十五曲目 だから、ひとりじゃない②

「岡本、いいから早く来てくれ……!」

 そう言われた先に待っていたのは、わたしの心配や不安などつゆ知らず、廊下で騒ぐ一人の女の子であった。


「ちょっと、だから私は岡本マナカちゃんの友達なんです! 怪しい者じゃありません! て言うか私もこのスクールの生徒ですし! ホントにちょっとだけだから、通してください!」

「……セリちゃん、何やってるの?」

 わたしの焦った気持ちを返してくれ。そこにいたのは、関係者以外立ち入り禁止の入り口で、警備員と揉みくちゃになっているセリちゃんだった。

「あっマナちゃん! 良かった~! だから私は友達だって言ったでしょ? マナちゃん、このおじさんが通してくれなかったんだよ~」

「それは仕方ないよ、だってここ、関係者以外立ち入り禁止だもん」

「え~マナちゃんまでぇ~」

 もう、何やってるんだか。いつも通りの天然ぶりに、思わずクスッと笑ってしまった。

「それで、なんでこんなことしてるの?」

 わたしは時間がないことを思い出し、手短に本題に入ろうとした。

「あっそうそう、マナちゃんに渡したいものがあって!」

「渡したいもの?」

「うん! 本当はもっと早く渡したかったんだけど、渡しそびれちゃって~」

 こんなライブ間際に渡さなければいけないものって、なんだ? 特に忘れ物もしていないはずだし……まさかマイクを忘れてたとか? いや、いくらわたしでもさすがにそれはない。それにマイクは直前にスタッフの先生から受け取ることになっているはずだ。じゃあ、結局何なんだろう、ますます分からない。


「マナちゃん、こっちに取りに来て!」

 両手を挙げて飛び跳ねる彼女に促されて、わたしは小走りで駆け寄った。

「はい、マナちゃんこれ! 今日は頑張ってね!」

「これは……?」

「マナちゃん、前に紫色が好きだって言ってたでしょ? だからマナちゃんの好きな、紫色のブレスレットだよ!」

 明るめの紫色をした、シリコン製のブレスレット。まさかこんなプレゼントを用意してくれていたなんて……思わず目頭が熱くなった。

「ありがとう、セリちゃん……」

「それとね、内側見てみて!」

「内側?」

 今度は何だろうと思いながら裏返してみると、何やら小さな文字が書かれている。『マナちゃんファイト! 絶対大丈夫、私がついてるから!』そこには、そう記されていた。

「そうだよ、マナちゃんなら絶対大丈夫! 自分を信じて、しっかり楽しむんだよ!」

「ありがとう……頑張るね」

「ああダメだよ泣いちゃ、これからステージなんだから。精一杯響かせてね!」

「……うん! もう大丈夫。それじゃあ行ってくるね」

 固い握手を交わしてから、元の場所へと歩き出した。


「岡本、急げ! そろそろ出番だぞ!」

「はい! すぐ行きます!」

 いよいよ出番が近くなってきたようで、ボンバーがわたしを急かす。

 小走りで向かおうとすると、またしても後ろから呼ぶ声がした。

「マナカ、ちょっと待ってくれー!」

「えっ?」

 驚いて振り返るとそこには、セリちゃんの後ろから手を振る佐々木くんの姿があった。

「マナカー、渡したいものがあるんだ!」

「佐々木くんまで?」

 驚きながらも受け取りに行きたい所だったが、前ではボンバーがわたしのことを催促している。受け取りに戻っていたら恐らく遅れてしまう。ここはもう諦めるしかないのか……そう感じて謝ろうとすると、佐々木くんは何かを察したような顔をして、叫んだ。

