだ。

 相手の死を受け入れる。それは何重にも絡まった糸を一本一本解きほぐすかのように、気持ちの一つ一つを真っ直ぐに整える動作のようなものだ。解きほぐすのが早い人はそれだけ早く立ち直れる。

 しかし、誰でも早く解きほぐせるわけではないのだ。遅い人なら一本に何日、何年も費やす人もいる。それは、得意不得意や時間がどうこうではなく、本人がその絡まった糸と向き合えるかどうかなのだ。複雑に絡まった糸を見もせず触れもせずにほどく事が出来ないのと同じように、気持ちの整理も向き合わなければいつまで経っても終わらない。本人が一歩踏み出さなければ始まらないのだ。

「このままじゃいけないと分かっているつもりですが、やはりまだどうも――」

「別に急ぐ必要ないんじゃないですか」

 俺の言葉に新原が顔を向けてくる。

「死んだ人間は戻らない、前を向いて行かなければならない……たしかにそうですが、だからといって後ろを向いてはいけないわけじゃない。後ろが気になるなら、何度でも振り向けばいいんです。後ろ歩きをしたっていい。大事なのは、きちんと向き合って整理することです。締め切りも期日もない。これは大学の課題とかとは違うんですから、自分のペースでゆっくり立ち直ればいいんです」

 そうだ。時間が変えてくれるんじゃない。向き合えたから前に進めるんだ。

 語るように終えると、新原は目をパチパチ瞬かせ、俺を見つめていた。

 あれ? なんか変な事言ったか? 別に難しい事言ったつもりはないんだけど……。

?」

 新原の態度に疑問を浮かべていたが、その台詞に意識が呼び戻される。声がした方に目を向けると、そこには赤いワンピースの佐藤美優紀がいた。全員の視線が彼女に集中する。

「さっきからビービービービー泣いて。喧しいったらありゃしない」

「……えっ?」

 鼻を啜りながら豊島が佐藤に振り返る。

「あんた、いつまでそうやって泣いてるつもり? いい加減受け入れなよ」

「そんな……いや、そうかもしれないけど、私はやっぱまだ信じられなくて――」

「信じられない? 何言ってるの? 。それは紛れもない事実よ」

 残酷な一言を佐藤が放つ。一瞬にして空気が張り詰めた。だが、それに豊島は対抗する。

「で、でも! ついこの間までは私達といたのよ!? 一緒に大学にいたんだよ!? 一緒にご飯食べて、一緒に講義受けて、一緒に――」

「いつの話? それは全部過去でしょうよ。現在を見なさい現在を。現在に紗栄子はいない。だって死んでるんだから」

「やめろ、佐藤」

 新原が注意するが、佐藤は構わず続けた。

「皆で喪服来て出掛けたじゃない。あれは誰の葬式だったの?」

「……」

 佐藤の言葉に豊島は黙ったまま俯いている。

「たしか、ゼミも一時期休講になってたわよね。あれは何でだったかしら?」

「嫌……」

 豊島が頭を振る。その顔はどんどん青ざめていく。

「もし死んでいないというなら、何で紗栄子はここにいないの? 紗栄子もこのゼミ生でしょ?」

「嫌……嫌……」

「もし死んでいないというなら、この集まりは何なの? 忘れたの? 忘れたなら私が思い出させてあげる。この集まりは紗栄子の死を――」

「嫌ぁぁぁぁっ!」

 頭を抱えながら豊島が叫ぶ。とうとう耐えきれなくなったようだ。

「理奈っ!」

「豊島!」

 近くにいた林野と小田渕が心配そうに豊島に駆け寄った。暴れはしないが、絶叫が部屋に響き渡る。

「佐藤、お前何て事言うんだ!」

 穏やかそうな新原が怒り顕に佐藤に詰め寄る。

「あら? 私は事実を言ったまでよ」

「ふざけるな! 豊島がどれだけ苦しんでいるかお前だって知ってるだろ! それを何で――」

「正直うんざりなのよね。死んだ人間にいつまでも執着してさ。見ててイライラする」

「イライラ、って……本気で言ってるのか?」

「本気よ。だってそうでしょ? 死んだ人間は生き返らない。もう会うこともない。だったら、切り捨てるもんじゃないの?」

 ……? 

「悲しもうが泣き叫ぼうが、死んだ人間には二度と会えない。そんなの子供でも分かることじゃない。それなのに、いつまでも泣いてるとか意味分からない」

「さ、佐藤さん。それは言い過ぎでは?」

 恐る恐るというように、松田が口を開いた。

「言い過ぎ? どこがよ。私は事実を言っているだけ。それよりも、あなた達の方が過保護過ぎるんじゃないの? 特に……あなた」

 突然の指名。佐藤が俺に向かって指を差した。

「さっき少し聞こえたけど、きちんと向き合って整理する、自分のペースで立ち直る、とか言ってたわよね」

 指名されながらも、俺はまだ思考が正常に働いておらず、ただ立ち尽くしていた。耳には入っているが、それをすぐには処理できていないような感覚だ。

 俺の返答を待たず、佐藤が続ける。

「そんな考えを持ってる人は大抵弱虫、ただの臆病者よ。面と向かえていない証拠の何物でもないわ。自分に重荷になると分かっているのにゆっくりと? そんな悠長な事していいわけ? その間に重荷で自分が壊れたらどうするの?」

 面と向かえていない……重荷?

「重荷であると分かっていながら何で背負うの? 重荷は自分の妨げにしかならないでしょ。だったら、切り捨てるのが普通じゃないの? それに、たとえ生きてたとしても卒業したらもう会わないでしょ。それぞれ別の職に勤めるし、住む場所もバラバラなんだし。もう会わなくなるという点では一緒。早いか遅いか……生きてるか死んでるかの違いだけ――」

「もう止めろ美優紀!」

 叫ぶように佐藤の台詞を遮ったのは新原だ。それから、部屋を沈黙が覆い尽くす。

「……ふん」

 数秒後、佐藤はドアに向かって歩き出した。

「待て、どこに行く?」

 横を通りすぎようとした佐藤の腕を新原が掴んで止める。

「気分転換よ。気分悪いから外をフラッ、としてくる。少ししたら戻ってくるわ」

「言うだけ言って出ていくのか……」

「何? 謝れとか言うわけ? 言うわけないでしょ、間違ってないんだから」

「美優紀、お前……」

「離して。それに、馴れ馴れしく下の名前で呼ばないでくれる? あなたとはもうそんな関係じゃないんだから」

 その一言をきっかけに、新原が佐藤の腕を離す。

「いいわよね~、死んだ人間は。こうしていつまでも綺麗な姿のまま人の心に残るんだから。私も死ねば今のこの姿で記憶に残るのかしら。だったら誰か私を殺してくれる? なんてね」

 解放された彼女は真っ直ぐ速足でドアへ向かい、その姿を消した。

 パタン、というドアの閉まる音がやけに大きく聞こえた。

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