最終曲 かかげた空へ

「えっ……!?」

 思わぬ一言に、女性の顔を見上げることしかできない。

 あの会場に、この人はいた……? それに、さっきの淡い既視感――

「あ、あなたはまさか……」

「ええ、あの会場にいたスカウトマンよ。これで信用してくれたかしら?」

「そんな――!」

「ついでに言うと岡本さん、あなたのことをボロクソに批判したのも、この私だから」

 なぜか得意げなこの女性。少々鼻につく態度ではあるけど、別に酷評されたからといって目のかたきにしようとは思わない。だけど、ひとつだけ不思議なことがあった。

「あそこまで言っておいて、どうして今さらスカウトを……?」

「それはもちろんプロでやれると判断したからよ。何があったのか知らないけど、あの時とはまるで別人――目を見たらすぐに感じたわ」

「目、ですか」

「ええ、あの時とは違って輝いて見えた。歌うことが心から楽しめてる、いい目をしていたわ」

 歌を楽しんでいたわたしたちが、いい目をしていた――プロの目にもそう映っていたんだ。

 わたしたちの実力は本当だったんだということが、今やっと証明された気がした。


「――あれ、ところで、タベプロって東京にあるんじゃないんですか?」

「ええ、そうよ」

「じゃあ城田さんは、どうしてこんな田舎町にいるんですか?」

「まあ、それは、私の情報網にあなたたちのことが引っかかったから、というべきかしらね」

「口コミみたいな感じですか」

「そうね。正確には『歌の上手い女子高生二人組がいる』程度の情報だったから、来てみたらあの歌の下手なあなたで驚いたわ」

「うっ、それは……」

 クールビューティーの見かけにたがわず、出てくる言葉も歯に衣着せぬものばかりだった。衣を着せてなさ過ぎて、いちいち心にダメージを負うから勘弁してほしい。

「冗談冗談。それで、こっちの女の子は?」

「同じスクールに通う、谷川セリナです」

「そう、ということは選抜メンバーにすら選ばれないレベルだったということね」

「うぅ、そこまで言わなくても……」

「あっはは、冗談だって。安心して、あなたにも何があったか知らないけど、あなたも合格、スカウト対象よ」

「あ、ありがとうございます……」


 なんだか状況がイマイチ分からないが、完全に向こうのペースに乗せられてしまっている。これでは折角プロ入りが半ば決まったというのに、全く実感が湧かない。


「とりあえずこんなところで大事な話するのもなんだし、また明日にしましょうか」

「明日、ですか?」

「ええ、明日二人とも親御さんと一緒にスクールへ来てくれるかしら。そこで詳しい話はしましょう。それとも親御さんの都合が悪いかしら?」

「いえ、多分大丈夫だと思います」

「なら良かったわ。それじゃあまた明日」

 そう言い残すと、城田さんはスタスタと歩いて行ってしまった。


「結局、何だったんだろうね……」

「私たちが、プロになれるってことなんじゃないかな……」

「きっとそうなんだろうけど……ああもういいやっ! 明日になれば分かることだし!」

「そうだよね! じゃあ今日は解散ということで!」

 本当はこの後『おつかれ会』を開く予定だったが、そんな気分ではなくなってしまった。ということで、今日のところは一旦お開き、ということになった。



 そして迎えた翌日、学校が終わった後に訪れたボーカルスクール――今日はレッスンは休みだが、そこにわたしたち二人の姿があった。

 ついでに言えばお互いの母親も一緒にいる。親同士が会うのは初めてらしく、何やら挨拶を済ませてもう打ち解けていたようだった。


「一晩寝たら、何か急に現実味が出てきてドキドキしてきたよ……」

「私も同じ~……私たち、本当にプロの歌手になれるんだよね……」

 いつもは騒がしい二人が、今日は妙に緊張してソワソワしてるうえに、大人しい。もう我慢できないと言わんばかりに、先生たちに呼ばれるのを今か今かと待ちわびていた。


 そして、待つこと二十分。時刻は午後七時を回った頃――ボンバーが顔を出し、わたしたちを会議室へと案内した。今日も今日とて、場所はいつもの『第3会議室』。

 わたしたちが部屋の中に入ると、そこには昨日出会ったクールビューティー・城田羽月さんの姿があった。

「昨日は突然話しかけちゃって悪かったわね」

「いえ、そんな」

 クールビューティーなんだけど、ニヒルな笑みを浮かべているせいでどこか斜に構えているというか、そういった印象を受ける。そんな城田さんの正面に、こちらは四人並んで座った。


