第50話 傍迷惑な義父

 それからすぐに気を取り直して王宮へと向かった二人だったが、蝶もどきの道案内に不安は無くとも、当初の畑や草原しかなかった屋敷の周囲から、段々と街路の両側に家が増えてきても、どこもひっそりと窓や戸を閉ざし、人の往来も無かった。そして暫く走って息が切れたディオンが、小さな広場らしき所で立ち止まり、膝に両手を当てて息を整える。


「参った……。人通りがこんなに無いとは。馬車も通らないなんて。この辺りはまだ庶民の生活圏だけど魔術灯も点いているし、普通ならもう少し夜遅くまで人の行き来はある筈だけど」

 そこでディオンは、ある事に気が付いた。


「そうか……、今日はお昼に陛下の即位二十周年記念式典が有ったから。日中、王都中の人間が王族のバルコニーからの挨拶や、パレードを中心部に見物に出かける為に、仕事を休んだとか早めに上がって帰宅したのかも。当然それに出向く人相手に屋台とかも、早い時間から出ていた筈だし」

 そう言って痛恨の表情をしたディオンに、シェリルがなおも不思議そうに尋ねる。

「それで、人通りが極端に少ないの?」

「ひょっとしたらね。……じゃあ、どこかの家に頼んで、馬を借りるか。もの凄く不審者扱いされそうだけど」

 ブツブツとそんな事を呟きながら、ディオンは早速周囲の家々に当たりを付け始めたが、ここでシェリルが広場を横切ろうとしている荷馬車を指差した。


「ディオン! あれを借りられないかしら?」

「そうだな。頼んでみよう」

 表情を明るくしたディオンは急いで件の荷馬車に駆け寄り、半ば強引に手綱を掴んでそれを止めた。

「すみません!」

「何だ? 若いの。ここら辺では見かけん顔だな」

 いきなり馬を止められて不審な顔をした農夫らしい男は、ディオンに渋い顔をしたが、彼はそれには構わず、単刀直入に話を切り出した。


「いきなりで申し訳ありませんが、この荷馬車を私に貸して下さい」

「はぁ? 何言ってるんだ? あんた」

「詳しい事情は言えませんが、大至急、王宮まで行かなくてはいけないんです」

 そう言ってディオンは真摯に頭を下げたが、相手は面倒くさそうに手を振ったのみだった。


「駄目だ。これは明日も朝早くから、仕事に使うからな。馬鹿な事言ってないで、とっとと失せな」

「すみません。色々あって朝までにお返しするのは難しいかもしれませんが、明日中には人に頼んででもお返ししますし、仕事で使えなかった分の補償は、ハリード男爵家が責任を持ってお支払いしますので」

「男爵様だぁ? お貴族様が、こんな農夫相手の約束なんか守るか。こんなボロ馬車取り上げないで、立派な馬車に乗ってろ。ほら、行った行った! 女房が夕飯こしらえて、俺の帰りを待ってるんだ! さっさと納屋にこいつを入れないと、どやされちまう。さぁ、その手を離してくれ」

 片手で追い払う真似をしながら、男が手綱を引っ張った為、ディオンは説得を諦めた。


「……シェリル」

「仕方無いわよね」

 一応、足元に控えている同行者に同意を求めると、シェリルは溜め息を吐きながら小声で頷く。それを見たディオンは、迷わず実力行使に出た。


「すみません! お借りします!!」

「何すんだ、この野郎! いててててっ!!」

 ディオンが力ずくで男を席から引きずり降ろすと、シェリルはなおも抵抗しようとする男の腰と肩に飛び付き、十分手加減しながら爪で顔を引っ掻いた。それで男がたまらず座り込んで手で顔を覆っている隙に、ディオンが荷馬車に飛び乗って手綱を取り、素早く方向転換をさせてシェリルに呼びかける。


「シェリル、乗って! 行くよ!」

「あ! こら待て、泥棒ーっ!!」

 シェリルが素早く荷台に飛び付き、その低い壁を乗り越えるのと同時に、ディオンは馬を走らせた。慌てて男がその後を追うが、忽ち引き離される。その様子を、荷台の壁際に転がっていた籠によじ登り、前脚で壁を掴んで後方を眺めたシェリルは、さすがに気が咎めた。


(さすがにあのおじさんに申し訳ないわ。そうだ!!)

