十三曲目 JOY③
「マナちゃん、やっぱり止めようよぉ……」
「ダメ、勇気出して行かなきゃ」
沿岸から移動して、着替えをするべくセリちゃんの家へとやって来た。
なんだかんだセリちゃんの家に来たのは初めてのことだ。何の変哲もない一軒家、と言うと少し失礼かもしれないが、まさに典型的な住宅といったところだろうか。
彼女はああ見えて、案外お洒落に気を配っていたり可愛い小物を集めていたりしたので、大きいお家に住んでいるのかと勝手に想像してしまっていた。良い意味で憧れから身近な存在に近づいた。
「だって、今更行ったら責められるかもしれないし……」
「もしそうなったら、仕方ないよ。その時はわたしを責めて」
「どうしてマナちゃんはそんなに会いたがるの?」
「わたしはそのご家族さんが、セリちゃんを責めてるとは思えないからだよ。それに、ただ気にしてるだけじゃ何も始まらない。食わず嫌いと一緒だしね」
「それはそうかもしれないけど……」
「とにかく、行こう。案内して」
「うぅ、マナちゃんがそこまで言うなら……」
着替えを済ませてからしばらくは渋っていたが、ようやく行く気になったようだ。これでいいんだ、不安な気持ちがないわけでもないわたしは自分に言い聞かせる。どのみちこの問題を解決しなければいけないのは言うまでもない。だけど、わたしが強引に連れて行っていいものかとも思った。
そうは言っても、きっとセリちゃんは一人では一歩を踏み出しはしないだろう、だからこれでいいんだ。時には友達が強引にも背中を押さなければいけない時もある、進むべき道に導かなければいけない時もある。その代わり導いてもらう時だってある。友達とはそういうもの、持ちつ持たれつ、だ。
目的地はさほど遠くはないようで、自転車は彼女の家に置いて歩いて向かう。さっきは不安だと言ったが、セリちゃんと仲直り出来たことはやっぱり嬉しかった。晴れ晴れした心持ちで眺める景色は、いつもより澄んで見えた。
「なんか、こうして一緒に歩くのも久しぶりだね」
「うん、心配掛けてごめんね、マナちゃん」
「ううん、わたしの方こそごめん。セリちゃんの気持ちに気が付いてあげられなくて」
お互い謝罪の気持ちは本当だったけど、並んで揺れる二つの影はどこか楽しそうだった。朝ののんびりとした空気の中、この時間を大切にゆったりと歩く。
「……私ね、最近怖かったんだ。マナちゃんだけが合格して、置いて行かれちゃうんじゃないかって。そしたら今度は、自分は全然ダメなんだって思い始めちゃった。もう離されたくないって臆病になって、気が付いたら歌うこと辞めるなんて言い出しちゃってた」
手を腰の後ろで組み、暗い話なのになぜか楽しそうに話す彼女。
「結局、無意識のうちに私の方が上手いって思っちゃってたのかも。私より下だと思ってた子が合格してて、もうどうにもならないって思ったの。歌手にならなきゃって気持ちが強すぎて、いつの間にか上手いかどうかでしか歌を見られなくなってたんだよね」
「それも、分かってあげられてなかったね」
「ううん、私が悪かった。周りが全然見えなくなっちゃってた。でもね、それに気が付かせてくれたのがマナちゃんだよ」
彼女もまた、憑きものが落ちたように輝いた目をしている。そんな彼女が、景色の中で一番輝いて見えた。
「マナちゃん、覚えてる?」
「ん、なにを?」
「二人だけでレッスン後に自主練習したことがあったじゃん、スクールの裏で」
「ああ、確か中三の夏だっけ」
確かそんなことがあったはずだ。わざわざ二人で練習するなんてことは滅多になかったからよく覚えている。あの時から彼女はわたしの憧れだったっけ。
「あの時ね、みんなの前で歌うときには見せないような、すごい楽しそうな歌声でマナちゃんが歌ったの。それを聴いて私、覚悟が甘いって思った。そんなんじゃ歌手になんかなれないよって。だけど、違ったんだね。その時からわたしの方が劣ってた」