「今日は他でもない、とても大事な話があって来てもらいました。そのことをこれから簡潔にお話致します」

 いきなりきた――昨日もそうだが、城田さんは単刀直入に話を進めることが多いのだろうか。

 待ちわびた瞬間を前に、全身をどくどくと荒ぶる血が駆け巡る。身体が熱い。固く握った掌は、汗でびっしょりだった。


 そろそろ始まるだろうという空気を察知して、顔を上げる。そこにニヒルな笑みはなく、真剣で澄んだ、鋭い城田さんの瞳とぶつかった。



「――岡本マナカさん、谷川セリナさん。あなた方二人に対して」


「――渡部プロダクションより、正式にオファーすることが決定致しました」


「――あなた方二人には、渡部プロダクション所属のプロ歌手になってもらいます」



 この言葉を、この瞬間を、ずっと夢見ていた。何度も想像の中で、繰り返された瞬間――それがついに、たった今現実となって、わたしの耳に届いた。

 昨日から、心の準備をしていた。この場面も思い浮かべていた。


 だけど――直にこの場面に直面してみて、分かった。

 この込み上げる気持ちを抑えることなんて、絶対にできないって。


 夢を追いかける志の重さが、今まで乗り越えてきた苦しみが、支えてくれた人の心強さが――全てが渦巻いて、抑えきれない涙となって溢れ出た。

 それを止めることなんて、誰にもできなかった。


 それは隣にいるセリちゃんも同じだったようで。二人とも、涙で顔がぐちゃぐちゃだった。


「――はい! よろしく、お願いします!」


 ようやく絞り出したこの声は、生涯忘れることはできないだろうと、そう思ったのだった。




 それから二週間が経ったある日。わたしは、紅葉が赤く色付く山にいた。幼少期を共に過ごしたあの人と一緒に、思い出の地であるこの山に。

 真の原点とも呼ぶべき、秘密基地。そこで二人で、最後の時を過ごしていた。


「マナカも、もう行っちゃうんだなあ」

「行っちゃうって、そんな大げさな。たかが東京に引っ越すだけじゃん」

「たかがって、ここと東京がどれだけ離れてるか知ってるのか!?」

「そりゃあもちろん知ってるよ」

「てことはもう、明日から毎日会えなくなるってことじゃないか」

「まあ、そうだね」


 ここから東京までは、新幹線を使っても片道四時間はかかる。そうなれば確かに、毎日会うことは不可能だ。

 だけど、わたしとしては別に苦でも何でもない気がしていた。


「そんなことよりさ、覚えてる? わたしが初めて夢を話した帰り道のこと!」

「記憶をなくした後のことか?」

「そうそう、太一が『俺ともう一度友達になってくれ!』って言ってきたあの日ね」

「ばかっ、恥ずかしいから止めろって。で、その日がなんだ?」

「あれね、記憶なくしてから、初めて他人に夢を話した日だったんだ」


 あの時を思い出す――まだ内気だったあの頃のわたしは、夢なんか恥ずかしくて言えなかった。だから、自然と口から出た時には、自分でも少し驚いたものだ。


「そんな大役、俺なんかで良かったのか?」

「ばか、何言ってんの全く。太一だったから良かったんじゃん」

「改めてそう言われると、なんかムズムズするな」

「――正直ね、太一がいなかったら、今のわたしはないと思う。セリちゃんと仲直りできたのも、記憶を取り戻せたのも、全部太一がいなかったらなかったから」


 本当に、あの時太一に再会できてよかった。

「――だから、ありがとう」

 今だけは、素直な気持ちを伝える。それほどまでに、わたしにとって太一の存在は大きかったんだ。


「そんな、感謝されるようなことはしてないし、むしろ感謝してるのはこっちだけどな」

「うん、だからね、太一にわたしの歌を届けられるように、がんばるから。大きくなって、必ず太一のところに帰ってくるから。それまで、待ってて」


