十九曲目 Never ending dreamer②

「わたし、そのお誘い、辞退します」


 空調の効いた会議室に、わたしの声だけが響き渡った。

 室内の時が止まる。

 嬉々として資料に目を通していたボンバーは手を止め、ニコニコと優しい笑顔でこちらを見つめていた担当の先生は、突然の返答にポカンと口を開けたまま動かなくなった。


「――今、なんて言った?」

「芸能事務所への推薦のお話、今回は辞退させて頂きます」

「プロになりたくないのか?」

「いえ、決してそういうわけでは」

「じゃあ、どうして断る。こんなにラッキーな話はないぞ」


 ラッキーな話。確かに、ボンバーの言う通りだとは思う。だけど、それでもやっぱり。

「何というか、上手くは言えないんですけど。順調すぎる平坦な道は、歩みたくないなって……もちろん自分の力で勝ち取ったことに変わりはないんですけど、スクール上がりとかではなくて、もっと険しい道に挑戦したいというか。そう、挑戦してみたいんです」


 スポーツマンガを読むと、ユース上がり組と外部からのスカウト組の対立が描かれることがしばしばある。最近見た映画でも、中学から持ち上がりで有名私立高校に入学した者と、難関高校入試を突破して入学してきた者が対比されるシーンがあった。

 そういう場合は大抵、後者である成り上がり組をどうしてもカッコイイと感じてしまうのだ。自分の力でのし上がる――そんな姿に憧れるから。

 こんなのは自分のエゴだってことは分かってる。でも、折角なら挑戦してみたいのだ。スクール生でも選抜組でも何でもない、ひとりの女子高生『岡本マナカ』として。


「夢への近道なんて、もう要らないんです。わたしはただ、夢への道のりも楽しみたいだけなんです。その道には、近道にはなかった大事なものが、きっとあるから」

「……はぁ、そうか。そこまでしっかりとした思い入れがあるなら、無理強いはできないな。分かった、岡本の推薦に関しては、今回は見送りにする」


 きっと、これで良かった。これは自分で決めた道、絶対に後悔はしない。もしこれでプロになれなかったら、その時はセリちゃんがわたしの分まで頑張ってくれるはずだ。


「それじゃあ、谷川は受けるってことでいいか?」

「――いいえ、私もマナちゃん、岡本さんと同じ気持ちです」


 うん、セリちゃんがプロになったら早く追いつけるように――

「ええっ!? セリちゃんどうして……わたしに気を遣ってるなら全然大丈夫だからね!?」

「マナちゃん、私も全く同じ気持ちだったってだけだよ。これっぽっちも気なんか遣ってない。そんなことされたら一番傷付くの、マナちゃんだって知ってるから」


 いつも通りの弾けた笑顔の中に、いつもはない頼もしさが垣間見える。嘘なんかいていない、まっすぐな瞳だった。


「先生、私もマナちゃんと一緒に挑戦したいんです。だから、私も今回は見送りということで」

「そうか、分かった。二人とも辞退ってことでいいんだな――それじゃあ、この話はなかったことにする」


 セリちゃんまで辞退した事には驚いたけど、同じ想いを抱いていたと分かり、それは素直に嬉しい。

 推してくれた先生方に申し訳なさは在るものの、決意と覚悟に満ちあふれ、清々しい気持ちでいっぱいだった。

 話が終わり、席を立って出口へと向かう。


「あーあ、折角見込みアリだと思ったんだけどなぁ」

 背中にボンバーの声が突き刺さる。

「その見込みを超えてここまでたくましい返事が返ってくるとはな」

 だけどそれは、嫌みでも文句でもなく。

「お前たちなら必ずプロとして輝ける。だから今は、しっかり自分たちの力で足掻いて見ろ。自分たちの力を再確認しろ。聴衆オーディエンス相手に歌うことはまた違う。打ちのめされたって、ただでなんて起き上がるな。お前たちなら、きっとやれる――だから、がんばれよ」

