悪・即・斬

 事の始まりは三日前。

 コンビニの夜勤を終え朝から昼過ぎぐらいまで眠った後、夜になるまではダラダラと自宅で過ごしていた。季節は夏から秋に変わり始める十月の半ば。まだ暑さは残るものの、七、八、九月の本場の時期に比べればいくらかは過ごしやすくなっていた。その変わり目のせいか、少し身体がダルくなっているのを感じ、休養も兼ねて自宅でのんびりしていたのだ。

 夜になり食事を終えた俺はレイと共にテレビを見ていた。番組は頭の体操といったクイズ番組だ。

『はい、また私だけ正解~』

「くっそ、またかよっ」

 俺は悔しさでテーブルを叩く。

 次々と出される問題を俺とレイは勝負をしていた。どちらが多く答えを当てられるか、と。

 というのも、俺はただ問題を見て答えを知る、という流れで番組を観ていた。最初は考えるが、特に頭を捻ってまで答えを見つけようなどとは一切なく、たとえ分からなくても答えを提示されて「あ、なるほどね」と軽い気持ちで眺めていたのだ。

 だが、二、三問目辺りでレイが俺に話し掛けてきた。

『ねえ、悟史。今の問題の答え分かる?』

「う~ん? いや、よく分からない」

『これはね――』

 レイが答えを述べ始め、そしてその後テレビから同じ解答が流れる。画面の下にはこの問題の難易度が表示され、この番組の最高度数であった。

「うお、これこんな難しかったのか」

『ふっふ~ん。そして、その問題を解いた私は優秀な人物なり』

 そう言うと、レイは胸に手を当て誇らしげな顔付き、いわゆるドヤ顔をしており、私を敬えとでも言わんばかりの態度だった。

 ……なんか腹立つな、その顔。

 集中して解いていたわけでもないが、レイだけが正解し俺は分からずという状況にどこかしら悔しさを覚えたのかもしれない。別段クイズが好きでもなければ得意でもないのだが、レイの態度に対抗心が沸き上がってきた。

「レイ、勝負しようぜ」

『勝負?』

「今から出される問題をどっちが多く正解できるか」

『今の難易度を解けない悟史が私に勝てるとでも?』

「クイズでも何でも、勝負はやらないと分からないもんだぜ?」

『ほっほ~ん、言うじゃない。いいわよ、その勝負受けて立つ!』

 ちょうどCMが終わり、TVから新たな問題が出される。そして、俺とレイの戦いの火蓋が切って落とされた。

 そして、結果は悲惨なものだった。番組が終了し、統計を取ると俺が正解二、レイは六という大差で幕を下ろした。

「なぜだ……なぜ解けん!? 納得できん!」

『いや、当然の結果でしょ。こういうのは思考の柔軟性が必要だけど、固い頭の悟史じゃね~。まあ、二問解けただけでも悟史なりには頑張ったんじゃない?』

 よく頑張りました、と子供を宥めるように俺の頭を撫でるレイ。この上から目線が余計に腹が立つ。しかし、実際に負けてしまったのだから何も言い返せない。

『さあて、じゃあ何をしてもらおうかな~?』

「は? 何が?」

『何って、勝負に勝ったんだから当然ご褒美でしょうよ』

 何を言い出すんだこの女は?

