四曲目 Brand new me

「アーアーアー――」

 学校の中庭で発声練習をする。今は昼休みだけど、のんきに休んでなんかいられない。昼食は軽くコンビニのパンで済ませ、寸暇を惜しんで歌の練習に励むことにした。

 

 今までは正直、例のミニライブには出場できるとは思っていなかった。もちろん出たいとは思っていたけど、今の自分の実力を考えたら、ちょっと……といつもこんな感じで。だから、空き時間まで使って本気で練習したことなんてほとんどない。

 

 だけど、今はもう違う。

 選抜入りが現実味を帯びてきた途端、自然と練習したい衝動に駆られた。今ならなんでも頑張れる気がする。そんなの都合が良すぎるかもしれないし、今までだってその時々の全力を出してきたつもりだ。だけど、今回の出来事はわたしにそれほど大きなものだったのだ。

 お腹に力を入れ、集中して声を出していく。


「ふう、結構練習できたな……」

 一通り練習し終え、時計を見るとそろそろ昼休みが終わる時間だった。次の授業は確か英語だったっけ……荷物を片付けて教室に戻るとするか。

 バッグを抱え歩きだそうとしたその時、

「あれ、マナカじゃん! こんな所でなにやってるんだー?」

 最近聞かなくなっていた声が背後から届いた。なんかちょっとわざとらしい。

 もう聞きたくもない声。だけどどこか懐かしい声。わたしは冷静に、落ち着いて対応する。

「なんでもいいでしょ」

「歌、歌ってたよな。歌手になりたいのか?」

「分かってたならわざわざ聞かないで。それじゃわたし行くから」

 いつも通りへらへらした態度のこの男に呆れて、さっさと教室に戻ることにした。あんな酷いことを言われてまだわたしに関わろうとするとは、そのしぶとさを褒めるべきか、筋金入りのバカと言うべきか。

 

 無表情のまま彼に背を向けその場を立ち去ろうとした時、後ろからグッと右腕を掴まれた。なんなのもう……さすがにこれには少し頭にきて、ひとこと言ってやろうと思って振り向く。

「ちょっといい加減に……」

 だけど、ひとこと言ってやろうと思って、やめた。

 正確には、驚いて言葉に詰まってしまった。

 思いの外真剣で、力強いその瞳に。

「マナカ……ごめん! 俺、ほんとにマナカのこと何も知らなくて。俺と会わなくなった後に何があったのかも。だけど、この前マナカの転校先出身の友達から聞いたんだ。何も知らないのに、いい加減な態度取っちゃって……本当にごめん」


 急に真剣な態度をとる彼に気圧されて、わたしは何も言えなくなる。

「事故で記憶を失ったんだってな……それじゃあ俺のことが分からなくても無理はないよな。その後は一度も会ってないんだし。信じてもらえるか分からないけど、俺は本当にお前の幼なじみなんだ。それは嘘じゃない」

「そんなこと言われても、覚えてないものは覚えてないよ……」

「うん、そうだよな……だから、ひとつ提案がある」

「なに……?」

 少し緊張した面持ちで、けれど力強くわたしをまっすぐに見つめて、佐々木太一は言った。


「俺と、もう一度友達になってくれ!」

「え?」


 いつになく真面目に緊張して話していたから、てっきり告白でもされるのかと思ってしまった。さすがにそこまで能天気な人ではなかったらしい。

 まあそんな想像をするわたしも人付き合いに慣れてなさ過ぎではあるけど。


「もう一度友達になって、これからまた新しい思い出を作っていけばいいと思うんだ。昔遊んだ場所なんか回ってみたりしてさ、その中で昔の記憶が戻ったりなんかしたらいいなって……だめ、かな」

 普段見かける限りでは明るく友達も多いやつなのに、わたし一人と友達になるためにこんなに大げさになっちゃって。

 思わずクスッと笑いがこぼれてしまいそうになる。


「やっぱり嫌、かな」

「突然現れたくせに嫌になるくらいしつこいけど……それでも本気なのは伝わった。もう一度ってのはまだ分かんないけど、そこまで言うなら、いいよ」

「本当か!? 良かった……」

 半ば諦めたように俯いていた彼は、わたしの上からな口ぶりを気にも溜めずに、ぱっと満開の笑顔を咲かせて見せた。

 いつものようなへらへらした笑顔じゃなく、安堵の混じった柔らかい笑顔。

 へえ、こんな風にも笑うんだ。不覚にも僅かにドキッとする。

 

 いつも通り嫌みの混じった素っ気なくドライな返事をしたわたしだったけど、内心少し嬉しくもあった。高校生になって初めての友達。

 

