三曲目 書きかけの未来

 結局今日一日はモヤモヤした気分のまま過ごした。なんとなくあいつのことが気になってしまったおかげで全然授業に集中できなかった。

 だけどそれももう終わり、だって今は放課後になったから。なんで放課後になったから気分が晴れたのかって? それはわたしが部活に入るつもりがないことと関係がある。

 つまり帰宅部というやつなのだが、放課後は何もせずただ遊びほうけてるわけではない。じゃあ何をやっているのかというと、ずばり『ヴォーカルスクール』に通っているのだ。

 

 将来の夢は「歌手」になること。それもアイドルとかの可愛く踊る類いのものではなくて、本格的な歌を売りにした「歌手」だ。

 普段はうまく話せないわたしだけど、歌になればそれなりに声が出せるのだ。

 この夢はもちろん家族以外には話していない。そもそも夢を話す友達がいないし、いても恥ずかしくて言えないと思う。

 でも一流の歌手になって、たくさんの人の心を揺さぶるような歌を歌えるようになりたいという想いは本当だし、この先も変わることなんてきっとない。わたしがここまで強い思いを抱くようになったのは、小学生の頃のことだった。


 

 ――ああ、もうダメかもしれない。いっそ、死んだ方が楽になるんじゃないかな……。

 

 

 あの事故の後のわたしは、毎日が憂鬱で仕方なかった。

 事故で記憶喪失になり何も覚えていない。

 お父さんとお母さんは毎日心配そうにわたしを見ながらせっせと世話をする。

 手術の痕は時々痛む。

 夜寝るときは寝返りもうてない。

 病院食は味気なく美味しいとは言えない。

 一日中ベッドの上で寝ているだけ。

 楽しいことなんて何一つとしてなかった。24時間が本当に長く感じる。


 たまに友達だと名乗る子供たちが面会に来たけれど、記憶がないわたしにとっては何も嬉しいことではなかった。

 大丈夫? とかみんな聞くけれど、大丈夫じゃないからこんな所にいるんじゃん、と言いたくなるくらいイライラすることもあった。


 ――そして事故から1ヶ月。わたしはほとんどしゃべることがなくなり、生きる気力も意味もすっかり失っていた。昔のことを思い出す様子もないし、もう生きてる意味もないんじゃないかな。これから新しい思い出と友達を作っていけばいいとか、そんなことも考えられないほど憔悴しきっていた。

 

 とにかく生きていること自体が苦痛だった。だから、もういっそ終わりにした方が楽になるかもしれない、いやそうに違いない。

 

 そんなことを漠然と考えながら、わたしは力ない手でおもむろに目の前にある薬の入った袋を手に取った。どういう薬か分からないけど、これを一気に飲めば楽になれる。多分40錠くらいはあったと思う、死ぬまではいかないにしても十分すぎる害だ。

 

 あの時のわたしは本気で飲むつもりだった。しかしその時、ふと私の耳にラジオの声が届いた。

「えーそれではここで一曲お聞きください、LGMエルジーエムで、えがきかけの未来」

 ラジオはお母さんがつけていってくれたものだ。なんとなく手を止めて、これから流れる曲に耳を傾けてみる。明るいイントロから始まったこの曲。どうやら10代の女の子たちで組まれたヴォーカルグループらしい。

 

 本当にただなんとなく聞いてみただけだった、それなのに、歌が始まった途端、雷に撃たれた時のような衝撃がわたしの中を駆け巡った。


『ナミダ涸れるまで泣いたら 明日は顔上げるの 不器用な私だけど 誰にも代われない私だから 見ていて』


『心配かけない人より何度だって立ち上がる人が そうきっと最後には勝つよ いばらの道だろうけど 誰にも行けない自分だけの道だから』

 

 ラジオから流れる彼女たちの歌声はわたしの全身に沁みわたり、空っぽだった心をものすごい勢いで満たしていく。

 直球勝負のダイレクトな歌詞。

 伸びのある透き通った声。

 気持ちの乗った熱いサビ。

 そのすべてが心を揺さぶり、わたしの胸を息苦しいほどに熱くした。

 なんだこれは。

 

 気がつくとわたしは大粒の涙をボロボロと流して泣いていた。もう前もろくに見えないくらいに。さっきまでは死ぬことしか頭になかったわたしはどこかに消え去り、ひたすらその歌声を噛みしめる。歌の持つパワーを思い知ったのはその時だった。