「そんな劣ってたなんて……」
「ううん、確実にマナちゃんの方が歌手向きの歌を歌ってた。楽しそうに、他の人の心に響くような、そんな歌を。少なくとも今の私だけはそう思ってる」
「セリちゃん……」
嬉しいような、寂しいような。褒めてくれたことは嬉しいけど、あの時楽しかったのはわたしだけだったのかと思うと、少し寂しくなった。だけど、それはセリちゃんが悪いわけではない。仕方のなかったことだ。友達であったのは間違いなかったけど、同時にライバルであったのも間違いなかったことなのだから。
友達でありライバル――それがスクールで共に過ごすということだ。
やっぱり彼女の言う通り、わたしは甘かった。セリちゃんもまた、わたしの夢への道のりに立ちはだかるライバルなんだ。そのことだけは忘れてはならない。
「着いた、ここだよ、その子のお家」
「ここが――」
住宅街に現れた、やや場違いな空気を醸し出す建物。お城――とまでは言わないが、レンガで囲まれた塀、明らかに広い土地とそこに佇む二階建ての家、大きなガレージと、見るからにお金持ちといった風貌の家だった。
だけど、そんなことには怯まない。二人は目を合わせると、同時に大きく息を吸い込んだ。
「覚悟はいい?」
「うん、ちゃんと過去と向き合うことにした」
「これがセリちゃんの、夢への新たな第一歩となりますように」
わたしたちは一緒にインターホンを押した。
しばらくの沈黙、ほんの数秒が何倍にも引き延ばされて感じられる。しばらくすると女性の声が聞こえてきた。
「はい、どちら様でしょうか」
「えっと、谷川セリナです、リナさんの友達だった」
名乗った後に、一瞬の間。
「ええ、入って」
門を開け、中へと入っていく。セリちゃんはやや緊張した面持ちだった。
「やっぱり怒ってるのかなぁ」
どうやらさっきの間を気にしているようだった。だけど、進む足を止める様子はない。不安ながらも前に進むと決めたようで、安心した。
玄関の前まで来て、もう一度インターホンを押す。すると中から、一人の女性が姿を現した。
「きれい……」
誰にも届かない程の小さな声が、思わず漏れ出てしまった。さらさらの黒髪は腰の辺りまで伸び、お淑やかという表現がぴったりとくる。わたしたちの親とも同年代だろうから四十歳は超えているはずだが、全くそんな風には見えない。俗に言う『美魔女』というものともまた違って、もっと透き通るイメージを受けた。
「あなたが、あなたがセリナちゃんね」
「いえ、わたしはセリナちゃんの友達で岡本マナカといいます。わたしではなくて、こっちの女の子が――」
「はじめまして、私が谷川セリナです」
ゆっくりと、しかししっかりとした口調で挨拶をしながら頭を下げたセリちゃんを見て、女性はイメージとは裏腹に明るく笑った。
「あら、ごめんなさい。あなたがセリナちゃんね。さあ、二人ともあがって」
言われるがまま家の中へと通され、案内をされる。中は思ったよりも普通で、馴染みやすく心地良い雰囲気だった。今のところ、セリちゃんを恨んでいるとか、そういった様子は見受けられない。
「さ、二人とも、リナにお線香あげてくれるかしら」
わたしたちは、リビングの隣にある畳の部屋に通された。そこにはセリちゃんの友達だったリナさんのお仏壇があった。
飾られている、一枚の遺影。セリちゃんにどこか似た、満開の笑顔を咲かせた女の子。
この子がリナさん――どうかわたしに、セリちゃんに、力をください――心の中で挨拶を済ませた後、そっとそうお願いした。
わたしが目を開いた後も、セリちゃんはしばらくそのままだった。
お参りを済ませると、リビングへと通された。出されたお茶菓子も上品だ。
「二人とも今日は来てくれてありがとう、きっとリナも喜んでいるわ」