 歌手になるという夢さえ叶えば、他には何もいらないと本気で思ってきたし今もそう思っている。だけど、友達ができるということはこんなわたしにとっても素直に嬉しいことだった。

 思わずわたしも笑みがこぼれてしまう。あくまで控えめな笑顔。だけど、それが彼に見せた、初めての笑顔だった。

「……って、あ! もう授業始まっちゃうぞ、急がないと!」

 またわざとらしく彼が慌てて走り出す。少し頬が赤らんでいるように見えたその背中を少し眺めてから、わたしも急いで教室へと戻った。


 

 その日の午後の授業は、またしても上の空のまま過ごしてしまった。別に昼休みの出来事を引きずっていたわけではなかったけれど、心の中ではやっぱり動揺してしまっていたらしい。少し恥ずかしい。

 自分の席から見える川沿いの桜並木も、昨晩の花の雨もあってほとんど散ってしまったようだった。

 でもおかげで空気は澄んでいるようで、代わりに夕日が美しく映えている。

 

 そんないつもの、だけどいつもと少し違った窓からの景色を見てぼんやりしていると、

「マナカ、今日一緒に帰らない?」

 今日の自分を乱した張本人が教室へと入ってきた。

「別にいいけど」

 一瞬ドキッとしたが、表には出さずに平静を装って答えた。まったく、この男といるとペースが狂う。気をつけないと醜態をさらしてキャラ崩壊、なんてことになりかねない。

「よかった、じゃあ行こうぜ」


 

 さっき3階の教室から見下ろしていた桜並木を、二人並んで歩く。

 少し濁った桜の花びらたちが足下を覆い尽くしている。


「なあ、マナカ」

 周りを歩く他の生徒たちは「散っちゃったねー」とか「悲しいー」とか、それぞれ見頃を終えた花に対する残念な気持ちを口にしているが、わたしはそうは思わない。

 散った後も含めて桜の見所だと、常々思う。

 一時の隆盛を誇るも、ややもすればすぐに散ってしまう桜――。

 その儚さが、自分は好きだ。限りある時の中で必死に、けれど可憐に咲き乱れる桜のように、自分もいつかは大輪を咲かせられるようにがんばろう、そう思える気がする。


「マナカ聞いてる?」

 人生の時間は有限だ、それもそんなに長くない。そんな限られた時間でも、いや、限られた時間だからこそ、自分も精一杯輝くことができる。

 こんなことを思うのはわたしだけかもしれないけど、それでも桜のそんなところが自分としては好きだった。


「マナカってば!」

「えっ!? あ、ごめん」

 いけないいけない、ついいつもの癖で自分の世界に入ってしまった。誰かと一緒に下校したことなんてなかったから、隣に佐々木くんがいるのを完全に忘れていた。表ではあまり話したりしないけど、心の中は結構おしゃべりなのだ。

 

 気を取り直して佐々木くんの方に意識を傾ける。

「それで、なに?」

「あ、うん。さっきも聞いたんだけど、歌手になりたいのか?」

「えっと、それは……」

 前にも話した通り、歌手になりたいという夢は家族以外に話したことはない。だから、なんだか恥ずかしくて言葉に詰まってしまった。


「俺こっそり聴いてたんだけど、マナカって歌すごい上手いんだな! 声もきれいだし、こりゃ将来は歌手になるのかなーなんて、つい思っちゃったよ」

「え、そんなに上手いと思った……?」

「ああ、すっごく!」

「じゃあ、将来は歌手になろうかな」

「そうだな! でももしマナカが歌手になっちゃったら、遠くに行っちゃったとか思うのかなー。有名人になっても俺のこと無視したりしないでくれよー?」

「そもそもまだそんなに仲良くないじゃん」

 彼が冗談めかしていつものように笑う。わたしも一緒に笑う。もう彼の笑顔から嫌な印象は受けなかった。それに、さっきのわたしの言葉。

 じゃあ、将来は歌手になろうかな――。

 わたしの夢への想いはその程度ではなかったけれど、それでも初めて他人に打ち明けることができた。しかも彼はわたしの歌声をきれいだと言ってくれた。

 

 セリちゃんもそう言ってくれるけど、それとはなんか違う感じ。上手く言えないけど、全身が温まるイメージに近いのかもしれない。

 

 暗くて心を閉ざした古い自分から真新しい自分へと一歩踏み出した私は、赤く澄んだ春の空を見上げながら彼の隣を歩いたのだった。



 それからはいっそう練習に身が入り、できる限りのことをやった。

 そしてついに2週間後、運命の選抜メンバー発表の日を迎えたのである。

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