十八曲目 Never ending dreamer①

「あっセリちゃん、やっほー!」

「やっほーマナちゃん! ――やっほー……? あれ、マナちゃん、だよね?」

「うん、そうだけど……あ、セリちゃんにはまだ話してなかったんだったね」

「なんのこと?」

「わたしね、記憶が元に戻ったんだ!」

「ええっ、すごい! いやあ良かったねぇ! これはお祝いしなくちゃ!」


 セリちゃんはいつも通り元気だなあ。ここで『ちょっと軽くない?』とか『そんなに思ってないんじゃ?』なんて思う人もいるかもしれないけど、そうではない。

 セリちゃんはこうだからセリちゃんなのだ。重大な出来事だと受け止めた上で、敢えていつも通りの調子で応える。

 第一みんながみんな泣いて喜んでも、逆に湿っぽくなり過ぎて嫌だろう。こういう存在は、本当にありがたい。やっぱりこの子は心の友だ。


「それはそうと、ライブの後どこに行っちゃってたの? 探したんだからー」

「えっと、それはー……」

 急に話題を変えて――いや、厳密には変わってないんだけど、細めで口を尖らせながら問い詰めてくる。

 まさか男の子と愛を告白し合っていたなんて言えないし……。

「分かった! あの、太一くん? って子と一緒にいたんでしょ!」

「ええっ!? ま、まあ確かに一緒にいたのは事実だけど」

「それでイチャイチャなんかしちゃったりしてぇ……」

「し、してないよっ!」

「んー本当にー?」

「ほ、本当だよ。それよりさ、ブレスレットありがと! あれで何とか乗り切れたよ! 結果はともかく……」

「あ、それなら良かったよ! 大丈夫だって! 私も同じなんだし、一緒に楽しみながらがんばろっ!」

「セリちゃん……うん、そうだよね! がんばろーね!」


 前よりも明るさに磨きがかかったセリちゃんに、またも励まされてしまった。

 正直記憶が戻ったからといって、あのミニライブでの評価は変わらない。そのことに関しては、わたしも少なからず落ち込んではいた。

 だけど、今の彼女の言葉を聞いて思い出した。音楽は楽しまなくちゃ、意味がない。自分が彼女に言った言葉で、逆に励まされてしまうとは。


 楽しむことを思い出したセリちゃんと、それを伝えられるようになったわたし。この二人なら、もう怖いものなしだ。


「はーい、みんな集まってるわねー」

 歓談も一段落ついたところで、先生が教室に入ってきた。

「えー今日からは、選抜クラスに行っていたメンバーも戻ってきてのレッスンとなります。みんなは選抜メンバーのモノを、何かひとつでも盗めるように。選抜メンバーも逆に、今まで気が付かなかったこのクラスの足りないモノとか、積極的に観察するように。きっとそれぞれの力になるわ」

 先生の言葉に、みんなが返事をする。

 わたしは早速、ここで周りを見渡した。選抜クラスとこのクラスの違い――まず、雰囲気が圧倒的に違う。今までは気が付かなかったけど、何というか、このクラスは『ぬるい』。別に本気じゃないとか、みんな自分よりも下手だとか、そういうことではない。ただ、選抜クラスはもっと、貪欲だった気がする。姿勢が前のめり、というか。

 とにかく言葉で説明したところで変わらないと思う。だから自分は、上のクラスでやって来たように、自分の姿勢でみんなに見せつけようということにした。


 特に張り切るわけでもなく、これまで通りの意識で練習に向かう。すると、周りは何やらざわざわしているみたいだった。


「岡本さんって、あんなんだっけ」

「もっと暗い感じで、控えめな雰囲気だったよね」

「選抜クラス行くと、ここまで変わっちゃうんだ」

「よし、私も岡本さんを見習ってがんばろう」


 至る所からささやき声が聞こえる。注目を浴びているのも、何となく感じる。だけど、自分にはもう、自信があるから平気だった。

 技量に関しての自信じゃなくて、『自分だけの歌』を歌っているという自信。誰のものでもない、自分だけの声で、歌うことを楽しめているという自信。それがわたしに揺るぎない力を与えていた。



「マナちゃん、何か凄く上手になってるね!」

「そう? セリちゃんこそ前よりもずっといいよ!」

 レッスンが終わって、汗を拭きながらセリちゃんと話す。

 今の言葉はお世辞でもなんでもなくて、確実にセリちゃんは上達していた。憑きものが落ちたように伸びのある声で、聴いている耳が心地良い。少し聴かない間にメキメキと成長している、これはわたしもうかうかしていられないな。