 ――わたしもこんな風に歌いたい。こんな歌声を響かせて、一人でも多くの人の胸を熱くしたい。

 その瞬間、わたしの将来の夢は決まった。

 歌手になる。


 それからのわたしは見違えるように元気になった。相変わらずの無口だから周りの人たちには分からなかったかもしれないけど、わたしの中では明らかに別人だった。

 

 親に頼んでLGMのCDを買ってもらったり、家族には内緒でヴォーカルスクールについていろいろ調べたりもした。歌のことを考えている間は本当に楽しくて仕方なくて、24時間なんてあっという間に過ぎ去ってしまう。


 あの日から死のうなんてことを考えることは一度もなくなっていた。

 彼女たちはまさに”命の恩人”だ。

 

 あの時あの歌が流れてこなかったら――。

 流れたとしてもわたしが聴いていなかったら――。

 

 本当に今頃死んでいたかもしれない。でもわたしは生きている。その喜びを感じながら日々を過ごせているのは彼女たちのおかげだ。

 

 わたしの憧れ。胸の中に光る一番星。

 いつかわたしも彼女たちのように、誰かの心の支えになりたい。

 それは、小学生の小さな女の子の、大きな決意なのであった。


 高校生になったわたしは、あの時と変わらず夢に向かって歌い続けている。さあ今日も気合い入れてレッスンレッスン! そう自分に発破をかけてレッスンが行われるスタジオへと足を踏み入れた。

「お疲れ様です!」

 自分にとっての精一杯の声で先生と他の生徒、それからスタジオに挨拶をする。

「おつかれマナちゃーん!」

 すると、一人の女の子がわたしの元に、長い黒髪を揺らしながら元気よく駆け寄ってきた。

「あ、セリちゃん久しぶり」

「ほんと久しぶりだね~。マナちゃんいなかったから寂しかったよ~」

 スタジオに着いて早々声をかけてきたのは、同じスクールに通う女の子、谷川たにかわセリナちゃん。彼女は数少ないわたしの友達だ。

 

 スクールには同じレッスンを受けている子だけで30人はいる。その中でまともに会話できるのはセリちゃんだけだ。本当にびっくりするほど友達がいない。

「ごめんね、ちょっと風邪ひいちゃって。でももう良くなったから大丈夫だよ」

「歌手にとって喉は大事なんだから、体調管理には気をつけなきゃだね~」

 新学期が近づいてたから、ここのところ緊張して体調を崩してしまっていた。しばらく練習できていなかったから、がんばって遅れを取り戻さないと。


「はーいみんなー、レッスン始めるよー」

 先生が声をかけ、いよいよ今日のレッスンが始まった。

 まずはストレッチと声出しから。全身をほぐしながら気持ちよくおなかから声を出していく。喉じゃなくて、おなかから声を出すことがきれいに歌うコツ。分かってはいても、これがなかなか難しい。丁寧に丁寧に、意識を研ぎ澄まして声を出す。

 

 そしてレッスンは進み、みんなの前で一人一人歌うことになった。

「はいはーい、私がトップバッターいきまーす」

 元気よく前に出たのはやはりセリちゃんだった。あの子は活発で明るく、友達も多い。わたしと対照的でみんなの人気者なのだ。だからこうして、何をやるにも一番に先頭を行くことが多い。そんなセリちゃんが私は羨ましく、友達だけど憧れでもあった。

「はーいオッケー。じゃあ次ー」

 活発少女が元気に歌いあげる。やっぱり上手いなあ。歌声は元気なんだけど、その中に繊細さもあって感心する。本当に彼女からは学ぶことが多い。人間的にも歌手としても、彼女はわたしのお手本だ。

 

 そして次々と生徒たちが上手な歌声を披露していった。

「はーいオッケー。あと残ってるのは……岡本さんだけね」

 はいっ、と自分なりの元気の良い返事をして前へ出る。大きな鏡の前まで行くと、回れ右をしてみんなの顔を見渡した。

 うわあみんなこっちを見てる、恥ずかしい。歌うことは好きだし歌手にはなりたいけど、人見知りのわたしは大勢の前に立つのはやっぱり苦手だった。

 

