十曲目 私らしく生きてみたい

「ホントあなたは成長しないわね」

「うぅ……」

 記憶探しの旅から一週間ほどが経ったある日。いつも通り放課後はボーカルスクールへやって来ていた。ミニライブに向けて今日も今日とてレッスンだ。だけど、やはり今日のグループワークも平穏には進まなかった。相変わらず同じ人からの無慈悲なダメ出しに晒されている。その犯人はもちろんこの人。

 鋭い目に長くて茶色がかった髪、手首にはヒョウ柄のワンポイントアクセント、『天才少女』梨田マユだ。

「この前も言ったけど、高音がお粗末。もっと頭の上から響かせるイメージで声を出さないとダメよ」

「あのっ……」

「それとサビが弱い。もっと『繊細かつ大胆に』を意識しないとヒョウの毛ほどもオーディエンスには響かないわ」

「ちょっと……」

「それでなにより歌声が薄っぺらい。こんなんでライブに出られると思っているの?」

「そんなに言わなくても……」

 ものすごい勢いでまくし立てる女王様。上から見下ろす鋭い目と態度はまさに女王様だ。お姫様じゃなくて女王様。お嬢様でもいいかもしれない。わたしが声を挟む間もなく次々とダメ出しを並べていく。

 なんとか言い返してやりたいが、彼女のオーラに圧倒されて声が思うように出ない。というより非の付け所が全く見当たらないのだ。

 

 圧倒的実力で一年生ながら絶対的エース、おまけに容姿端麗――まさに才色兼備であるお嬢様には、高々滑り込み程度の実力である凡人が敵うはずがないことは明白だった。


 力のなさに落胆していると、ふと罵倒の雨が止んだ。どうしたのだろうと様子を見ていると、ふうと一息吐いて少し躊躇っている様だったが、再び話し始めた。

「最後に岡本さん――あなたの、最大の欠点を教えてあげるわ」

「サビの迫力が足りないってことじゃないの?」

「それももちろん重大だけれど、に比べたらそんなの大したことじゃないわ。だって、それは練習次第でどうとでもなるもの」

「じゃあ、本当の欠点って……?」

 これ以上、わたしにどんな欠点があるというのだろうか。次のひとことが怖くてごくりと唾を飲み込む。

「あなたの致命的な弱点、それは――歌い手である『あなた』の表情が見えないことよ」

「――どういうこと?」

 表情が見えない? どういうことなのか全く分からない。顔なら当たり前のように見えているじゃないか。


「前から何かが足りないと思ってたんだけど、今日ようやく分かったわ。私が言いたいのは顔じゃなくて、、つまり感情ということね。今のあなたの歌声を人によってはと思うことはあっても、とかとかと思う人はまずいないわ」

「えっと、つまりどういうこと?」

 さっきよりは何となく分かってきたが、彼女の言わんとしていることはまだいまいちピンとこない。彼女自身も上手い説明が思いつかないようで、頭を掻き、今度は腕を組み始めた。


「じゃあ考えてみなさいよ。世の中に絵の上手い絵描きさんはたくさんいるでしょう? だけど世界的に著名な画家なんてほんの一握り。しかもそういう画家さんの絵って案外『すごい上手いわけじゃないけど、でもなんかジーンとくる』みたいなことも多いじゃない。それは音楽の世界も同じなのよ。上手いだけの歌い手なんていくらでもいるわ。まあその良い例が『カラオケで百点近く取る素人』とかかしらね。でもプロになって、さらにヒット飛ばしてトップクラスで活躍するのなんてほんの一握り。何が違うと思う? 人っていうのはね、歌声が心に響いて、そこから何かのメッセージを受け取って初めて感動するものなの。つまりそれがってこと。ただ上手いだけじゃ精々感心して終わりね。早い話、小手先の歌声、小さく纏まりすぎてるってところかしら。とにかく、だからそういう意味であなたはまだ一般人の域を抜け出し切れていないのよ」


 語りきったという風に、両腕を高く上げて伸びをする彼女。わたしは彼女の意見がようやく理解できたが、それはただ自分を不安にさせただけであった。


「じゃあ、どうしたらいいの?」

「それくらい自分で考えなさいよ」

「それはそうだけど……ちょっとしたアドバイスだけでもいいから」

「仕方ないわね、じゃあ一つだけ。さっき言ったように『サビのインパクト』とか技術的な問題だったら練習すればいい話だけど、こればかりはそうはいかないかもね。また違ったアプローチになるんだと思うけど、私に言えるのはそこまで。後は自分で考えなさい」

 そう言い残してさっさと休憩所へと行ってしまった。すっきりしない課題だ。


 歌声にわたしの表情が見えない――。


 何度考えてみても解決策は思い当たらなかった。このままではぐるぐると思考の迷路に迷い込んでしまいそうだ。誰か他の人に相談した方がいいかもしれない。誰か相談できそうな人はいないだろうか。セリちゃんには今はそんなこと訊けないし――そう思い周りを見渡してみると、一人だけ話ができそうな人が見つかった。


