十一曲目 JOY①
澄み渡る青空、辺りを包み込む陽射し、吹き抜ける風。息をいっぱいに吸い込み、一つ大きく伸びをした。
今日はいつにも増していい天気、絶好のライブ日和だ。今夜は何を隠そう初のLGMのライブ参戦がある、今から疼く身体を抑えきれない。ここは定番通りLGMの曲をひたすら聴いてモチベーションを上げていこう。
次々と流れる楽曲たち……どんな雰囲気の曲を歌っても聴き入ってしまうから、彼女たちはやっぱり凄い。
LGMのメンバーは全部で三人。まずはメンバーカラー黄色担当の小森アサヒ。かなり天然なキャラではあるが、その歌声はキャラとは裏腹に艶っぽく、全てのファンを魅了する魅惑のシンガーだ。昭和歌謡曲をこよなく愛していて、そういった曲も多くカバーしている。ステージ上で妖艶な歌声を披露したかと思えば、MCやラジオでは満面の笑みで無邪気にはしゃぎ、愛嬌を振りまく――そのギャップにハートを打ち抜かれたファンもさぞかし多いことだろう。無論、わたしもその一人だ。
二人目はメンバーカラーピンク担当の小田カレン。基本はしっかり者のお姉さんタイプ、と思いきや実は意外と抜けている所もあり、おっとりとしていながらうっかり屋の最年長メンバー。絶対的なリズム感と力強い歌声でチームを引っ張る頼れる存在だ。さらに、あまり披露することはないがダンスが抜群に上手いのも大きな魅力だろう。そんなこれまた普段とステージ上とのギャップに魅了されたファンは後を絶たない。無論、わたしもその一人だ。
最後はメンバーカラー赤担当の荒木マジュ。彼女の最大の武器はなんといっても、透き通るようでありながら力強さも兼ね備えたハイトーンボイスだ。華やかな歌声はメインパート向きで、実際にリードを張ることが多い。しかし、彼女もまた一旦ステージを降りると大人しい性格で、時折見せる優しい笑顔は世の多くのファンを釘付けにしているに違いない。無論、わたしもその一人だ。
LGMグループの最大の強みは「全員がメインパート、コーラス、ハモを全て
そして今も、この歌声にしばし聴き惚れる。
「おっと、もうこんな時間か」
夢中で聴き漁っていると、いつの間にか時間が過ぎていた。わたしの休日は大方こんな感じだが、今日はもう出かけなければならない。素早く支度を済ませてわたしは家を出た。
バスに乗る。今日の会場は二人の家のちょうど間ほどの場所にあるので、会場で落ち合うことになっている。ちなみにその会場とは、一ヶ月後に控えたミニライブ『レッツグルーブ!』の会場となっている市民会館でもある。わたしはバスに乗っている間も、イヤホンをして彼女たちの歌を聴き続けた。
今聴いている、というか見ているのは半年前に行われた武道館ライブのDVD。プレイパスサービスでスマートフォンでも見ることができて便利だ。
この映像はもう何回見たんだろう、本当に数え切れない回数再生しているはずである。セットリスト、煽り、MCからライブならではのアドリブまでほとんど完璧に覚えてしまった。しかし不思議なことに、この映像を何度見てもその時々で違った気持ちになり、毎度同じように感動している。落ち込んだ気持ちをなだめられ涙する時もあれば、心の底から湧き上がるパトスを抑えきれなくなる時だってある。
こうしてわたしは、この百五十分に毎日支えられてきた。それがこれから目の前で、直に体感できるというのだから楽しみでないはずがない。
そっと車窓の外に目を遣ると、会場の最寄りのバス停が迫っていた。
「いよいよかぁ――」
待ち焦がれた瞬間が間近に迫り、つい感慨深い気持ちに包まれた。今の気分は、さながら舞踏会を前にしたシンデレラだ。すると前から王子様がやって来て――
「おーいマナカ、お待たせー」
「……佐々木くんか」
「なんだよー、俺で悪かったな」
それは王子様でもなんでもなく、いつも通り佐々木くんだった。慣れない雰囲気を前に少々心が躍りすぎたようだ。一度小さく深呼吸をしてから、気を取り直して歩き出す。
そして、あっという間に開演の時間は訪れた。