 それは最上級の褒め言葉であり、最大級のエールだった。




「……とは言ったものの、何をすれば良いんだろうねぇ……」

 ボンバーの熱い言葉を受け取ってから、約一時間後。

 わたしたちは近くのカフェに立ち寄り、ジュースをすすっていた。

 『自分の力で挑戦したい!』なんて豪語したまでは良かったけど、具体的に何をしたらいいのか……そんなことまでは全く考えていなかった。

「セリちゃんごめんね~……」

「いや、私だって何も考えてなかったわけだし……」

 なんと愚かな……見切り発車もいいところである。


「……と、とりあえずさ! 脳を活発にするために甘いものでも食べようよ!」

「そ、それがいいね! よーしまずは糖分補給だ!」

「すみませーん! えーと、いちご練乳かき氷と、抹茶小倉かき氷をひとつずつで」

 無類のかき氷好きのわたしは、今日もかき氷を注文する。


 そして、しばらくして到着したかき氷をあっという間に完食すると、ギンギンに頭が冴えてフル回転――するはずもなく、むしろ睡魔の影が背後から忍び寄ってきていた。

「なんか、食べたら眠くなってきたね……」

「ダメだよマナちゃん、何か考えないと……」

 そう言っているセリちゃんも、明らかに目がとろんとしている。

 ここは大人しく夢の世界に誘われた方が……と、思った矢先。

「……あっ! いいこと思いついた!」

「えっ、なになに教えて!」

 セリちゃんが突然、何かを閃いたように声を上げた。

「それはね……プロ歌手への道が開けたお祝いに、新しい練習着を買いに行こうよ!」

「へ?」

 余りに想定外の答えが返ってきて、思わず変な声が出てしまった。

「気分転換になるかなーって!」

「まあ、その道を自ら閉ざしたから、今こうして頭を悩ませてるんだけどね……」

「マナちゃん、それは言わない約束だよ~……」

「――とは言っても、その提案自体は賛成かな。ちょうど新しいの欲しいって思ってたところだったの!」

「ほんと!? 良かった~」

「それじゃあ明日、レッスンも休みだし、駅前のデパート行こっか!」

 作戦会議は一旦休憩。ひとまずは新たな作戦遂行のための、物資調達へと出かけることにした。




「マナちゃんお待たせ~」

「おはようセリちゃん。じゃあ行こっか」

 昼下がりの雑多な駅前の道を歩く。周りには忙しなく歩くサラリーマンや、買い物袋を手にした主婦らしき女の人などが行き交っている。

「さすがに駅前まで来ると、たくさん人がいるね~」

「わたしたちの地元とそんなに離れてないのに、ここまで違うとはね」

 目的のデパートは、駅から歩いて三分ほどの所にあった。

 少し古ぼけた白色の、五階建ての建物。洋服を扱った店が多く建ち並ぶのは、その二階だ。

 わたしたちは一直線に二階へと向かい、適当にめぼしい店を物色した。


「あ、これなんかいいんじゃない?」

「マナちゃんには絶対これ!」

「いやわたしはこっちの方がいいかなー」

「よしっ、私はこれにしよーっと!」


 服を選ぶことおよそ三時間。ショッピングは楽しくて、つい時間を忘れてしまう。もう外はきっと暗くなり始めている頃だろう。

 わたしは軽い素材のTシャツにショートパンツと、比較的カジュアルなものを選んだ。セリちゃんは割と女の子っぽい服装が多いので、今日もひらひらしたワンピースに決めたようだ。

 今日は練習着を買いに来たのであって私服ではない……という声もあるかもしれないけど、そうじゃない。練習着は大体私服のようなものなのだ。

「練習着って部屋着でも、場合によっては外で着ても違和感ないからいいよね」

 いい買い物をして、満足しながらデパートを後にする。案の定もう陽は落ち、外の世界では煌びやかな照明が街を照らしていた。


「ああー楽しかった! また来ようね!」

「うんっ! ――だけどマナちゃん、本題は忘れてないよね?」

「あー聞こえない聞こえなーい」

「わざとらしいよ~」

 そう、忘れてなんかはいない。むしろ忘れたいくらいだ。

 ――これから、何をどうして、自力で夢をたぐり寄せるのか。

 見切り発車は、どれだけ時間が経っても見切り発車のままだ。現状はなにひとつ進展していない。どうしたものかと、ひとつ溜め息をこぼした時、二人の耳に軽快な音楽が飛び込んできた。

「あれ、なんか聞こえない?」

「うん、それにあそこで少し人だかりが出来てるよ」

「何だろう、ちょっと行ってみよう」


 そうして駅前の道にできた人だかりに近づくと、一人のギターを持った男の人が弾き語りをしている姿が見えた。

「なんだろう、あれ?」

「路上ライブ、ってやつだよ、多分」

 前に何度か見たことがある。詳しいことはよく知らないけど、とにかく人が集まる路上で歌のパフォーマンスをすることだ。

 にしても、この音色、この歌声……思わず立ち止まって聴きたくなってしまう。

 さらに、不特定多数の人に聴いてもらえて、かつ人の多い駅前で歌える――その時わたしはびびっと、運命に出会ったような光を直感した。


「――これだ」

「え?」

「セリちゃん! 一緒に路上ライブをしようっ!」

「えええ~っ!?」

 くしてわたしたちは、路上ライブを決行することに決まったのである。

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