「ねぇよ、んなもん」

『はあ!? 何よそれ!』

「いやいや、別に何も賭けてないだろ。勝ったからって何もやらんぞ」

 勝負しようとは言ったが、負けた方が勝った方に何かするという約束はしていない。だから、俺がレイに何かする義務もないはずだ。

 だが、文句があるのかレイは頬を膨らませてブーブー唸っていた。

「子供かお前は。駄々をこねても何もやらんぞ」

『……ちっ』

 こいつ舌打ちしやがったよ。

 約束はしていないんだから、何かやる必要はないだろう。まあ、内心ホッ、としているのは内緒だ。

『じゃあ、次はちゃんと賭けるからね』

「ああ、いいぜ。でも次は運動系な」

『いや、それは無理』

「何言ってんだ。頭の勝負の次は肉体で勝負――」

『肉体の無い私に何ができると?』

 あっ、忘れてた。幽霊のレイには無理だ。

「くそっ、運動系なら勝てる自信があったのに」

『あれ? 悟史って運動得意だっけ?』

「バカにするなよ。俺はこう見えて小中高と野球をやってたんだ。自分で言うのもなんだが、運動神経は良い方だぞ」

『え~、うそ~?』

 疑いの目でレイが俺を見てくる。

「嘘じゃねえよ。だったら今度証明して――」

 そこで俺はある気配を察し言葉を止めた。

 この気配……間違いない、だ。

『どうしたの?』

 急に俺が黙ったので不思議そうにレイが問い掛けてくる。それに対し声では答えず、口の前に人差し指を立て、静かにするよう伝えた。

 ちょうどいい。俺の運動能力の高さを証明する事案が発生したようだ。

 近くにあった読み終えた雑誌を丸め、武器を形成する。それから、目を閉じて耳と肌でヤツの気配を捉え始めた。 

 ヤツの動きは速い。目で追おうとすればこちらが圧倒的に不利。心の目で見るんだ。耳を澄ませろ。考えるな、感じろ……。

 ……カサッ。

「……っ! そこだ! YOUはSHOCK!」

 俊敏な動きで飛び出し、俺は目標に向かって力の限り雑誌を叩き付ける。そこにはたしかな手応えがあった。

 ふっ……またつまらぬものを斬ってしまった……。

 イメージ通りに一発で仕留められた事に酔いしれる俺。自分で言うのもなんだが、今の動きはかなり華麗だったはずだ。

 さっきのクイズでは完敗だったが、やはり俺は頭脳より肉体派。動きならそこそこ自信がある。俺の動きの速さにきっとレイも驚いているに違いな――うわ~、ちょ~冷たい目してる~。『何やってんだこいつ?』みたいな、痛い人を見る目だよ~。

 称賛されることなく、そんな視線を浴びながらヨッコイセ、と俺は立ち上がる。

『何? 虫かなんか?』

「ああ、虫だ」

『ハエ? それとも蛾とか?』

「いや……」

 戦果を確認し、俺はヤツの正体を晒す。

「ゴキブリ」

 そう言うと、俺は叩き潰し雑誌に付いた亡きゴキブリをレイの前に差し出した。

「たまに出るんだよな~。しかも、この時期に。今まで何匹か始末したけど、やっぱどっかに巣でもあるんじゃねえかな」

 一匹倒したところでまた新たな刺客が現れ、ゴキブリとは終わらない戦いを続けている。最初はよく逃げられたものの、何度か戦闘を繰り返したお陰で今では俺は負けなしだ。

 手慣れた手つきでビニール袋に雑誌を入れ、キッチリ口を塞ぐ。そのままにしていると、死骸に新たな刺客が現れる事があるらしく、密閉する必要があるとバイトの先輩からアドバイスを貰っていた。

「よし、終了。レイ、次のゴミの日っていつだっけ?」

 レイに尋ねるが、なぜか彼女から返事が返ってこない。立ち尽くしたまま微動だにしていなかった。

「レイ?」

 様子がおかしいと思い、レイの顔を覗いてみる。すると……。

『……』

 白目を剥いたまま気を失っていた。

 気絶してるぅぅぅ!? 「youはshock」ならず「you are shock」か! でも、立ったまま気絶とか器用だなお前。

 目を覚まさせるため、俺はレイの顔の前で大きく手を叩いた。その音に意識を取り戻したレイが俺を見つめ返す。

「おっ、目覚めたか?」

『……ぎ』

「うん?」

『ぎいゃぁぁぁぁぁぁぁ!』

 目に光が宿った瞬間、レイが声にならない悲鳴を上げる。レイ自身の声は聞こえないが、表情と口の動きからそう判断できた。

『ひ、ひ、ゴ、ゴキ……ッ!』

「何をそんなに驚いてるんだよ。別に珍しくもないだろ」

『いやいやいやいやいや! 何でそんなもの見せるのよ! あり得ないから! むしろ何で悟史は平気なの!?』

「そりゃあな。よく出るんだから慣れるわ。他の部屋も同様みたいだし。このアパートじゃゴキブリと生活していると言っても過言じゃないぜ」

『嘘!?』

 慌てたように部屋中を見渡すレイ。その顔は恐怖に染められていた。

「さあて、ゴキブリも始末したし、そろそろ寝るかな」

『待った待った待った!』

 ベッドで休もうとする俺をレイが引き留める。

『何寝ようとしてるのよ! 他にもいるかもしれないじゃない! 早く見つけて駆除を――』

「いいよ、面倒くさい。出た時に始末すればいいだけだろ?」

『嫌よ! これから毎日怯えながら暮らせと!?』

「大袈裟だな。そこまで心配するな。出ると言っても一月に一回ぐらいだ」

『う、う~ん、まあそれなら我慢できなくも――』

「四日連続で出ることもたまにあるけど」

『ぎいゃぁぁぁぁぁぁぁ!』

 本日二回目の絶叫。まあ、レイも女の子だから無理もないかもしれない。

「まあ、それもホントに稀だよ。気にしてたら身が持たんぞ。ほら、もう寝ようぜ」

『そ……よ』

「あん? 何だって?」

 ひらがな表記の指の動きが速すぎて読みきれなかった。もう一度尋ねると、こう告げていた。

『掃除をするわよ! 徹底的にこの部屋を綺麗にする! 家具も何もかも動かして、隅から隅まで塵一つ取り除く! どっかに隙間があるなら埋めて侵入口を絶つ! あの悪魔の出現を許すな! 悪・即・斬!』

 

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