「とてもミニライブでめっためたに酷評された人とは思えないな~」

「ちょ、ちょっとセリちゃん! 傷えぐらないでよー」

「あはは、ごめんマナちゃん! 冗談だから!」

「もう、セリちゃんこそ選抜に漏れた人とは思えないよ」

「わっ、言ったな~! 私を落としたことを、先生たちに後悔させてやるっ!」

 こんな冗談を言えるくらいには、わたしたちの心の距離は近づいていた。以前だったら、間違ってもこんなブラックジョークは飛ばし合えなかっただろう。

 この子と一緒だったら、どこまでも行ける気がした。



 そして学校は夏休みに入り、クラスのレッスンの雰囲気にも熱が帯びてきたある日。

「今日も暑いね~」

 いつも通り練習に励んでいると、先生がわたしたちの方へと向かってきた。

「岡本さん、谷川さん、ちょっと話があるから一緒に来てくれるかしら」

「何の話ですか?」

「まあ、来れば分かるわ。本間先生も一緒だから」

 突然呼び出され、よく分からないまま会議室へと向かう。

 扉には『第3会議室』の文字。あの時と――選抜メンバー発表の面談をした時と、同じ部屋。当時の記憶が蘇る。

 あの時は確か、嬉しさのあまりに周りも見えなくなってたんだっけ。その後、セリちゃんともケンカまでしたんだったな。

 そんなに時間は経っていないはずだけど、遙か昔の出来事のようにも思える。この四ヶ月の間に色々なことがあったから、それも無理もないなと思った。


「失礼します」

 軽くノックをしてから、わたしとセリちゃん、それから先生の三人で部屋の中へと入る。冷房がしっかりと効いていて、背筋がひんやりとした。

「おっ、来たか」

 部屋の中には、イスに座って麦茶を飲んでいるボンバーの姿があった。そのまま進み、わたしとセリちゃんはボンバーの正面に、先生は隣に腰を掛ける。

「それじゃ早速、話を始めていくとするかー」

 ボンバーがいつもの調子で話を切り出す。だけど、その顔はいつもよりも自信満々というか、どこか嬉しそうだった。


「いいか、聞いて驚くなよ。いや、ここは素直に驚いてくれた方が面白いか」

「早く本題に入ってください」

「まあまあ、そうせかせかするなって。ちゃんと話すから」

 わたしは話の内容が気になって仕方がない。何となく大事おおごとなんだろうということだけしか分からない。


「端的に言うと、岡本、谷川。お前たち二人を、俺たちの方からプロの芸能事務所に推薦することにした」

「え――?」

 いきなり、何の話だ――プロ? 芸能事務所? 何それ美味しいの?

「実は最近、お前たち二人の成長が目覚ましいと、講師陣の間で話題になってたんだ」


 隣に座るセリちゃんも同じく、固まったまま微動だにしない。


「二人ともメキメキと成長してるから、もうプロでも通用するんじゃないかなんて声もあったりな。だけど、岡本はミニライブで最低評価、谷川は選抜に入ってすらいない。それをいきなりプロに推薦するのは早いんじゃないか、たまたま調子が良いだけではないかって声も根強くてな。それでしばらく様子を見ることになったんだ」


 思考が停止したまま、いまいち動かない。そのせいで内容が思うように頭に入ってこない。


「その結果――これはホンモノだろう、と。昨日全体会議で決まった。だから、お前たちに今こうして話しているわけだな。まあまさか異論なんかないと思うけど、一応確認はとらないといけないからな。もちろん受けるだろ?」


 余裕綽々よゆうしゃくしゃく、断られることなど頭の片隅にもないといった様子で、ボンバーは手元の資料に目を通している。事務所へ送る、推薦状か何かだろうか。

 憧れのプロ歌手、それを目の前にして断る理由などない――はず、だった。

 ひとつの疑問が、ふと頭の中をぎるまでは。


「――それって、コネ、みたいなものですか」

「まあ、平たく言えばそういうことになるのかもな。だけど、心配するな。先にスカウトされてる梨田と同じ事務所だし、この業界では珍しいことでもない。むしろ芸能事務所と関係のあるスクールにいれば、入り方としてはなくらいだろうな」

「普通、ですか」


 普通――その響きが、どこか心に引っかかる。自分としては、あまりいい響きではない。

 普通、周りと同じ、敷かれたレール――頭の中には、次々と連想されるワードが並べられていく。


 わたしは居ても立ってもいられず、立ち上がって二人の先生に向かって言った。


「わたし、そのお誘い、辞退します」


 賑やかだった夏の空気が、一瞬にしてしんと静まり返った気がした。

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