「だったら、投げるから受け取ってくれ!」

 そう叫びながら大きく振った手の中から、何かが空中を舞うのが見えた。その何かはきれいな弧を描き、わたしの手の中に吸い込まれた。


 と、それを確認した瞬間、押し寄せたのは猛烈な既視感。よく見ると、セリちゃんがくれたブレスレットと全く同じものだった。

「今日は頑張れよ、マナカ!」

 こんな偶然があるだろうか。ふふっと笑みをこぼしながら、拳を高く挙げて急いで走った。

 背中の方からは、何やら驚いた様子でセリちゃんと佐々木くんが話している声が聞こえる。もうステージ前の緊張は、何処かへ消え去っていた。


「どこに行っていたの。もうあなたの番よ」

「うん、ちょっとね。あと二分くらいか」

 急いで支度をする。そして暗い中、佐々木くんからもらったものに目を落とすと、一言『がんばれ』とだけ記されていた。それだけで十分だ。


 二つのブレスレットを、固く胸に当てる。それを左手首に着けた後、自分の名前が呼ばれた。

「よし、岡本行くぞ」

 小さく返事をし、歩き出す――すると視界は途端に輝きを放ち、眩しいライトと盛大な拍手に包まれた。

「エントリーナンバー19、伸びしろは無限大! 美しく伸びのある歌声は、唯一無二の輝く原石、岡本マナカさんです」

 アナウンスが会場に響く。わたしの耳にも届いてはいたものの、内容は全く入ってこない。

 やたらだだっ広いステージに孤独を感じ、刺さる視線に囲まれ、ライトの熱気に包まれた。リハーサルとは何もかもが違う。客席に向かってお辞儀をした時には、掌にじっとりと汗をかいていた。


 これはまずい――意識が遠のく。さっき押された背中も、築き上げてきた自信も、全てが崩れ去る気がして、立っているのが精一杯。手足の感覚を失い、視界がホワイトアウトしそうになったその時――手首のブレスレットが揺れ、わたしの感覚を引き戻した。


『マナちゃんファイト! 絶対大丈夫、私がついてるから!』『がんばれ』


 笑顔と共に、ふたりのエールが頭の中に響き渡った。そうだ、わたしはもう、ひとりじゃない。

 鮮明に捉えた客席には、満員ではないもののたくさんのお客さんが座っていた。わたしも今、LGMと同じ舞台に立っているんだ。そうだよ、楽しまなきゃ。


 グッとマイクを握り直し、全身に力を込めた。


「――一緒に笑った日を、覚えてますか――」

 しっとりとAメロを歌い出す。館内に響き渡った歌声は、上々の滑り出しに思えた。

 LGMはこんな景色を見ていたのか。刺さるスカウトの目はまだ痛いほどだけど、はっきりと客席を見られるくらいには落ち着いている。


「――空を見上げたこのどこかで、私を見守っているの、答えて――」

 わたしはとにかく周りを観察してきた。特にマユちゃん。言われた通り、声の出し方から目の動きまでじっくりと観察した。そこで手に入れたモノを、ステージ上で存分に発揮する。

 Bメロも練習通りに繋ぎ、サビ目前でわたしのボルテージもマックスに達した。


「――いま逢いたい あなたに 気付けば面影 いつでも探して――」

 熱いメッセージを乗せて、心を込めて響かせる。客席で心配そうに見守るセリちゃんと目が合った。大丈夫だよ、わたしにはあなたがいるから。


 最高の形で一番を歌いきり、一息く。

 間奏が流れている間、袖で待機するマユちゃんと目が合った。相変わらずの鋭い瞳でこちらを見据えている。そんなにプレッシャーを与えても無駄だ。『今だけは、絶対にあなたにも負けないから』、そんな力強いメッセージを込めて、彼女を見つめ返してやった。


「……ふぅ」

 やりきった。全てを出し尽くした。強ばった身体から力を抜き、マイクを下ろす。途端に充足感に満たされ、感慨にふけった。お辞儀をする。

 反対側の袖に向かって退場している間は、余りの興奮に五感は遠のき、控えめな拍手が耳に届くだけであった。喜びが込み上げる。熱い目には、これから歩むであろう未来がはっきりと映し出されていた。




「ライブ、終わったね」

「ええ、そうね」

 ライブも終わり、衣装から私服へと着替える。未だ興奮は覚めやらず、着替えをする手は震えている。目には眩い光景が焼き付いたままであった。

 なんとか着替えを済ませ、荷物をまとめる。本来はここで解散になるのだが、ここのミニライブは少し違う。

 目利きをしたスカウトマンたちが、それぞれに対する寸評をその場で提出するのだ。解散はそれを聞いてから。噂によれば、ここでいきなりプロにスカウトされる場合もあるらしい。つまり、わたしが今日プロになる確率もゼロではないということだ。


