第49話 命拾い

「門が見えないし、向こうの騒ぎは酷くなる一方だな。どうするか……」

 そこで難しい顔で考え込んだ彼の腕から飛び降り、塀をペシペシと叩いていたシェリルが、突然顔を輝かせた。


「いい考えが有るわ、ディオン! すっかり忘れていたけど、私、空中に浮かび上がれるの!  私が子猫の頃、木の枝から上手く飛び降りられなくて怪我をした事があって。父が心配して、この首輪のガラス玉に、落下を防ぐ為の浮上術式を封じたの。でもそれから木から落ちる事は皆無だったから、全然使ってなかったわ」

 そう言って苦笑したシェリルだったが、それを聞いたディオンは物凄く不審そうに問い返した。


「子猫って……、どうして小さい頃から猫に変身しているわけ? それにさっきから気になっていたけど、ジェリドさんの話だとシェリルはかなり上級の貴族らしいのに、父親と姉が魔術師だよね?」

 ディオンは物凄く懐疑的な表情になっていたが、シェリルは最重要課題を持ち出して押し切る事にした。


「話は後! もう暗くなってきたし、早く王宮に行きましょう!」

「じゃあシェリル。姿を消した時みたいに、君を抱えていれば俺も空中に浮くのかな?」

「試してみる価値は有るわ。ここを乗り越えられれば早いでしょう? 早速、試してみましょう!」

 そうして再びディオンに抱えて貰ったシェリルは首輪に手を伸ばし、以前教えて貰った一番左側の青いガラス玉を触りながら、術式を起動させた。


(起動……)

 そう念じると同時に、シェリルがしがみついているディオン諸共、ゆっくりと垂直に上昇し始める。


「凄い、本当に浮いた!」

「良かった、ちゃんと起動して。ディオンも一緒に浮いたし」

 ディオンは目を丸くしたものの、すぐに余裕を取り戻して上昇するのに任せた。そして塀の縁まで到達した時、シェリルに問いを発する。


「あっさり上がれたな。じゃあシェリル、向こうに行こうか」

「え? 向こう?」

 その予想外の事を言われたといった感じの声音に、ディオンの表情と口調が固いものへと変化した。


「まさかこの術式って、垂直方向に移動するだけ、とか?」

「多分……。落ちそうになった時に、体を浮かせるのを目的にした術式だし……」

 そんな話をしている間も、ディオン達は緩やかに上昇を続ける。

「因みに、ここでその術式を解除したら?」

「落下するかな? あ、でも、地面にぶつかる直前でまた術式を起動させれば、また浮いて怪我はしない筈だから!」

 精一杯弁解したシェリルだったが、ディオンは視線を逸らしつつ、乾いた笑いを漏らした。


「は、はは……、うん、良く分かった、ありがとう。……やっぱり微妙な術式だ」

「…………」

 何も言えずにシェリルは黙り込んだが、ディオンはすぐ気を取り直したらしく、真剣な口調で言い出した。


「シェリル。これから俺が言う通りにして貰える?」

「分かったわ。何をすれば良いの?」

「この術式を解除してくれ。そして俺が声をかけたら、急いでまた術式を起動させて欲しい。ただしその間俺は両手を使うから、自力で俺にしがみついてくれ。できるかな?」

 正直、「自力でしがみつく」という所には不安を感じたシェリルだったが、大人しく頷いた。


「大丈夫。やれるわ」

「じゃあ、俺にぶら下がって。爪なんか幾らでも立てて良いよ」

(ディオンは何をする気?)

 訝しんだシェリルだったが、遠慮無くディオンの肩に前脚を伸ばして服に爪を立てた。そして服の下の皮膚に到達したような感じがしたが、本人が何も言わない為、それに関しては触れない事にする。


「じゃあ手を離すよ?」

「ええ、大丈夫」

 そしてディオンがシェリルの身体から右手を完全に離し、それでも左手は添える様にしながら、声をかけた。


「よし、それじゃ構わないから術式を解除してくれ」

「分かったわ」

(解除……、きゃあ! やっぱり落ちる!)

 浮上術式をシェリルが解除した途端、当然の事ながらディオンの体は落下し、シェリルは心の中で悲鳴を上げた。しかしディオンは距離を測りながら、素早く両手を伸ばす。そして見事両手で塀の縁を掴み、下半身を丸めて塀に引き寄せた。


「とりゃあぁぁっ!!」

「うひゃあぁっ!!」

 ドゴッと音がする位勢い良く塀の上部にディオンの足の裏が衝突した瞬間、シェリルはその衝撃に情けない悲鳴を上げたが、ディオンはその衝撃の反動と両腕の力を限界まで出し、塀を軸に自分の身体を半回転させる様に空中に跳ね上げた。


「田舎育ち、なめんなぁぁっ!!」

「きひゃあぁぁっ!!」

 ディオンの雄叫びとシェリルの悲鳴と共に、二人の身体は見事塀の外に放り出され、勢い良く落下した。そして空いた両手で、目を回しかけているシェリルをしっかり抱え込んだディオンが、背中から地面に向かって落ちながら絶叫する。


「シェリル――っ!!」

「起動――っ!!」

 本来念じれば良いだけの所を、シェリルが力一杯叫んだ瞬間、地面まで拳一つ分を空けてディオンの身体が落下を止め、ふわりと浮かび上がった。その感覚を捉えた二人が、まだ幾分、信じられない声で言い合う。


「た、助かった?」

「なんとか。じゃあこの術式を解除して」

「ええ。解除……」

 そして脱力した様にシェリルが呟くと、ディオンの身体は地面に大した衝撃を伴わずに落ち、その弾みで彼の腕から転げ落ちたシェリルは、放心状態で地面に座り込んだ。


「はは……、また寿命が縮んだ。俺……、もう、長くないかも」

 そして地面に四肢を投げ出したまま、中空を見据えているディオンがかすれた声を出したが、シェリルも本当は泣き喚きたかった。

(それ、こっちの台詞!! 飛び越えるなら飛び越えるって、一言言って!!)

 しかしこうなった原因の多くが自分に起因するもので有るため、シェリルはその文句を辛うじて飲み込んだ。

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