六曲目 My Best Friend②
「えっ……?」
彼女から思いも寄らない告白をされ、全く理解が追いつかない。
人を、殺した……?
彼女が遠くを見つめるように、窓の外に目を向ける。
「昔――私が小学生だった頃、友達がいたの。たった一人だけね」
「たった、一人……?」
明るくみんなに好かれる人気者。そんな彼女に、友達がたった一人しかいないなんてありえない。わたしは思わず困惑の表情を浮かべる。
「私ね、元は今みたいな性格じゃなかったの。今のマナちゃんみたいに大人しくて、人前に出て目立つことが苦手だったんだ」
さらに本当か嘘かも分からない言葉に、どんどん困惑の色は増していく。
「その友達が、歌が得意で歌手を目指してたんだ。その子は明るくてみんなの人気者だった。私は友達はいないし学校が好きじゃなかったけど、その子の歌を聴くだけで元気が出たの。それに私が一人でいると、いつも話しかけてくれて、一緒に歌おうって誘ってくれた。私は恥ずかしくて聴いてるだけだったけどね。だから私の中で彼女は正義のヒーローみたいだったの、女の子だけどね」
彼女は昔を丁寧に思い出すように、五月晴れの空を見上げながら語る。
「だけどね、突然その日は訪れた。ある日の帰り道に彼女が寄り道してこうって誘ってね、どこに行くのかも分からないでついて行ったの。そしたら、ここが私が通ってる歌のレッスンスクールだよって、楽しいから一緒にやってみないかって言われて。興味がないわけじゃなかったんだけど、歌なんて歌える自信がなかったから断ったんだ」
過去を回想する彼女の声音が徐々に暗くなっていく。わたしもその声に耳を澄ました。
「その子は必死に説得しようとしたんだけど、私もやっぱり自信がなくって。そしたらちょうどスクールの先生が出てきてね。その子が事情を説明したら、その先生まで私を誘い出しちゃってさ。ついに耐えられなくなって、走って逃げ出しちゃった」
そこまで言い終えて、セリちゃんは目を伏せて黙り込んでしまった。この先は言いたくない、思い出したくないのだろうか。でも、聞かなくてはいけない。
じっとりと汗ばんだ手を握りしめて、彼女を見つめ直した。
「それで、どうなったの……?」
「……私が走って渡ろうとした道路に、ちょうど車が走ってきたの。それで咄嗟に私をかばおうとした友達が、撥ねられた――ね? 私が殺したようなもんでしょ」
彼女は吐き捨てるように、そう言った。きっかけや多少の責任こそあれど、決して彼女のせいでも、ましてや殺したわけでもない。そう言いたいけれど、彼女を納得させられるような上手い言葉が見つからず、わたしも押し黙ってしまう。
いろいろと考えを巡らせていると、何かが引っかかった。あれ、そういえば。
「じゃあ何がセリちゃんの性格を変えたり、歌手を目指すようにさせたの?」
この話の原点にして、一番の肝。それをまだはっきりとは聞けていなかった。
彼女は振り返り、わたしの方に向き直る。
「病院に運ばれる時、意識が朦朧とする彼女の手を必死で握ってた。お願いだから目を覚ましてって祈りながら。そしたら、本当に一瞬だけ意識が戻った。みんなが声を掛ける中で、彼女は消え入りそうな声で、私に、言ったの」
「あなたの歌声が、聴きたかった――」
「そう言った後、またすぐに意識がなくなっちゃって、それきり目を覚ますことはなかった」
伏し目がちに語る彼女は、より鮮明に、消したい過去を遡る。
「そりゃあ何度も自分を呪ったよ。だって私の後ろ向きで、軽はずみな行動のせいで、たった一人の友達を死なせてしまったんだもん。命を絶とうとまで思ったことさえあった。だけどね、あの時を思い出すたび、彼女の言葉が何度も何度も頭の中で反芻するの。まるで呪いのようにね。ううん、もしかしたら本当に呪いだったのかも。そしたらだんだん、このままじゃいけないって気持ちが湧いてきちゃって」