「グッズ、ちゃんと買えてよかったな」
「うん、まあタオルだけだけどね」
「にしてもやたらカラフルで可愛いタオルだな。俺には使えなさそうだ」
「そう言いながらちゃんと買ってるじゃん」
佐々木くんは少し照れながらもしっかりとタオルを握りしめている。まあ確かに男の子が普段使うには少し抵抗があるのは事実だろうけど。最初は遠慮していたが、曲に合わせてタオルを振り回す、所謂『タオル曲』があることを告げると渋々オリジナルタオルを購入した。その方がライブを楽しめることは間違いない。
「そろそろ始まるのかな」
「多分ね。今日はしっかり観察して、盗んだ技を自分に活かさないと」
「勉強熱心なのはいいけど、ちゃんと楽しむことも忘れるなよー」
ライブ直前にして、興奮が抑えきれず掌にじっとり汗をかいている。
まだ始まらないのだろうか――
もう待ちきれない。そう感じて周りを見渡そうとした瞬間――突然視界は奪われ、真っ暗闇がわたしを襲った。
「えっ、なにこれ?」
一瞬でホールは静まり返り、やや落ち着きのない静寂に包まれる。
と、次の瞬間――
「
「――ようこそ みんな あなたに 会えること 楽しみにしてたよ――」
掛け声と共に、暗闇の中オープニングが始まった。メロディに乗せた挨拶が響き渡り、観客がざわつき始める。LGMの生歌に、わたしも全身がビリビリと痺れるのを感じた。
「――さあ一緒に盛り上がろう 準備はいいかい!」
一気にステージは明るく照らし出され、三人のメンバーが姿を現す。それと共に、眩い照明と派手な登場に会場のボルテージは最高潮に達した。
「アサヒー!!」
「カレーン!!」
「マジュー!!」
観客たちは一斉にメンバーの名前を叫んでいる。しかしわたしは、余りの迫力と感動の波に呑まれ、全く声も出せずにただただ立ち尽くしていた。
わたしの中の時が凍り付いたように止まり、視界には眩いほどに輝くステージと、その中でキラキラと躍動する三人の姿だけが映し出される。
あれは、憧れの人が立つ、憧れの場所――
「あそこに、立ちたい――」
自然と零れ出た言葉は、わたしの今感じた全てだった。
もちろん他にも抱いた感情はあっただろう。
だけどそれらを全て覆い尽くしたのは、初ライブ参戦の喜びでも、歌声に対する感心でもない、揺るがぬ夢への渇望だった。
もっと上手くなってプロになれば、あの舞台に立ってたくさんの人にわたしの歌声を届けることができる。そうすればわたしも彼女たちのように、誰かの心の支えに――
「マナカ、おい、大丈夫か?」
「えっ、ああ、ごめん」
「ずっと無表情で立ち尽くしてたから大丈夫かと思って」
佐々木くんの一言で我に返ると、始めの二曲ほどが終わっていたようだった。今はメンバーの自己紹介と、オープニングのMCが行われている。
「うん、大丈夫。ちょっと圧倒されちゃって」
「確かに最初の演出、凄かったもんなあ」
少し気分は落ち着いてきたようだが、激しい鼓動は留まるところを知らない。未だ頭はぼーっとしたまま次の曲が始まった。
「次はこの曲。『キミと見たヒカリ』」
バラード調で始まったこの曲は、切ない青春の恋模様を歌いながらもたくさんの人の心を励ます内容になっている。特にサビの歌詞と雰囲気には、わたしも幾度となく救われてきた。大好きな曲が終わり、ライブは次の曲へ。
次に流れたのは『描きかけの未来』。これは言わずとも知れたあの曲。わたしがこの仕事に憧れて、歌手を志すきっかけとなった大切な歌だ。五年も前のものだけどセットリストに入っていて良かった。これを生で聴けただけでも今日は来た甲斐があったというものだ。
それからあっという間に、テンポ良くライブは進んでいった。ドラマの主題歌で話題のポップな曲では心を躍らせながら手を叩き、『タオル曲』では音楽に合わせて全力でタオルを振り回し、先月発表したばかりのバラードでは溢れる涙を止めることが出来なかった。
初めての生歌は、まさに「圧巻」。どの曲も本当に形容し難いほど素晴らしくて、全ての音がわたしの琴線に触れた。