 大きく深呼吸をして、バラード調の曲を歌い始める。バラードは歌の上手さがより際立つジャンルだ。声はおなかから、いつもより丁寧に。

 でも、病み上がりなせいか、大勢に見られているせいか、思うように声が出ない。

 どうしよう、少し焦り始めた時に、ふとセリちゃんの姿が目に入った。がんばれって感じで胸の前に両手で握りこぶしを作っている。その時勇気が湧いてくるのを感じた。

 

 いける、そう思えてからは自分らしい透き通った声で歌えたと思う。セリちゃんのおかげだ。

「マナちゃんよかったよ~、いっつも歌声きれいだよね! どうしてそんな風に歌えるの?」

「えっと、しっかりおなかから声を出すことを意識することと、あとは……そんな感じかな」

 セリちゃんのことを見ると勇気が湧いてくるんだよ、なんて恥ずかしくて言えなかった。

「そっかー、私もまなちゃんに負けないようにがんばるぞ~!」


 その日のレッスンが終わった。ああ、自分ではなかなか上手く歌えたと思うけど、先生たちはどう思ったのかなあ。普段ならこんなに人の評価なんて気にしないけど、今日はどうしても気になってしまう。

 

 その理由が掲示板に貼り出されている。

「ミニライブ、三ヶ月後か……」

 わたしたちが通うヴォーカルスクール主催のミニライブ「レッツグルーブ!」。

 それは一般客に加え、芸能プロダクションのスカウトマンが見に来るという、いわばオーディションという意味合いもある。そのライブに出演できる生徒は、全スクール生約200名のうち、選抜された20名のみ。たった20の出場枠。その出場枠争いはすでに始まっているのだ。皆それぞれに思い思いのアピールを先生にしている。

 

 歌手になるには、そこで芸能プロダクションに顔を売っておくことが必要になる。年に一回しかないこの数少ないチャンスはどうしても逃せない。顔を売るには毎年出演したいところだ。

 

 はあ、そればかりが気になって心臓に悪い。ちなみに選抜メンバー発表は2週間後。週4日レッスンがあるから、チャンスは多くてもあと8回。この中で先生たちに自分を見せつけないといけない。今のところできているのかなあ。


 帰り際にジュースでも買っていこうと休憩所の自動販売機へ向かうと、先生たちの声が聞こえ、とっさに身を隠した。

「そろそろ選抜メンバー、ある程度絞っていかないといけないですね」

「そうだなあ、町田先生はだれがいいとかある?」

「そうですねー、みんななかなかですから迷うんですが、私は岡本さんなんかいいと思うんですよね」

「岡本? あまり聞いたことないな」

「はい、目立たない子ですし、まだまだ荒削りなんですけど、歌声がきれいで素質があるというか。これからが楽しみな生徒のひとりですね」

「へえ、そんな子がいたのか。またその子の歌声、聴きに行かせてもらうとするよ」

 へえ、岡本さんって子がいるんだ。推薦されててすごいなあ……って、え、うそ、わたしが推薦されてる! あまりの驚きと喜びで、途端に心臓が飛び跳ねる。

 あ、でもちょっと待て、冷静になれわたし。こんなことってあるのだろうか。地味で目立たないこんなわたしが、選抜メンバーなんかに推薦されるなんて。

 

 きっとこれは夢だ。想いが強すぎて夢を見てるんだ。なーんだ、じゃあほっぺたつねっても痛く……、

「痛っ!」

「ん? 誰かいるのか?」

 危ない危ない、とっさに自動販売機の陰に隠れることができた。バレてはないみたいだ。ほっと一息、ため息をつく。

 にしても、本当に痛かったってことは……。とりあえずは夢じゃないらしい。本当にわたしが推薦されてるってことだ。

 わたしはその場で飛び跳ねたい気持ちを抑えて、代わりに小さくガッツポーズしながらその場を離れた。

 

 わたしにも選抜メンバーになれる可能性がある。わたしの担当の町田先生が話していたのは、先生たちの中でも結構偉い先生だ。その先生が今度私の歌声を聴きに来る。その時が間違いなく勝負だ。その時に上手く歌えれば、「レッツグルーブ!」の舞台が見えてくる。そうすれば、歌手になることも夢じゃない……。

 歌手デビューへの道のりが少し見えた気がして、手のひらにじんわりと汗をかいているのを感じた。

 

 明日から、もっと練習頑張らなきゃ。なんとしても選抜メンバーに選ばれなきゃ。身にいっそう気合いが入るのを感じながら、春の日射しに輝くおなじみの川沿いの桜並木を、珍しく走りながら帰った。

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