娘さんと似た雰囲気を携えながらも、落ち着いた印象を受ける。優しそうな笑顔だった。
「でも、どうして急に?」
「えっと、それは……」
セリちゃんが口ごもる。お母さんは優しく見守っていた。
「あの……すみませんでした!!」
セリちゃんが突然立ち上がり、勢いよく頭を下げた。お母さんは、変わらずセリちゃんのことを見守っている。
「私……私! リナちゃんは私にとって大切な友達だったのに……! 私のせいでこんなことになっちゃって、本当にごめんなさい……!」
今にも泣き出しそうな顔で、彼女は謝る。必死なその声だけが、部屋の中に響いていた。
「許してくれなんて言いません……! だから、だからせめて、私が彼女を大切に思っていたことだけは分かってほしいんです!」
目を瞑り下を向いたまま、彼女は続けた。
「ずっと逃げて生きてきました。でも、それじゃ何も始まらないって分かったんです。だから、今日はこの気持ちを伝えに来ました」
その場を静寂が支配する、お母さんは何も言わなかった。
わたしも途中から伏し目がちにセリちゃんの様子を窺うことしかできず、目の前に座るお母さんの反応を直視することが出来なかった。
やっぱり怒っていたんだろうか、そうだとしても無理はない。たった一人の愛娘を失ったのだから。
だけど、このままではいけない。何かアプローチをしなければと、顔を上げようとしたその時。目の前に二粒の雫が零れ落ちた。
慌てて顔を上げると、お母さんは泣いていた。静かに、だけど溢れるように、泣いていた。
「……セリナちゃん、顔を上げて。もう謝らなくていいのよ」
「えっ……」
ようやくその涙に気が付いた彼女も、驚き目を丸くしている。お母さんは静かに語り始めた。
「あなたのことを、私が責められるはずがないじゃない……私はあなたに会える日を待っていたのよ」
「私のことを知ってるんですか?」
「もちろんよ……だってあなたは、リナの生きる希望だったんだから」
突然の告白に、二人とも声を失う。一体、どういうことなのか。
「あの子、明るい性格に見えたでしょう? だけど、やっぱりどこか無理してたらしくてね。一時期なんて、家に帰ってくるとずっと部屋に閉じこもって泣いてた。八方美人で、みんなに嫌われないように振る舞う自分が嫌いだって言って」
昔を懐かしむように、遠くを見つめるように、語る。
「そんな時にね、あなたに出会ったの。周りに友達もいなくて、教室の端でいつもひとりぼっち。なのにいつも平気そうで。周りの顔色を窺わないあなたを見つけて、すぐに仲良くなりたいって思ったって」
立ち上がったまま動けないセリちゃんに視線を移して、お母さんは赤い目を細めた。
「それからは、帰ってくると毎日セリナちゃんの話をするようになったの。もちろん満面の笑みでね。今日は何をして遊んだとか、いつか一緒に歌を歌いたいとか、本当に毎日楽しそうに過ごすようになったわ」
「そんな、リナちゃんが……」
「だから、あなたはあの子を救ってくれたの。そんな人を私は責めたりはしないわ」
太陽の如き暖かい笑顔に、心が温められていく。わたしまで涙が零れそうになった。ましてやセリちゃんは、今ごろどれほど救われているのだろうか。
「あ、そうだ。リナが残した日記があるの、それを是非見てもらいたいな」
「私も、読みたいです」
「それじゃあ、持ってくるわね」
そう言って階段を上っていった。隣に目を遣ると、涙こそ我慢しているものの、小刻みに震えているセリちゃんの姿があった。
しばらくすると、お母さんが一冊のノートを手に戻ってきた。黄色の下地に黒いペンで『うたにっき』と記されている。
「これが、あの子が残した日記よ」
お母さんはそっと差し出すと、セリちゃんはそれを手に取り、一ページずつゆっくりとめくり始めた。わたしも横からのぞき込む。