「あの、先生。ちょっと訊きたいことがあるんですけど」

「おお、岡本か! そんな堅苦しい呼び方じゃなくて気軽にボンバーでいいって!」

「え、えっと、ボンバー、先生」

「先生なんていらないいらない、呼び捨てでボンバーでオッケーだ。で、何が訊きたいんだ?」

 相変わらず脳筋体育系のように笑って振る舞うボンバーに気圧されながらも、唯一相談出来るこの人に先ほどの悩みを切り出した。


「ほう、なるほどな。梨田がそんなこと言ってたのか。なかなか難しいこと言うんだな、あいつも」

 「俺にもよく分からない」といった風に腕組みをして悩むボンバー。やっぱり自分で考えるしかないのだろうか。

 先生にも迷惑だし、諦めかけてそろそろ帰ろうかとした時、ボンバーが笑いながら肩をたたいてきた。

「まあ悩むのは大事だが、落ち込んだりする必要はないぞ。自信ないまま練習したって上達はしないからな! 元気いっぱい、ハートフルに歌うことが上達のコツだぞ!」

「はあ……ありがとうございます」

 これは絶対良い答えが見つからなかったな。笑顔と勢いで誤魔化そうとしているに違いない。そう思い今度こそ帰ろうと踵を返そうとすると、「最後に」と何やら付け足し始めた。

「他のメンバーの歌い方、特に梨田の歌い方なんかよく観察するのも一つの手だぞ。手の動き、抑揚、息の使い方から目の動きまで徹底的に細かく、な。あ、これは真面目な話だぞ」

 なんだ、ちゃんとアドバイスできるのか。さすがはインストラクター長をやってるだけはある。この課題なら分かりやすい。


 ボンバーにお礼を言って教室を出た。細部まで観察する、か。ここの所他人を評価するグループワークを毎回やっていたけど、言われてみれば技術や歌声といった大ざっぱな部分しか観察できていなかったかもしれない。

 それにその前に言った言葉――あれはあれで大事なアドバイスだ。確かに最近、自信は失いかけていた。元気は元からなかったけど、暗くなってはいけない。自分なりにでも明るくしていなければ。いつかわたしらしい、わたしにしか歌えない歌であの子に一杯食わせてやろう。

  自分のことを振り返ると、どうしてもやっぱり悪い所ばかり目に付いてしまう。だけど、人と違う個性は強みにしていかないとアーティストとしては失格だと個人的には思う。確かLGMの歌詞にもそんな内容のフレーズがあったはずだ。

 

 次回からはもっと色々と意識してやってみよう。それにしても、細部とは目の動きまで見るのか、と感心していると、見知った顔が廊下を向こうから歩いてくるのが見えた。


「あ、セリちゃん、久しぶり……」

 ぎこちない笑顔で何とか声を掛けたが、肝心のセリちゃんは一度チラリと視線を送っただけで立ち止まろうとしない。慌てて追いかけると、十メートルほど歩いた所でようやく足を止めた。

「……なに?」

「えっと、ちゃんとレッスン来てるみたいで良かったよ。このまま辞めちゃうんじゃないかとか心配したから……」

 セリちゃんにいつもの笑顔はない。だけど、姿が見られただけでもよかった。やっぱり笑顔のセリちゃんが見たかったけど、もう二度と会えなくなるなんて最悪の状況よりは断然マシだ。


 だけど、いざ再会してみると何を話したらいいのか分からない。あれほど仲良く話せていたのに、今では言葉が思うように出ずに気まずい空気が流れる。何か話さなければ――そう思うほど無意識に心は焦り、頭の中は冷静さを失っていく。

「最近、歌の調子はどう?」

 しまった、一番触れてはいけない話題だ。これだけは絶対に避けようと考えすぎたあまり、つい口を衝いて出てしまった。言ってしまったものをいきなり撤回するのも不自然だと思い、恐る恐る彼女の様子を窺う。


 暗く澄んだ瞳は、静かに窓の外に向けられていた。

「――歌なんか、歌ってないよ」

「え?」

「それに、これからも歌うつもりなんて全くない」

 今、何て言ったのだろうか。

 ――もう歌うつもりが、ない? 何かの聞き間違いだろうか。いや、そう信じるしかない。

「じゃあ、今日はなんでスクールに来たの?」

 信じたいけれど、嫌な予感が止まらない。最も恐れた彼女の答えは、残酷にもあっさりと現実となり、彼女の口から告げられた。

「もう辞めようかと思って、先生に相談をしに来たんだよ」

「そんな、どうして……」

「この前も言ったでしょ。本当は歌手になりたいだなんて思ってなかったのかもしれないって。単なる贖罪とか、罪滅ぼしのつもりだけだったんだよ、きっと。それに気が付いたら、なんかもう全部どうでも良くなっちゃって」

 嘘だ、そんなの嘘に決まってる。あんなに歌うことが好きだった女の子が、こんなに簡単に夢を諦めるなんて。いや、確かにあっという間だったけど、今に至る過程が簡単だったなんて決して思わない。でも、それでも――