 ワクワクしながら発表の時間を待っていると、マユちゃんが隣にやって来た。

「ねえ、どうしてそんなに待ち遠しいみたいな顔してるの?」

「だって、発表楽しみじゃん」

「それはそうだけれど……まあいいわ。じゃあ今日のパフォーマンスは何?」

「何って……どこか変だった?」

「いつものあなたじゃなかったわ」

 ああ、そういうことか。今日の出来が良かったんで、面食らったんだろう。それも無理はない。確かに今日のわたしはいつもとは違った。

「うん、だって……」

「全員集合、今から寸評を発表する」

 ついに来たか。マユちゃんとの会話を中断し、ボンバーの周りに集まる。


「まずは秋元。お前は――」

 一人目から順に寸評は続いていった。良かった点、悪かった点……プロの目利きたちが指摘することは、どれも的確で的を射ていた。


「……次は、岡本か」

 いよいよわたしの番。どんな評価を下されるのだろう、嬉々として待ち構える。

「あ……いいか岡本、言われた通りに伝えるから、覚悟して聞け。どんな結果も真摯に受け止めるんだぞ」

「はい、もちろんです」

 何だかボンバーの雰囲気が変わった。何というか、いつも通りの軽いノリだったのが、急に深刻になったような。これはもしかして、もしかするかもしれない。


「……岡本マナカ、正直なぜあのステージに立てたのか分からない。声質は悪くないが、肝心な響いてくるものがなく、薄っぺらいというのが印象。これは歌手として最も不可欠である上に、技術面で補えない分野であるため、歌手向きではない。よって、歌手としての未来を見出すことは、現状ではできない」



 ――え? 聞き間違い……じゃあないよね? つまり、わたしに歌手の未来はないって、こと?

 わたしの今日の出来で、どうしてそんな――訳が分からない。え、なんで……。


 目の前が真っ暗になる。と思ったら、星がちらつき始めた。もう、立ってはいられなかった。

「岡本っ! 大丈夫か、椅子に座って休んでろ!」

 どうやらその場に倒れ込んでしまったようだ。先生が慌てて駆け寄ってきた。そのまま隅の椅子へと運ばれ、わたしは焦点の合わない瞳で、ぼーっと空中を眺めた。


 どうして、わたしが――?



 その後、マユちゃんがプロにスカウトされたらしい話だけは聞こえた。

 すごいなあ、抜け殻のわたしには、その程度の感情しか抱けなかった。


 やがて、メンバーたちは解散になった。その中から、マユちゃんだけがわたしの方に近づいて来るのが見えた。

「どうしちゃったのよ、しっかりしなさい」

「だって、だって……」

「分かった、ひとまず落ち着きましょう。はい、しっかり息を吸って」

 言われるがまま、息を吸い込む。しばらく繰り返し、ようやく会話できる程度には落ち着いた。


「……それで、どうしてそんなに取り乱したのよ。あんな出来だったら、大体予想が付いたじゃない」

「え? だって、今日のわたしは絶好調で、会心の出来で――」

「何を言っているの? あなた、今までで一番と言っていいほど酷かったわ」

 何を、言っているのだろう――全く分からない。

「見た感じ、自分の世界に入り込み過ぎて客観的に見えていないようだったわね。そのせいで勘違いしたのかしら」

 勝手に、舞い上がってた、だけ?

「谷川さんとの練習をチラッと見たときにはもっと可能性を感じたのだけれど……それも私の勘違いだったかしら」


 わたしの今日の歌声は、誰にも響いていなかったのか。そう感じた瞬間、真っ黒の絶望と共に、さっきの言葉が脳内で繰り返された。


 ――歌手としての未来を見出すことは、現状ではできない。


 わたしの全力の結晶が、あっという間に砕け散った。


「嘘だ……うそだああああああ!」

「ちょっと岡本さん待ちなさい! どこに行くのっ!」

 泡沫うたかたの夢が跡形もなく消え去った途端、わたしの中でも何かが弾けた。


 もう、ダメ……頬を無数の涙が伝うのも構わず、闇雲に、滅茶苦茶に、只管ひたすらに、当てもなく走り続けた。


 突きつけられた現実から逃げ出すように、ただただ遠くに走り続けた。

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