彼女は嫌な過去を思い出して俯きながら話していたが、ふと顔を上げ、今度はしっかりとした瞳でわたしを見据えた。
「その時に決意したの。彼女のように明るい私になって、彼女の代わりに歌手になろうって。彼女への償いのために、私の歌声を彼女まで届けようって。だから私は、歌手にならなくちゃいけないって思ってるの」
揺るぎない真っ黒な瞳が、わたしを見つめる。セリちゃんに、そんな過去があったなんて。どれだけ辛かったのだろう。そんなこと思いも寄らなかった。いつも元気でいる彼女には、そんな秘密があったんだ。
「……でももう、だめだね。選抜、落ちちゃったし」
彼女は自虐的にそう吐き捨てると、いつもとは違う、暗く底の見えない笑みを浮かべた。
だけど、わたしは違った。許せない。こんな生い立ちと決意がありながら、そんな言葉を投げやりにでも口に出来てしまう彼女が、許せない。自分のことのように、悔しい。なのに、その気持ちも痛いほど分かってしまう。そんなはっきりしないモヤモヤが、有無を言わせず心中に溜まっていく。
普段は感情を表に出せないわたしだったが、今回はもう我慢の限界だった。
「辛かったよね、気が付いてあげられなくて、ごめん。セリちゃんの気持ち、すごいよく分かるよ。だけど、だけどさぁ、それはないんじゃ、ないかなぁ。歌手になれないなんて決まったわけじゃないのに、そんな簡単に諦めるなんて、違うんじゃ、ないかなぁ」
珍しく興奮して、息が上がっている。柄にもなく長々と話してしまった。
だけど、今だけは思いの丈を伝えなければいけない、そんな気がした。
互いに真剣な眼差しをぶつけ合う二人。時が止まったように感じ、睨み合うこと約10秒。
突然、セリちゃんがクルッと身を翻して歩き出した。
虚を衝かれたわたしも慌てて追いかける。
「ちょっと待ってよ!」
すぐに追いついて、彼女も立ち止まった。と思ったのも一瞬。肩に置かれたわたしの掌を振り払うように振り返ると、精一杯に釣り上げた鋭い目でキッとわたしを睨み付けた。
「マナちゃんに……マナちゃんなんかに何が分かるのっ……! 分かるわけないじゃん!」
そう言い放った後、再び彼女の頬を一筋の雫が伝う。それを慌てて両の手で拭うと、静かに戦慄く背中をわたしに向け、一歩前に踏み出し言った。
「ごめん、今日はもう、帰るね。それじゃ」
「セリちゃん……」
俯きながらもスタスタと歩いて行く彼女を呼び止めようとするも、身体が一歩も前に動かない。突如全身の脱力感に襲われ、そのままへなへなとその場に座り込んでしまった。
セリちゃんと、あのセリちゃんと、喧嘩をしてしまった。まさか、こんなことになるなんて。
五月の日射しは、変わらずわたしを温かく包み込む。そんなものでさえ冷徹で、恐ろしいもののように思えた。この世の終焉にでも直面したかのように。
もう自分が合格したことなど、頭の片隅にすら残っていなかった。
浮かれ気分から現実へと引き戻されると、だれもいないと思っていた廊下には他のスクール生がちらほら歩いていることに気が付く。するとどこからか話し声が聞こえてきた。
「とりあえずマユは圧倒的で、当然のように合格だったらしいよー。それと、セリナちゃんが不合格だったらしいっていうのは意外だよね」
「そうだねー。あとなんか岡本さん? ってあんまり知られてない子が受かったってちょっと噂になってたよ」
「へえー、聞いたことない名前だね」
そんなやりとりを聞いて、ようやく自分が合格したということを思い出した。
そうだ、わたしは合格したんだ。下ばっかり向いてる場合じゃない。みんなの代表として頑張らなくちゃ――。
そう自分に言い聞かせてはみたものの、やっぱりどこか力が入らない。
わたしはポケットで振動するスマートフォンにも目をくれず、ふらふらとした足取りでスクールをあとにしたのだった。
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