猫、時々姫君

篠原 皐月

第1話 予想外の出会い

 満月が輝く夜。王都の外れにある鬱蒼とした森に馬で乗り入れたジェリドは、少し離れた位置に浮かんでいる淡い金色の小さな物体を確認し、物騒な笑みを浮かべた。目印にしていたそれに従って静かに馬を進め、前方に新たな存在を認識したことで、音を立てずに馬から下りる。


「動くなよ?」

 訓練された軍馬であるそれは、囁かれた後は大人しく佇む。彼はそれを確認してから鞘から剣を引き抜き、慎重に足を進めた。


「……見つけたぞ。予想以上に、手間を掛けさせやがって」

「ひいっ!!」

 木立の根元にへたり込んでいた男の背後から歩み寄り、横からいきなりその鼻先に剣を突き付けた彼は、冷え切った表情で相手を見下ろした。


「娼館から気分良く帰ろうとしたのに金目当てに絡んで、よくも余韻を台なしにしてくれたな。他の奴らには、もう制裁は下してきた。後はお前だけだ」

「なっ!? まさか四人全員を!?」

 さすがに動揺して声を上げた男を、ジェリドが鼻で笑う。


「路上で叩きのめした時に、全員に印を付けておいたからな。個別に逃げれば追えないだろうとは、考えが浅はかすぎるぞ。魔術師相手には」

「魔術師!? だがあんたのその服装だと、貴族の若様だろうが!?」

「貴族で騎士兼魔術師のどこが悪い。無駄話はここまでだ。ギャステ・バル・ロン」

「げっ! ……ぐはぁっ!」

 早くも相手をするのが飽きたジェリドは問答無用で呪文を唱え、相手を魔術で弾き飛ばした。それを受けた男は少し離れた大木で背中を強打し、その根元で動かなくなる。


「さっさと騎士団の詰め所に運ぶか。取るに足らんゴミ虫でも、放置はできんからな。我ながら勤勉なことだ」

 自画自賛しながら男を魔術で拘束して空中に浮かせ、馬を待たせている所まで戻ろうとしたジェリドは、ふと足を止めた。


「うん? 何やら魔力の波動がするが、こんな森の中で?」

 些細な異常に気が付いたジェリドは男を拘束したままその場に放置し、更に奥へと足を進めた。するとすぐに、見えない障壁の存在を確認する。


「これは、防御結界のたぐいだな。ちょっと解除してみるか」

 ジェリドは完全に面白がって、両手をかざして魔力の流れを探った。壊すのではなく、自分が通る隙間を作るイメージで魔術を調整してみると成功したが、通り抜けた瞬間に奥に同様の存在を感知する。


「これはまた、随分と大仰だな」

 少々呆れながらも、これだけ周到に防御結界を展開させているのならその向こうに何かあると確信したジェリドは、迷わず先を急いだ。




「どうしてこんな森の中で、真夜中に女が外に出ている?」

 彼が進むと、もう一つの防御結界を解除した向こうに、木々がなく開けた場所が現れた。そこにこぢんまりとした小屋が建っていたのはまだ良いとして、深夜に近い時間帯にもかかわらず銀髪と黒髪の少女達が小屋の前にテーブルと椅子を出し、何やら作業をしていた。それを認めたジェリドは訝しげな表情になったが、恐らくこれまでの防御結界は彼女達の手による物だろうと見当を付け、下手に声をかけて警戒されないよう、注意深く彼女達の観察を始める。


「エリー、これでどう?」

「ええと……、大丈夫。間違っていないわ。言い回しの内容も問題ないわね」

「良かった。手紙を書く機会なんてないと思うけど、お義父とうさんに『読み書きはきちんとできるようにしておけ』と、散々言われていたし」

「色々困った人ではあったけど、それは間違っていないわね」

「エリーったら酷い」

「あら、本当の事じゃない」

 何やら楽しげに笑い合っている彼女達が筆記の練習をしているのは分かったが、それをわざわざ深夜に、しかも外でする理由が分からなかったジェリドは、一人で首を捻った。すると何故か彼女達が、急に慌て出す。