だけど、なんだろう――頭の中に一つの疑問がこびりついているのを、わたしは終始感じていた。
わたしと彼女たちとでは、何が違うのだろうか。
いくら考えてみても、明快な答えが見つからない。
もちろん技術に差があるのは間違いない。だけどそれだけでは確実に埋まらない実力差が確かにある。それが一体何なのか、わたしにはまだ分からなかった。
「みんなー、今日はありがとー!」
手を振りながら舞台袖へと消えていくLGMメンバーたち。ライブはここで一旦の終わりを告げた。しかし、すぐさま会場には観客の声がこだまする。
「アンコール!! アンコール!!」
約三分間のアンコールを経て、衣装を着替えたメンバーたちがステージに姿を現した。
「アンコールありがとー! まだまだ歌っちゃうよー!」
元気よくアサヒがファンの声援に応える。
わたしもせっかくのライブなんだから、最後まで楽しまなくちゃ。気持ちを切り替えて彼女たちの最後の言葉に耳を傾けた。
「今日は私たちのライブに来てくれて、本当にありがとうございました。みんながいてくれるから、私たちもこうして歌い続けることができます」
最年長メンバー、しっかり者のカレンがファンに対する感謝の気持ちを表す。しっとりとした空気が会場を包み、この場の全員が彼女の言葉に聞き入った。
「私たちは歌が大好き。どんな時も歌が側にあったから、歌が支えてくれたから、私たちは今を生きていくことができる。だから――今度は私たちの歌で、誰かを支えられるといいなって思います」
やっぱり彼女たちの志も、わたしと通じるものがあったんだと、少し嬉しくなる。
歌が大好き――改めて大切なことだと感じた。だからこそ、心の中で何か引っかかるものもあった。
「だから、このライブも笑顔で終わりたい。みんなの心を照らしたい。私たちの『歌が好き』って想いが、全力で伝わったら嬉しいです。今日は本当にありがとう! 最後は未発表の新曲、『弾けてSUNSHINE!!』!」
太陽の光が眩しくて思わず目を細めたくなるような、そんな最高に明るいメロディーが響き渡る。
その瞬間、わたしの中で何かがぴたりとはまる音がした。そういうこと、だったのか。
わたしと彼女たちの違い、それは――『歌うことが好き』という想いを常に噛みしめて、それを発信して、聴き手と共有できていることだったんだ。
感じる、彼女たちの『歌が好き』という想いが、痛いほどに届く。
心の中が晴れていくような、そんな気持ち。心揺さぶる真の秘訣は、技術でも才能でも、ましてや偶然なんかでもない、ただ単に『楽しい』という気持ちだったんだ。思い返せば、アップテンポでもバラードでも、彼女たちからはいつも心の底から楽しんでいるのが感じられた。もちろん曲の雰囲気は完璧に創り出しているけど、それ以前に歌うことを楽しんでいたんだ。
気が付くと、もう完全に涙が止まらなくなっていた。こんなに明るくて楽しい曲なのに。感動の涙なのか、嬉しくて泣いてるのか、そんなの全く分からなくなっている。ボロボロと泣きながら満面の笑みを浮かべているなんて、相当変だ。周りからは奇妙に映っているに違いない。
だけど、それでいい。それがいい。自分の中で、明らかに何かが変わった。普通じゃつまらない。丸く収まっては伝わらない。そう思えたから。
今は前しか見られない。ただステージを見つめて、この時を永遠に心に刻みつけたい。最高の瞬間に出会えたことに、深く感謝した。彼女たちはやっぱり、いつまでも色褪せないわたしにとっての一番星だ。
それと同時に、もう一つのことを感じた。これこそ『セリちゃんの説得』に相応しいだろう。
『歌が好き』『歌が楽しい』ということを、彼女は忘れてしまっていたのかもしれない。いや、そうに違いない。
彼女の心に刺さる言葉は、これしかない。
ライブが終わった後、わたしは彼女と、セリちゃんと今度こそ正面向いて心を交わそうと、そう決意した。
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