『5月12日 今日は面白い子を見つけた。一人なのに気にしていないようですごい! 私とは大違いで憧れちゃうなあ』
『5月15日 例の子に話しかけた! 名前は谷川セリナちゃんというらしい。仲良くなれたらいいな』
『9月18日 セリナちゃんは私にとって、唯一の本当の友達だ! 他の子が友達じゃないってわけじゃないけど、セリナちゃんは本当に特別。いつか一緒に、私の大好きな歌を歌えたらいいな!』
何気ない日常の思い出がたくさん綴られている。日記は、日を追うごとに長く、頻度を増していった。セリちゃんは真剣に、一文字一文字を噛みしめるように読み進めていた。
そして、二人の親密度も増したある日。
『10月15日 今日もセリナちゃんには歌ってもらえなかったなあ。せっかくきれいな声なのに。セリナちゃんと一緒に歌えたらきっとすごい楽しいと思う! やっぱり歌は楽しいのが一番だよね。そうだ、将来の夢はセリナちゃんと二人で歌手として舞台に立つことにしよう! そのためには一緒にスクールに通ってもらうところからかな、明日から頑張らないと!』
そこで日記は途切れていた。やっぱり、リナちゃんはセリちゃんと一緒に歌いたがっていたんだ。
すると、セリちゃんがパタンとノートを閉じ、胸に抱きしめながら言った。
「お母さん……ちょっと、泣いていいですか」
お母さんが優しく頷くと、セリちゃんは椅子に力なく座り込んだ。
「うっ、うぅっ……ごめんね、ごめんねリナちゃん! 私、リナちゃんの気持ちに応えてあげられなかった! ほんとに、ほんとに……うわああああ!!」
みるみるうちに溜まっていく涙。やがてそれが
「私も歌えば良かった! でも、もう遅いんだよね――だから、私が代わりに、歌うから。あなたに届くように歌うから。歌声も、ライトの光も、ステージからの景色も、全部届けるから。それまではどうか見守っていて――」
止めどなく零れ落ちる想いは、滴となって消えていく。だけど、あの子にはきっと届いてると、わたしは確信していた。
「今日は、ありがとうございました」
「いいえ、こちらこそありがとう。歌の練習、がんばってね」
セリちゃんが落ち着いてから、わたしたちはそろそろお
「私、思い出したんです、歌う本当の意味を」
瞳はまだ赤いけれど、表情はいつも通りの彼女だった。
「今まではリナちゃんのためだけに歌ってた。でも、それじゃダメだったんです、きっとリナちゃんも認めない。だけど、今はもう違うんです。彼女に歌声を届けたいって想いはもちろんまだある、だけどそれ以上に、彼女が愛した心の底から楽しいと思える歌を、私も歌いたいって今なら思えるんです」
心から楽しそうな顔――呪いから解放された声音は、初めて聞くほどに生き生きとしていた。
「ええ、ありがとう。きっとリナも安心してるわね。ずっと応援してるからね」
わたしたちは、行きよりも確かな足取りで家を後にした。
彼女にとって辛い記憶。それが今日を境に、力の源となったようで良かった。
「セリちゃん、良かったね」
「うん! これで精一杯マナちゃんのミニライブを応援できるよ!」
「ありがとう、わたしも頑張るね」
「ああ~すっきりしたらなんか歌いたくなってきちゃった! マナちゃん、浜辺でちょっと歌っていこうよ!」
「ちょ、ちょっとセリちゃん! もうたくさん人いるし、恥ずかしいよ」
「大丈夫! 歌うことが恥ずかしいなんて絶対ないんだから! さあ、行こ!」
前よりも明るさに磨きがかかったような彼女は、子犬のように軽やかに先を行く。元気になったのは良かったけど、ここまでとなると付き合うのは苦労しそうだ。
やれやれと苦笑いを浮かべながら、わたしも負けじと子犬の後を追って走り出した。
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