 わたしが絶対に伝えたかった想いは、届けられた。これで、なんの未練もなく、この地をてる。

 すると太一は、わたしに優しく笑いかけて肩に手を置いた。


「ありがとな、マナカ。その時を楽しみにしてる――だけどな、あんまり無茶だけはしないでな。失敗したっていいんだから。転んだっていいんだから。辛くなったら、いつでも連絡しろよ。そん時は俺が話し聞いて、面白いことでも言って笑わせてやるからさ」


 そして、秘密基地の外に出て、空に向かって手を伸ばした。


「空は繋がってんだから、一人だなんて思うなよ。違う空を目指してたって、いつも一緒だから。それだけは忘れないこと、いいな!」

「――ぷっ、あはは! なにそのキザなセリフ! それ何のドラマで覚えたの~?」

「なっ、なんだよ! 人がせっかく背中押してやってんのに! もう、なしだなし! 今のはなかったことにする!」


 ありがとね、太一。本当はすっごく嬉しかった。プロとして頑張らなくちゃって、意気込み過ぎてたのかも。でも太一のおかげで、肩の荷が下りた気がしたよ。そうだよね、ひとりじゃないんだよね。それだけで、何倍も強くなれた気がした。わたし、精一杯がんばるね。また会える日まで。




「マナカ、忘れ物はない!?」

「大丈夫だって! お母さんこそ落ち着いて!」


 その次の日。わたしたち二人は東京へと拠点を移すために、新幹線に乗って出発しようとしていた。そして昼間は、タベプロの社長さんに挨拶に行くことになっている。いきなりのお偉いさんだから、結構緊張する。

「それならいいけど。お母さんもまた行くからね!」

「分かった分かった。その時はよろしく頼むよ」

 改札前で、お父さんとお母さんともお別れ。

「――じゃあ、気を付けて行ってらっしゃい!」

「うん、行ってきます!」


 わたしたちは、二人揃って旅立った。


 そして、新幹線の旅もあっという間に終わり。いよいよ東京に到着した。

「これがタベプロのビルかぁ……」

「すごいおっきいんだねぇ……」

 都会のビル群は、どれも見上げてしまうほど大きい。そのスケールに圧倒されながらも、ビルの中へと入った。

 指定された部屋は、確か二十階。その一室で挨拶をするらしい。


 そして、エレベーターが目的の階に到着した。

 高そうな絨毯に、ほこりひとつ付いていない窓ガラス。

 どうやらわたしたちは、凄いところまで来てしまったようだった。


 一瞬、雰囲気に呑まれて、よろけそうになる。だけど、そんなわたしの手を隣で握ってくれる人がいた。


「大丈夫だよ、マナちゃん」


 そうだ、わたしの隣にはセリちゃんがいる。お父さんだって、お母さんだって、太一だって、支えてくれる。わたしは、ひとりなんかじゃない。

 恐れることなんてない。ただ前に、進むだけ。


 わたしたちは、まだ何者でもない。何もやり遂げてない。今、やっとスタートラインに立ったんだ。

 だったら、前に進むだけじゃないか。この熱い夢への旅路を、突き進んで行くだけじゃないか。

 これから待ち受ける海は、荒波が飛沫を上げる嵐の海かもしれない。だけど、例えそうだったとしても――。


 そうだ。わたしはこれからも歌い続ける。想いを届け続ける。時に優しく、時に鋭く、そんな刃のような歌声で、人々の心に爪痕を残し続けるんだ。

 そこに、迷いなんていらない――


「行こう、セリちゃん――!」


 晴れ渡る空の下、新たなる航海に向かって乗り出した二人の目の前には、遙かなる海原が広がっている。

 わたしたちの冒険は、まだ始まったばかりだった。

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ウタヒメ-最強の歌声は刃の如く- 夜野さくら @yozakura53

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