「そんなこと、言わないでよ……わたし悲しいよ」

「仕方ないじゃん。もう、無理なんだよ。それよりマナちゃんはどうなの? 選抜メンバーだけのクラスで練習してるんでしょ」

「うん、でもみんな上手で大変だよ」

「ふうん、そうなんだ。その割にはいきいきしてるね。なんだかんだ調子良さそうで羨ましいよ」


 嫌みのような、棘のある言葉を吐く。その視線はいつの間にかわたしに向いていた。真っ黒な眼。だけどそこには可愛さも、無邪気さも、愛らしさも微塵もない。ただそこには、暗くて静かで底の見えない深い海のような瞳があるだけだった。確かに視線はこちらに向いているけど、何も捉えられていない、そんな感じの哀しい瞳だった。

「そりゃあそうだよね。天下の選抜メンバー様だもん、きっと手の届かないレベルになってるんだよね」

 やめて、お願いだから、もう――その虚無の瞳で、抜け殻の言葉で、全身を突き刺される度に胸が痛んだ。耐えられなくなって、今すぐにでもこの場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。


 でも、それだけはできない。そんなことをしたらきっと、取り返しの付かないことになる。そうしたらわたしは一生後悔する。

 セリちゃんは私にとって、たった一人の友達で、仲間で、ライバルで、永遠のお手本なんだから。グッと拳に力を込め、自分の中で葛藤する。

「まあ精々頑張ってよ。それじゃあ私、そろそろ行くから」

 そう言い残すと、さっさと歩いて行ってしまった。今すぐ追いかけて、続けるように説得しなければ――そう思うけれど、今のわたしには彼女を納得させられるだけの言葉が見当たらない。彼女を説き伏せる自信が、どうしても出ない。


 顔を上げると、教室の前で立ち止まり、中の様子を窺っている彼女の姿が見えた。

 何か、何か伝えなければ。今言える精一杯の言葉を、何とか腹の底から絞り出した。

「絶対……絶対諦めないから……! 必ずまた一緒に歌ってみせるから……!」

 その言葉を聞くと、彼女は足早に走り去ってしまった。一人残され、再び辺りは静寂に包まれる。


 セリちゃんのいないスクールなど、考えられない。共に歌手になると誓い合ったのだ、こんな所で、こんな形で夢を諦めさせてたまるか。

 二人揃ってステージに立つ未来を思い描き、心の中でそう固く誓った。



 翌朝。相変わらず穏やかな陽が注ぐ通学路を歩く。

「お、マナカおはよう」

「ああ佐々木くん、おはよう」

 後ろからやって来たのは、今日も元気な佐々木くんだ。わたしに話しかける人といったら学校では一人しかいない。

「なんかお疲れみたいだな」

「うん、昨日色々考えてたらあんまり眠れなくって」

「今は大変な時期だもんなあ」

「それもあるんだけど、他にもちょっとあって」

「ああ、この前話してくれたことか」

 今まで退屈だった学校が、今では唯一の心安らぐ場となっている。理由は簡単、学校にも気軽に話せる友達が出来たから。これでもし学校まで独りぼっちだったら、今ごろ全てを投げ出して部屋に引き籠もっていたかもしれない。そう考えると、彼の存在は想像以上に有り難く大切なものだった。


「大変だろうけどあんまり抱え込むなよ。いつでも話聞くから」

「ありがとう、助かるよ」

「それじゃあさ、気分転換に今週末また出かけないか?」

「いいけど……また故郷巡り?」

「いや、今度は違うところだ」

「じゃあ、どこ?」

 わたしが尋ねると、佐々木くんはしたり顔でこちらを見つめている。そして何やらカバンを漁ったかと思うと、その中から紙切れのようなものを取り出した。


「これ、なんだと思う?」

「えっと、なんだろう……」

 今は確実にニヤニヤしている彼の手には二枚の紙切れ。これが何だというのだろうか――わたしはそれの正体に気が付いた瞬間、驚きと興奮で息を飲んだ。

「なっ、驚いただろ?」

 得意気にをひらひらとさせて、彼は楽しそうに笑った。

「それって、LGMのライブチケット……!」

「ああ、手に入ったからマナカ誘おうと思ってな。好きなんだろ?」

「そりゃあもう、大ファンだよ」

「よかった、じゃあ決まりだな」

 未だに信じられない。憧れのLGMのライブに行けるなんて。ずっと行きたいとは思っていたが、何せ一人で行く勇気は到底ない。という理由もあったが、本当はライブ会場に行くこと自体に引け目を感じていただけだ。そのせいで自分からは一歩を踏み出せずにいた。だけどようやくその日が訪れようとしている。


 気が付くと、佐々木くんはもうだいぶ先を歩いていた。今週末が楽しみで仕方なく、走ってその背中を追いかける。わたしの周りを吹き抜ける青い風は、優しく背中を押してくれているようだった。

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