 そしてある事を思い付いたシェリルは、すぐさま実行に移す。

(出ろ、出ろ、出ろ、出ろ……)

 首輪の一番右のガラス玉に触れながら強く念じると、何故かシェリルの眼前に金貨が次々に現れ、それが全て道に落ちてチャリチャリーンと金属製の響きを奏でた。

 さすがにその非日常的な光景にど肝を抜かれた男が足を止めて荷馬車を凝視すると、そこから居る筈のない、女性の声が響いてくる。


「その金貨は迷惑料の先払いです! それに、馬車はちゃんと後からお返しします!!」

 何が何やら分からないまま、男は呆然と立ち竦んで荷馬車を見送った。そして彼の姿が見えなくなってから、シェリルは運転台の方に移動したが、何となく険しい表情のディオンに出迎えられる。


「シェリル……、さっき金貨がどうこうって叫んで無かった? 何の事?」

 その問いかけに、シェリルは素直に答えた。

「さすがに大事な商売道具を盗られたら、ショックを受けると思ったの。勿論これは後から返すけど、馬と荷馬車を一式買える位のお金が手元にあれば、怒りや不安が少しは和らぐかなと思って、咄嗟に金貨を出して路上に落としておいたの」

 しかしディオンはその説明に納得するどころか、益々顔つきを険しくして問い質した。


「シェリル……、金貨を落として来たって、どうやって?」

「首輪の一番右の、紫色のガラス玉には金貨を出す術式が封じてあって、これを渡された時父に『お金に困ったら、これで金貨を出しなさい』と言われたの。でも父が死んだ後も、姉がしっかり生活費を稼いでいたから、これを使う機会は今まで無くて」

「シェリル……、それ、どうやって金貨を出しているのかな?」

 話の途中でいきなり質問され、シェリルは怪訝な表情で考え込む。


「え? どうやって……。さあ?」

「勝手に金貨を合成しているなら、明らかな通貨偽造で、国で鋳造している通貨の信用を揺るがしかねない重大犯罪だ。世間に露見したら、文句なしに即時家名抹消、官位剥奪、領地没収、下手すれば死刑になるけど、そこら辺を分かっている?」

「えぇぇっ!! 何それ? 全然聞いてないけど!?」

 途端にブンブンと千切れそうな勢いで首を振ったシェリルに、ディオンは頭痛を堪える様な表情で説明を続けた。


「だろうね……。百歩譲って、その金貨が勝手に合成された物じゃなくて、きちんと正規の手続きで鋳造された物なら、そこまでの罪にはならないけど」

「そ、そうなの? それは良かっ」

「そうなると、どこかから金貨を移動させた事になるよね? 本来の所有者の承諾無しに勝手に移動させたら、明らかに窃盗行為だよ?」

「…………」

 冷静にディオンに指摘され、シェリルは無言でピシッと固まった。それを見たディオンは一瞬前方の蝶もどきに視線を移して進行方向を確認し、同時に気持ちを落ち着かせてから、シェリルを横目で見ながら、もう何度目になるか分からない問いを発する。


「力ずくで馬車を奪った俺が、言える筋合いの台詞じゃないけど……。君のお父さんって、本当にどういう人?」

 そう言われた瞬間、シェリルは涙目になってペコペコと頭を下げながら、ディオンに向かって謝罪し始めた。


「ごめんなさい! 勝手に横恋慕した挙げ句、職場放棄しちゃった変な魔術師でごめんなさい! それから、わけがわからない術式ばっかり構築していてごめんなさい! それと、思考パターンが世間一般の人のそれと、相当かけ離れていたみたいで、本当に本当にごめんなさーい!!」

 その姿に憐憫の情を覚えたディオンは、穏やかな口調になって相手を宥めた。


「シェリル。もう良いから。さっきのは見なかった事にするよ。それと、さっきの金貨を出す術式。これからは間違っても、人前で披露したら駄目だよ? 絶対トラブルになるから」

「気を付けるわ」

 そうしてガックリと項垂れたシェリルと、険しい視線を前方に向けているディオンを乗せて、漸く市街地エリアに入り込んだ荷馬車は、蝶もどきの先導で王宮に向かってひた走って行った。

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