「あ、大変! 雲が出てきたわ!」

「嘘! 満月の時くらい、一晩中晴れていなさいよ!」

 エリーと呼ばれた銀髪の少女が空を見上げて悪態を吐く中、黒髪の少女が苦笑しながら筆記具を片付け始めた。


「仕方がないわ、最初から雨よりは良いし。急いで片付けるから」

「あ、シェリル! 無理に急がなくて良いわよ?」

 そこで風に流されてきた雲が月にかかり、忽ち周囲が薄暗くなった。するとジェリドの目の前で、信じられない出来事が起こる。


「え!?」

 慌ただしく動いていた「シェリル」と呼ばれた黒髪の少女が、急に動きを止めた瞬間、全身が淡い光に包まれてその姿が消え、地面には彼女が着ていた衣服だけが残された。しかし姿が消えたと思ったのは彼のみで、「エリー」と呼ばれていた彼女は平然とシェリルが着ていた衣服に歩み寄り、それをかき分ける。


「みゃあ~! みゃうぅ~」

 そして彼女が服の中から黒猫を引っ張り上げたのを見て、ジェリドは無意識にそこから導き出された内容を口にした。


「人が……、黒猫になった、のか?」

 まだ半信半疑の彼だったが、そんな彼の動揺など知る筈もない彼女は猫を地面に下ろし、その首に首輪を付けながら苦笑いした。


「残念だけど雲が厚いし、今夜はもう寝ましょう」

「今度の満月は晴れると良いわね。後片付けができなくてごめんなさい」

「良いのよ。先に家に入っていて」

「うん」

 何故か首輪を付けてから、黒猫が平気で人語を喋り始めた事も衝撃だったが、この国の国王の甥に当たる立場から王家の秘匿事情にも精通していた彼は、とある可能性を頭に思い浮かべた。


「あれはまさか……。取り敢えずこの防御結界を解除して、彼女達に確認してみないと」

 動揺しながらも、慌てて目の前の防御結界の解除に乗り出したジェリドだったが、これまでとは段違いに複雑で高度な魔術に思わず声を荒げた。


「なんだ、この手強さは! 並みのレベルじゃ」

「誰かそこにいるの!?」

「しまった!」

 声が聞こえたか、行使した魔術を察知したか、あるいはその両方か。何者かの存在を察知したエリーが、問答無用で攻撃を繰り出してきた。いきなり正確に立っていた場所に不自然な突風が巻き起こり、その鋭い刃で周囲の立木がズタズタになる。勿論、そうなる前にジェリドはすかさず移動したが、今度は地面を何本もの蔦が蛇のように地面を這って彼を絡め取ろうとした。


「ナーレズ・ティル・アムド」

 素早くそれを焼き切り、ジェリドは木上に飛び上がった上で、森の外に向かって枝を飛び移りながら移動した。その間に完全に魔力や気配を断って様子を窺うと、何やら探査用の物体らしき物が何度か木の下を通り過ぎて行ったものの、特に新たな攻撃はなく、彼は少ししてから安堵の溜め息を吐いた。


「いきなり不審人物扱いか……。まあ、仕方がないな。恐らくこの結界も、あのエリーと呼ばれていた彼女の仕業。秘密を隠す為には必要だろうが、問題は彼女が何をどこまで知った上で、どう絡んでいるのか……。年齢から考えても、あの事件に彼女が直に関わっている筈がないし……」

 事は王国の威厳を揺るがしかねない事態であり、ジェリドは少し考えて、これ以上の独走を避ける判断を下した。


「とにかく王宮に報告してから、事の真偽を確かめよう」

 そして先程放置していた賊を回収しながら森を出た彼は、王都中央に戻ってその男を警備兵に引き渡した後、自分の屋敷へと戻った。

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